宗政報告No.2(2002年7月5日)


第40回宗議会(常会)報告  

 2002年5月31日に召集され、6月11日までの会期で開催されました第40回宗議会(常会)を中心にご報告いたします。
 お伝えすべきことは多くありますが、ここでは、特に「ご修復」と「ご遠忌」を一つにする条例案に就いてだけ、詳しく述べます。なお、一般質問と、決算委員会の総括質問をする機会を得ましたので、その要旨についてもお伝えし、さらに、議会報告ではありませんが、議員研修として参加しましたハンセン病療養所交流研修会についてもご報告いたします。


《御修復をご遠忌特別記念事業とする条例案の提出》

 たぶん、皆さんも、両堂ご修復と宗祖750回ご遠忌の基本計画が今議会の焦点となるであろうとお考えになっていたと思います。しかし、計画も、従って総予算も提出されることはありませんでした。というのも、「真宗本廟両堂等ご修復委員会」、「宗祖750回ご遠忌基本計画策定委員会」、及び「ご依頼に関する委員会」という三つの委員会に、両堂と御影堂門のどこがどの様に損傷し、いかに修復すればいいか、また、ご遠忌をどのようにお迎えするのか、それに関する募財にあたって、公平公正な方法を導入したいがそれはどのようにすることとなるのか、ということを付託したわけですが、それらの委員会からの最終報告が出揃わず、先送りにせざるを得なかったということのようです。
 そのようななか、今まで、修復事業をご遠忌記念事業とはしないと、明言し続けていたにもかかわらず、宗門世論により、とか、時期が同じだからというだけで、基本方針を変更する明確な根拠も示されないまま、修復事業をご遠忌の特別記念事業とする条例案が提案されました。
 修復事業は、両堂の屋根をはじめとして、損傷が著しく、かけがえのない財産として子孫に残すためには、是非やらねばならぬことなのでしょう。どこを、どのように、ということは、議論のあるところですが。今のところの計画では、170億円位の予算が考えられていますが、それだけの浄財をかけて実施するのですから、ただ元通りに修復補強するだけでいいのでしょうか。はたして、それだけのことをして、その本廟で何をしようとするのか、本廟に願われるはたらきとは何か、当然それらのことが問題となります。ただ、立派な建物を遺すことが目的ではないはずです。本廟が念仏の教えを聞くに相応しい場となっているか。すべての縁ある人が親鸞聖人に出遇える場として開かれているか。修復事業は、本廟をその根っこから問い直す営みと、同時進行でなされることなのでしょう。
 しかし、これが、ご遠忌記念事業となるとき、本廟の意義を問うことより、鳴り物入りのイベントとして進められることとなるに違いありません。
 同様に、ご遠忌そのものが修復事業の中に見えなくされていくという事が、危ぶまれます。750回ご遠忌をお迎えするにあたって、蓮師500回ご遠忌の総括が十分なされることのないまま、またぞろ金集めと人集めとハコモノ作りに終始するようなご遠忌はやめようではないかという意見があります。21世紀のいま、ご遠忌を勤めることの意義と意図(ねらい)を明確にするには、さきの蓮師500回ご遠忌の総括は欠かせないものであることは、論を俟たないでしょう。しかし、修復事業を、ご遠忌の記念事業とすることによって、そんな済んだことをいつまでも言っているより、みんな一丸となって修復事業を成功させることこそが、ご遠忌をお勤めする所詮であるといった風潮が作り上げられるにちがいありません。
 もともと、そういうことを危惧して、「ご修復」と「ご遠忌」とは別々に取り組んでいくということが、明言されていたはずであると理解しています。しかし、それらを一つにするに至るまでの根拠や議論の経過がなんら提示されることなく、この条例が提出されたことに、大きな疑問を感じます。他の議案に対しては賛成をしましたが、この条例案とそれに関連する条例案に対しては反対を表明しました。
 修復事業を、ご遠忌の特別記念事業とすることになりましたが、決してご遠忌が両堂等の修復事業に収斂されることの無い様、注視する必要があるでしょうし、それは、われわれ自身が、ご遠忌をどのようにお迎えすればいいのか、憶念し、機会あるごとに提言することをはずしてはないように思われます。

