宗政報告No.16(2006年6月26日)


 
第46回宗議会報告
  
1207(承元元)年2月9日、住蓮・安楽ら4名が処刑され、法然上人・親鸞聖人はじめ7名が流罪となりました。世に言う承元の法難です。親鸞聖人は、越後の国に流され、そこで愚禿親鸞が生み出されたといえます。それはまた、浄土真宗の誕生でもあります。
 それから800年になります。憲法「改正」や教育基本法「改正」が現実味を帯びる社会状況のなか、法難を原点として持つ宗門として、社会的責任を果たすような施策や方針が一つでも提示されるかどうかという関心をもって今議会に臨みましたが、提案はすべて組織保持を目指すものばかりでありました。宗門は、念仏の教えを伝えるために存在するのであって、組織を存続させるために宗門があるのでは決してないはずでありますが。

 そのため、宗門の原点に立ち、社会的使命を確認する場となるような「念仏法難800年法要」厳修を内局に申し入れる発議者となり、野党全員27名の賛同の署名を得て、議会に諮りましたが、与党からは1名の賛成も得られず、残念ながら否決されてしまいました。
 ところで、04年の教育基本法「改正」反対決議、05年の憲法「改正」反対決議を受けて、「国民投票法案制定反対決議」を宗議会として採択できたことは、いままでの流れを断つことなく課題を継続できたと考えています。なお、これらの「決議」が参議会において同様に課題化されなかったことは、残念ではあります。

 


第46回 宗議会

 6月1日から13日の会期で第46回宗議会が開催されました。2006年度一般会計、経常部、臨時部あわせて85億1800万円(前年より微増)の予算案、2004年度決算、そして当局提案の4条例案・議員提案の3条例案についての審議がなされました。

 昨年9月の宗議会議員選挙では、熊谷総長率いる真宗興法議員団は、今はやりのマニュフェストで財務・教化等の変革を公約してきました。そこで、選挙後初めての常会にあたって、当然、与党の代表を務める熊谷総長は、公約実現に向けて具体的な施策を講じるものと注目していました。制度や機構を変更するには条例によって行うわけです。ところが、この度の議会に当局から提案された条例案4件は、専修学院の特別会計化以外は、単なる事務手続き上の変更にすぎず、全くやる気がないのか、変革など考えてもいないことを明らかにするものでありました。


  
当局提案の4条例案

 今議会は、特別委員会に属し条例案の審議を行いました。当局からは、市町村合併による所在地の名称変更、共済給付金の口座振り込み化、ご遠忌広報担当部署の拡大、そして専修学院会計を特別会計化する条例です。専修学院以外は、単に事務手続き上のことです。
 
 ところで、9日、専修学院の山科・岡崎両学舎を視察に参りました。両学舎合わせて、83名の方が学んでいます。山科の学寮にも参りましたが、12畳に4名が生活しています。清貧ともいえる生活環境で若者が学んでいることに、宗門も捨てたものじゃないと頼もしさを感じたものです。

 これまでは、宗派の一般会計で、入学金・授業料を学事冥加金として収入とし、先生方の人件費・営繕経費等を支出として処理し、実際の運営に関わる経費は専修学院に任せてきたということです。今後は、学院の運営全体に関わる経費を特別会計とし、宗派として負担すべき経費の明確化を計ろうというものです。
 学院では、先生と学生が同じ立場で学ぶというブラザーシステムが建学の精神とされ、先生方も学寮費を負担しています。特別会計化によって、学生の負担が増えることなく、また先生方が十二分に教育に打ち込めるような状況を作り出すよう出来るだけの負担を宗派は拠出すべきであろうと考えます。

 ところで、このことによって学院の自主性や自治性が損なわれるのではないかという懸念をお持ちの方もおられるかと思いますが、1991年に制定された「大谷専修学院学則」に則って、今後ともいままで同様に運営されることには、何ら変わりはありません。宗派の諸条例・規則等のなかで、宗憲以外に前文を持つのはこの学則のみです。それほど、この学則は重く位置づけられているといえます。
 
