宗政報告No.25(2010年7月2日)


        第53回宗議会が開催される


 参議院選挙が山場を迎えていますが、それに先立ち、鳩山首相は、その指導力と決断力のなさが、首相の座を支えきれず、そのイスから崩れ落ちるように突然辞任しました。
 我が宗門においても、リーダーの決断力のなさに、ガッカリさせられる今議会でありました。それは、御影堂欄間正面に掲げられている見真額についての判断のことであります。御遠忌を前にしながら、今年もその判断を先送りしました。これまで、私たちは靖国の学びを重ね、1995年には、「不戦決議」を宗門として採択して来ました。課題がここまで鮮明になっているのですから、いずれ下ろさないわけにはいかないでしょう。そして、下ろすなら、御遠忌を迎えようとしている今なのです。にも関わらず、であります。見真額のことについては、後で詳しく報告します。



 
◎2010年度・2011年度の2ケ年度予算が審議された

 今年2月の臨時宗議会で、多くの反対がある中、来年の議会は御遠忌厳修のため十分な準備期間が取れず、そのため予算編成に十全の責任が持てないということを主な理由として、ほとんどどこにも例がないであろう、2ケ年度予算案提出という事となりました。
 議会前の代表者会議では、すでに会期を一日延長していますが、それでも審議時間が不足するのではないかと危ぶまれましたが、予算委員相互で、時間不足を懸念し合ったためなのか、外から見ていると、予算委員会の審議の速度が随分と早く感じられました。2ケ年度分を審議するのですから、じっくりと時間を掛けてということが、元来無理であったのでしょうが。
 2010年度予算は、臨時部に青少幼年センター資金から、8億3千万円を教化総合施設建設資金として予算化(後ほど詳しく述べます)しましたので、経常部と合わせて93億円であります。
 また、2011年度予算につきましては、10年度予算に比して、10億7千万円減の82億3千万円であります。主なものは、8億3千万円の臨時部歳入を編成しないことと、繰越金が計上されないことによるものです。

  
 
◎ご本尊を、九字の間にご安置
   
 御遠忌懇志金ご依頼198億円に対して、2010年度、2011年度の2ヶ年の募財を残して、100.2%(10年4月末)のご進納を頂戴したようであります。なお、超過収納されたご懇志につきましては、将来の両堂等の修復のための積立金として確保できるための条例が可決されました。
 今後の修復事業につきましては、総予算70億円で、2012年1月より阿弥陀堂、2013年1月より御影堂門の修復工事に着工する予定であります。それぞれ工期は、4年と3年ということのようです。
 阿弥陀堂の修復工事に伴い、ご本尊の動座式を、御正当報恩講の翌日、2011年11月29日に行います。ご本尊は、御影堂南余間、九字の間にご安置します。ご本尊の両側を御簾で囲い、そこを御堂と見たてるということのようです。
 ご本尊を余間にご安置するということに抵抗が無いわけではありません。個人的には、大寝殿にご安置し、仮御堂とすることが望ましいと考えていましたが、様々な議論のうえ、九字の間ということになりました。

◎ご遠忌法要

 来年の3月19日から、5月28日まで、三期に分けてのご遠忌法要が計30日間勤まります。その間に、41日間の讃仰期間があり、子ども御遠忌・青年の翼・HIGH SCHOOLサミット・世界同朋大会等が予定されています。ほぼその内容が決まりかけていますが、その詳細については、9月末発行予定の「御遠忌ガイドブック」に掲載されますのでご確認下さい。
 なお、仙台教区としては、5月13日(金)に、「死刑制度と私たちー真宗門徒にとって死刑とはー」というテーマのもと、「仙台教区の日」として本山・参拝接待所視聴覚ホール(予定)を主会場として実施致します。
 仙台拘置支所は、実は仙台教務所からは直線距離でいえば僅かしか離れていないところにあります。「教区の日」の企画を法要部会で立てていた時に、仙台拘置支所で、高塩正裕氏の死刑執行(08.10.28)がなされた発表があり、見過ごせない問題として「教区の日」の課題として提案することになったようです。ジャーナリストの森達也氏を中心に、死刑についてあまり考えたことがない人や存置派の方も一緒に、死刑制度そのものを考える機会になればと思います。是非、仙台教区からも多くの方々が「仙台教区の日」に上山されることをお勧めします。
 また、宗会議員が、テーマである「宗祖としての親鸞聖人に出遇う」を一人ひとりが自身の課題として、御遠忌に積極的に参加することをねがいとして、「宗会の日(仮称)」を開催するものです。そこでは、現代という特異な時代にあって、人間の抱える諸問題を通して、「いまを生きる親鸞」を聞き開き、同時に発信することを目指し、人間の諸問題を見つめ続けておられる哲学者、アナリスト、作家等に講演をねがい、対談を持とうとするものであります。
 開催期日は、5月9日・10日の二日間。


