遺跡発掘・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(P-60/74)

市内の遺跡発掘記録の第2ページ、平戸台8号古墳の発掘記録の続き。 石棺内部から
人骨と鉄剣が現れた発掘現場写真。 市内に残存する数少ない城跡、吉橋城址の空堀
川崎山住居祉遺跡の発掘現場写真を掲載。 本丸跡城郭遺構が残る吉橋城址北側の
深さ5mの空堀を手掘りで発掘するのは重労働でした。平戸台古墳発掘を見学された
郷土史研究会員の蕨さんの主催するさわらび通信は歴史愛好家にお勧めサイトです。

 
(7/12) 7月25日一般公開前の石棺内部
 
(8/12) 08年8月第1週、解体前の石棺
成人の人骨2〜3体、鉄剣2振,小刀1振、
鉄鏃(テツゾク)9本緑色管玉(クダタマ)4個、
ガラス製切小玉、(ナツメ)玉が
副葬品として出土。地方豪族のお墓らしい。
調査が進み子供の歯の骨一体分が追加
される。頭蓋骨は大人の1体分のみ。歯は
大人2〜3体分が出土。入り込んだ土の
影響で一部の骨は溶けてしまったのかも?
 
(9/12) 07年5〜6月、吉橋城址空堀発掘調査
 
(10/12) 07年6月、空堀の発掘状況
深さ5mの城跡の空堀発掘はかなりの
肉体労働です。梅雨の前の晴天でいい
汗をかいています。ゴルフの練習で汗を
流すより足腰の鍛錬に成るかも。
V字型に切れ落ちた空壕の発掘調査。
現存する市内で数少ない城跡、吉橋城址
の空壕発掘現場。手前左方向に本丸跡
空堀に沿って壁が築かれていたようです。

 (11/12) 川崎山遺跡、大型住居祉をバックに
 
(12/12) 川崎山遺跡、住居周辺の溝の遺構
八千代緑ヶ丘付近の丘陵地は縄文時代
中期の人口密集地。住居址遺跡が点在。
発掘された弥生時代の大型住居址は中央
に炉が切ってあり煮焚きをした跡が見られた。
左の住居祉周辺の溝をバックに
住居の境界線か雨対策か周溝が切ってあり
溝の中から多数の土器片が出土。土器片の
文様は遺構の時代判定に役立ちます。

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