宗政報告No.19(2007年6月26日)
安倍政権成立後、衆議院での与党の圧倒的な数の多さにものを言わせて、審議も不十分なまま教育基本法の「改正」を強行し、憲法「改正」のためだけの国民投票法を、不可欠であるはずの最低投票率の規定のないまま、可決させました。その他の法案についても、強行採決の手法を取続ける安倍政権は、これから、この国をどこへ導こうとしているのでしょうか。 定例の宗会が5月31日から6月12日までの会期で開催されました。 今年は、同朋会運動45年に当たります。当局には、50年以降の運動をどのように展望し、繰り拡げようとするのかを見据えて、そのための道筋を明確に示すことを期待していました。しかし、期待はきく裏切られて、なんと当局が提案したのは、「同朋会運動とは何か」を、考えたいというものです。それが、運動50年を切りひらくことに有効でしょうか。 また、条例案は4件のみの提案で、その内容も、すでに建て替えが言及されている同朋会館について検討を加える委員会設置以外は、施策や企画に関わるものはありません。条例案は具体的な事業や施策を展開しようとする時、条例を定めて取りかかるわけです。つまり、条例案を提案しないということは、やりたいことがないということであります。 したがって、総長演説たるや、見るべきもののない、やる気の無さを露呈するものでありました。一体、熊谷内局は、この宗門をどのようにリードしようとしているのか、全くその方向が見えません。 ここでは、今議会で問題になったこと、あるいは問題にしたこと、そして、いま宗門にとって重要なことについて、お伝えします。 また、2年以上前から、準備を重ねてきました、浄土宗・西山浄土宗、そして本願寺派の有志と合同で開催しました「念仏法難800年を考えるつどい」についてもご報告したいと思います。 ◎07年度予算は、86億6000万円 ここのところ、経常費収納状況が好調 07年度予算は、前年度比、1億4200万円(1.66%)増。増となった主要因は、05年度経常費収納率が104%という増収により繰越金増(一年遅れの決算のため)によるものであります。 また、06年度においても、経常費の105%の収納が見込めるということのようです。 03年度から、経常費のご依頼を御遠忌志と合わせてしているわけですが、当初は、経常費の完納さえ危ぶまれていましたが、05年度、06年度と経常費について、全国的には超過完納をみています。 ◎平衡資金の見直しの方向か いま、記しましたように、昨年度経常費収納は5%の超過が見込まれています。これに対する補正予算が提案されました。それは、宗門会計では、歳出に対する歳入の余剰金については、半額を平衡資金(06.6.30現在 27億4千万円)に積み立て、半額を翌々年度に繰り越す(一年遅れの決算のため)というものです。ところが、今回の補正案は、収納超過分を、「真宗本廟諸施設営繕積立金」に増額補正しようとするものです。 もともと平衡資金は、宗門の突発的事態に対応出来るように設けられてきたものといえます。 宗門は懇志により運営されているわけですから、たとえば、全国的な気象異変による広域にわたる凶作や、広域災害により経常費の収納が著しく悪化したような時にも、宗門活動を停滞無く展開出来るようにするための資金であったり、あるいは、予算化出来ない想定外の事態に対応するために必要な支出であったり、そのために先達が設けた知恵といえます。 そして、収納を補う以外の平衡資金からの使用については、議会の3分の2以上の賛成を必要とするという規制をかけています。 ところが、このたびの補正予算案は、本来、その半額が平衡資金に回されるべきものを、平衡資金に対する議論も全くないままに「真宗本廟諸施設営繕積立金」に回そうとするものです。 営繕積立とはいえ、単に営繕だけではなく、改築・建替え等の原資に充てようというものです。 これは、ある意味では今までの宗派会計の基本的なあり方を変えようとするものであります。 うがった見方をすれば、どうも、「真宗本廟諸施設営繕積立金」とすることで、平衡資金からの使用は3分の2以上の賛成を必要とするのに対して、過半数の賛成で支出できるものとするためとも思われます。 そのような憶測を生まないためにも、宗派会計の改革をしようとするなら、小手先の手法を使うことなく、正面から、平衡資金そのものを議論の俎上に上げて検討を加えるべきではないでしょうか。 ◎御遠忌に関わる事項 1.御遠忌法要・記念行事等の具体的計画は、07年度中に策定。 2.御影堂修復は、06年12月に瓦葺きを開始し、上層約8割が葺き上がり、ま た内陣の構造補強工事はほぼ終了。08年12月末完成を目指して順調に進め られています。 3.教行信証(坂東本)復刻については、さる5月2日、約3年を要した作製作業が 終了し、完全複製本(2部)が完成、宗派に引き渡されました。 因みに、頒布を終了しているカラー印影本の復刻版は、有償頒布1,053部 記念品等の無償頒布約100部でありました。 4.記念出版 シリーズ「親鸞」全10巻については、筑摩書房からの刊行。幅広い 読者の獲得を目指すとしていますが、予定されている10名の執筆者は大谷大 学をはじめとする宗門内の先生ばかりで、果たして幅広い読者の獲得が可能か どうか心配であります。 5.同朋会館整備については、記念事業として、07年度中に予定の23億円(06 年度に積立 総額18億円確保)を確保し、「基本構想策定委員会」を立ち挙げ るための条例を可決しました。 6.須弥壇収骨施設については、御影堂内陣床下全域に拡充し、通風を確保して、 アルミ製の収骨塔に桐箱を安置するということです。この事については、改め て問題にしたいと思います。 ◎宗務における重要課題 1.教区及び組の改編 現在、各教区への説明会が実施され、御遠忌後3年を目途に新教区への移行が 適うように今後作業が進められることになるでしょう。 2.門徒戸数調査 本年度中に全国一斉調査が行えるように、さる5月28日「門徒戸数調査実施 規定」が公示されました。 ◎宗務審議会における取り組み 1.真宗教化センターに関する委員会 諮問事項:教化センターの機構・施設・名称について この事については、詳述します。 2.災害復興支援に関する委員会 諮問事項:@災害復興支援を行うための第2種共済制度の点検・総括について A宗派ボランティア体制の構築について 3.坊守の位置付けに関する委員会 諮問事項:@坊守の定義について A坊守の任務について ◎教区会議員・正副組長任期について 現在、教区会議員・正副組長を勤めていただいている方々の任期は、それぞれ来年4月23日及び3月31日であります。従いまして、その次期の方々の任期は、御遠忌中の2011年の3月、4月にかかります。 その時期は、団参はじめ御遠忌に関わる事務が煩瑣になることが予想され、そのため、任期を繰り上げて、教区会議員は2010年12月23日、正副組長は、2010年11月30日としたいという臨時措置条例案が提案されました。 しかし、その任期の設定では、次期の方は繋ぎという感を免れませんし、次々期の方は、成って直ぐ3,4ケ月先の責任者に成ることになります。なんとも、まずい任期設定といえます。 それなら、次期だけ、3年任期を一年延長して4年任期にするなどの臨時措置の方がよっぽど理に適っている思われますが、原案通り可決しました。 ◎「真宗教化センター(仮称)」構想について 先程も、「宗務審議会での取り組み」というところで申していますが、いま、宗務審議会「真宗教化センターに関する委員会」で、大谷派宗門の今後の教学・教化体制のあり方を大きく左右する可能性のあることが、審議されています。 この審議会は、昨年の常会での総長演説にあります「教学研究所を核とした教化機構の構築」へ向け、「同朋会運動50年以降の教化体制を見据え、教学・教化として果たすべき宗門の使命と方向性を明らかにするための機構改革」を目指して設置されたものであります。 第1回の委員会が、今年2月9日にもたれました。一応の目途として、来年2月か3月の答申を目指して、審議が重ねられています。 今議会でも、教研を核とした機構ということに対する質問が多く出されましたが明確なイメージが示されるには至りませんでした。ただ、担当の里雄参務から、具体的な機構上のあり方であるより、立脚地という意で受け取ってもらいたいと、一応の方向が提示されました。 ここで、重要な課題と思いますので、いままでの経緯と、当委員会の現況等について少し詳しく報告をしたいと思います。 ところで、実は、その委員会立ち上げに先立ち、総長の意向を受けて関係部署の部長が中心になって、宗務総合企画検討会議「教学教化の機構改革に関する課題別会議」の名称で協議がなされ、今年1月24日にその報告書が提出されています。 そこには、どうも総長の意向とそれを受けた教化担当部署の部長の考えがまとめられていると思われるのですが、それが、なんともどうもという内容を持っているものであります。 その報告書の全文を、ここに掲載してもいいのですが、煩瑣になりますので、その中から報告書の持っている性格と中味がよくご理解頂ける「教化センターの組織・運営」についてお伝えし当局の考えていた教化機構改革の方向性と、その問題点を何点か指摘したいと思います。(以下の教学教化推進本部は教学研究所を、青少幼年教化推進本部は青少幼年センターを、そして男女平等参画推進本部は女性室を呼び換えたものとしてご理解頂いていいかと思います) 『教学教化の機構改革に関する課題別会議報告書』(以下課題別会議報告書という) ○教化センター(仮称)の組織・運営 1.教化センターを統理する宗務総長のもと、上記4本部(教学教化推進本部・解 放運動推進本部・青少幼年教化推進本部・男女平等参画推進本部)と教化総合資料 室が連携し業務を進める。 2.教学研究所を中心とした教学教化機構を構築するために、教化センターに教学 上の学識者である所長を置き、所員及び事務職員を指揮監督する。 3.教化センターの運営が広く開かれた意見に基づいて行われるようにするため、「教化センター会議」を設置し、学識経験者や宗務役員が施策の基本方針及び管理運営について審議する。 4.各本部が連携して円滑に業務を進めることができるよう「業務調整会議」を設 け、教化センターとしての運営調整機関として位置付ける。 5.センターの研究職員は、「所員」として一括に任用したうえで、各本部及び教 化総合資料室に配置する。 6.各本部には、所員の中から本部の業務の中心となる主幹を置く。 7.各本部には、所員の中から主幹の補佐をする要員を置く。 8.主幹、要員は、任期を設け、横断的に複数の本部の業務につく。 9.所員は、親鸞仏教センター、首都圏教化推進本部、教区駐在教導、同朋会館補 導との人事交流を図り、人の養成に資する。 10.事務局は、事務局長のもと次長、主事、書記、出仕、嘱託を置く。これらの事 務職員は、各本部に配置するのではなく、センターを総括する一つの事務局に 所属する。 11.事務局はすべての対外的な窓口となり、案件を所長に諮り、教化センターとし て対応する。 ○現在の部門との関係 教化センターの配置に伴い、教学研究所条例、真宗大谷派解放運動推進本部職制、青少幼年センター準備室規程及び女性室規程を廃止する。なお、従前の青少幼年五部門という枠は、発展的に解消し、それぞれの活動の独自性を確保しつつ、当教化センターとの連携を図り運営するものとする。 『教学教化の機構改革に関する課題別会議報告書の問題点』 これを一読していただけば、当局が宗門の教学・教化体制を如何なる方向に持っていこうとしているかが、ご了解頂けるかと思います。 ここで、この課題別会議報告書の持っている問題点を整理しますと、専門スタッフの廃止、管理の強化、人員削減、そして、教学研究所の宗務行政体制内への取込みであるといえるでしょう。 @専門スタッフの廃止 この課題別会議報告書では、スタッフは、「所員」として一括に任用したうえで、各本部及び教化総合資料室に配置する、そして、主幹、要員は、任期を設け、横断的に複数の本部の業務に就くというものです。 このことは、一見、一つの部署だけではなく、クロスオーバー的に複数の部署を担当することによって、各部の壁を取り除きたいというようにも受け取る事が出来ますが、それはまた、じっくり腰を据えて、同じ課題に向き合い研究・調査するという専門スタッフを必要としていないという事であり、専門スタッフを育てる気もないという事でもあります。しかも、今回一つにされようとしている部門は、それぞれ極めて専門的内容を持つ事柄を課題としている部署であります。 たとえば、教学研究所という宗門の教学に対して責任を持って研究・調査し続ける機関に、専門の従事者がいなくなれば、その業務の質と内容は著しく低下し、もはや教研の機能を果たす事が困難になると予想されます。 あるいは、専門的知識・経験に止まらず、そこで培われた人脈という財産も疎かに出来ない業務遂行上重要な要件であります。 今回の報告書は、それらの一切に重きを置かず、広く浅いオールラウンドプレイヤー的スタッフこそが必要であるとみているようです。 それぞれ具体的で、かつ重要な課題をテーマにする部門に、それほど何でもこなせるという器用なスタッフが必要でしょうか。それぞれの課題について、宗門のオピニオンリーダーとして、課題を深め、問題の所在を的確に指摘する専門的スタッフこそ求められるのでしょう。 これでは、新設しようとしているセンターなるものを、人の養成機関としてしか考えていないのではないかという危惧さえ抱きます。何処までも、業務の適正な遂行こそが各部に求められることであるという、極めて当然のことが脇に置かれているのではないかとさえ思われます。 A管理の強化 また、所員に主幹・要員を置くというところに、この度、バタバタと成立させた「学校教育法」の「改正」によって、副校長・主幹・指導教諭を新設して、先生の管理と統制を強化しようとする発想と同質のものを感じます。 現在は、教研と解推にしか所員は置かれてはいませんが、所員は横並びで、お互いにそれぞれの課題を抱えて切磋琢磨し、影響し合って業務に励むというものです。ところが、この課題別会議報告書では、所長・主幹・要員という縦の管理体制を引くことが提案されています。研究・調査等の業務が中心となる部署において、管理を強化するようなことが業務を執行しやすくなるとでも考えているのでしょうか。 何のための管理強化の導入なのか全く理解できません。 B人員削減 2007年度予算で言いますと、宗務役員にかかる人件費が、33億8千万近くで、経常部予算の約41%弱となります。この人件費抑制が課題であることには違いありません。4部門の事務従事職員を一つにすれば、大きく削減できると言うことなのかも知れません。ところで、2004年6月の議会で、部の統廃合が可決され、13部から10部になりました。それぞれ、次のようになりました。 参拝接待所と式務部 → 本廟部 教育部と青少年部 → 教育部 組織部と教務部 → 組織部 はたして、この統廃合で、どれだけ業務が効率的に有機的に展開するようになったのか。あるいは、逆にそのために新たな問題が出てきてはいないのか。それとも、何ら以前と変わらず、看板が3つ減っただけなのか。この検証も充分しなくてはならないでしょう。 C教研を宗務行政機構の中に取り込むことの問題性 今回の課題別会議報告書で、最も注目せねばならないのは、教研を宗務行政の歯車の一つに組み込もうという当局の教研に対する認識であります。 ここで、教研の宗門における使命を、ここ数代の教研所長の言葉によって確かめてみたいと思います。 児玉所長は、「教・行・信・証に依って、人が真実に生きることの内実を、現代社会というこの時・機において開顕すること」(教化研究103号)と。そして、西田所長は、「社会の諸課題に応答しつつ、同朋会運動の推進の基本となる教学の確立」であり、「教団教学の確立こそが、教研の使命である」(教化研究121号)と。また、玉光所長は「この時代社会の課題を見据えた上での、これからの未来にむけた創造的な試み」(教化研究132号)でなくてなならないと。そして、小川所長になって、「あらゆる場面で行き詰まっている現代社会に向かって、真宗の視点から人間を問い、それを発信する」(真宗2005年9月号)と。 それぞれ表現やスタンスの違いはあっても、真宗の教法にたち、現代の諸問題・諸現象を通して、真宗に生きんとする者の課題を闡明にすることを使命としてきたといえるでしょう。 イ.宗務行政と教研の関係 ある教研と深く関わられた先生が、「宗門は、楕円形である。宗政と教研という二つの焦点をもって、運営されるものだ」と、おっしゃった事があります。宗門における教研の位置、あるいは宗政と教研の関係を言い得て妙だと思います。 教研は、施策を立てるのが主任務であるより、宗政が立てる施策を、教学的に下支えしたり、宗政が講ずる施策の一歩先と足下に光を当て、施策や方針が教学的に問題がないかを、問い返すことが任務でないでしょうか。 また、宗政は具体的事象に対しての対応と対策を講じる事が求められます。対策や対応に追われるあまり、宗政が犯すかもしれない教学上の過ちや間違いを糺すことが、教研には求められるでしょうし、さらに、その具体的事象にどこまでも耳を傾けて、その本質を聞き取ることが要請されるでしょう。 組織は、如何なる組織でも自己保身と自己正当化を図ろうとします。それは、宗門も例外ではないでしょう。そのなかで、教研は、たとえそれが宗門の不利になることであったとしても、教学上問題があれば、指摘し糺すことが、期待される機関であります。 ところで、宗務行政は効率と合理性の追求をこととするでしょう。それは、予算の制約と時間の制約を受けた中で、より能率的に宗務を執行しようとするわけですから当然であります。 一方、宗門の依って立つ教学を明らかにしようとする営みは、非効率で、非生産的であっても休むことなく恒久的に継続されねばならないものです。 