宗政報告No.3 (2003年3月5日)


緊 急 報 告!!! 

三浦内局、何の方策も打ち出せず大事業を途中で放り出し 総辞職
 
宗門は、三浦内局が総辞職をし、臨宗も中止、予定されていた会議等もすべて取り止められ、宗務は混乱の中で、停滞しております。


≪ 興法議員団が、自ら選出した総長を否認 ≫

 宗祖御遠忌をいかに迎え、両堂等をどのように修復しようとするのか。あるいは、ご依頼の基準をどうするのか。それぞれ、委員会を設置して、その最終報告が昨年末に出揃い、それらを具体的施策として提示する任務の真っ最中に、それらをすべて放り出す形となった、この度の突然の総辞職を、驚きと失望で受け止められたことでしょう。

 「突然の」とはいいましたが、総長と興法議員団との軋轢は暫くつづいていたようです。1月14日の興法議員団幹事会、及び20日の総会で、総長が「御依頼すれど割当せず」の方針を表明し、その募財の方法を巡って対立が表面化しました。その方針は、内局内でも不協和音を生み、参務は総長の方針に賛成しかねていたようです。1月22日、3人の参務が更迭されたという風聞がありましたが、その人事は発令されることはありませんでした。1月29日の宗議会議員総会で、内局のゴタゴタについて糺したところ、「興法議員団との確執」と総長は釈明。しかし、不一致を抱えたままの内局は持ちこたえられる訳もなく、就任して7ヶ月あまりの2名の参務を含む5人全員の参務を更迭。2月3日、三浦総長は新内局を発足させます。その組局にあたっては、議員活動の主要な一つである宗政調査会の会長の任にある人と、議員の同和学習を推進する同和委員会の委員長で、かつ宗政調査会専門部会の主査を務める人を内局の一員としますが、宗調と同和委員会という重要な機関の責任者を入局させるにもかかわらず、議会に一切の相談もなく、興法議員団の都合でのみ人選して憚らないという横暴さを示します。
 しかしこれで、事態が収束したわけではありません。「割当するのか、割当しないのか」という対立点は解消されていないのですから。2月18日の興法議員団の総会で、「割当」について採決がされ、「割当する」派が、多数を占めます。その席で、「割当せず」の方針が認められないのではと、三浦総長は、興法議員団の代表を辞します。事実上の総辞職です。(総辞職は議会で受理されて認められる) 
 乱暴な人選までして組局した内局の2週間そこそこでの総辞職です。(2月20日、G・恒沙では、「抗議」文を正副議長、総長・参務、正副興法議員団幹事長宛に送付。資料ー1)

 2月24日に開かれた、新宗務総長指名を案件とする臨時宗会を開催するための宗会理事会で、門徒の代表である参議会の正副議長から、「今の状況であれば、参議会としては、総長の辞表を受け取るわけにいかない」と、この度の政変劇を厳しく批判。その理事会は休会となり、当初予定されていた3月3・4日の臨宗は延期されます。2月28日、再度宗会理事会が開かれ、その場で、宗参両議長が、総長の辞表を受理しました。そして、3月11・12日の日程で臨宗を開催することが決められました。
 ただ、24日には受理できなかったものが、28日にはどうして受け取れるようにまでなったのかについては、3月3日の会派代表者会議の席で、宗議会議長に確認したところ、24日にはあまりにも辞任が唐突であり受け入れられなかったが、28日には、よくお考えいただく時間もあり受理していただいたものと、理解しているという、何とも説得力に欠けるものでした。
 これが、三浦総長の辞任劇の顛末です。なお、2月25日の興法議員団の総会で、興法議員団の代表に熊谷宗恵氏が選出されました。従来通りのことでいいますと、次期総長と言うことです。