◎同朋会運動推進に関する委員会

 代表質問でも取り上げましたが、歴代内局は、ご遠忌事業として同朋会運動50年以降の教化方針を策定することを掲げていましたが、いまに至っても方針が示されないどころか、策定作業すら全くなされいなかったのが現況であります。
 そのようななか、あまりに遅きに失した感は否めませんが、今回、「同朋会運動推進に関する委員会」が設置されたことは大いに期待したいところであります。
 ところで、同朋会運動50年以降の方針を策定するにあたっては、これまでの同朋会運動を徹底して総括することからしか始まらないのではないでしょうか。これまで展開してきた運動が、如何なるテーマ設定をして、何をしようとして、何がなされたのか。そして、何をなし得なかったのか。何故、出来なかったのか。あるいは、何を積み残したままにしているのか。それらのことについて、宗務所各部で、教区で、組で、つまり全宗門挙げて総括がなされるべきでしょう。事業毎の総括はもちろん、機構・組織・システムの諸問題点も明確にされるべきでしょう。方針策定の前に、じっくり時間とエネルギーをかけて、同朋会運動そのものの抜本的見直しを視座としての総括の必要性が思われてなりません。
 そのような課題を担うのが、この委員会であろうと期待するのですが、この委員会の所管する事項として挙げられているのは、同朋会運動推進の基本問題に関する事項と、同朋会運動の推進計画に関する事項となっています。そして、その基本問題の内容とは、教学・教化、儀式、財務であるといいます。しかし、教学・教化、儀式、財務といえば、宗門の全ての課題を網羅するということではないでしょうか。これでは課題があまりに広範囲にわたり、焦点が拡散する危険性を心配します。そこで、委員会や総括質問で、課題の絞り込みの必要性を問いただしたのですが、それについては、選出された委員に任せたいということでありました。当委員会の委員各位には、是非、充分なる同朋会運動の総括を望むところであります。
 この委員会の委員構成についても、40名以内とし、宗議会議員10名以内、参議会議員10名以内としていますが、この委員会が、今後の同朋会運動の命運を握るとさえいえる内容を持つものであるということを思う時、役職のあて職から選出するのではなく、今後の宗門の教化活動を牽引するであろう若手やネット教化の可能性を探ることの出来る有為な人こそ選出されるべきであると思います。
 今後、当委員会の活動には、期待を以て注視していきたいと思います。


◎教化センター設置に関する委員会

 2008年5月の宗務審議会「真宗教化センターに関する委員会」答申、及びその答申を踏まえて設けられた「真宗教化センターに関する検討委員会」報告を具体化するために、設けられた委員会であります。
 上記の「真宗教化センター」に関する2つの委員会に、参画することが出来、時間を掛けて検討を重ね、現在の宗務機構が抱える問題点の洗い出し作業に関わりました。そこで明らかにされた諸問題点の克服を大きなテーマとして「真宗教化センター」を設置しようとしています。
 「真宗教化センター」の主な業務について言及しますなら、宗務所の教化担当部署間の連携を緊密にし、各教区の持ち得ている情報・資料を収集・分析・整理し、教区からの要請に応じて提供、及び相談等に応じられる体制の構築、あるいは、宗門が保有する蔵書、講義録、講演テープ、教化資料等の把握・整理、その活用を可能とする資料室の設置、また、宗門に寄せられるさまざまな問い合わせや相談に対する窓口業務等があげられるでしょう。
 今回の条例による委員会は、教育部に「真宗教化センター設置準備室」を置き、そこで、これまでの「真宗教化センター」に関する2つの委員会での審議内容を具体化するために「真宗教化センター設置計画」を立案し、それに基づいて、「真宗教化センター」、「解放運動推進本部」、「青少幼年センター」、そして「教学研究所」が入る施設の建設を推進する「教化総合施設建設委員会」と、「真宗教化センター」設置によって、宗務所における機構の抜本的改変が必要となるため「教化機構検討委員会」によって、施設と機構の調査と検討を計ろうとするものです。
 施設については、大谷婦人会館が候補の一つとして挙げられています。
 教化機構としては、すでにある部署としては企画室(OA機能を除く)・組織部の教化担当パートの機能が「真宗教化センター」に付与されるものと思われます。
 なお、先述の「真宗教化センターに関する検討委員会」報告では、「真宗教化センター」、「解放運動推進本部」等が入る施設の名称を「同朋センター」としていましたが、「真宗教化センター」、「青少幼年センター」と、センターの重複を避けるため、この度は、「教化総合施設」と表現しています。


