宗政報告(2021年8月1日)
第70回 宗 議 会 報 告
昨年は、コロナ禍のなか、質問や答弁、さらには委員会も書面による審議とし、採決のみを行うという大変変則な、議会と言えない議会となりました。その反省から、期間は短縮しても、代表質問・一般質問、そして、委員会審議の時間を確保しようということになり、会期は少し短くなりましたが、6月21日から、28日にかけて開催されました。 今議会の大きな課題は、内局から提案された行財政改革案と、昨年の議会閉会以来問題になっているご依頼額5億円減額問題の2点です。この2点を中心にご報告します。 ◎ 5 億 円 減 額 問 題 昨年の議会の焦点は、コロナ禍という厳しい状況にあって、宗派がどのような対応をするのかということでありました。当局は、前年度御依頼総額の約 10%に当たる5億円の減額で応えようとして、そのことにより生じる歳入不足の補填のために、「宗務役員の人件費の一部削減」・ 「更なる歳出の抑制・削減」・「平衡資金から2億7,000万円の融通」を行うというもので、それが議会で可決されました。ところが、議会が終わって10日も経たないうちに、さらに5億円減額して、前年比では10億円のご依頼を減額するということを内局は独断で決め、全国にご依頼をしました。更なる5億円減額は、内局の暴走であり、議会無視も甚だしいと、公開質問状をだし、糺しましたが、書面での回答をせず、その後も質問にも正面から答えること無く1年が経過してしまいました。 それはちょうど、安倍政権下の集団的自衛権に関する憲法解釈を閣議決定で変更したり、検察庁幹部の定年延長に関する法解釈を政府見解を出すだけで変えたり、菅政権による日本学術会議の会員の6名の任命拒否であったり、いずれも、自分たちのやりたいことを、法にその根拠をもたぬまま実行しようとする手法と全く同じです。そして、指摘をすれば、間違いありません、宗憲違反ではありませんと強弁するばかりです。 この問題は、代表質問でも取り上げ、更なる5億円減額が妥当であると言える客観的根拠の提示を求めましたが、参務の答弁は、内局が責任をもってやっているというものでありました。そこで、答弁漏れを指摘し、責任をもってやっていただくのは当然だが、そのやっていることの正当性は何によって担保されているのかをお答えいただきたいと再質問。それに対して、総長が、宗憲第44条、「宗務執行の権限は内局に属する」を挙げられました。全く納得出来ませんが、一応、答えたことにはなりますので、答弁漏れと言えず、その場は終わりました。 すべての委員会審議のあと、総括質問の時間があります。その場で、その続きの確認をしました。第44条は、内局は、如何なることも執行できるというように解釈しているのかとただすと、議会の議決や法規に則って執行するというのです。そこで、議会終了後にやったことだから、議会の議決には依っていない、では、如何なる法規に則っているのかと問えば、宗憲第44条だという。第44条の執行条件を尋ねているのに、その答えに第44条を以て答えるという、自己撞着に陥っていることさえ意識していないような答弁です。横から総長が、参務の答弁を受けて、論点をずらして答えられ、限られた時間(わずか7分のみ)が過ぎてしまったというものでした。 私たちは、この問題を看過することは、議会が全く機能してないことを認めることに他ならず、内局不信任決議案を提出しました。しかし、少数で否決されました。つまり、議会は、内局が恣意に専横専断の宗務執行を認めたことになります。このような議会は、無用です。 なお、大谷派議会のあり方について、代表質問でも取り上げましたが、ここには紙面の関係で掲載していません。9月号真宗を参照していただければ、幸甚に存じます。 ◎ 行 財 政 改 革 案 1. その作業手順について 今回提示されている改革案は、財政および行政組織に変更をもたらし、宗門のかたちを大きく変えようとするものです。これまでは、何か新しいことを実施する場合には、審議会なり、委員会でその内容について検討・協議し、そこでの結果が、案として提示され、改めて議会で検討を加えるという手順でありました。 ところが、私たち議員に、その案なるものが知らされたのは、今年3月に開催された宗政調査会という議員相互の調査研究会においてが、初めてであります。 今回の改革案なるものは、すでに、当局で概要を決め、今後、行財政改革本部会議でその方針を策定していこうとするようです。