 さて、ここで2点のことについて、是非触れねばなりません。それは、この度の総辞職に至るまでに取られた手法に関する事と争点となった募財方法についてであります。

≪ 興法議員団の専横まかり通る ≫

 この度の総辞職にいたるまでの手続きのなかで、もっとも指弾されるべきは、興法議員団による内局の私物視にあるといえるでしょう。
 先ほどもふれましたが、就任にして半年あまりの2人を含む、五人すべての参務が更迭され、その新内局が組局されて2週間あまりで、総辞職いたしましたが、それらがすべて興法議員団内で秘密裏に決められ、宗門内外に全く説明がありません。これは、内局を私物化しているから出来ることなんでしょう。
 また、三浦総長の総辞職の仕方も、そのことを如実に物語るものと言えます。そもそも、総長と与党会派との方針・見解が食い違うことはあることなのでしょう。しかし、そのとき、総長は、自らの政策を議会に諮り、議会でその趨勢を見定めるべきであります。ところが、そうはせず、興法議員団に屈する形で、方針が認められないからと辞めてしまいました。総長は、興法議員団が選んだのではなく、議会が選出したのです。支持母体である与党との関係は、それでいいかもしれないが、選出した議会への責任は全く一顧だにされていないといわねばなりません。
 そしてまた、3月3日の会派代表者会議での総長自身の辞任に至った経過説明は、割当せずに募財をしたいと思っていたが、強力に募財をすることが教団の声であると思い至った、という趣旨のものでありましたが、それは、確かに興法議員団の声ではありましょうが、決して教団の声とは言えません。議会制をとる限り、議会こそが、教団の声であるはずです。
 興法議員団はもはや、自身と議会を同一視するまでにいたり、そのことにより議会無視と、内局の私物視をごく当たり前のこととしたということなのでしょうか。いまや、興法議員団の恣意による、議会運営と宗政しかなされていない惨状が、ここにあります。
 
 そもそも、興法議員団は、教団問題をくぐり、一人の専横による教団運営を廃し、同朋公議による同朋教団の確立を目指して、新宗憲制定を会派のテーゼとして、そこに大いに任務を果たしたと評価することができます。しかし、新宗憲がなって、22年が経ったいま、興法議員団の恣意による専横がまかり通っているのではないでしょうか。興法議員団が排除しようとしてきた、そのものに、自身堕そうとしているにほかなりません。宗門の運営の理念である同朋公議に照らして、この度の政変劇を、みなさんは、どう評価されるでしょうか。

≪ ご依頼すれど、割当せず ≫

 つぎに、争点となった「御依頼すれど、割当せず」という三浦前総長の方針について、述べてみたいと思います。少し、わかりにくい表現ではありますが、懇志の精神に立っての募財を目指したいと言うことであるようです。全門徒に1口1万円、200万口の募財を目指し、御門徒一世帯あたり3口を目標として、それぞれの現場で意欲的に受け止めて、一人一人が事業の主人公として参画する意味をそこに見いだすような取り組みを展開し、そのことを通して宗門護持の志の掘り起こしをしたいと言うことのようです。割当がないのですから、完納ということも、未納ということも、したがって完納記念品もないということです。賞典をちらつかせての募財から、宗門のやっていること、やろうとしていること、やりたいことに対して賛同を得、懇志を拠出願うという本来的な形での財的基盤を確立したいという、いたって健康的で将来展望を持った提言であると評価いたしますし、これを機に、懇志教団としての基礎作りを図りたいという方針には、賛意を表したいと思います。

 それに対して、「割当すべし」に立つというのは、純粋な懇志によるというのは、理想論で、認識が甘い、そんなことで募財が出来るはずがないということなのでしょう。今まで通りの確かな方法でなければ、責任が持てないということでしょう。割当したからと確実であるなどとはいえませんが、確かに、より募財しやすいと言うことはいえます。現時点での募財をより安定的に考えるということでは、より責任を果たそうとしているといえましょう。しかし、今後10年先、50年先の教団ということを展望するとき、同様に、宗門に対する責任を果たしているといえるでしょうか。いかなる教団を目指し、どのような財政基盤を構築しようとしているのか。そこには、将来展望が見えてこないといわねばなりません。今を考えることは、同時に将来を見届けることですし、将来を見届けることなしに、今を考えることなど出来るはずがないでしょう。

 このような閉塞した宗門状況をお伝えすることは、甚だ辛いものがあります。これは、興法議員団独裁のような政治状況が、生み出したものに他なりません。それについては、非力な野党の一員としてその責任の一端を感じざるを得ません。宗門の今後の展望を決するこの大事な秋に、この混乱が単なる騒動に終わることなく、新たな地平が生み出される機縁となることを切望せずにはいられません。

グループ恒沙 執行部

 代 表  長 野 淳 雄 (日豊教区)
 幹 事   藤 内 和 光 (仙台教区)
 会 計  森 嶋 憲 秀 (富山教区)