もし、教研が、宗政と同じ土俵、もしくは宗政の中に位置づけられれば、宗政が求め欲する方向や施策を導き出すこととなり、それは、教学を根拠としてえられたものであるより、功利性・合理性の産物である場合があることを危惧します。そして、さらに、致命的なことには、その導かれたものが教学的裏付けを纏うという二重の過ちを犯す危険性があります。 教研と宗政の関係は、距離をおいて緊張関係を保つことが肝要であります。距離を置くといっても、必ずしも物理的距離を意味するわけではありませんが、位置的に離れることは、そのことをよりはっきりさせるでしょう。かつては、教研の所在地は重信会館(枳殻邸に近く)に、1972年まであり、その後宗務所内に入りますが、1997年にいまの高倉に移転されました。宗務所から距離を置くことの重要さを示す先輩の見識を思います。 ロ.教学研究所の拡充を目指せ かつて、清沢満之 は、「教団の命は教学である」といいました。その教学を明確にしようとする独立した部署を持たないような教団は、もはや教団とはいえないのではないでしょうか。教学を見失った教団は、単なる世俗の組織に過ぎません。この課題別会議報告書は、教研を宗務行政の中に吸収解体しようとするものです。 06年度、07年度と、大谷大学の真宗学科の入学者数は、定員を割り込む状況が続きました。種々の条件が重なっての事でしょうが、ひとつには、宗門における教学衰退の兆しの一つではないかと思われます。 他の教団が、同様の研究所に対してどういう取り組をしているか、調査する事も大事です。曹洞宗などは、かなりの規模と内容を持っていると聞いています。 大谷派には、有能で優秀な人たちが多くいます。その人たちが、教研で働いてみたいという魅了ある教研にしなくてはなりませんし、じっくり腰を据えて研究できる体制の確立が求められます。たとえば、3年毎の契約更新ということでは、本気でじっくり研究業務など出来ないのではないでしょうか。 教学の衰退は、宗門の衰退でもあります。いまこそ、教研を組織的にもより充実させ、宗政の鏡となりうる体制を構築すべきであり、解体などとんでもないと言わねばなりません。 『宗務審議会』 宗門法規に宗務審議会規程があり、総長の諮問機関として、「特定の事項を調査審議するため」に委員会を設けるとあります。それに則り、「真宗教化センターに関する委員会」が設置されました。 @委員会のあり方 ところで、宗務審議会や、その他の委員会には、多くの問題点を感じてきた事があります。それは、はじめから当局がすでに答申として得たい内容を持ち、かたちだけ委員会に諮問するという手続きを踏み、思い通りの委員会答申を引き出し、その委員会答申を尊重するというかたちで、議会に提案する、あるいは具体的施策にするという手法です。 極端な一例を挙げれば、昨年立ち上げられた「帰敬式実践運動策定に向けての委員会」があります。その委員会が開催されたのは、2回。そして、2回目には、当局原案なるものが示されて、修正等はすることなく、承認してもらいたいというものであったようです。そこでは、ほとんど審議らしい審議は行われていません。 帰敬式実践運動を、否定するものではありませんが、運動展開するには、十二分に検討すべきことがあるはずです。たとえば、この運動は、すでに1996年4月に、蓮師500回ご遠忌お待ち受け事業として提唱されましたが、めぼしい展開もされないままに経過したという事があります。今回、改めて提唱するからには、さきの運動において、どこに、如何なる問題があったのか、展開しえなかった要因は何か等について、検討が加えられて当然ですが、それらのことについて、ほとんど議論されることもありませんでした。 あるいは、もっと基本的な事として、帰敬式受式を呼びかけることが、施策といえるかという事があります。宗務行政の施策は、それを実施する事によって、真宗の教えをもう少し聞いてみたい、あるいは、真宗の行事に参加したいという人を生み出すこと、つまり帰敬式を受けたいという人を生み出す事であるはずです。宗政がなすべき事は、有意義な施策を講じることによって、その結果として帰敬式を受けたい人を生み出すことであって、施策を飛び越して、受式を呼びかける事ではないはずです。 もちろん、受式が聞法の縁となりうるという事もある事ではあります。それを期待しての施策であれば、受式後の聞法をシステム化することが必要です。しかし、受式後の事は、地元に丸投げです。 これらのことについても、十分審議すべきであったのでしょうが、全く審議されることなく、七つの重要施策の一つとして、実施されていきました。 そのような委員会もありますから、委員会には過度な期待を持てないと言うことがあります。であるからこそ、この度の「真宗教化センターに関する」委員会には、十分な調査と審議を尽くす場であってもらいたいと願わずにはいれません。 A「真宗教化センターに関する委員会」 宗務審議会「真宗教化センターに関する委員会」には、次の3点について諮問がなされました。 1.教化センターの名称について 2.教化センターの機能について 3.教化センターの施設について 以上3点 審議に入る前に、この委員会が、十分調査と審議を尽くす場となることを願って、入り口論のところで少し時間を取りました。つまり、前出の「課題別会議報告書」をこの委員会としてはどのように扱うかということと、「委員会の運営について」という2点についてであります。 「課題別会議報告書」が、第1回の委員会に当局から提出されましたが、当局からその明確な性格付けがなかったということもあり、当局と委員との間で、どのように扱うかについてのやり取りがありました。もし、この課題別会議報告書を前提として委員会を持つとすれば、総長の諮問機関でありながら、諮問事項でもないものに大きく制約を受けて審議せねばならない事になります。 かなりの時間のやり取りの結果、この課題別会議報告書は、資料の一つとして扱うという結論に達しました。 