宗政報告No12(2004年6月29日)
5月27日から6月8日の会期で、宗議会が開かれました。 2004年度予算をはじめ、2002年度決算、当局提案の16条例案、それに、議員提案の4条例案について審議されました。 ◆ご遠忌に向けての「中期教化研修計画」について 御遠忌テーマについては、御遠忌テーマに関する委員会が作成し、来年5月のお待ち受け大会で発表するということです。 中期教化研修計画については、宗報「真宗」誌上で、掲載されるでしょうから、詳細はそれにゆずることにします。中期というのは、2005年度〜2010年度を指し、同朋会運動50年以降を長期としているようです。 しかし、それでいいのでしょうか。これを見る限り、今はとにかく御遠忌を円成させることが第一で、同朋会運動は傍に追いやられている感を強くします。 一昨年、同朋会運動40年の総括が各教区に指示され、その結果をもとにして、中央同朋会議が開かれましたが、宗門としての総括は結局出されることなく経過しました。そこでは、同朋会運動40年を受けて、如何なる御遠忌をお迎えしようとするのかという視点は全く示されるはずもありません。 それでは、同朋会運動50年を見据えて、如何なる運動構築が可能で、それに向けて御遠忌が位置付けられているかといえば、そうでもない。どうも、御遠忌は同朋会運動の中に明確な位置づけがなされないまま、今回の中期計画が示されているように思えてなりません。 今こそ、じっくり同朋会運動50年をどう展開するのかというグランドデザインを明らかにする作業を尽くし、それに向けて御遠忌を位置付け直すことが必要であると思うのですが、皆さんはどう思われるでしょうか。 ◆宗務改革はどうなっている? ご遠忌を迎えるにあたり、その記念事業として取り組むべきは、宗祖親鸞聖人のお心に少しでも沿い適った教団とするための諸改革であると考えます。教団が抱え込んでいる非真宗的要素の点検をし、その克服にむけて一歩でも歩み出すことが記念事業だと考えます。 そのことと必ずしも重なるわけではありませんが、宗務を改革したいというテーマは別事ではありません。当局が、昨年御依頼の新基準を提示した時、各教区からの強い要望として、宗務における行財政改革の断行が求められました。 それに応えるかたちで、宗務改革推進委員会が立ち上げられました。教区及び組の改編と門徒戸数調査がそれで、一年かけて、各々の作業手順が決められ、それを条例化したものが提案されました。 [ 教区及び組の改編 ] 現在の30教区制になって、70年以上が経ちますが、もともと教務所は相続講の事務取扱所で、教区は募財のための区域割りであったといえます。教化を中心にすえ、社会的諸状況が変化した中で、現在の30教区の再編成が指向されています。 わけても、教区には、人の養成が大きな任務としてあるかと思われますが、教研・真宗学院等を常設するには、人的・財的体力が必要となります。それには、大教区制への移行も必要です。さらに、通信手段が多様化した今、教務所事務の簡略化と合理化によって、複数の教務所でなされている事務を一本化することはそう困難なことではありません。もし、大教区にすれば、経費節減の観点からは、所長・主計を始め所員の削減が可能になります。 教化に関しては、新たに教化区を設けて、そこに教化要員(現在の駐在教導のような任務)を置き、よりきめ細かな教化施策の実施の道を模索するということのようです。 つまり、大教区・小教化区制が考えられているようです。 その作業手順としては、教区に教区改編委員会を設置し、改編関係教区に地方協議会をおいて、協議検討を重ねたうえ、中央改編委員会が事の趨勢を見極めるという手順が定められましたが、事情や歩みの異なる複数教区の統合となると様々な紆余曲折が予想されます。簡単にはいかないでしょうが、大事なことであると考えます。 [ 門徒戸数調査 ] 昨年、提示された御依頼割当の新基準が公平性と客観性に欠けるという指摘が多く、算定基準を門徒戸数とすべきであり、そのための調査が必要とされました。 手順としては、宗務所に中央門徒戸数調査委員会、教区に教区門徒戸数調査委員会、そして組に組門徒戸数調査委員会を各々設置し、中央門徒戸数調査委員会が作成した調査票をもとに、全国一斉に調査を実施し、寺院の住職、別院の輪番が申告した数値を集計する方法で行うというものです。 