遺跡発掘・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(P-59/74)

2003年より13年まで教育委員会 埋蔵文化財発掘チームのお手伝い。市内の縄文
弥生時代の遺跡、中世の城跡の発掘調査に従事した記録写真を掲載します。P-(1/2)。
  このページは2008年、市内でも残り少ない7世紀の古墳、平戸台8号古墳を発掘調査した
記録写真を紹介します。5月初旬から8月中旬まで古墳の発掘調査に従事し弥生後期から
古墳時代にかけての大和朝廷の成立過程や邪馬台国はどこか?等興味を深めました。

 
(1/12) 平戸台8号古墳発掘現場
 
(2/12) 08年6月初旬の発掘現場
08年5月中旬の古墳発掘現場。7世紀に
地方豪族が築いた群集古墳の一つ周溝付
 円形古墳。頂点を中心に十字方向に試掘
トレンチを伸ばした処石棺上蓋に当たった。
6月初旬。墳丘南東面の試掘トレンチを 
掘り下げた結果、石棺の上蓋に当たった。
石棺寸法1.2x1.8m。 深さ? 石棺はこの
1基のみ。未盗掘か否か期待が高まる。
 
(3/12) 08年6月第3週、古墳の盛土調査
 
(4/12) 7月初旬の墳丘が撤去された状況
石棺周辺墳丘のSection取り。円形古墳の
盛土の状況を調査し図面に写すベテラン
女性チーム。6月第3週、石棺の上蓋が
掘出され周辺の盛土・地層の状況調査中。
左上の写真(1/12)から1ヶ月半後、樹木が
伐採され墳丘部が撤去された8号古墳。
石棺の内部調査を始めたが未盗掘らしい。
何が出てくるか楽しみ。

 (5/12) 08年7月第2週の8号古墳
 
(6/12) 7月第3週、石棺の蓋開け内部調査に
墳丘は太い樹木を除き撤去。墳丘脇より
弥生中期の住居跡出現。中央に炉が切って
あり煮炊きをした跡がある。右奥は住居祉の
発掘調査中の女性チーム。炉の位置は
時代考証に役立つ。一般に弥生後期以降
は壁面に釜戸を築く例が多くなる。
08年8月1日の八千代市広報No.971の
第1ページを飾った写真。 石棺の蓋開け。
郷土史研究会の皆様はじめ見学者の多い事。
古代史研究の第一人者大塚富重先生も石棺の
蓋開けから内部調査に立ち会われました。

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