宗政報告No.17(2006年8月20日)
先日、06年度(7月から翌年6月)最初の宗政調査委員会(宗調)が開催されました。しばらく、宗調の報告を掲載していなかったのですが、議員総会(8月2日)で問題になったことが、今後の議会のあり方と、選挙制度に影響が出てくると考えられますので、宗調からしばらく経過しましたが、ここにご報告します。 そして、これは、宗調とは直接関係がありませんが、「念仏法難800年」の集会についてもお知らせしたいと思います。 1.議会のあり方について 議員総会で、無所属の河野議員が、先の常会での法規調査委員会の書面は、議員の発議権を奪うものであり、到底許容できるものではない、当局の見解を聞きたいと発言。 これに対して、長久寺参務は、改めて法規調査委員会から議長に宛てられた書面を朗読。 この件については、先のこの宗政報告でも取り上げましたが、その時には、さすがに全文を掲載するのを憚りましたが、総会では、参務は全く問題などそこにはないと言わんばかりに全文を読み上げました。以下がその全文です。 真宗大谷派宗憲の立憲の精神に照らし、以下の点に関し矛盾があるので、自ら撤回されるか撤回されないなら、宗議会において直ちに否決されたいと思量する。 1 宗会の議決結果に対して異議を差し挟む機関を設置することは、宗憲第22条に 規定する「本派の最高議決機関」の権能を侵す結果を招く。 2 宗会の議決結果に関して、仮に宗憲の規定に矛盾背反するものがあったとしても、 宗憲第5条の規定すなわち「この宗憲は、本派の最高規範であって、この規定に反 する規則、条例、達令及び宗務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効 力を有しない。」により、審査機関の審査を待つまでもなく当然無効となる。 3 仮に「前項の審査」の必要性があるとするなら、宗会自身の権能を発揮し、同朋の 公議公論を尽くすべきである。 以上 一読して頂いただけで、とんでもない書面であると直ぐに気付かれるかと思うのですが、参務は常会の特別委員会の総括質問ですでに問題点の指摘があったにも関わらず、全く問題の所在に気付いていないという感じでありました。 そして、これは河野議員が発議者となって提案された、宗憲第5条を実のあるものとするため、つまり、条例や達令等に宗憲に悖る疑義がある場合に、審査する機関を設置する条例案に対する法規調査委員会の回答として出されたものです。 そもそも法規調査委員会は、委員長が宗務総長で、委員が宗務役員です。委員会の構成からして全くの行政委員会であります。その業務は、当局が提案する条例案、あるいは発する達令等が宗憲や他の諸条例等に抵触したり、整合性を欠いたりしないかを検討する委員会であるはずです。まあ、敢えて云えば、国政では内閣法制局に当たるといえるでしょう。そこでの審査業務は、内閣が提出する案件について審査をするのであって、間違っても議員提案の議案の審査をするはずがありません。一方、議員立法の補佐をするのは、衆議院法制局であり、あるいは参議院法制局がその任にあたり、ともに立法機関に属するものです。 つまり、法規調査委員会という行政に属する委員会が、議員が発議権に基づいて提出した条例案について審査し、否決されたいという意思表示をすることこそ、議会への行政の介入であり、最高議決機関としての権能を侵す宗憲違反にあたり、それは同時に、議員の発議権を奪うことでもあります。 では、何故この様な書面がまかり通り、そのことに異常さを読みとる感覚が当局に欠如していたのでしょうか。それは、現当局がきめ細かな感性を欠いているからでしょうか。 しかし、そう言えば、些か酷であります。 その起因するところは、それは、今までも議会に対して、そのような対応を歴代内局が取り続けてきたからであり、そのような対応を当然としてきたからに他ならないのでしょう。 それほど、議会と行政が未分離というか、それぞれの分限が不明確になっていると云うことなのです。 また、理由として挙げられている3項目について言及するなら、1項目については、最高議決機関であることと、それが無謬であることとは別事であります。最高議決機関であっても、過ちを犯します。そのとき、その過ちを修正する機関がないことが問題であるという提起であります。2項目については、宗憲第5条が今のままでは、全く実効性を持たない絵に描いた餅であることです。それを克服するための機関の設置ということです。3項目については、議会の現状をどこまで直視しているのかと疑ってしまいますが、自浄作用が働くという幻想を披瀝したものでありましょうが、多数派の意見を議会の意見としている中で、多数派の独善を自浄という言いくるめようとしているに過ぎません。