調査結果については、教区ごとの数値は、「真宗」で、組ごと別院の数値は教報等で教区内に公開するとあります。 実施期間についての明確な提示はありませんが、2年を目途に行いたいということです。実のある調査が一日も早く実施されることを望みます。 ただ、御依頼割当による募財方式そのものが、改めて問われていることも忘れてはなりません。 [ 13部を10部へ ] 現行の宗務所13部制は、1963年施行の宗務職制によるものだそうです。時代や社会状況の変化に十分対応できる宗務改革は是非断行せねばならないでしょう。しかし、この度提示された宗務職制一部改正は、企画性も思想性も、その意図さえも全く見えない、思いつき改正としか言えないものです。 この度のような部の統廃合では、全体のビジョンを示す全体構想が提示されてなされるか、あるいは、逆に具体的な業務が、部が隔てられていることによって支障をきたしている事例を各部において何点か示され、それらの問題点克服のために統合するということであるなら、まだ説得力を持ち得たでありましょう。しかし、当局の説明は、「部門の枠組みを超えてより密接に連携を図るとともに、効率的な事務を行う必要」のうえから統合するというもので、いまのままでは、どのような連携を欠き、非効率であるのかが全く示されず、説明になりません。 13あった部の表札が、10に減ったということでしかない。 宗務行政は宗務役員の意欲と情熱に負うところが大きいといえます。当局の仕事の一端は、その意欲を喚起し、情熱を萎えさせない状況づくりにあるとも言えます。また、宗務役員は、所属する部に対する矜持があり、愛着もあろうと思われます。この度の統廃合は、どれほどそれらに配慮したものであったのでしょうか、極めて疑問であります。 統廃合する部は、次の通りです。 参拝接待所と式務部 → 本廟部 教育部と青少年部 → 教育部 組織部と教務部 → 組織部 [ 研修部補導に定年制導入 ] 同朋会運動の主要な位置付けのひとつである本廟奉仕を支える業務が、研修部の補導職であることは、誰も否定しないでしょう。今回、その補導職に4年の定年制が導入されました。 その説明が、「人の誕生を期し、そこで培った資質や技術等をもって地元で活動し、教区と本山の教化事業の連携を深めたい」ということであります。この説明では、補導職を、宗門の人の養成機関とみているようであります。誤解の無いように言えば、補導職にあるものが育てられるという意味で。 教化事業に関わる限り、育てられるということはいくつになってもあることで、その限りにおいては、教化事業従事者は人の養成に預かっていると言えます。しかし、それはいわば、役得としてあることなのであります。 補導職は、本廟奉仕にこられた人に仏法に遇う機会をどのように開いていくかという重要な業務を担うものです。もっとも、補導職は時間的にも、内容的にもかなりハードな業務ですから、何年も続けられる仕事でないかもしれません。とは言え、はじめから4年という年限を限られては、腰掛けとしてやろうという人はいるでしょうが、本気でこの仕事にかける人が果たしているでしょうか。教化事業の大半は、人で決まるといっても過言ではありません。端から本気でやろうという人を採ろうとしないところでなされる本廟奉仕研修とは、一体何なのでしょうか。 教化を宗門のいのちと言いながら、教化そのものを軽視し、投げ出しているとしか言えない、教化を真剣に考えたことのない者の取る施策と言わざるを得ません。 何のための定年制導入なのか、全く積極的意味が見いだせません。これが、やがて駐在教導や青少年指導主事等の教化事業従事者に定年制が導入される先鞭でなければいいと思います。こんなのは、改革どころか、宗門の本務を見失った改悪でしかありません。 ◆同和推進本部職制一部改正について 同和審議会に、「同和の用語について」と「宗門における部落解放運動について」の2点に関して諮問がなされ、それに対しての具申書が今年の3月末に提出されました。 「同和」の用語については、その語の持つ歴史的背景や問題性について指摘されて久しくなります。にも関わらず、その事を正面から課題とせず放置してきましたが、この度の具申書で明確に方向が示されたといえます。 