 《その余の事項》

◎経常費のご依頼は増額しない。
◎青少幼年センター準備室:センター設立に向けて準備室を、立ち上げる。
蓮師500回ご遠忌記念事業の「教学振興事業推進資金」のうち10億円が、青少幼年センターに充てられられます。なお、準備室は烏丸六条の旧東本願寺前郵便局跡地が当てられるようです。
◎都市開教、都市教化をより推し進めることをねらいとして、「首都圏教化推進 本部」を真宗会館に設置。参務が本部長を務める。
◎宗議会議員の被選挙権を、2005年までに住職から有教師に拡大する。
◎有事法制関連三法案の撤回を強く求める抗議文を決議。


 《一般質問要点》

 本会議の三日目、6月4日に、一般質問の機会を得ました。持ち時間はわずか15分しかありません。15分になると予鈴が鳴らされ、それ以後、新しいテーマには入れないルールになっています。実は、質問事項を3点用意していたのですが、3つ目に入る前に予鈴がなり、2つしかできませんでした。その要点を記します。
 750回ご遠忌をお迎えするにあたって、教団を世俗体制の中で成立、維持する中で抱え込み、溜め込んだ非真宗要素を検証し、同朋教団の名に相応しい教団に変わる事こそが、ご遠忌記念事業としてすべきではないか、という点に立って質問しました。
 教団のもっている差別的制度の一つとして、寺格・堂班が問題とされ、1991年、寺格は撤廃されましたが、「堂班」は法要座次と名称が変更されて、寺格がなくなったことにより、寺格による制限はなくなりましたが、その他のことは何ら改められることなく今も存続しています。その問題性を指摘して、法要の順序は、得度した順にし、衣の色とのリンクを取り除くことを提案しました。
 また、御伝鈔の宗祖の出自を説く、天児屋根尊について、アネノコヤネノミコトは、もともと中臣氏の氏神で、神々を讃える祝詞の神であること。覚如上人にとっては、当時の律令体制の下で、寺院を興すにあたって、律令体制を支える神々をお祀りする神を祖とする親鸞聖人、そして本願寺がいかに相応しいかを主張する必要があったのでしょう。しかし、いま、神祇不拝と神々からの開放を宣言された宗祖を語るのに、祝詞の神の末裔と位置づけるていることに、問題はないのか。
 これらに対する答弁は、明確な方向もビジョンも何ら示されることはありませんでした。なお、
「真宗8月号」に質問内容が掲載されるはずです。ご一読くだされば、幸甚です。


 《決算委員会総括質問の概要》

 議会は、本会議での代表質問、一般質問に対する質疑応答と、各委員会に付託された議案の審議とで成り立っているといえます。委員会には、予算・決算・特別・請願・懲罰の各委員会があり、特別委員会は、提出された条例案の審議を行い、請願・懲罰両委員会は今年は一度も開催されることはありませんでした。
 今回は、決算委員会に属し、最終日に総括質問をしました。質問時間はやはり、15分なのですが、短いということがまずありますし、議論をしようとしても、「善処します。」「ご理解頂きたい。」というと答弁でなかなか議論になり難いという感想を持ちました。その概要を記します。

 1.「決算委員会を十分審議できる場に」

 予算委員会には、参務はじめ、各部の部長が説明員として臨席するのですが、決算委員会には、説明員としては、財務部長だけが臨席します。数字のことは答えられますが、各部にわたる事業内容となると不明な点が多くなるのは否めません。後で調べて答弁するわけですが、時機を逸した答えは、もはや答えたりえません。本来、答えによって、立てられた問いが深められ、大事な問題がそこにあぶりだされ、課題が明確になっていく。その営みを審議というのでしょうが、今のような決算委員会の持ち方では、審議の場が確保されているとはいえません。次長なり、主事を説明員として臨席させることを検討頂きたい。
 答弁 : 善処します。
 