◎青少幼年センター

 蓮如上人500回御遠忌の記念事業としての「教学振興事業推進資金」の施策の一つとして、青少幼年センター構想が打ち出され、2002年に青少幼年センター準備室が開設されました。それ以来、先行事業として着実な活動が重ねられ、今回の発足となりました。
 施設としては、先述のように、ゆくゆくは「教化総合施設」に入ることになるのでしょうが、「教化総合施設」が完成するまで、準備室のままでの活動ということもならず、大谷婦人会館の道を挟んで西隣にあります、「光華ホール」を使用しての活動開始ということになりそうです。
 「青少幼年センター」は、青少幼年の課題に関する情報を収集・発信するともに必要な研究、交流、支援及び人の育成を、それぞれの教化の現場と連携して行い、青少幼年と課題を共有して同朋として共に歩むことを目指すものです。
 なお、「教学振興事業推進資金」のうち、10億円が「青少幼年センター資金」に充てられていましたが、これまでの準備室設置や先行事業で1億7千万円程の支出があり、8億3千万円につきましては、「教化総合施設」建設資金の一部に充てるために条例改正がなされ、一旦、一般会計臨時部歳入として計上されたということです。
 ところで、保育・児連・仏青・スカウト・合唱の青少幼年教化5部門に関しましては、これまで通り、その事務は教育部が担当するということのようです。

  ※光華ホール:光華学園が、被服の専門学校として使用していたようであるが、近年は空き家状態。モルタル二階建て。一階部分に修復工事を施し、使用。


◎本廟維持財団問題

 本廟維持財団は、その名称が示しますように、真宗本廟の維持管理のための助成を行うことを唯一の目的として設立されたものでありましたが、「本山問題」のなかで、大谷暢順氏が理事長に就任されて以来、運営規定(寄付行為)が、恣意的に改められ、理事の中から宗門関係者が排除されたなかで、財団を私物化した運営が続けられてきました。
 公益法人制度改革に伴い、2013年11月30日までに、公益性の認定を受けて公益法人として登記するか、一般法人として登記するか、もしくは解散するかが求められることとなり、当該財団がどのような対応をするかが、関係修復の最後のチャンスかも知れません。
 そこで、現行の「真宗大谷派本廟維持財団正常化促進条例」は、97年に、宗門挙げて維持財団の正常化達成のために制定されたものですが、委員が70名以内という大世帯のため、今回この条例を廃し、新たに委員を12名以内とし、小回りのきく対応を可能にした条例を制定しようとするものです。
 現在、維持財団との関係は、東山浄苑の土地75,000平米の年間地代1,280万円が納められているということのみです。それ以外は全くの没交渉状態です。
 門徒の財産が暢順氏の恣にされることに憤りを感じますが、有効な手段が講じられないままになっています。現時点で、維持財団が所有する不動産は、土地約87億円、建物約25億円といわれています。過去に売却した土地では、92年3月に、3百億円ともいわれる額で京都駅前の9千坪を旧近鉄百貨店に売却したものがあります。

ご依頼割当基準策定に関する条例
 
 02年、「御依頼に関する委員会」によって「新割当基準」が策定されましたが、算出基準とされたのが、それぞれ寺院の所在する市町村の人口であり、また、そこには平均割が取り入れられていました。教区としては、公平性と妥当性に欠けるとして、新割当基準による募財には応じず、算出根拠となる門徒戸数の調査実施を申し入れしました。
 仙台教区のみならず、多くの教区から新割当基準は現場の実状を反映したものでは無いという批判があり、それらに応えるかたちで、07年11月、全国門徒戸数調査が実施されました。そして、08年度の御依頼は、その調査結果とその他の要素を勘案して策定された割当基準によって実施されるようになりました。しかし、実際は、多くの教区は、門徒戸数調査の結果があまり反映されないものとなっていました。
 そこで、この割当基準に対しても、多くの要望や意見が提出され、当局は宗務審議会「御依頼割当に関する委員会」を設置し、09年12月に提出された委員会答申に添うかたちで条例化したのが、この条例であります。
 もともと、御依頼は、内局の専決事項であり、その責任においてなされるべき事でありますが、実質上は「御依頼割当基準策定委員会」にその任務を委ねようとするものといえるでしょう。また、この条例で、御依頼割当基準として、門徒戸数調査の結果を主要素とする事を明確にしたといえます。
 また、次回の門徒戸数調査に先立って基準を策定し、公にするというものであります。