そこでは、「同和」に代わる新しい運動の名のりとして、「同朋」という言葉を基底とし、具体的には「同朋社会推進運動」「同朋社会推進本部」が提案されました。そこには、部落差別問題はもとより、時代社会から問われる諸差別、そして靖国問題や非戦平和の課題等が有機的連携のもとで推進される本部職制が望まれるというものです。 なお、「同和」を「同朋社会」と言い当てることについては、ひとり審議会だけではなく、宗政調査会という議員相互の研修会でも、課題としてきたテーマでもあり、また、議会に設けれている「同和委員会」も「同朋社会推進委員会」と言い換えられました。 [ 解放運動推進本部と改称 ] ところが、上記審議会が提出した具申書をほとんど反映することなく、解放運動推進本部と改称したいというのが当局提案であります。ところで、審議会が「同朋」という言葉から問い返され、照らされる運動の構築を提言しているのでありますから、「同朋」を採用しないなら、それなりの明確な説明があってしかるべきであるところ、何等それに応えるものがないまま、解放運動推進本部なる名称を含む職制改正が可決されました。 ◆宗議会議員被選挙資格について 宗門内に蔓延する無関心やしらけの遠因のひとつに、組会、教区会、そして宗議会に連なる資格が住職にしかないということがあるのでないかと思われます。組においても、教区においても、教化事業等を担当し、実施しているスタッフは、多くが住職でない教師ではないでしょうか。具体的な事業を担っているにも関わらず、それに伴う予算や教化計画を審議する場に加わる資格が住職でないものにはありません。言うまでもないですが、組会員は住職ですし、教区会の被選挙資格は住職にしか有りません。決定権を持たない参加は、どこかしらけざるを得ないことかもしれません。 そこに、風穴を開けることに繋がるのが、この度の宗議会議員選挙条例一部改正です。宗議会議員被選挙資格が教師に拡大されれば、自ずと教区会議員、組会員についても再考されることになると思われます。 [ 教師に宗議会議員被選挙資格を ] 宗議会議員被選挙資格を教師に拡大すること、それは有為の人に宗政の場で活躍する機会を開くこととなり、それは、若年層の宗門への参加意識を高め、女性の宗政参加への道を開くことともなり、教師の宗門への責任感を喚起することになるはずです。それは自ずと宗門の閉塞感を打破し、必ず活性化をはたすことに繋がります。 [ 何故、住職の同意が必要なのか ] 私たち、グループ恒沙は25歳以上の全ての教師に被選挙資格を付与すべきであるという案を議案として提出しましたが、結局、真宗興法議員団の宗議会議員選挙条例一部改正案が、可決されました。それが、次のものです。この他にも改正条文がありますが、中心はここです。 宗議会議員選挙条例 第二条 選挙資格を有する年齢25歳以上の者であって、次の各号の一に該当する者は被選挙資格を有する。 1 住職及び教会主管者 2 自らが所属する寺院又は教会の住職又は教会主管者若しくは それらの代務者の同意を得た教師 実際問題から言えば、明文化しなくても、住職の同意なしには、立候補しないものでありましょう。それをわざわざ条文化するところに、住職に同意権なる権限を新しく付与したいということと、教師に対する不信感がそこにあるいえます。 [ 同意権? ] 宗門を荷負せんとする教師の意欲のところに、生きた宗門の歩みがあり、宗門の歴史に参入せんとする情熱の源泉があります。宗門を担わんとする意欲は、住職といえど阻止することは出来ません。同朋公議とは、宗門に関わるものを同じ重さの同朋として見いだし、出来るだけその声に耳を傾けて宗門を運営していこうという意志の表明であるいえます。そして、その同朋公議を宗門運営の基本方針としたのが宗憲であります。 住職に同意権という絶対権(同意を得られないと立候補できないという意味で)に近い権限を与えることは、同朋公議をすてることで、明らかに宗憲違反であります。 問題点1:何を基準にして同意するのか、同意を与えない時、それが恣意で ないとどこで言えるか。 問題点2:同意を得られなかった場合の救済策が全く考慮されていない。 [ 教師不信 ] 教師が立候補するのに、何らかの条件を付けるということは、教師を信頼していないからということなのでしょう。 教師は、宗務総長によって、教法を宣布し、本廟崇敬の念を持ち、宗門ならびに寺院興隆に務めることを任務とする僧侶の中より、補任されたものであります。 