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2020年3月02日~03日奈良、東大寺,二月堂のお水取りと京都、祇園界隈散策ツアーに参加。
一日目、奈良市内の春日大社、興福寺と散策の後4時過ぎに東大寺南大門に到着。境内を散策し
午後8時まで修二会、一般にはお水取りと呼ばれる行事を見物しました。この行事は練行衆と呼ばれる
11名の選ばれた僧侶が二月堂の御本尊十一面観音の前で自らの過ちを懺悔し国家繁栄、五穀豊穣、
疫病退散と人々の幸福を祈願する密教的修法を行う行事で十一面悔過(けか)と言われています。
この時期都内、横浜では新型コロナ警戒体制が採られつつあり全国的な蔓延の兆しも見える状況下
コロナ退散祈願も重要テーマとなっていたのでは?
2020年3月02日 東大寺、二月堂お水取り見物 | |
(01/08) 行事準備が整った二月堂舞台下広場を背景に |
(02/08) 東大寺ミュージアムの大松明(籠松明) |
5時過ぎ夕日に照らされた懸造り二月堂舞台下 広場は竹矢来とロープで仕切られています。 西側斜面のこの広場は見物席となり6時前に 入退出が規制され見物客であふれて来ました。 堂右側(南側)の石段はお水取りの語源となる 3月12日、閼伽井戸から神聖な水(お香水)を 汲みだし本堂内陣に祀られた十一面観音に 捧げるお香水の通り道となります。 |
南大門脇の東大寺ミュージアムに展示された 6mの大松明を前にガイドがお水取りの概要を 説明。この大松明11本は十一面悔過の修法 直前の3月12日夜に点火され、欄干から 突き出され、舞台下広場からは燃え盛る 大松明により二月堂全体が炎に包まれた かの様に見え(ネットコピー参照)広場は 見物客の歓声に包まれるとの事。 |
(03/08)参籠所に続く作業場で大松明の組立作業 |
(04/08) 二月堂舞台から大仏殿、奈良市街の眺望 |
二月堂舞台下広場前の作業場で大松明の組立 作業を見学しました。手前左側建物奥の参籠所 は屋根付き廊下で二月堂に連絡しています。 夜7時の初夜の行では11人の練行衆が一人ずつ 足元を照らす3mの松明を担いだ童子に先導され 参籠所からこの廊下を通り二月堂に登廊しました。 暗闇の中、松明の炎は勢を増しながら火の粉を まき散らし登廊する様子は見応えがありました。 |
西側斜面に突き出た二月堂舞台から市街と 遠くの山々がかすんで見えます。中央の三角 屋根は大仏殿、鴟尾(しび)が小さく見えます。 その手前白壁の塀の奥は三月堂(法華堂)。 国宝仏の不空羂索観音、秘仏執金剛神、 脱乾漆の日光及び月光菩薩等天平仏が 祀られています。仏像ファンとしては残念 ながら時間外で参拝出来ませんでした。 |
(05/08)二月堂舞台のお松明 |
(06/08)春日大社本殿と花桃の木 |
左下は参籠所から二月堂に登廊する松明。 中央燃え盛る松明は練行衆を本陣に案内した 後 舞台北端に現れ庇の高さで持ち上げられ 回転させ炎をまき散らします。この後童子は 舞台南端まで全力疾走し松明を南端庇の高さ に持ち上げ回転させた後しばらく留め置きます これら所作は仏教経典と行法誕生の逸話に 基づくもので練行衆の人数分11回続きました。 |
朱色の本殿と濃い黄色の柵、奥に咲き誇る ピンクの花桃。色の対比が美しい。1,000基 余りの吊り燈篭を天井から下げた回廊と 境内に2,000基とも言われる献燈を配置 する神社。境内と隣接する奈良公園には 神の使いと崇められる鹿が市民と共生して います。添付しました高校の修学旅行の 写真は見事に光の明暗を捕えています。 |
(07/08)興福寺五重塔 |
(08/08)興福寺国宝館にて |
高さ50m、何度か被災し室町時代再建の この塔は5代目です。光明皇后の建立した 初代の特徴を随所に残しているとの事。 鶴が翼を広げた様な軽快な屋根の反りと 重量感のある塔胴部のバランスが見事に 調和しています。鹿と遊ぶ家族旅行で来訪 していた子供と共に。 |
昭和34年(1959年)かってこの地にあった 食堂の外観に似せて建設された国宝館。 白鳳仏の仏頭、天平仏の八部衆、中でも 阿修羅像は有名です(ネットコピー参照)。 慶派仏師による全高5.2mの千手観音、 康弁作天灯鬼、竜灯鬼、金剛力士像等の 国宝仏が多数収納されています。 |
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