 
 

議員提案の条例案が3件

 1.宗議会議員選挙条例一部改正案
 04年の常会で、上記条例の一部改正がなされ、住職でない教師にも被選挙資格が与えられるようになりました。昨年の選挙では、住職ではない3名の方が当選しています。しかし、その改正された条例の持っている決定的な欠陥は、「住職の同意」を必要とすることです。これは、明らかに宗憲の精神に反するものです。そこで、今議会においても、「すべての有教師に被選挙資格」をひらくべきである改正案を提出しました。
 賛成少数で否決となりましたが、「同意」が取り除かれるまで提起し続けねばならないと思っています。
 なお、教区会議員の選挙権・被選挙権、組会員についても、見直しが必要であろうと思っています。

 2.過疎地域現状調査委員会設置に関する条例案
 都市部への人口の移動による地方の空洞化に伴い、寺を支え宗門を支えてきた門徒衆が激減しているという問題を抱えている寺院が、全国に数多くあります。この問題については、いままで殆ど見過ごされてきましたが、放置できることではありません。
 そこで、委員会を設け、人口過疎地に所在する寺院及び教会の現状を調査し、的確な施策の策定に資するものとしたいというものです。
 ところが、与党は、いま門徒戸数調査を進めているから、それで充分であると反対しました。しかし、門徒戸数調査で、過疎の地域の寺院なり門徒の人が、どうしたいと願っておられるかなど、聞き取ることが可能なのでしょうか。

 3.宗憲に関する審査会条例案
 宗憲第5条には「この宗憲は、本派の最高規範であって、この規定に反する規則、条例、達令及び宗務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」と、宗憲に則り宗門は運営されなければならないことが明確に規定されています。
 ところが、現在の機構組織では、宗憲に適っているかどうかを精査し判定する機関がありません。そのため、数にものをいわせて、「問題ない違反していない」とごり押しに近い形で事の適否が決められています。

 例えて言えば、前述の宗議会議員選挙条例の「住職の同意」というそのものが宗憲違反の可能性が極めて濃いと思われます。現宗憲は、いわゆる「本山問題」の教訓から、何人の専横専断をも許さないという理念を宗門運営の基本にすえています。ところが、「住職の同意」という、住職の恣意によって、同意したり同意しなかったりという、住職の専横を許す余地のある条例は、宗憲違反というべきであります。ところが、数で「問題ない」といえば、宗憲違反の条例がまかり通るという事態を生んでいます。
 そこで、条例や達令や宗務行為が宗憲に違反していないかどうかを審査、判定する審査会を作りましょうという、いたって当たり前のことがなかなか通らないというのが現状です。これも、与党の反対で否決されました。



大谷派の議会は議会の体を成していない

 自身で議会の末席を汚しておりながら、その議会のことをあれこれいうのは憚るべきではないかと思われる方もおられるかもしれませんが、自身にもその責任の一分があることと自覚しつつ、議会に縁を得ているものの責任において、お伝えしなければとならないと考えます。

 1.行政の不当介入
 前述の「宗憲に関する審査会条例案」が無所属の河野議員から議会事務局に提出されると、法規調査委員会の見解として「真宗大谷派宗憲の立憲の精神に照らし、以下の点に関し矛盾があるので、自ら撤回されるか撤回されないなら、宗議会において直ちに否決されたいと思量する」という書面が、「宗務総長熊谷宗恵」の差し出し名で、「調紀議長」宛に届けられました。
 法規調査委員会というのは、委員長が総長で、委員は宗務役員ですから、全くの行政委員会であるということ、「以下の点」と示されていることにもそれ自体に矛盾がありますが、いまはそのどちらについても言及することは控えます、煩瑣さをさけるために。
 ここで問題なのは、総長が、議長に、議員提案の議案を「否決されたい」と公印を押した書面で申し入れるという異常さ、であります。
 議長は、議会を代表するものですから、いわばこの書面は、行政の長が議会に対して「否決されたい」と、願望を伴った明確な意志を表明しているということです。