その本部会議の構成員は、すべて宗務役員です。その中には、宗務改革参与として、外部から専門的知見を有する人に委嘱するということですが、功利性や能率性や合理性という視点が宗務行政に大きく幅を利かすことのないように注視したいと思います。 これだけの改革(その内容をお知らせしないで、何とも申し訳ありません)を実施しようとするなら、宗務役員だけではなく、広く宗門人の意見を聞き取り、検討の場を設けることの必要性が感じられます。ただ、今年の12月から各教区を順次、内局巡回する場が、唯一、私たちの意見を伝える機会になるでしょう。それまでに、教務所から改革案の詳細をお伝えいただき、十分、精査して内局巡回に臨まれ、内局に忌憚のない意見をぶつけていただければと思います。形だけの内局巡回で、宗門人の意見は聞き取ったとされ、強引に制度変更がなされることだけは何とか避けたいと思います。 しかも、3月に宗議会議員に配布されたA3一枚の行財政改革案には、案と言いながら、専修学院・第1種共済・渉成園の3特別会計を一般会計化することについては、21年度議会に議案として提出するということが記されていて、今議会で可決されました。それはもう、案とは言えず、既成事実のような提案の仕方です。一方、交付金制度の見直しにしても、宗門護持金制にしても、あるいは、宗務所の局制化も、明確な制度設計ができてはいず、具体的な質問に対しては、これはたたき台に過ぎず、これから、宗門の皆さんの意見をお聞きして決めていきたいという。その手順は、一貫性を欠いた提案としか思えず、しかも、余り時間の余裕もないまま、慶讃法要後には、改革案なるものを実行したいということのようです。 ここでは、改革案なるものを提示することなく、まことに恐縮ですが、特筆すべきことを記したいと思います。 2. 交付金の廃止 教区の運営にかかる経費は、教区費と本山からの交付金によってまかなわれています。2019年度のことでいえば、仙台教区予算のうち、交付金収入は、繰越金を除いた教区収入の44.3%にあたります。 交付金は、私たちが経常費ご依頼に応えて本山に納金した額の17%(教化交付金15%、奨励交付金2%)が教区に戻されて来る金員のことです。 この度の改革案は、その交付金を、2023年度には、廃止したいというものです。もっとも、経常費ご依頼が、17%減額になるなら、それぞれの寺院の負担は、経常費ご依頼減額分を教区費として納めるのですから、増額にはなりません。ところが、経常費ご依頼の減額分については、明確にしていません。例えば、15%しか減額しないとすれば、同額の教区運営費を捻出するには、教区費として納めるのは、実質、2%増の負担となります。どの程度の減額を考えているのかということの提示なしに、交付金廃止を提案されても、判断のしようがありません。 廃止の理由として挙げられている一つは、「交付金率17%について、その妥当性が議論されること無く、今に至り制度として形骸化している」ためということのようです。果たしてこれを制度と言えるのか、形骸化とは何を言いたいのかよく分かりませんが、納める我々からすれば、自分たちが納めたものでありながら、どうして17%しか使えないのか、何故、30%ではないのか、せめて20%でもいいではないかという思いは、皆が持っているのではないでしょうか。この度の廃止提案は、当局に、20%ではなく、17%の妥当性の説明責任を迫るものとなるでしょう。 また、廃止の主たる理由として、「著しく変化する社会状況にくわえ、少子高齢化による人口減少が加速するなかにあって、宗門財政規模が縮小せざるを得ない状況を見据える時、交付金に依拠した教区運営には限界があることからも、ご依頼=交付金という本山と教区の共依存関係から脱却したうえで、宗務改革の連携のなかで、教区の自律化・自立化を推進することが重要であり、23年度を機に交付金制度を廃止する」というものがあります。 ご依頼=交付金という本山と教区の共依存関係とか、交付金を無くすことがどうして教区の自律化・自立化に寄与するのか、交付金廃止の理由として挙げられている事が、よく理解できません。ただ、本山の財政が逼迫することが考えられる中、教区への交付金を無くし出来るだけ支出を押さえたい、あるいは、ご依頼額を軽減したように見せたいということのように思えます。勿論、ご依頼の減額はするでしょうが、決して17%の減額にはならないでしょう。