門徒戸数調査委員会

 門徒戸数調査に関する条例の一部改正があり、調査結果の教区における公開及びその使用、並びに再調査等についての手続きを規定しようとするものです。
 ところで、この条例についての総括質問のやり取りの一部。教区調査委員会、組調査委員会の主な任務は、調査にあたっての説明と調査票の回収、そして集計であるといえます。教区調査委員会の調査対象は、組と別院です。ところが、教区調査委員会の別院に対する回収任務が条例にはなく、指摘すると、別院は、調査票を提出するのが「当然である」から、条例上、記す必要がないと答弁。指摘したのは、別院が調査票を提出することと、委員会が調査票を回収することとは、行為主体が異なり、提出と回収が必ずしも一致することではないのであるから、回収任務を記すべきであろうというもの。総括質問は、限られた時間しか与えられていないため、他にも質問があったので、それ以上の確認はしなかったが、いずれ改正すべきであろうと思われます。


見真額について

 ご遠忌法要を前にしての最後の議会ということから、この議会で一定の方向が示されなければ、見真額を御影堂の正面に掲げたまま、ご遠忌法要を勤めることになるという危機感が多くの人たちにあってのことと思われますが、全国から、11件の請願が出されました。
 11件の請願ですが、内容的には2つといえます。一つは、御影堂から見真額を下ろす事を求める請願と、その見真額や天牌を大谷派の歴史を検証する史料として常設展示を求める請願であります。
 ここで見真額について、その経緯を確認してみることにしましょう。それには、少し教団の歴史について、述べる必要があります。
 本願寺教団は、10代証如上人の頃より、経済的に大変潤沢になるに伴って、貴族化する傾向を強めていくようになります。最も顕著な例が、11代顕如上人の時には、九条家の猶子(ゆうし)となって、摂家門跡となり、門跡寺院となります。(大谷派は、東西分派後、近衛家の猶子となります。因みに抱牡丹は近衛家の家紋)その延長上に大師号があります。
 大師号は、天皇が高僧の死後、おくる名前で諡号(シゴウ)といいます。つまり、天皇という世俗の最高の権威の座にあるものが、出世間を生きようとした僧に対して、評価を下し、名をおくる。それは、世俗を超えて生きたその人を、教団が、世俗の権威に擦り寄ることによって、世俗の中に閉じ込めることであり、出世間が本来有している世俗を相対化する眼を失い、世俗を絶対視する手助けをする方向にはたらく危険性をもちます。
 親鸞に対しての見真という大師号は、1876年(M9)に贈与されましたが、実は、それをさかのぼること1世紀以上以前に、教団は大師号をもらいたいという運動をしています。
 それは、宗祖の500回忌にあたる宝暦11年(1761)に先立つ、宝暦4年、8年と、東西本願寺は、大師号を贈与されるべく運動を展開します。しかし、朝廷の同意が得られず失敗。また、550回忌の文化8年(1811)にむけて、文化5年(1808)にも、大師号運動を起こしますが、比叡山からクレームが付き却下されます。どうも、御遠忌になると大師号を求めようとしたようです。
 1世紀以上の長きにわたる大師号に対する熱望が、見真大師号を贈与されるまでにありました。それほど渇仰して欲しかった大師号で、なにを実現しようとしたのでしょうか。それは、先程も見てきましたように、天皇に近づき、天皇に認められるということで、天皇の権威を利用して、教団自身が、高貴で高尚な貴族的存在であることという世間の認知が欲しかったということでしょうか。
 しかし、天皇という世俗の権威に近づき、それを利用することは、また同時に、天皇に収斂される国家に絡め取られるということにつながります。実際、教団の名によって、積極的に戦争に翼賛する道を選ぶこととなっていったことは否定し得ない事実です。
 宗憲が81年改正されて、大師堂と呼んできた名称を御影堂としました。門もまた、御影堂門とその名称を変更しました。ところで、いつから、大師堂というようになったかと申しますと、1889年(M22)4月16日の達令で、「御影堂を自今大師堂と称す」とあることによるものです。それは、親鸞聖人のお姿を偲びつつ、念仏の教えを聞き開く場であった御影堂から、親鸞聖人に見真大師として出遇い、その大師号を贈与した天皇のご恩を感謝する場となったということではないでしょうか。それが、本来の御影堂という名に帰ったということです。
 また、2001年(H13)7月1日から、授与物の御影の名称に、見真大師、慧燈大師、円光大師を使用しないことを決めました。少し遅いですが、いたって順当な判断です。
 宗憲が改正されて、何故、名称を変更したり、使用しないようにしたのでしょうか。そこには、大師号に、前述のような問題を見たからでしょう。にも関わらず、見真額については、宗憲改正30年にならんとしている、いまとなっても、当局は、歴史を検証し、課題の共有がなされることが先決であると、下ろせないでいます。掲げ続けるということは、宗祖の明らかにされた教えを見真額が覆い隠すかたちで、はたらき続けるということを忘れてはならないと思います。
 