 総括質問の場で、この書面について糺すと、「同じ条例案を何年も提案されているので、今年は少し踏み込みすぎて強いものになった」という答弁。行政による議会への不当介入という意識は無く、程度の問題として捉えておられる。

 宗憲第22条に「宗会は、本派の最高議決機関である」と規定されています。最高議決機関というのは、本派における如何なる組織、機関あるいは個人からも束縛されたり、影響されたり、あるいは介入を受けたりすることなく、独自の判断を行使することが確保されているという意味に解します。
 提案された条例案が相応しいかどうか、矛盾はないかどうかは議会が判断することで、行政が意見を言うべきではない。まして「否決されたい」と願望を込めた強い意志を伴った不当介入は、議会を愚弄するものであり、あきらかに本派の最高議決機関としての権能を著しく貶める宗憲違反であります。

 しかし、このような明らかな宗憲違反の公文書を糺す機関がありません。そのためにも、宗憲に悖る事がないかどうかを審査・判定する審査会の必要性を感じます。これに反対する意見の一つとして、もし違反があれば議会が持つ自浄作用がはたらくから必要がないというものがあります。しかしここでいう自浄作用とは、過半数を少し上回る多数派が、数にものをいわせて押し切ることを言うに過ぎません。

 行政の不当介入を黙認するということは、大谷派の宗議会が、最高議決機関どころか、行政の追認機関に過ぎないことを認めていることに他なりません。恥じ入るばかりですが、それが実態です。

 そして、より問題であるのは、そういうことが宗議会全体で全く課題にも問題にもならないということです。予・野党問わず議会人としては、このような行政の横車とも言える介入は、本来許容されるべきものでないはずですが、議会運営委員会でも、委員会全体の重要課題とはなりませんでした。それほど、議会は行政との緊張関係を失い果たしているということです。また、総長の答弁を善意にそのまま受け取れば、総長は行政の長である前に、議会人でもあります。議会人である総長が、この問題を、行政の介入とは全く解せず程度の問題としてしか捉えられないほどの感覚になっておられる。その答弁は又、これまでもこれに類することを何の疑問もなく繰り返してきたことを物語るものといえます。
 行政が必要とする条例は可決し、欲しない条例は否決する。まるで、宗議会は行政の正しさを証明し、行政に印可をあたえるのみが、いまの任務になっているようです。これでは、宗議会は行政のお先棒を担ぐ機関にすぎません。
 今年度予算でいえば、宗議会費として5700万円近くが計上されています。これは、仙台教区が経常費のおとり持ちをしている年間額にほど匹敵します。このような宗議会が、果たして宗門に必要でしょうか。
 宗議会が、宗政のイニシアティブを取り、行政をチェックする機能を有する議会に少しでも近づくために、改めて議会の中に常任委員会の設置の必要性を感じています。
  