それは、当然、宗門人としての責任と使命を深く自覚する者と認めた上での補任でありましょうし、大いに宗門活動に参画することを期待し信頼するということでもあるはずです。 問題点3:総長が補任した教師に、住職が不同意をだすことは、総長の補任 を否定することとなる [ 代務者の問題点 ] 住職に認めた同意権は、代務者にも認めることになりますが、そのことによる矛盾点・問題点は次のようなことです。 問題点4:同じ教区で兼務代務者をしている住職が立候補を考えていて、 兼務代務者を務めている寺院に所属する教師にフランクに同意 できるか。 矛盾点1:他の教区で、兼務代務者を務めている教師は、その教区で被 選挙資格がないにもかかわらず同意を与えるという矛盾。 矛盾点2:特命住職は、教務所長が多く務めますが、その教区の行政の 責任者が、同意を云々することの問題性。 条例案については、特別委員会でその中味の審議が行われますが、以上のような諸問題点の指摘に対して、提案者の真宗興法議員団は、全く答えきれず、一年かけて問題点は克服したいといいます。一年かけて修正せねばならないような、欠陥条例を提案して、数で成立させたというのが実状です。 宗議会議員被選挙資格が教師に開かれ、随分前進したように見えるかもしれませんが、内容的には現状より後退であるともいえます。 みなさんは、どのように受け取られていますか。 ◆教育基本法「改正」反対決議採択 教育基本法「改正」問題について、簡単にふれてみましょう。 教育基本法は、戦後日本の教育の基本を確立する根本法であり、同時に平和憲法を根付かせることをねらいとして、憲法施行の一ヶ月あまり前の、1947年3月31日に施行されています。その基本法を、中央教育審議会は、2003年3月、「改正」する必要があるという答申を出しました。 そして、その「改正」理由として、いじめ、不登校、学級崩壊、そして校内暴力等の教育の荒廃の原因があたかも教育基本法にあるかの如き指摘であります。果たしてそうでしょうか。教育の荒廃の原因は、私たちの社会自身が抱えているひずみや病いが、最も弱い子供たちのところに現れ出たと見るべきではないでしょうか。それに対する速効の処方箋などあるはずもなく、子供たち一人ひとりと真向かいになり、その声に耳を傾け続け、我々大人自身が変わる以外にないのでありましょう。 「改正」によって目指そうとしている教育の最大の問題点は、なんといっても「愛国心の育成」と、国家戦略としての教育立国といって憚らぬエリート教育だと言わねばならないでしょう。 すでに、教育現場では、先生の処分をともなった国旗掲揚の際の起立と国歌の斉唱の徹底、著しく偏った国家主義の歴史観を持つ「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書の検定合格、そして、新学習指導要領・小6社会学習目標に「国を愛する心の育成」が掲げられ、それによって、福岡と京都では、「愛国心」を評価する通知票さえあらわれています。これらは、あきらかに「改正」が目指す「愛国心の育成」の先取りに他なりません。 一方、政府・与党は、先に「武力攻撃事態対処法」をはじめとする有事法制関連3法を成立させ、先日有事関連7法案を可決させました。いままた、多国籍軍に自衛隊を派兵させようとしています。 「愛国心の育成」を目指す教育は、その戦争をする国を支える人づくりそのものです。 また、エリート養成教育は、教育が子どものためになされるものではなく、国家のためにあり、人を人材としてしか見ない人間観によって貫かれた教育と言わざるを得ませんし、そこでは、差別と選別が常態化し、いじめ・不登校等はますます悪化することが容易に想像できます。 [ 全日本仏教会が「改正」に賛意 ] 全日本仏教会では、中教審答申の前から、「宗教教育推進特別委員会」なるものを設置し、教育基本法・第9条(宗教教育)の「改正」運動を展開しています。それは、仏教徒として子どもを取り巻く諸問題に対する自責の念から、宗教教育の充実により、その問題に応えたいという「善意」からのものにちがいないでしょう。たとえ「善意」からのものであっても、そのことが、「改正」を積極的に推進することとなります。 大谷派は、全日仏の常務理事教団という主要構成教団の一つです。