さらには、助成金や補助金の名目で何らかの教区への金員の還付はするでしょうが、本山のメガネに適う事業にのみ助成金等がだされることで、本山の教区への裁量権を確保しておきたいということもあるのかもしれません。何れにしましても、17%の減額との差額、例えば、ご依頼額が15%の減額であるとすれば、先程もふれましたが、同程度の規模の教区運営を維持するには、経常費の2%が各寺院で負担増となるでしょう。あるいは、教区事業の見直しについても言及している箇所がありますが、大きなお世話と言えます。 内局巡回では、ご依頼額の減額率をはっきりと同時に提示されないと判断できません。果たして提示されるか疑問ですが、厳しく内局の方針と目論見を追求しなくてはなりません。 3.宗門護持金制 相続講と同朋会員志金、寺院賦課金を宗門護持金として一本化するというものです。仙台教区では、相続講といっても、あまりピンとこない方が多いかと思われますが、教区や地域によっては、今も、募財の主要な形となっているところがあります。説明するのは、少し難しいのですが、お預かりしているご門徒に等しくご負担を願うのではなく、賞典としての院号や本廟収骨による納金を主としている地域です。それ等の地域では、大きくその納金形態の変更が迫られることになるでしょう。今後、現行の相続講で納金している形をどのように移行していこうとするのかということも合わせて提示する必要がありますが、何ら示されてはいません。 そして、その宗門護持金を義務金とし、徴収するというのです。これまで、わが教団の財政はご門徒の懇志によって支えられ、懇志教団を名のってきました。懇志を義務金化することで、本山にご門徒のご懇志を届けるということから、教団の一員として税金として取られるという感覚にならないか心配であります。また、義務金化されることにより、諸願事が完納状況でないと出来なくなるということなのでしょう。 その義務金化された宗門護持金は、教務所を介さず、本山に直接、納金することにしたいようです。これまでは、例えば、100万円をご依頼に応えて納めていたとすれば、そのうち17万円は、教区の運営に使われていたわけですが、交付金が廃止されれば、100万円納めれば、それは本山ですべて使われることになります。そのとき、果たしてそれだけの活動を本山はしているのかと、厳しい眼と評価が向けられることとなるでしょう。また、事務の省力化は理解しますが、募財に関して、教務所を介することで果たしていた役割は大きいものがあったのではないかと思われます。教務所には、見える仲間がいて、見える教化事業が展開されていて、そこに宗門の一員であることを確認する場があります。懇志としてのご依頼に応えているのも、教務所での関係性の上に成り立っているところが多いのです。そこには、交付金として、教区に還付される金員が教区予算にとって大きな比重を占めるということであったり、教務所員の熱意に応えたいという所員との人間関係で納める人もいます。今回、交付金が廃止され、本山に直接、納金するということになれば、何をしているのかよく見えない本山に積極的に納めていただけるかどうかが懸念されます。こういうことを発想した方は、たぶん、これまで地方の教務所勤務を経験していないか、宗門での勤務をしたことのない人でないかと思われます。募財の上に占める人間同志の信頼関係を見落としてならないでしょう。 4.財政調整基金の新設 宗派には、一般会計とは別に、それぞれ法規に基づいて使用目的を限定し管理区分されている資金が、項目で18資金、額にして210億円ほどあります。18資金の中には、歳計の不足分を補うことを目的としている「平衡資金」や、将来的に必要となるであろう両堂をはじめとする諸施設の大規模営繕のための資金を確保する目的の「真宗本廟両堂等御修復積立金」、あるいは、東日本大震災復興支援金として宗派に預託されている「東日本大震災復興支援資金」などがあります。 ところが、改革案では、小分けすることで資金の硬直化と制度の形骸化を招いているとして、資金の一体化を図り、財政調整基金として、それを、基本資金と普通資金とするというものです。資金の硬直化といいますが、使用目的を明確にしてそのために資金を確保することは、重要なことと思われます。その資金管理の仕方を硬直化というところに、使用目的を限定しないで融通の利く資金管理をしたいという意図が読み取れます。そこには、どうも、財政調整基金の普通資金を運用に回したいというのが本音のようです。 