また、多く委員会は、当局が段取りを付けて、タイムスケジュールを決めて進める事が多いのですが、本来審議会は、一端、総長から諮問を受ければ、諮問事項について、出来るだけ当局に左右されることなく調査や審議をつくして答申を導き出すものであろうと思われます。いわば、相対的独立性が確保される事が、大事であると考えます。(とはいえ、委員の人選は当局に委ねられていますから、実際はそこのところで、大きく当局の意思が入ります) そこで、委員会の運営にあたっては、委員の中から会長が運営委員を選出して、その運営委員会が、この委員会の運営にあたるという方針を選び取りました。このやり方で今後、どこまで独立した運営を確保しつつ、十分な調査と審議を尽くせるかは、大いに注視して頂きたいと思います。そして、今後のその他の委員会においても、委員会の中に運営委員会を設けて、委員相互で運営するという形式が常態化することが望まれます。 「真宗教化センターに関する委員会」の委員は18名。今回その一員として選出され、また運営委員にも選ばれました。なんとか、宗門の教学・教化のあるべき機構構築にむけて、他の委員とともに微力を尽くしたいと思っています。 是非、この委員会のあり方については、大いに関心を持ってその趨勢を見届けて頂きたいと思います。 同時に、今後の大谷派の教学・教化体制についてのご意見を、どんどんお寄せ頂きたいと思います。 【総長演説を受けて一般質問で確認した事項】 1.いまこそ、運動45年の総括を 「宗門は、仏道を求める真剣さを失い、如来の教法を自他に明らかにする本務に怠り、ながい間の仏教的因習によって、その形態をたもっているに過ぎない現状である。我々宗門人は、七百年間、宗祖聖人のご遺徳の上に安逸を貪ってきたのである」(取意)と、宮谷法含総長は先のご遠忌を迎える5年前、「宗門各位に告ぐ」で宗門の実情を懺悔され、そこから、同朋会運動は起こされたといえます。 それから50年を経て、宮谷氏が悲嘆された宗門情況はどれだけ克服されたでしょうか。同朋会運動は何をどのように変革したのでしょう。あるいは、どのような問題を積み残したままにしているのでしょう。また、新たに如何なる課題を見出してきたのでしょうか。5年後に同朋会運動50年を迎えるにあたって、いまこそ、解体的かつ建設的批判精神をもって、全宗門レベルで、同朋会運動45年を検証する必要を感じます。 いま、同朋会運動に対する認識はどうでしょうか。同朋会運動は分からなくなっているという人がいる。あるいは、同朋会運動と言われても分からないという人がいる。また、同朋会運動は終わったという人。さらには、同朋会運動は、始まってさえいなかったという人。逆に、同朋会運動を免罪符の如く、それさえ言っておれば真宗人として重要な事をやっているという錯覚に陥ったり、同朋会運動という表現が曖昧な内容や空疎な中味を覆い隠す手段と化している場合さえあります。 それほど、同朋会運動が明確さを失い、曖昧になり、宗門人が共通了解に立てなくなっている。だから、同朋会運動の歴史と意義を確かめましょう、と総長は演説で訴えられました。しかし、総長がおっしゃるように「同朋会運動とは何か」を問い返し学ぶ事が、果たして運動50年を切り拓くのに有効でしょうか。同朋会運動の意義や歴史を学ぶ事が運動の活性化に繋がるでしょうか。 そもそも、運動展開責任者である行政の長が、同朋会運動をわかったことにしてきたという設定そのものが、一見、誠実なように見えますが、その実、無責任にして自己撞着に陥らざるを得ないものであります。 たとえば、総長演説の基本方針の第二番目に真宗同朋会運動推進「中期教化研修計画」について、とありますが、同朋会運動がわからなくなっていると認める方が提唱される「同朋会運動推進」の同朋会運動は何を指しているのでしょうか。わからないものの何を推進すると言われるのでしょうか。 50年以降を見据えて、今せねばならない事は、「同朋会運動とは何か」を学ぶ事ではなく、同朋会運動が不明瞭になっている現状にたって、何故そうならざるをえなかったのかを、45年にわたり展開してきた運動を、批判的視座を設定して、検証し、問題点をあぶり出す作業を全宗門的に実施することこそが肝要であります。そこに初めて、今後の運動の可能性を切り拓くことが出来るといえるでしょう。 では、検証に必要な視座とは如何なるものでしょうか。それには、例えば、次の3点を挙げる事が出来るでしょう。 一つは、同朋会運動が宗門を超える拡がりを持ち得ず、何故、宗門内教化活動に終始したのかという問題。 同朋会運動は、当初から「家の宗教から、個の自覚の宗教へ」をスローガンとして来ました。それは、農村社会の崩壊、家制度の解体という社会情況に危機感を抱く中で、家の宗教から脱却し、寺檀制度を超える事を目指しました。しかし、運動は、多くの場合、檀家制度に支えられた門徒のみを対象とし、社会への開けを持ち得ず、門徒内教化を一歩も出ずにいます。何故、そうならざるを得なかったのか。門徒を超えての展開自体が無理なのか。それとも、工夫と智慧が足りないのか。 とは言え、宗門を超える公開性が、全く指向されてこなかったわけではありません。その状況を、またつぶさに把握し、そのためにどのような工夫や施策がなされているのかも検証。 二つには、同朋会運動が同朋教団としての地平をどうして開き得なかったのかという問題。 宗憲に宗門存立の意義としてあげられている同朋社会の顕現は、同時に同朋会運動の目標でもあります。また、同朋会運動は、同朋を掲げ、あらゆる人を同朋として見出すことを願いとして展開されたはずです。しかし、運動を指導する人たちの度重なる差別発言があり、また、45年の期間が経過してなお、解放同盟から問われたことはあっても、運動そのものによって、寺院の持っている封建体質や、教団の持つ差別性が問われることはなかったのではないか。何故、そうなのか。そのことを一つの視座にして、運動を検証。 そして、三点目は、二つ目と重なるところもあるのですが、寺院中心・僧侶中心の宗門形態が同朋会運動によって問われることにならなかったという問題。 