異議申し立てをしない限り、全日仏が賛成運動を展開していると言うことは、大谷派も「改正」に積極的に賛成していることになります。 そのため、内局に、明確な反対表明をすることを要請したのが、昨年9月。反対決議まで9ヶ月を擁しました。 [ 東西本願寺宗会議員有志の会 ] われわれグループ恒沙のメンバーは、お西の宗会議員の方と共に、さる5月28日、教育基本法「改正」反対宗教者集会を、京都の会場で開催しました。100名分の椅子を用意しましたが、立ち席や廊下にも参加者があふれるほどの盛会裡のうちに集会を持てました。参加者には、教師・学生そして主婦という方もおられ、多くの方が日本の教育の行方に深い関心を持って注視していることを改めて感じました。 講師の社会精神医学者で関西学院大学教授、野田正彰氏は、まず、教育現場で、日の丸・君が代の強制によって、精神的に病んでいる先生たちの具体例の報告、宗教的情操の涵養に関わる議論の歴史的背景をたどり、森前首相や河村文科大臣の言動を引いて、自民党の宗教教育推進の発言の根底には神道があると論じ、宗教者は宗教教育を主張する前に、宗教が歴史の上で果たした役割を正しく教える努力をすべきではないかという厳しい指摘で結ばれた。 質疑応答の時間に、いくつかの市民グループからのアピールもあり、最後にこの集会の趣旨を確認し直し、「改正」反対を強く訴える「集会声明」を採択して会を閉じた。 なお、「集会声明」は、小泉首相・河村文科大臣・日本宗教連盟・全日本仏教会に翌日送付しました。 [ 教育基本法「改正」反対決議なる ] 戦後50年にあたる1995年、大谷派議会は、過去の戦争での過ちを懺悔して、「惨事を未然に防ぐ努力を惜しまない」との不戦決議を採択しています。その不戦決議をわがものとする時、この度の教育基本法「改正」は、決して是認できるものではないことは明白であります。ここまで来るのに、随分と時間がかかったという感想を持ちますが、宗議会として、教育基本法「改正」反対決議を出せたことは、既成教団でも反対している教団があるということを対外的に鮮明にし得たと思います。これは一つの区切りではありますが、そこには、二つ注意せねばならないことがあります。一つは、なぜこんなに遅れたのか。今ひとつは、これを単に内部確認に終わらせないために、何が出来るのかということです。 今年度予算、御修復の進捗状況や御遠忌事業等については、「真宗」で詳しく掲載されるでしょうから、ここではふれませんが、ただ2,3点のことについてだけ述べたいと思います。 [ 御依頼額 ] 今年度地方御依頼は、50億4,341万円で、昨年同額。昨年は、一昨年比 5,059万円減と1%を減額しました。これは、新割当基準が出された中で、歳出を厳しく見直して、地方御依頼を1%減額せよという要望に応えてのものでありました。あれは、昨年度だけの約束と見たのか、一年経ってほとぼりが冷めたと見たのか、今年は1%の減額はなしということのようです。 [ 教化特別研修生制度 ] 教化特別研修生制度は、昨年提示された計画では、内容的にも、本気で人の養成を期しているということが伝わるものでありましたが、今年5月に公募された内容は随分と後退して中途半端なものになってしまって、大変残念であります。 とはいえ、これには大いに期待するところがあります。 以上、報告とします。 この人を押したい。私が出たい。 グループ恒沙から出てみませんか? 解散がない限り、来年9月、宗議会議員選挙であります。今の宗政に疑問・不満・問題を感じている貴方、一緒に宗門を変えてみませんか。住職の方は、家族の同意を、住職でない方は、その他に住職の同意を今から得ておいて下さい。 我々でお手伝いできることがあれば、応援します。お知り合いのグループ恒沙のメンバーか、事務局に連絡下さい。 なお、このような報告一部で、我々の活動をご理解頂きたいというのも無理かとは存じますが、「党議拘束」をかけず、一々の課題に対して議論を尽くした上で、最終判断は各々が出すということを会派の運営方針として、同朋公議を宗門の運営のルールとして確立し、「同朋」の精神に問い返され、見いだされる視座から宗政を変革することによって、同朋教団の実現を目指して議員活動をするものたちです。非力な会派ですので、是非ご支援・ご協力をお願い致します。 |