ところで、「東日本大震災復興支援資金」は、震災復興の目的のためにのみ使ってもらいたいと預けられている資金で、宗派の資金であるようではありますが、全国の皆さんから預託されているものであり、それを他の資金と同様に一本化できるのかは、大いに疑問であります。 さて、資金の一本化で自由にできる資金を作って、運用したいという思惑が気になります。宗門は、 2010 年、資金運用を試み、ウィルコムの社債を1 億円購入、その会社が倒産して、他に購入していた社債と相殺して、結局、3,750 万円の損失を出しました。 それから、わずか11 年、懲りもせず、資産運用の話が堂々と出てきています。損失を受けて、当時、議会の総意として運用はしないと決めました。この問題は、財産管理審議会に諮る前に、議会の意思の確認が必要と思われます。宗門の資産は、個人や企業の所有する資産とは質が違います。宗門の資産は、宗門の所有であっても、それは、ご門徒から、託されお預かりしているものです。経常費ご依頼という言葉が示すように、宗門の経常的な活動である教化事業にかかる経費の一部をご負担くださいとお願いをし、ご門徒が、それに応えてくださる。ご門徒から教化のたすけにしてくださいとお預かりしているものです。そのため、それ以外の用途に遣うべきではありません。そのお金を巧く運用して殖やして欲しいと託されているわけではないのです。 改革案には、資金の一部は運用し、運用益を確保する、とあります。しかし、誰が、何を根拠に運用益を約束できるのでしょうか。そこには、必ず運用損が伴います。それとも、リスクのない資産運用があるとでもいうのでしょうか。当局の仕事は、殖やすことに費やすのではなく、減らさないことに注力してもらいたい。運用という響きのいい言葉に惑わされて、宗門の財産を危険にさらすことはやめてもらいたいものです。 5.寺院活性化支援室 昨年の議会については、先程もふれましたが、審議に時間が持てない中ですから、十分な協議・検討が必要な重要事案については提案しないようにと当局に申し入れをしていたのですが、宗門の教化のかたちを変えるような重要な条例案が提出され、書面審議のみで成立しました。それは、『寺院活性化支援推進条例案』であります。そこには、「教区に寺院活性化支援室を置く」と規定されています。実は、その条例案とセットで、『教化基本条例』の一部改正案が 提出され、20条の2に「寺院活性化支援」が追加されました。つまり、これは、寺院活性化支援事業を同朋会運動として位置付けることを意味します。今回の改革案では、教化については、この寺院活性化を中心施策として位置付けています。 支援事業を同朋会運動として位置付けることについては、代表質問でも言及しましたが、同朋会運動の大きな方針転換であると考えます。方針変更を計ろうとするなら、十分な宗門内での議論が必要であると思われますが、昨年のような非常事態下の議会で、議論もないまま決めてしまいました。ただ、寺院活性化支援事業を同朋会運動として位置付けることに、あまり問題を感じていない人もいます。内局がその筆頭です。しかし、支援事業は、教化事業のための環境整備事業ではありますが、教化事業ではありません。教化事業とは峻別されるべきであります。同朋会運動は、純粋な信仰運動を標榜してきました。それは、つまり教化事業を展開することに他なりません。そして、教化事業と言うとき、そこには必ず、自身が問われるということがあるはずです。しかし、私たちは、そのようなことは、実は、好きではありません。支援事業を同朋会運動と位置付ければ、畢竟、同朋会運動は、その多くを支援事業に時間とエネルギーを傾けることになっていくのではないかと危惧します。このことを、同朋会運動の変質と言わずに何と申せばいいのでしょうか。 とは言え、寺院活性化支援事業に、反対であると言うわけではありません。同朋会運動を支える施策ではあるが、同朋会運動というべきではないということです。支援事業に邁進しても、それで同朋会運動を展開していると誤解してはならないと思うのです。 寺院活性化支援事業は、それはそれで、これからの寺院のあり方を模索するうえからは、ある意味、大事な施策であると思います。そして、その施策を有効なものとして実施するには、十分な準備と現場との合意形成が無くてはならないものです。ところが、企画調整局が主体となって、これまで何ケ所かで実施してきましたが、今後、その施策を展開する現場となる教区との協議なり検討はほとんどなされていないように見受けられます。