同朋会運動は、その目的に推進員を生み出す事を謳っていました。そして、今も推進員養成講座で多くの推進員が誕生し続けています。その推進員と一緒になって僧俗一体となった教団運営を目指したはずですが、寺院・僧侶中心という内実は一向に変わろうとはしていません。保守・保身に流れるのは否めませんが、運動自体に限界があったのか。そこに一つの焦点を当てて、運動を検証。 こういうことを言うと、すぐに、そういうおまえところはどうなっているのだという言葉が返ってきそうであります。たしかに信仰運動である限り、自身のところを外せないことは論をまちませんが、同時にそのことが、いつまで経っても、運動を対象化し客観視することを避けて来た要因であったようにも思われます。個人の情熱ややる気というところに問題を矮小化することなく、同朋会運動の抱えている問題から目を逸らすことなく、そこに視座をおいて、45年の運動の検証と総括を全宗門挙げてやるべきではないでしょうか。 50年以降を見据え、じっくり教区・組での総括はもちろん、宗務所の教化研修業務を分掌する部署においても、業務毎の検証、総括が必要でしょう。たとえば、研修部では、奉仕団白書・推進員白書、あるいは修練白書等を制作してもらいたいものです。その他の部署においても同様です。 いまこそ、是非宗門挙げて、運動45年の検証と総括を実施すべきであります。 2.須弥壇収骨を評価することの問題性 昨年から、収骨施設について検討がなされています。御影堂須弥壇下に納められている遺骨は、現在約61万5千体で、早晩現状のままでは納められなくなるであろうと、昨年1月、当局は、委員会を立ち上げ、経費約20億円で、須弥壇地下をシールド工法で掘り抜き、地下収納施設を作る計画を立てました。しかし、その計画は断念し、今年3月、ステンレス製の収骨塔を調製し、御影堂内陣床下全域にわたり収骨する方針を立て、その経費1億2千万円を計上しました。この方法だと今後15年の収納は確保されるということであります。 ところで、須弥壇収骨施設を再考する必要性が惹起した昨年以来、須弥壇収骨そのものを、「真宗本廟教化の柱である」と言い出したのであります。 近年、年間約1万体の須弥壇収骨があります。それによる収納が少なくても12億円あり、財政上にしめる位置は大きいものがあります。また、須弥壇収骨することによって、縁のある人が上山されるということも確かにあります。 しかし、財政上重要で、人が集まるから、積極的にその意義を評価していいのでしょうか。事の評価は法義に適うかどうかでなされるべきではないでしょうか。 そもそも、須弥壇下への収骨は、大谷家だけに限られていましたが、明治期に両堂再建に功労のあった門信徒にまで拡大されたようです。「宗祖700回御遠忌法要記録」によれば、蓮如上人450回御遠忌(S24)から相続講の賞典として扱われるようになったということです。それというのも、ご遠忌の出費によるものか、宗門は財政的に大変逼迫していて、当時の額で三千数百万円の赤字を抱え、この借財返済の有効な方途として須弥壇収骨を賞典とすることによる、相続講収入の増額を図ったということです。 当時の議会には、「真宗本廟に人骨を埋葬することは非真宗的である」という強固な反対意見があったようですが、借財返済という喫緊の問題の前には抗しきれず、負債整理の暁には廃止するという付帯条件付きで可決されたようです。しかし、借財返済後も、須弥壇収骨を受け入れ続け、現在に至ります。 須弥壇収骨は非真宗的だという、もっとも根幹に関わる先達の提起には全く応えず、財政上必要であり、また、それによって本廟に参拝される人が多くおられることを理由として挙げ、その事情と都合を優先させて、だからそこには大きな意義があると評価を下そうとするのが、この度の内局の対応です。 もし、そのようなことがまかり通るとすれば、宗門は教法によって統理された組織ではなく、世俗の組織と全く変わらぬ、事情と都合を最優先させる集団にすぎないということになります。 須弥壇収骨の問題は、声高に評価できることではなく、克服すべき課題ではないでしょうか。それは、募財制度の確立を早急に成し遂げることによって、応えるべきなのでしょう。 もし、このような、須弥壇収骨は本廟における教化活動の柱であるなどという評価が定着するとすれば、二度と須弥壇収骨は問題にされる事なく続けられ、借財返済後は廃止すると付帯条件を付した先達を裏切り続け、大きな禍根となるでしょう。 皆さんは、どのようにお考えですか。 3.聴覚障害者に対する対応 この質問は、特に総長演説を受けてということではありません。仙台組の佐藤和丸氏が、法要で法話をされた時、聴覚障害を持った人に参列されている人が手話で通訳をされている場面に出会われて、聴覚障害者に対する対応の必要性を強く感じられ、宗門の現況を尋ねてこられたことを、受けてのことです。 本山をはじめ、全国の教務所や別院で手話通訳を実施しているところがあるか、また、手話通訳者を養成するような研修会を実施しているかということです。 残念ながら、現況では、法話を手話通訳したり、映像で流す時に、法話に字幕を入れているような対応をしていませんし、手話通訳者を養成する研修会もやっていません。 今後、検討したいと言う答弁でした。 ◎『玉光問題』決着??? 一昨年の議会報告で詳しく取り上げましたが、05年3月31日付けで、当時の教学研究所々長の玉光順正氏が、「後進に道を譲ってもらいたい」という理由で、解任され、後任に前大谷大学学長の小川氏が任命されました。しかし、この人事にたいして、全国から解任を思いとどまって欲しいという要望や請願が総長や議会に多数提出されました。もちろん、解任には、教研に対する総長と所長の路線の違いがありました。 全国からの声は、辞表を出したくないという教研所長を、路線の違いから解任したことに対する異議申し立てであったわけです。 