 今後、恒沙の会としては、「見真額」の課題を一人でも多くの方々にご一緒にお考えいただくことを願いとして、御遠忌までに見真額を下ろしていただきたいという要望書の署名活動を展開していきたいと思っています。要望という形での署名活動ですが、どこまでもそのことを通して、見真額についての認識を深め、宗門課題として共有していただきたいということが主眼であります。

◎あとがき

サッカーが熱い。決勝トーナメントのパラグアイ戦は熱闘という表現がピッタリ。
PK決着というのはあまりにも残酷。カメルーン戦に勝利して以来、にわかサッカーファンが国中にあふれ、試合毎にニッポン人であることを再確認。
今年は、ワールドカップで決勝トーナメントに出た年として記憶されることでしょう。
来年が、宗祖750回御遠忌の年として記憶されるような年となるように、何ができ、何をせねばならないのか、ご一緒に考えていきたいと思います。

          【 代 表 質 問 】

 今年1月末のNHKスペシャルでは、年間、身元不明や引き取り拒否の遺体が3万2千人にも及ぶという衝撃的な無縁死の問題を取り上げ、私たちのこの社会を無縁社会と言い当てていました。ドキッとせずにはいれない表現です。
社会という様々な要因や関係、つまり縁によって成立し、構成されているあり方を表現する言葉の前に、社会という意味を奪う無縁という形容詞を付す。社会がもはや社会の体をなさず崩壊しているという提起であります。
 グローバル経済の競争に巻き込まれた企業はコストを抑えることに邁進し、非正規雇用を常態化させ、終身雇用を捨て、企業が果たしてきた日本企業特有の家族的役割はもはや望めなくなる一方、また都市部だけではなく、地方の町内会や隣組でさえも、ゴミの出し方以外の繋がりはなく、地縁が人と人との絆を作り出す場となり得ていません。また、誰にも邪魔されず、自分のやりたいことをやりたいようにやることが幸せであり、煩わしい他者とのコミュニケーションは出来るだけ排除して、地域や家族との繋がりを持たなくても快適に生きられる社会を追い求めてきたのがいまの私たちなのではないでしょうか。そしてその結果が無縁社会なのでしょう。
 そんな中だからこそ、同朋社会の顕現を旗印と掲げることの重要性がおもわれます。
 しかし、同時に、同朋社会の顕現を標榜しながら、これまで果たして、どれほどのリアリティをもって同朋社会を構想しえていたのか、あるいは同朋社会の顕現に向けての道筋を如何に描き得ていたのか、という厳しい問いを無縁社会という現実は私たちに突きつけているようにも思われます。
 その厳しい問いの前に、自身と宗門を置きながら、この50年の同朋会運動を総括し、その上に立って、50年以降の運動方針の策定を果たすべきであると考えます。そしてそれこそが、50年毎のご遠忌を厳修する意義であるとも思われます。

 そこで、当局の同朋会運動50年以降の教化方針策定を中心にお尋ねします。
歴代内局は、本会議での所信表明で「ご遠忌を同朋会運動50年に向けての歩みとして取り組みたい(2002年)」あるいは、「ご遠忌を同朋会運動50年に向けた取り組みと軌を一にしていきたい(2003年)」と、ご遠忌事業の主な業務して同朋会運動50年以降の教化方針策定を位置付けてきました。
 しかし、これまで、一向にその方針が示されないどころか、策定に向けての作業もなされていないのが現況です。これでは、ご遠忌を厳修することの意義が半減させられるとさえ思われます。なぜなら、ご遠忌厳修の意義は今も触れたように、宗門の存立意義を発信し、そのために、どのような施策をこれから講じようとしているのか、あるいは、日々変貌を遂げる社会にあって宗門の組織をどのように改編せねばならないか、それらのことを明確にすることであると思うからであります。
 今回、あまりに遅きに失する感を否めませんが、やっと「同朋会運動推進に関する委員会(以下推進委員会という)条例案」が提出され、50年以降の同朋会運動の教化方針の策定が計られようとしていることに、大いに賛意を表すると共に、大いに期待したいところであります。