仙台教区の教化委員会とも事前協議はなかったと思います。 そのような中、昨年、条例化して、教区に寺院活性化支援室を置き、支援員を配置することを決めました。その支援員は、基礎講習5回、専門講習4回、プラスフィールドワークを履修することで養成しようとしています。それは、机上の計画に過ぎず、そんな簡単に寺院を活性化できる人の育成が可能とは思えません。いづれにしても、その施策を実のあるものと出来るかどうかは、教区教化委員会とどれだけ綿密に連携していけるかが課題であります。 しかし問題は、教区教化委員会は、人も予算も限られています。そのなかで、これまで、できる限りの教化事業を展開してきました。そこに、寺院活性化支援事業が新しく追加されることで、これまでの事業の縮小や整理が余儀なくされることを心配します。 このうえは、仙台教区にとって、寺院活性化支援事業が必要であるかどうか、あるいは、教区にとっての寺院活性化支援のあり方とは如何にあるべきかを含めて、この事業を教区教化委員会としてどのように取り組むのかを、十二分に検討を加えて進めていただきたいと思います。 ◎その他の事項 1. 宗派の公文書を左横書きとする 左横書き形式は、社会に一般化していることから、宗派の公文書を左横書きとする条例が制定されました。そのため、法規総覧も、縦書きを改めることとなり、追録については、これまで宗務所から送付していましたが、データーをそれぞれ印字するものとなります。 2.共済制度として保険会社に加入していた傷害保険を解約 これは、2015年度から、住職と坊守(坊守籍簿に登録)を対象に、一人当たり280円、対象者となる13,000人分の370万円を掛け金とし、病気を除く事故等で死亡、もしくは重度の後遺障害を伴う時には最高30万円、障害の程度によって補償されるという傷害保険を東京海上日動と契約したものです。この契約を結ぶにあたり、5年以内に、事故により死亡、あるいはけがをされた方は宗派にどれくらいおられるのかのリサーチはしたのかと問えば、調査はしていないという答弁。宗門内に強い要望があったのかということもなかったようである。 保険商品を購入して共済に充てるなら、宗門にとっての共済のあり方はどうあるべきかを、十分検討したうえで、それを実現するために保険会社の持っている財力や知見を活かすというなら了解もできます。しかし、ただ保険会社の商品を宗派で購入し、共済に充てようとしたに過ぎません。 6年間で掛け金として、2,200万円近く支出し、給付金として36万円(死亡1件、後遺障害1件)を受け取りました。この度、やっと、傷害保険加入が適切ではないと気付いたようで、契約解除に至りました。 当初から反対していましたが、宗派が寺院・教会の福利厚生のために必要なものとして導入したというより、保険会社に勧められて購入したとしか思えません。そのことは、共済条例の第4条では、第一種共済の対象に前住職、前坊守が含まれていますが、この傷害保険の対象からは除外されています。前住職や前坊守こそ高齢で、ちょっとした事故でケガをし易い方で、寺院・教会の立場に立つなら除外すべきではありません。そのことからも、寺院・教会に立った発想とは思えません。 宗門は、社会的存在であることから、様々な業種の業者に助けられないと活動できません。そのため、業者にうまく遣われるのではなく、上手に業者を活かすことが求められます。ご門徒からお預かりしている浄財を無駄にしないために、そこは十分注意してもらいたいものです。 《 是栴陀羅問題に関して、決議文採択 》 観経序文に、阿闍世が母、韋提希を殺そうとしたとき、それでは栴陀羅と同じではないかと大臣が諫めるところがあります。栴陀羅は、チャンダーラと差別されている人々を指す差別語であります。水平社創立以来、この問題は指摘され続けてきましたが、2013年、改めて、部落解放同盟広島県連から、この言葉を聞くことで、心に痛みを感じ、耐えがたく感じるひとがいるという提起を受け、宗門ではその対応を協議しております。宗門の対応が示されるに先んじて、宗議会・参議会では、部落差別にかかわる過去の過ちを謝罪し、これまでの歩みが宗祖の教えに自ら背を向けるものであったと慚愧し、今後、差別を見過ごす過ちを繰り返さない人間解放への歩みを踏み出すことを誓う決議文を採択しました。
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