 2.「開教という質を持った教化を問う」

 総長は、その演説で今後の同朋会運動の展望を、「開教という質を持った教化」と新機軸を表明されましたが、江戸幕藩体制以来、400年、教団内教化をもってしか、布教・伝道としてこなかったということがあります。大谷派に属する寺院に所属する門徒以外を対象として、同朋会運動が展開されたことはあったでしょうか。そのようななか、教団を外に開いて、「開教という質を持った教化」と踏み込んで表明されたのは、三浦総長が初めてではないでしょうか。大いなる期待を込めて、支持と賛意を送りたいと思います。そこで、2点尋ねました。
 まず、出版業務に関してですが、経理上からも、9100万円余りが一般会計から回付されないとやっていけないということが、2000年度でもありました。独立採算が望ましいのでしょうが、今のような販売経路しか持たない限り、とうてい独立採算など望むべくもありません。経理上もさることながら、今さら申すまでもないことですが、教化伝道という上から、出版物は確実にして、非常に有効な大きな手立てといえます。生長の家や幸福の科学という教団は、内容は違いますが、出版物だけであれだけにまで成った教団です。出版物のはたらきの大きさを思い知らされる感があります。教団を外に開き、開教という質を持った教化を展開する上においては、どうしてもはずせないものでしょう。
 一般書店に販路を拡大するということは、今までにも、何度も議論されていると思われますが、どういう議論がなされて、どこに越えられない問題点があると整理されているのでしょうか。障害物をクリアーしてでも、是非、やっていただきたいと思いますが、一番の難問は何だと考えておられるか。そして、その克服の可能性と展望はどうか。
 それと、同様の趣旨から、同朋会館を一般に開くということを提案し、それに対する考えを尋ねしました。
 教化伝道という点では、同朋会館は大変素晴らしいものを持っているといえましょう。それを、一般の人々に開放する。収容人数ということもあるでしょうから、宿泊は、駅前のホテルなども利用して、2泊研修・3泊研修等を設定し、一人から受け入れる。募集を旅行代理店等に委託をして、「自分探しの旅」「親鸞に出遇う本願寺研修」とか。実現には、詰めねばならないことは多いとは思われますが、是非検討いただきたいことですが、如何か。
 答弁 : 活字ばなれしている社会状況の分析からして、一般書店への販路拡大は今のところ       難しい。同朋会館については、入館状況の説明があり、検討したい。

 3.「お花の購入について」

 両堂の立華には、その規模と、壮麗さにいつも、感服しているのは私一人ではないでしょう。それらの華が、一社から購入されているということです。両堂で4700万円ほど、同朋会館とかその余のを加えると5000万円は越えていることでしょう。特殊技能ということは、よく理解できますが、一社からの購入ということをどのように考えているか。
 その額の妥当性はどこで担保されているか。ご隣山は一つの参考にはなるのではないか。相見積を取るべきと思うがどうか。もちろん、荘厳としての、質を確保してのことは言うまでもないが。
 答弁 : 特殊技能ということで、今のところそこしかない。ご理解頂きたい。

 4.「決算書の書き方について」

 決算書とは果たしていかなるものであるのか。誰に向けて、何のために書かれているのか。数字による、事業実施報告書であるべきだろう。それを読んだものが、こういうことをし、これらはできなかったのだなと、分かるように書くべきなのでしょう。とくにこれからは、そうあるべきでないでしょうか。
 世間では、情報公開ということが言われて久しくなります。山形の金山町で情報公開条例を制定してすでに、20年。いまや、すっかり市民権を得、知る権利が人権と民主主義の確立に不可欠なものであるという認識は特別なものではなくなりました。知りたいという欲求を、疑念や猜疑という不信感をその根っこに持っているとみられがちですが、今ひとつ、参加したいということがそこにはあると思います。組織と個の関係が管理支配から参加へ。どうなっているのか、出したものがどう遣われているのか、そのことをつぶさに知りたいということなのでしょう。情報公開というのは、被支配から参加への移行を表すものといえないでしょうか。
 一方、教団と門徒の関係は何によって、つながっていたと見ることができるでしょうか。どうでしょうか、それは、帰属意識ではないでしょうか。親鸞聖人の子孫である方がご門首をされている教団、立派な峨々たる建物を本山としている教団に所属しているという、そのことだけで誇りをもて、充足感をもたらす。その帰属意識は本山問題によって大きく崩されたといえます。今、改めて帰属するに相応しい本山と教団を再構築しなおすことが肝要なのでしょうか。時代の趨勢からしても、参加ということに大きくシフトすることが大事なように思えます。帰属意識から、参加意識へ。参加することで誇りとなるような教団、大きな意義を見出せるような教団となることが求められているように思います。参加を支えることの要件の一つが、何をやっているかがよく分かる。そこに、初めて参加意識が保たれるということがあるのではないでしょうか。予・決算書は、教団の内容を伝える格好の資料といえるでしょう。なかなか、読んで分かるようにするには難しいところがあると思いますが、読んでわかるように伝えるということを主眼にして書けば、また違った書き方ができるのではないでしょうか。
 答弁 : 検討します。                                         以 上

☆はじめて定例議会に参加させていただき、質問の機会を持てて有難かったと思いますが、議会が十分議論する場となっていないという感を強くもっています。多くが「委員会」で決められていく、という現状があります。