 そこで、教化方針策定に当たって、何点か、当局の見解をお聞きしたいと思います。
 第1点は、教化方針策定にあたっては、この50年の同朋会運動の総括が欠かせないのではないかということです。
 2001年、同朋会運動40年にあたる年には、「同朋会運動がどのように受け止められ、どのように確かめられているのか」との問いを設定をして、各教区での総括がなされました。設問としては、面白かったと思うのですが、設問が漠然としすぎていたためなのか、教区によって受けとりがまちまちで、教区教化委員長が所感をしたためて報告と換える教区があったり、教区教化委員会の幹事がまとめるところがあったり、あるいは教区内全寺院にアンケートを実施して、全てのアンケート結果を報告書としたりと、教区によって形式やボリュームにあまりにも違いがありすぎて、30教区全体としての課題の抽出ということでは成功したとはいえなかったと思います。
 そのため、宗門としての同朋会運動40年の総括は、教区から提出された資料が充分活かされることなく、各教区の代表者による中央同朋会議のまとめをもって総括としました。
 そこで、50年の総括にあたっては、今後の同朋会運動を新たに創出することをねらいとして為されるべきでありましょう。従って、そこでは、例えば、世界人類に捧げる運動をめざし得たのかという批判的視座を設定して、宗務所各部、そして30教区、419組、あるいは教区、もしくは組の同和協議会、坊守会、推進員連絡協議会、仏青、児連等々、全宗門にわたって、総括作業がなされることが望ましいでしょう。これまで、何をしてきて、何をしてこなかったのか、そして何故出来なかったのか。あるいは、何が果たせて、何を積み残してきたのか。
 それは、施策の変更や方針の修正を産み出すためのものではなく、運動の解体という質を持った総括作業となるでしょう。そしてそのような総括作業にこそ、新たな50年を導き出す可能性を見出すことが出来るのではないでしょうか。その総括作業は、また、同朋会運動とは何かという確認作業とも、あるいは、同朋会運動を自身の課題として見出す端緒ともなり、総括それ自体が同朋会運動としての意味と内容を併せ持つこととなるに違いありません。
 今後、条例が制定され、鋭意、「推進委員会」で教化方針策定に向けて調査・検討がなされることでしょうが、同時に、宗門挙げての総括作業を同時並行的に実施し、総括作業から得られた内容を「推進委員会」に資料として提供し、そして、「推進委員会」で調査・検討されたことを教区に提示をするという往復運動を重ねる中で教化方針が見出されていくことが肝要であると思われます。
 そして、30教区画一の教化方針を必ずしも追求する必要はないのかもしれない。むしろ各教区にあった教化方針の策定こそが望ましいでしょう。
 そのためには、2012年に始動することにこだわることなく、じっくり時間を掛けて取り組むべきと考えますが、当局には、同朋会運動50年の総括を全宗門挙げて実施されるお考えがないかどうかお尋ねしたいと思います。
 第2点は、教化センターや教区改編とも関係してくることでありますが、教化方針策定にあたっては、方針策定に止まらず、50年以降の宗務機構を如何に構築するかということもあわせて検討されることが必要でしょう。
 今後とも、財政的に厳しい状況が予想されるなか、ただ単に予算を縮小すればいい問題ではもちろんありません。必要なところには充分な予算配分が果たされねばなりません。そこでは、宗務所組織はいよいよ筋肉質な組織体であることを余儀なくされると思われます。そのためには、宗務所機能の再点検と、合わせて宗務所と教務所、本山と教区の役割分担の再構築が欠かせないのではないでしょうか。今回、真宗教化センター設置に関する条例案が提出され、宗務機構についての検討がなされることでしょうが、その検討に当たっては、教化方針策定の内容を勘案しつつ、本山と教区の役割分担をも検討課題として頂きたいものです。そして、ドラスティックに抜本的、総合的観点から、教化方針の策定と教化センターについての検討がなされることを要望したいと思いますが、当局のお考えをお聞きしたいと思います。
 さて、全宗門的総括の必要性を申しましたが、それに先立ち、総長ご自身のこの50年の同朋会運動に対するご認識と総括をお聞きしたいと思います。
 同時に、教学研究所の抜本的立て直しと充実に向けての早急な取り組みがまたれるところであります。総長には50年の総括とあわせて、教学研究所を今後どのようにされようとしているのか、教研の将来像を併せてお聞きしたいと思います。
 つぎに、今議会に提出されている「同朋会運動推進に関する委員会」条例案の条文についてお尋ねします。本来は、総括質問で質すべきところとは思割れますが、教化方針の策定上極めて重要なことと思われますので敢えてここで、2点についてお尋ねします。
 一つは、第2条に記されている「基本問題」についてであります。委員会審議で確かめましたところ、基本問題とは、教学・教化、儀式、財政の3つがその内容であるということです。つまり、宗門のすべての問題を網羅するということのようです。しかし、今、宗門人が最も待ち望んでいるのは、50年以降の同朋会運動をどこに導こうとしているのかという事ではないでしょうか。そこには、財政や儀式をはずせないことではありますが、激変する特異な時代にあって、如何なる教化方針が提示されようとしているのかが最も待たれていることであると思われます。つまり、「同朋会運動推進に関する委員会」に望まれるのは、教化方針の策定、一つではないでしょうか。
 教学・教化、儀式、財政という宗門のすべての問題を課題とすることで、教化方針の策定作業が、多くのテーマの一つとなり、十分果たされないのではないかという危惧の念をもちます。
 当局は、教学・教化、儀式そして財政を課題とする委員会がどのように運営されるものと想定されているのか、お聞させ頂きたいと思います。
 次に、委員会の組織についてであります。40名以内の委員のうち、宗参両議員よりそれぞれ10名以内とされています。この委員会は今後の宗門の命運を握るほどの大きな位置を占めるものと大いに期待する観点から、役職にこだわらず、これからの宗門の教化活動を担うにたる斬新で有能な若手であったり、あるいはまたネット教化の可能性を探れる有為な人を多く登用していただきたいと思いますが、如何ですか。

