宗政報告No.4 (2003年3月17日)
臨時宗議会報告 こんな状況でご遠忌が迎えられるのか ??!! |
前号では、三浦内局の総辞職について、お伝えしましたが、ここでは、総長指名のために、 3月11日・12日に開かれた宗会臨時会についてお知らせします。 今回の臨宗にのぞむに当たり、注目したい点がふたつありました。ひとつは、議会を無視しての三浦内局総辞職について、議長、そして興法議員団が、議会に対してどう説明し、釈明するのか。あと一つは、新しく選出された総長が、宗政を担うにあたっての気概と覚悟を、どこまで伝えることが出来るかということであります。 ≪ 熊谷宗議会議長不信任決議案 ≫ さて、臨宗を迎えるにあたって、3日と10日に、三派代表者会議が持たれました。3日の会議で、本会議の前に議員総会を開き、経過説明をして、総長の辞任そのものを議員全体で共有課題としなければ、新総長など選出できるはずがないと、議員総会の開催を要求しましたが、返事は10日にということでした。ところが、10日の会議で、議長と興法議員団の代表はその要請を拒否します。その理由を糺しますと、代表者会議で説明し、謝罪もしたのであるからそれで十分。後は代表者の皆さんがそれぞれの会派の皆さんにお伝えいただきたいということなのです。どうも、総長辞任という事柄を、一伝達事項の程度にしか考えていないようです。何度も要求しましたが、返答は変わりません。事態に変化のないまま、本会議当日の11日を迎えることになります。 そこで、本会議前の議会運営委員会で、経過説明のための議員総会開催を厳しく要求。再度にわたる運営委員会でも、了解に達することができませんでした。そのため、この度の総長辞任と、その後の対応には、議会を代表する議長の任務が十分に果たされていないことが、大きな問題としてあることから、熊谷宗恵宗議会議長不信任決議案を、提出することを決意。事務局に、それを提出に行くと、こういうのを豹変というのでしょうか、急遽、代表者会議を開きたいという要請をうけます。 そして、その会議で、経過説明のための議員全員協議会を開くことが、議長から提案されました。ここまでしないと、話が通らないかと、悲しくなります。 ≪ 議員全員協議会 ≫ 議員全員協議会では、はじめに議長から、経過説明と辞表を受理しながら議員に報らせなかった事を謝罪。それを受けて質疑応答がなされました。 まず、議長の責任を追求。三浦内局は、興法議員団と方針が一致しなかったかもしれないが、いわゆる失政や失策はなかったわけです。その総長の辞表を受理したことが、議長として妥当であったかどうか。つまり、一会派との政策方針の相違が、失政に当たるわけもなく、議長は、どこに総長が辞任すべき事由を認めて受理したのかと糺したところ、一身上の理由で辞表を提出する限り受理せざるを得ないという。それで、議長としての職責が果たせているといえるでしょうか。この度の議長の取った対応は、議会を代表するものではなく、興法議員団を代表するものでしかなかったということを糺しました。 次に、興法議員団の議会に対する責任を追及。興法議員団の幹事長から、議会を無視するような結果となったことを謝罪。 そのあと、この度の責任をとって、興法議員団を解消してはどうか。どこで、挙宗一致を実現しようとするのか等の質問がなされましたが、いずれも納得のいく応答は得られませんでした。後の日程のこともあり、時間的に十分なものではありませんでしたが、議員全体の前にこの問題が提示されたことは大きいと言えます。 ≪ 三浦総長辞任挨拶 ≫ 一応、これで本会議が開催される状況が整えられ、はじめに、三浦総長が辞任の挨拶をしました。割当をしない方針を採ろうとした理由を諄々と説明、肯けるだけにことさら虚しく響きます。そして、辞任の理由では、「宗門世論の動向を見極め、それに応えることがが第一と考え」、辞任を決意したとあります。 ところで、この度要職に着いた興法議員団のT氏は、自教区の支援者に、三浦内局総辞職の経緯を説明するに当たって、「総長が一部の人の恣意的な意向を受け入れ、その他の多くの興法議員団の意向を無視したことが、辞任につながった」(取意)と、総長を支える少数派と、その他の多数派との内紛であったことを素直に認める文章を配布しています。 このことが雄弁に語りますように、総長自身が挙げた辞任理由の「宗門世論の動向」とは、興法議員団の多数派の意向に他ならず、それを以って宗門世論といって憚らない感覚こそが、興法議員団の意思がそのまま議会の意思であると議会を無視する意識を生み出すものと同根であるといえるでしょう。 ≪ 正副議長選挙 ≫ そのあと、総長選に立候補するため議長が辞任し、それを受けて、議長選がありました。そこで、現副議長が選出されたため、引き続きその選挙となりました。結果は、次の通りです。 ●議長選挙結果 有効投票数 61票 藤田智賢氏 47票 藤森教念氏 11票 熊谷宗恵氏 1票 白 票 2票 ●副議長選挙 有効投票数 62票 安藤勝寿氏 57票 白 票 5票 本来、議会運営上からは、特に議長候補となる人に瑕疵がなければ、対立候補を立てることもないのですが、この度の興法議員団からの候補となる人は、副議長ですから、熊谷議長と共にその責任を大いに問われるべき人であり、認めるわけにはいきません。