 2.参務の度重なる不規則発言
 本会議では、質問者に対して、総長もしくは参務が答弁をします。とこらが、まず、5日の日谷議員の質問に対して、財務長が質問に無いにも関わらず「財政委員会の議論を尊重して、平衡資金を融通して収骨施設の工事を行いたい」旨の発言がありました。収骨施設については後述しますが、この発言をなんとか議事録に残しておきたかったからの苦肉の策なんでしょうが。
 早速、議運で、質問に無きことを答弁した不規則発言であると抗議をし、翌日の本会議で謝罪と発言の削除が表明されました。
 あろうことか、その3日後、今度は林参務が、松岡議員の質問に対する答弁で、質問にない門徒戸数調査の必要性を、乱れ飛ぶヤジをものともせず、用意した原稿を読み切りました。ところが、と言うべきか、議運での抗議であっさりと、本会議での謝罪と発言の削除を受け入れました。
 財務長の場合は、善意にとれば勇み足とも取れないことはありませんが、林参務にいたっては、確信を持った議会ルールを無視することによる議会軽視であり、いわば議会への挑戦ともいえるものです。それほど、議会はなめきられているということなのでしょうか。
 しかし、よく分からないのは、抗議によって、いとも簡単に削除と謝罪を受け入れるということです。いったい何のための不規則発言であったのか。抗議をされれば、謝罪をする。しかし、内局員にとっての謝罪のもつ意味を考えてもらいたい。内局は、宗派を代表する機関です。その内局に属するものが謝罪をするということは、宗派が謝罪をするというに等しい重さを自覚すべきであります。軽々に謝罪すべきではなく、責任を取るべき事であります。

 議会を軽視した度重なる議会ルール無視と、先程の不当介入とを考え合わせるとき、総長にとっては、責任問題であると思われます。総括質問で、総辞職されるに値することと考えるが、どうかと質しました。それに対して、人間は過ちを犯すものです。どうか容赦願いたい。総辞職するつもりはないとの答弁をされました。
 宗議会を本派の最高議決機関として位置づけ直すことが、宗議会としての急務であると痛感させられた今年の議会でありました。



ご遠忌記念事業・両堂修復事業について

 ご遠忌を勤めるからには、仲間意識を確認し合うようなものではなく、宗門の存立意義を世間に明確にメッセージとして伝えることを主眼とするようなご遠忌でありたいと願っています。
 当局としては、法要を含めご遠忌の内容については、今後審議会を設けて、そこで検討していくということのようです。
 記念事業として、英訳「教行信証」の再版、10巻からなる「親鸞の世界」の刊行、そして「真宗本廟造営史」の刊行という出版事業が予定されているようですが、詳しくは「真宗」や同朋新聞で報告されるでしょうから、ここでは省略いたします。
 修復事業では、当初御影堂の素屋根を阿弥陀堂でも使用すべきではないかと要望していましたが、当局は無理だという回答を繰り返してきました。ところがここにきて、現在使用している素屋根を阿弥陀堂の素屋根としても使用することを決めたようです。ご遠忌は、阿弥陀堂を素屋根で覆ったままで厳修することになります。なお、素屋根を共用することで、8億円の経費削減になるようです。


 ついに、観光寺院か? 

 渉成園(枳殻邸)の管理・営繕経費の財源の一部として、参観者から500円の寄付金を徴収することを当局は決めました。もっとも、寄付金を納めなくても拝観を拒まないということらしいですが、納めなくてもいいという状況がどの程度確保されているかと言うことは未知数です。いまは、渉成園の入口で懇志金として協力して下さる方からいただいていますが、額が決まっているわけではありませんし、納めるも納めないもそれぞれの選びであります。
 ところが、500円という額が決められると、寄付金と言ってみても、一般的には拝観料と受け取られることになるでしょう。実際、6月11日付けの読売新聞(関西版)では、『東本願寺の名勝枳殻邸有料拝観』の見出しで、「京都の有名寺院の中で西本願寺とともに『無料拝観』を貫いてきたが、方針転換」との記事が掲載されました。
 これは、方針転換というものでは言い当てられるものではないでしょう。浄土真宗の名のりそのものを問い返す事柄として捉えるべき事であるように思います。真宗の名のりを否定するような事と思えてなりません。

 ある先輩から、真宗本廟に参道がないのは、だれでも、どこからでも参詣していただけるようにということがあると教えられたことがあります。有料化は、誰でもということを、大きく損なう方針といえます。06年度予算で見ると、有料化することによる増収を2800万円ほど見込んで計上しています。これは、06年度予算の0.328%にしかあたりせん。大きなものを捨てるに値する額であるのかどうか、充分な議論もないまま実行に移されようとしています。