 次の問題に入ります。男女共同参画推進について2点お尋ねします。
一つは、2月2・3日に、女性住職の研修会が開かれ、25名ほどの方が参加されたと聞いております。そこで、参加者から出された問題として男性住職からのセクハラにたいする訴えがあったということです。女性が宗門活動に参画出来るような状況が整えられていくことをさらに推進せねばなりませんが、改めて気づかされたのは、女性の参画を受け入れる現場にまだまだ解決せねばならない問題があるということです。
 セクハラの訴えにみられるように、受け入れる現場の男性の女性に対する軽視、偏見、差別がセクハラに繋がるものとおもわれます。女性を受け入れる環境を整えることは、男女共同参画を推し進めるうえから外すことの出来ない課題であります。
 そこで、教師修練、住職修習において性差別についての学びの時間を取り入れることを提案したいと思いますが、当局のお考えをお尋ねします。
 二点目は、この度、組織部長の諮問機関として「男女共同参画推進研究会」が発足されたようですが、このテーマは本来、女性室が所管すべき事柄ではないかと思われます。外から見ていると随分とわかりにくいものとなっています。そこで、お聞きします。組織部長が、諮問機関として、男女共同参画をテーマとされる研究会を設置されねばならないような組織部業務とは何なのでしょうか。

 つぎに情報公開についてお尋ねします。
申すまでもありませんが、宗務機関が保有する情報は、宗門の財産であり、すべての門徒のものであり、宗務役員が独占すべきものではありません。ところが、現況は機密扱いとすべき情報でないようなものまで、会議後その資料が回収される事が多くあります。これは、宗務に関する情報はあたかも宗務役員によって一元管理されるべきものという了解がまかり通っているからに他ならず、情報公開という原則を持ち得ていないからです。
 しかし、これからの宗門運営を考える時、門徒の意識の変化と時代の趨勢ということもさることながら、宗政への信頼を確保し、積極的な宗政参加と教団荷負の自覚を促すうえから、あるいは、同朋公議の実質を深め、活性化するために、情報公開は不可欠なものと思われます。
 そこにはもちろん、個人のプライバシー保護に関して十分な配慮をせねばならないことはいうに及びませんが、情報公開についての今後の方針についてお聞かせ頂きたいと思います。