そこで、われわれは、藤森氏を立てたわけです。 副議長に選出された安藤勝寿氏は、野党・真和会の方です。正副議長を興法議員団で独占することによって、今回のような、議会の機能と信頼を確保するという議長本来の任務を果たしているどうかのチェックが不十分になるという事態が引き起こされたと言えます。つまり、議会の代表であるはずの正副議長が、興法議員団の代理としてしか機能しなかったのです。そういうことを、少しでも抑制するために、正副議長は会派を離れるべきだという提起を、代表者会議でもしているのですが、なかなかそうはなりません。そんななか、副議長を野党が務めることは、大いに意義があります。そのため、副議長選では、対立候補を立てることなく臨みました。 ところで、どうして野党・真和会から副議長が出たのかと、疑問に思っておられる方が多いかと思います。 前号でお伝えしましたように、参議会は、当初三浦内局の総辞職を認めず、興法議員団を厳しく指弾。打開策として挙宗一致体制を取ることを、興法議員団に強く求めます。それを受け、今回の臨宗の興法議員団のテーマは、挙宗一致であったようです。 そこで、興法議員団がやろうとしたことは、今まで独占していた要職を野党に分配することにより、形の上で挙宗一致を作り上げることと、同時に、そのことで野党から譲歩を引き出すことであったようです。 実は、真和会からの副議長は、それによって実現しました。そして、われわれ、グループ恒沙には、参務職を一つ用意しているという申し入れがありました。そのことについては、後ほどふれます。 ≪ 挙宗一致 ≫ 挙宗一致という表現は、この臨宗で、最もよく耳にした言葉かもしれません。そして、その意味するところは、どうも議会が一つであるという体裁を取りたい、つまり、三派の見解が一つであるという形で示したいと言うことのようです。 そのために、最も興法議員団が力を入れたのが、全会一致による熊谷宗恵氏の総長推挙でありました。実際、我々にも、熊谷宗恵氏に入れてもらいたい、それがダメなら、白票を投じてもらいたいというびっくりするような要請がありました。 この要請を聞いたときには、はじめ耳を疑いました。それも、たとえば、候補者が当選すれば、われわれの日頃主張している政策の実現に努力するという約束でも掲げて、投票依頼するなら、それなりの筋も通らないわけではありません。しかし、ここは、議会が一つであることを示したいから、ひとつ協力願いたいと、何とも乱暴至極な話なわけです。そして、どこで議会が一つかと言えば、申すまでもなく、興法議員団の元で一つということなのでしょう。興法議員団のなかが、バラバラだということが、露呈したのが辞任劇であったのに、外側だけ一つを装ってどれだけ意味があるでしょうか。 議員総会を開催してもらいたいという要求を土壇場まで拒否しておきながら、また、我々が議長としての職責を果たしていないと不信任しているその人を総長として投票してほしいという、あまりにも厚顔な要請は、本来出来るはずもないところですが、あたかも、参務の席をひとつ譲ってやるのだからと、言わんばかりの出方と言えます。 だいいち、興法議員団の内紛で、この大事な時期に内局総辞職という事態を引き起こしておきながら、もし、全会一致で熊谷宗恵氏を総長指名したとしたら、それこそ、議会は自らの使命を放棄したと、一切の信頼を失ってしまうことでしょう。 もっとも、我々も、決して挙宗一致を否定するものではありません。しかしそれは、形や、方法を一つに束ねることでは決してないのでしょう。そういうことは、ファッショといれてきました。しかしどうも、挙宗一致という言葉には、どこか、ファッショ的響きがあり、あまり好きな言葉ではありませんが、「宗門ひとつになって」という意味でここでは遣います。 挙宗一致でご遠忌を円成させたいというとき、どこで一つになり、どこで一致できるのでしょうか。それは、御遠忌を厳修することによって、念仏の教えを現代に闡明にし、一人でも多くの人が教えにふれる機縁を開きたいという願いにおいて一つになれるのでしょう。その願いや理念を実現するための考え方や方法・手段まで、一つになど出来るはずはありませんし、する必要もないことなのでしょう。 どうも、いま言われている挙宗一致は、願いや理念はいろいろあるでしょうが、ややこしいことは抜きにして、興法議員団の元で一つになってやっていきましょう。そのために、興法議員団の独占という形を改め、参務と副議長を野党に分配しますし、そのかわり総長選では、全会一致の形を示してほしいという、随分、乱暴な話です。 議会において、願いや理念が一つだという確認があれば、どれだけ政策上の対立があっても克服できない事ではないはずです。もともと、興法議員団とは、教団にかける願いや、運営理念において同質のものを感じていましたが、改めてそのあたりを確め直す作業の必要性を感じさせられました。