われわれも、議会で、総長に、辞表を出したくないものを解任できるという罷免権は無いということを明確にするために議論を重ねました。それは、単に教研所長一人のことでなしに、宗務役員の身分保障と関係するからです。 ところで、今議会で、「宗門を開く会」の木全議員が一般質問で、この問題を取り上げ、「免役」のままでは玉光氏の名誉が傷つけられたままであるから、「依願免」にいまからでも変更できないかと質問、それに対して、「宗務役員分限規定及び懲戒規定を玉光氏が充分認識あってのことと考えていたが、玉光氏が充分な認識が無く、当局からも充分な説明をしなかったという瑕疵があった。ついては、玉光氏に退職願を提出いただき、依願免としたい」と答弁。 つまり、玉光氏は宗門法規をよくご存じでなく、それを当局はよく知っての上だと誤解して、十分説明をしなかったという過ちを犯した。今後、退職願を出すのでしたら、依願免に改めましょう、ということ。 これでは、一昨年の全国から寄せられた要望書等は一体何だったということになるのでしょうね。 ◎宗議会議員選挙立候補に「住職の同意」を必要としている条文をを削除する 「宗議会議員選挙条例の一部を改正する条例案」を、今年も議員発議しましたが、否決されました。 04年に、住職でない教師にも宗議会議員選挙の被選挙資格が拡大されました。しかし、そこには、立候補にあたって、住職の同意が必要であるという、同朋教団を目指す宗派の理念にそぐわない条件が付いています。そこで、その条文改正の必要性を今年も議員発議しました。 我々は、当初から宗議会議員の被選挙資格はすべての有教師に無条件で拡大すべきであると考えています。教師が立候補するにあたって、「住職の同意」という大谷派の教師を信頼できないような条文を持つこと自体が、教師を補任した宗派自身を貶めているということに気付くべきであります。 とはいえ、現行の条例でも、住職の同意を得られなかった場合には、一応、不服審査請求が出来るようになっています。ところが、不服審査請求が中央選挙管理委員会に出された場合、何を基準にして、その請求が妥当かどうかを判定するのかと、宗政調査委員会で尋ねられた中央選挙管理委員会委員長は、個人的意見と断られてのものではありましたが、「これでは、判定のしようがありません。こういう条例を作られるならその前に相談を受けたかった」と。いわば、中央選管の委員長からダメだしを出されたわけです。 そのことを、本会議で確認したら、中央選管の申し合わせ事項として判定基準はある。それは、不同意にあたっては、住職・責役・総代の署名・捺印を必要とするが、その署名・捺印が届けられているものと相違ないかどうかを判定するのだということ。 そうであるなら、そのことを誰でも目を通せるように標記すべきでないかというと、それはどこまでも内部の申し合わせだから表に出せないという。 これでは、誰のための不服審査請求なのか、全く分かりません。不服審査請求しようとする人は、立候補の同意が得られず、しかもその理由が全く理に適わないと感じている人であるはずです。その人に、何を基準にして判定するのかも示さず、しかも、請求を出してみれば、署名と印鑑が合っているかどうかをただ付き合わせるだけだとするなら、そのような内容の作業を審査と呼ぶべきではありません。書類の照合という事でしかないことを、あたかも不服のある人を救済する道があるが如く、不服審査請求といいつのることは、詭弁でしかないでしょう。 「住職の同意」という同朋教団にあらざる条件を付していることから来るゆがみの一つです。 ◎「国民投票法案の成立に抗議し、平和憲法の具現化を目指す決議」採択さる 当宗議会は、昨年6月『国民投票法制定を許すことは、憲法「改正」への動きを促進させ、「改正」を事実化するおそれがあります。よって、憲法「改正」を前提とする「国民投票法案」を単なる「手続き法」として看過することはできません』と反対の意を強く表明いたしました。 しかし、その国民投票法案が5月14日参議院で採択され、成立したことを受け、本宗会において宗務総長は、「平和憲法の精神が踏みにじられることのないよう」強く訴えました。 「世の中安穏なれ、仏法ひろまれ」との宗祖の仰せをいただく私たち真宗門徒は、憲法問題が新たな段階に入ったことを正面から受け止め、一昨年6月当議会で採択した『日本国憲法「改正」反対決議』の内容を再確認し、今後も平和憲法が改悪されることなく、その崇高な理念が実現していくよう努力していくことを表明いたします。 また、私たちは、日本が平和憲法の意義を自ら具現化し、世界に発していくことこそが、21世が再び戦争の世紀にならないための唯一の道であると確信し、ここに国民投票法の成立に抗議するとともに、平和憲法の具現化を目指すことを決議致します。 2007年6月12日 真宗大谷派宗議会 ◎「念仏法難800年を考えるつどい」IN知恩院 当日、6月9日、土曜日は、朝からあいにくの雨。日程後半に、一時間の念仏行進を予定していた集会にはこたえました。会場としてお借りしてた知恩院の和順会館の収容人数は、400名だったのですが、会場に入りきれない人がみえたらどうしようかと心配していた事が杞憂に終わり、それでも、雨の中、250名あまりの人が参集してくれました。 と言いますのも、6月1日に西本願寺の記者クラブで、「つどい」開催の記者会見をしたのですが、京都新聞・宗教関係誌・4大誌・共同通信等10誌を超える記者が集まり、質問も活発で1時間をこえるものとなりました。東西本願寺と浄土宗・西山浄土宗が、たとえ有志であっても合同で何かをするというところに、大きな関心を持たれているという感を強くしました。実際、毎日新聞はじめ写真入りで、記者会見の様子を報じてもくれました。また、前売り券はどうしたら手に入るのか等、問い合わせが随分とあったからです。 「つどい」は、2部構成とし、第1部は、知恩院・和順会館で、シンポと記念講演。第2部は、知恩院から鹿ヶ谷の安楽寺までの約4キロを念仏行進をした後、安楽寺で法難800年法要を勤めるというものです。 