 次に、5月18日に施行された国民投票法についてお尋ねします。2007年5月14日、改憲手続法である国民投票法案が参議院で強行採決されました。それを踏まえ第47回宗議会常会において、当時の熊谷総長は、「国政におきましては、いよいよ日本国憲法の「改正」に向けた論議が行われており、誠に憂慮すべき事態に立ち至っております。当局と致しましては、一昨年の宗議会において決議いただいております「日本国憲法『改正』反対決議」の内容を重く受け止め、平和憲法の精神が踏みにじられる事のないよう、ここに強く訴えるものであります」と演説されました。
 それを受け、6月12日、宗議会で「国民投票法案の成立に抗議し、平和憲法の具現化を目指す」決議が、同13日には、参議会においても同じ決議が採択されました。
 また、「韓国併合」、「大逆事件」から100年に当る今年四月の全戦没者追弔法会、そして同時に開催されました第11回非戦平和展において、総長は、「宗祖親鸞聖人750回御遠忌を明年にひかえ、このたびの法要の誓いをあらためて確認するとともに、自身の「世をいとう」姿勢を問い直していく大切な機会を共々にいただきたい」と表明されました。
 さて、あたかも、1995年の宗・参両議会で採択された「不戦決議」にうながされるが如く、日本国憲法の具現化を実践課題として、反戦平和、9条実現の運動に参画する門徒・僧侶が各地に生まれ、「真宗大谷派9条の会」が結成され、活動しております。
 前述の「決議」には、「私たちは、日本が平和憲法の意義を自ら具現化し、世界に発していくことこそが、21世紀が再び戦争の世紀にならないための唯一の道であることを確信し、ここに国民投票法の成立に抗議すると共に、平和憲法の具現化を目指す」とあります。
 安原内局におかれましては、国民投票法案を凍結し、その上で廃止法を成立させ、出直す以外にないことを宗門内外に表明されんことを要望したと思いますが、如何でしょうか。

 次に、見真額についてお尋ねします。この議会で下ろせなければ、宗祖のご遠忌を、宗祖のお心から大きく外れた形でお迎えすることになりかねません。このままでは、来年は親鸞聖人750回ご遠忌ではなく、見真大師750回ご遠忌を勤めることになるでしょう。
 昨年は見真額議会と表してもいい程、さまざまな場面でこの問題が取り上げられました。釈氏議員の今後の対応についての質問に対しては、「今後然るべき機関で判断すべき」と総長は答弁されました。「しかるべき機関に諮りながら判断すべき」こととされていたのですから、諮られたことについて言及されるものと期待をしていましたのですが、総長演説には見真額についての発言は残念ながらありませんでした。
 また、釈氏議員に対する答弁で総長は「見真額を下ろすといたしましても、そのまま掲げておくにいたしましても、何らそこに教学的意味はありません。それは宗政として判断すること」と答弁されていますが、見真額に教学的意味がないなら、これほど大きな問題にはならないのではないでしょうか。御影堂に参拝し、近くから見真額を仰ぎ見る時、その大きさに改めて驚かされます。見真額は、御影堂下陣正面に掲げられ、親鸞聖人を「見真大師」として頂きなさいと視覚的に御影堂に参詣する者に働きかけます。見真額は極めて大きな教学的意味を持つ教化伝道機能を果たすものであるとみるべきでありましょう。
 それは、今さら申すのも当たり前すぎて恐縮なほどですが、天皇制国家下の真俗二諦教学を布教しようとする、そのものであります。教団は、国家体制に擦り寄り、体制を支え補完するものとして変質し、その教えは必然的に空洞化の道を辿らざるを得ませんでした。
 親鸞聖人は、御消息第12通に、「余の人々を縁として念仏をひろめんと はからいあわせたまうこと、ゆめゆめあるべからざるそうろう」と、決して権力にすり寄り、権力を利用して教えを弘めようとしてはならないと指摘されています。なぜなら、それは、いつの間にか権力と同質化し、権力に利用されることになるからであります。天皇という絶対的な世俗の権力を利用して宗門の権威の高揚を図ったのが見真額であります。もし、見真額をごらんになれば、親鸞聖人からは、厳しくお叱りを受けるに違いありません。
 見真額を是非下ろして頂きたいという要望と議論があるのですから、もし、掲げ続けられるのでしたら、その理由を明確に示して頂きたいと思いますが、宗祖のお心に適った御遠忌をお迎えしようという一点に立たれた、安原総長のご英断を期待して質問を終わります。