いまの議会に自浄の能力など期待すべくもありません。 こういう批判を加えると、あたかもこの書面を認めたように取られると心外ですが、議員提案された条例案を評価できないという根拠そのものが全く理に適わないものであるということをご理解いただけたかと思います。 くどいようですが、法規調査委員なるものが、議員立法として提案する条例案等に対して、とかく意見を差し挟むこと自体が、議会への介入で議会を愚弄することであり、また議員の発議権を侵すものであり、全く許されることではないということです。 議会が抱えている問題は、議会と行政の分限の明確化だけでなく、宗調の見直し、宗憲第5条の実効性の確立、決算議会の開催等々あります。これらの問題について、その克服を目指して、議長が各派の代表者会議を開催して取り組もうとしています。 とは言え、実は宗調の見直しを課題として検討会を今年の2月6日に立ち上げています。 それが、頓挫して、この代表者会議ですので、順調に今後展開されるかどうかは余談を許さないところです。今後の取り組みについて、逐次報告していきたいと思います。 2.教師の宗門での位置づけの見直し 熊谷総長は、住職をご子息に譲られました。条例では、宗務総長は住職でなければならないことはありません。個人的には、熊谷氏に、ますます総長職に専念頂けることであろうと思っています。 ところで、宗議会議員選挙の被選挙権を拡大するにあたって、真宗興法議員団の主張は住職が募財の任務をひとりで担っていて責任を負う立場にいる、一方、住職でない教師は責任を負える立場ではなく、立候補にあたっては責任を負う住職の同意が必要であるというのが主たる主張であったといえます。 そこで、総会において、真宗興法議員団の代表でもある総長に、「住職でない教師は、宗門において責任ある立場にいないため、立候補にあたっては責任を負う住職が同意をする」という主張に、いまもくみされますか、と尋ねると、「そうだ」とのお答え。 それでは、住職を譲られたいま、宗門に責任を持てない住職でない教師という立場におられる方が、総長という宗門の代表を務められているということをどのように思っておられるのかを重ねてお聞きしました。 それに対しての総長のお答えは「すべて教師は宗門を担う責任を有する」と、先程の答弁といささかトーンが異なるお答えをされました。宗門を荷負する責任を有すると云うことは、宗門を担うに相応しいものということであろうかと思います。この教師に対する見解は、我々と軌を一にします。そうであれば、何のために、立候補にあたり住職の同意が必要であるのでしょうか。 果たして、真宗興法議員団の代表たる総長の発言と、いままでの真宗興法議員団の主張とは齟齬しないのでしょうか。あるいは、宗議会議員選挙に立候補するのにも、住職の同意を必要とするような住職でない教師が、宗門の代表を務めることに、真宗興法議員団では、何ら問題はないのでしょうか。 今後、教師を宗門でどのように位置づけていくのかと云うことについては、論議を重ねる必要があるのでしょうし、早急に「住職の同意」を条例から削除することが望ましいと思われます。 3.念仏法難800年を考える集い 親鸞聖人が越後に、法然上人が讃岐に流罪となり、住蓮・安楽ら4名が死罪になった承元の法難から来年で800年になります。 昨年の議会の一般質問で、宗門として「法難800年法要」を厳修する考えはないのかと尋ねたところ、検討したいという答弁でありました。また、先の宗政報告でお知らせしたように、野党全員27名の連署で、「法難800年法要を宗門として厳修する」建議案を発議しましたが、与党真宗興法議員団の反対で否決されてしまいました。 そして、当局が検討した結果が、高田教区で行われる「流罪800年記念事業」に相乗りをして、協賛することをもって宗派事業とするという全くやる気も主体性もないものでした。 宗門でやらないならというわけではありませんが、昨年からお西の宗議会議員(この方々とは一昨年、野田正彰氏に出講いただき、「教育基本法改悪反対宗教者集会」を共同開催いたしました)と準備を重ねて、法難のあった京都で、念仏の道を歩まんとしている者が集って、法難を通して、念仏者としての今日的課題を確かめるような集会を考えていました。 そこで、有縁の浄土宗の方と西山浄土宗の方にも呼びかけて三度準備会を持ちました。準備会そのものが、大変興味深い意見交換の場になり、それだけでも大いに意義がありました。 これからまだまだ、詰めなければならない事柄がありますが、大筋で決まりましたことをここにお知らせします。是非、多くの方々のご参加をお待ちしています。
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