シンポは、4派から、それぞれ法難をどのように捉えているかについて10分程度の意見を披瀝してもらいました。大谷派からは、前述の玉光順正氏にお願いしました。各派から、それぞれじっくりお話を伺いたい先生方に来ていただいたのですが、時間が短かったことと、テーマをもう少し絞り込まなかったために十分深められなかったと、企画上の問題として感じました。 講演は、「宗教と政治 ー相反する二つの精神ー」の講題で、宗教学者の阿満利麿氏にお願いしました。念仏にかける氏の情熱が伝わる講演で、阿満氏は、重誓偈(勤行用に冊子に印刷していた)の「普済諸貧苦」の一節を取り上げられ、阿弥陀仏の事業は、世界中の経済的・精神的貧しさと苦しさに喘ぐ人々を、救う事である。そして、念仏者とは、その阿弥陀仏の事業に参加するもののことではないのか、と。 四派が顔を揃えてのシンポジウム 阿満氏の講演 第2部は、念仏行進です。知恩院から安楽寺まで、4キロの行程を念仏を申しながら行進するものです。130名を超える人々が参加。それを5班に分け、それぞれ前後に、西山浄土宗の青年僧侶が、鉦を打ちながら念仏を高らかに称え、それに続くように称えながら歩くのですが、われわれ大谷派の多くは、気恥ずかしそうに称えるか、無言のままで歩くか、隣の人と話ながら歩いていたようです。 そもそも、この念仏行進は、浄土宗、西山浄土宗三派(西山浄土宗・西山深草派・西山禅林寺派)、時宗の合同で、法然上人のご命日の前日に当たる1月24日の夜に、京都市太秦の西光寺から長岡京市粟生の西山浄土宗総本山光明寺までの道のり15キロを、嘉禄の法難のご苦労を偲びながら行う念仏行脚にヒントを得てのものです。 知恩院を出発する頃は朝からの雨も上がり、太陽さえ顔を出していたのですが、安楽寺まであと20分位というところから急にまた降り出して、雨に打たれながらの行進となりました。 そして、住蓮・安楽ゆかりの安楽寺で法要を勤め、念仏を申したがために首をはねられた人々に想いを馳せました。 「南無阿弥陀仏」の幟旗を立てて 安楽寺での法要後住職の挨拶 ここで、「つどい」を持つまでの経緯について申し上げますと、03年教育基本法が「改正」されようとする動きに呼応し、全日仏が賛同を表明し運動を展開するなかで、このまま放っておくと、仏教界挙げて「改正」にくみすることになるという危機感があり、04年5月に「教育基本法改悪反対宗教者集会」を、本願寺派の宗会議員有志と我々グループ恒沙とで合同開催しました。100人収容の会場だったのですが、多くの立ち席の方が出るほどの参加者があり、それも主婦や市民の方々も多く、質疑も活発になされ、これだけで終わらせることは出来ないと感じるものがありました。 その後、お西の議員と、相談を重ね、承元の法難800年にあたる07年に、念仏をいま、改めて確かめ直す集会を、東西本願寺の有志だけではなく、吉水教団に縁のある宗派の人たちにも呼びかけて、弾圧の行われた京都の地で開催しようと企画しました。 そこで、共に念仏の教えを宗旨としながら、宗派レベルでは交渉もなく、お互い無関心で来た浄土宗や西山浄土宗三派の有縁の方に呼びかけ、第一回目の準備会を昨年の4月に持ちました。ところが、お互い違いばかりが際だつような会合となりました。その、2,3をあげますと。 まず、承元の法難という呼び名からして、浄土宗系の人たちは、建永の法難と。つまり、建永2年が承元に改元されたのは、1207年10月で、法難のあった2月は、建永2年2月ということなのです。ところが、宗祖が教行信証後序で、承元元年(宗祖は改元になったあとの年で標記される事が多いようです。このほかにも、『教行信証』を著された年とされている元仁元年は、貞応三年の十一月の終わり頃に改元になり、一月余りしかありませんが、改元されたあとの標記をされているということがあります)とされていることから、我々は、承元の法難と言いならしてきたものですから、建永の法難という表現にはいささか違和感を感じるものがあります。 あるいは、弾圧という捉え方についても、すぐには了解を得ることができませんでした。このことについて法然上人が直接言及されている文章が残っていないということもあり、浄土宗の後世の人たちがこれを評価する時、弾圧とは言わず、朝恩と言ってきたという事です。つまり、そのことで、流罪地の讃岐の人々が法然上人の教化に浴することが出来たということからのようです。もっとも、覚如も、表現は違いますが、御伝鈔で師教の恩致と言っていますから、衆生教化という側面からは、理解出来ないわけではありません。とはいえ、その表現には随分と距離を感じます。 また、集会名についても、弾圧を受けたのは念仏ではなく、専修念仏であり、「念仏法難」では正確さを欠くという意見もあったのですが、できるだけ多くの人に関心を持ってもらえる公約数的な表現として「念仏法難800年を考えるつどい」ということになりました。 さらに、承元(建永)の法難より、嘉禄の法難の方が遙かに重きを置いて受け取られていること。また、一部では、住蓮・安楽らが跳ね上がった事をして、法然上人に迷惑を掛けたという説さえあるということを聞きました。 事ほど次第で、各派においての承元(建永)の法難についての受け取りが一様ではないということをふまえ、「つどい」では、それぞれ各派から、承元(建永)の法難の捉え方について発表し、どうしてそのような相違点が出来てきたのかを参加者に考えて頂くシンポの時間を持つことにしたわけです。 準備会は9回を重ねましたが、それぞれの違いは違いとして認めつつ、有志とはいえ、没交渉であった宗派のものが合同で「つどい」を開催できたことは、大変有意義でありましたし、今後、どのような可能性があるのかを見極めていきたいと思っています。 《あとがき》 お伝えしたいことを書き連ねているうちに、量が多くなってしまいました。そのうえ、議会報告とは、いささか異なる内容も混在してしまい、読みづらいものとなったのではないかと心配しています。 どうぞ、皆さんのご意見をお聞かせ下さい。 |