 須弥壇収骨、そしてその施設をどう考えればいいか

 現在、御影堂須弥壇下(今は、仮安置所)にお預かりしている遺骨は、61万4千余体。須弥壇下を整備して、最大70万体が収骨可能だそうです。一方、年間では、およそ1万体の収骨があるということですので、10年もしないうちに収容出来なくなります。いま、それをどうするかが問題になっています。
 当局は、「ご遠忌事業推進のための財政に関する委員会」を根拠にして、平衡資金を融通して、御影堂須弥壇地下に収骨施設を25億円をかけて造るというのが本音のようです。前述の財務長の不規則発言の真意もそこにあると思われます。
 財源の一部(約15%程)を須弥壇収骨に依っているということは事実です(とはいえ、もし廃止したからといって、15%の減には必ずしもなりません)。収容できなくなったから地下に施設をではなく、今後の募財体制の中で須弥壇収骨をどのように位置づけていこうとするのか、教学的には須弥収をどのように受け取ることが出来るのか、今のままで収容できないとすると他にどのような方法が考えられるか、等々の検討がどれほどなされてきたのでしょうか。

 当局の最近のやり方は、委員会を立ち上げ、気に入ったものを委員に任命し、そこで自分たちの原案を委員会の結論とし、その委員会の報告を尊重するというかたちで、自分たちのやりたいことを宗門の方針とするという手法を多用しているように思われます。
 皆さんは、このことについて、どのようにお考えになるか、是非お聞かせ頂きたいと思います。


坊守問題、そして女性室について

 女性議員が二人誕生し、これからの活躍が大いに期待されます。それはまた、宗門の多くの女性においても同感でありましょう。これで、坊守問題や性差に関する課題が少しでも前に進むと。
 ところが、当局の姿勢は全く旧態依然としたままで、寺院教会条例第20条の坊守の規程に関しては、3年間の臨時措置期間を経たうえで暫定的に、2000年に制定された「女性住職の配偶者は除く」という除外規定を今も放置したままにしています。「宗門世論の趨勢を見極めて」を常套句として、改正を先延ばしにしてきましたが、いつになったら見極めれるのでしょうか。性による除外規定を条例に持つことは、宗憲の精神にも悖ることです。

 昨年、女性室が組織部から解放運動推進本部に移管されてました。解放本部に移って、部落差別問題やハンセン病問題等と相互に影響し合って、より幅を拡げ活動を深化させることになったのでしょうか。どうも、そうとはならず、腰掛け的に置いてあるに過ぎないように見えます。女性室の担っている課題は、常勤の職員がやるようなことではなく、非常勤の嘱託で充分だとでも考えておられるのか、スタッフは今に至っても嘱託の身分です。また、先頃解放本部の研究紀要「身同」第26号が届けられましたが、そこには、人事と事務連絡以外で女性室の課題は一切取り上げられていません。あたかも、解放本部に女性室という宗門の課題を担った部署など無いが如きであります。



念仏法難800年法要

 発議者となって、「念仏法難800年法要厳修に関する建議案」を議会に提案しました。

 1 念仏法難800年法要厳修に関する建議(案)

 宗祖は、承元の法難により、越後に流罪となられた。そこで、非僧非俗の愚禿親鸞が誕生した。それはまた、浄土真宗の嚆矢でもある。それから、800年を数える。内局は、ご遠忌事業の一環として念仏法難800年法要を厳修されたし。