そこをはずせば、議会において一つになれる場などどこにも開けるはずがないのですから。 ≪ 総長選挙 ≫ 12日には、参議会も招集されていて、いつになく充分時間をかけて総会を持ったようです。そこには、熊谷前議長と興法議員団幹事長が出席して、辞任劇の経過説明と混迷させた責任を謝罪したようです。 宗議会であれほど、議員総会の開催を要求したのに、土壇場まで受け入れなかったのに、参議会では当初から予定されていたようです。どうもそこには、細かい説明をすることによって、宗議会では、内紛が再燃し収拾がつかなくなることをおそれたというフシがあります。 午後もだいぶズレ込んで、総長選挙が行われました。結果はこうです。 ●宗議会 有効投票数 65票 熊谷宗恵氏 43票 長野淳雄氏 11票 三浦 崇氏 1票 白 票 10票 ●参議会 有効投票数 50票 熊谷宗恵氏 50票 この結果をどのように見られるでしょうか。分けても、参議会の15名の棄権は、ご門徒の厳しい非難と失望の表現ではないでしょうか。 その後、アメリカのイラク攻撃と、日本政府の戦争協力に反対する決議文が採択され、すべての審議が終了しました。 ≪ グループ恒沙 入局を断る ≫ ここで、グループ恒沙として、入局要請を断った経緯についてふれてみたいと思います。11日の日程が始まる前に、興法議員団の幹事との面談の要請があり、その席で、グループ恒沙から1名参務として入局してもらいたい、その人選は新総長にある旨申し入れがありました。 入局要請をうけ、グループ恒沙として、いかに対応すべきかということの論議を重ねました。 入局することによって、日頃実現させたいと考えている政策を具体化するという目標を持ちながら、宗政の実務に責任者として関わることは、大いに意味があるだろう。また、宗務の中枢に参画することで、手にすることの出来ない情報を得ることができるだろう等、メリットを挙げることが出来ます。 しかし、ただ、メンバーの一人が参務になったところで、概ね、興法議員団の土俵に引きずり込まれて、組み込まれてしまうことが容易に想像できます。また、そうでもなければ、チームを組んで円滑に実務を執行することなど出来ないでしょう。 そうであれば、入局する者を強力にバックアップする手だてを講じなければなりません。そこで、その者が興法議員団のなかで宗務を行う上で、何が支えとなるか。それは、政策であるはずです。そこで、支えとなる政策、あるいは立ち帰ることの出来る政策を、興法議員団との間で書面で取り交わすことを目指しました。それは、その者を大きくバックアップすることになると同時に、我々自身が願うところの政策を一歩でも実現に近づけることでもあります。 今回は、連立ではないのですから、政策協定など取り交わせませんが、当面の政策課題を書面にして、興法議員団と共にその実現に向けて協力体制を取るという確認書(資料)を、交わそうと交渉を重ねたわけです。しかし、その一部の内容と、書面で交わすことに合意点を見いだすことが出来ませんでした。しかし、そこを外すと、入局することの意味が殆どなくなってしまうものですから、今回のグループ恒沙からの入局は、断りました。これは、決して宗政を担う覚悟がないということではなく、状況が整わなかったと言うことです。 すべての審議が終わり、最後に新しく選出された熊谷新総長から、就任の挨拶がありました。冒頭にも書きましたが、どのような挨拶をされるかと、注目して聞いておりましたが、当選の喜びは十分伝わるものがありましたが、この時期に宗政の責任者になる覚悟や、気概というものがあまり感じられるものでなかったことが大変残念です。 今回の議会は、グループ恒沙の幹事として関わりましたが、多くの時間を興法議員団の幹事会の人たちとの折衝に費やしました。一人ひとりは、住職としての見識も人格も、尊敬に値する方が多いのですが、興法議員団の幹事という肩書きを背負ってしまうと、途端に、俗物になるのは何故でしょうか。もっとも、先方は、こちらをもっと俗物と思っておられたことでしょうが。 このようななか、5月の末には常会が開催され、ご遠忌総計画・総予算が提案され、同時に新しい割当基準が示されることでしょう。しかしこんなことでは、ご遠忌をお迎えするどころか、計画さえも真剣に検討できる体制ではないように思えます。 いよいよ、皆さんのお智慧とお力を賜わらなければ、なんともならない感を強めております。 [資 料] 確 認 事 項 下記の4点の政策課題の実現にむけて、二派で協力体制を組むものとする。 1.同朋会運動を推進展開するため、宗務機構を中央「統括・集権型」から、教区「自治・分権型」へ5年以内に転換し、宗務所と教区・組の役割分担を明確にする。 2.選挙制度の改正 イ. 宗議会議員選挙被選挙権をすべての有教師に開く ロ. 教区会議員選被両権をすべての有教師に開く ハ. 教区会組長議員を廃止する 3.全国門徒世帯数調査を2年を目途に実施し、そこにおいて募財方法を再検討する。 4.現同和推進本部を同朋社会推進センター(仮称)として改編する。 以上 2003年3月12日 真宗興法議員団 グループ 恒沙 |