 理由 ご遠忌を厳修することは、宗祖のご生涯をたずね直すことを通して、私自身を聞き開き、我が宗門を問い直し、そして現代を捉え直すことであろう。
 承元の法難は、宗祖のご生涯の中でも特筆すべき意味を認めることが出来る。800年となるこの時期に、宗門として法要を厳修し、全宗門的課題をとされたい。
 その法要では、念仏はなぜ弾圧されねばならなかったのか、念仏を弾圧した仏教とは如何なる仏教であったのか、そして、吉水教団を解体し、住蓮・安楽ら4名を処刑し、法然上人・親鸞聖人はじめ7名を流罪に処した権力とは如何なる権力であったのか等々が問い返されることになろう。そしてそこから、承元の法難の持つ今日的課題が浮き彫りにされるような法要でありたい。
 別ても、憲法改正が現実味を帯び、愛国心が教育基本法に盛り込まれようとしている現今の社会状況の中で、法難を出発点とする教団としての社会的使命を改めて確認する法要を厳修することは、宗祖の素意に適うものと確信する。 以 上


と、いう内容で、賛同者として野党全員27名が署名してくれました。しかし、与党からは、1人の賛成も得られなかったことは残念です。
 内局の方針としては、高田教区で「ご流罪800年法要」を勤め、それに協賛することで充分だという認識のようです。高田教区でされようとしていることは、大変大事な事であります。しかし、宗門としては、協賛する事を以て事足れりとするのではなく、独自に勤めるべき重要性と課題性のあることだと考えます。内局の方針には、絶対賛成というのが与党の対応のようで、一人ひとりのご意見はないのですかと尋ねたいところですが。

 議会活動とは必ずしも言えないのですが、共に念仏を拠り所としているお西と、浄土宗と、西山浄土宗系の有志の方に誘いかけて、「念仏法難800年を考えるつどい」を合同で開催できないかと準備を進めています。すでに、2回ほど準備会を持ちまして、次回は8月1日にやります。お西と浄土宗からは宗議会議員の方が数名出席していますが、どこまでも有志での会ということになろうかと思います。今まで浄土宗系の人たちと話す機会があまりなかったものですから、ご一緒出来ただけでも、面白かったといえるものがあります。たとえば、浄土宗系の人たちは、承元の法難とはいわずに、建永の法難といわれます。建永から承元に改元するのは1207年の10月ですので、法難があった時点では建永というべきかもしれません。
 ところで、6月4日には、鹿ヶ谷の安楽寺での住蓮・安楽800回忌法要に参詣させて頂きました。念仏の調子がリズミカルで、聞いていてわくわくするようなものを感じました。さぞ、往時の住蓮・安楽の美声もかくありなんと思いながら参詣していました。

最後に、今議会で採択された決議を紹介します。


          国民投票法案制定に反対する決議

 当宗議会は、大谷派が過去において、宗祖の仰せになきことを仰せとし、無批判に国策bに協力した自らの戦争責任を深く懺悔し、敗戦50年にあたる1995年、「不戦決議」を採択いたしました。そのなかで、「惨事を未然に防止する努力を惜しまない」と誓いました。
 その誓いにたって、2004年には、『教育基本法「改正」に反対する決議』を、そして2005年には、『日本国憲法「改正」に反対する決議』を採択いたしました。
 いま、「国民投票法案」が審議の途中にありますが、この法案制定を許すことは、憲法「改正」への動きを促進させ、「改正」を既成事実化するおそれがあります。よって、憲法「改正」を前提とする「国民投票法案」を、単なる「手続き法」として看過することはできません。
 私たちは、当宗議会の前述の二つの決議をふまえ、「国民投票法案」制定に明確なる反対の意を、強く表明いたします。

   藤島議員死去
 
グループ恒沙の先輩として、大変お世話になった高田教区選出の藤島 恵議員が5月15日、還浄されました。59歳でした。ブラジルに開教師として赴任されていたこともあり、語学が堪能で、読書家で、有能な方でした。別ても時代を見抜く洞察力にすぐれ、宗門改革の必要性を痛感されていました。藤島兄の遺志に応えるべく歩んで参りたいと思っています。

*藤島氏死去により 居多 徳恵氏が繰り上げ当選となりました。氏は我々と志を同じくされ
 グループ恒沙に入りました。今後ともどうぞよろしくお願い致します。