はじめに
1990年代半ば、日本は、年間約20万トンにも及ぶアスベストを輸入していたが、多くの人はその事実を知らなかった。大勢の潜在的被害者が生み出される中で、社会に植えつけられた間違った認識がこの問題の重要性を隠し続けてきた。私は、なぜそのような間違った認識が社会の中に定着してしまうかのかに興味を持ち、1997年に、インターネットのウェブサイト「アスベストについて考えるホームページ」*1)を開設した。それ以来、日本のアスベスト問題に関連する情報を発信している。
2002年6月、日本政府は、アススベストに関して、それまで「管理して使用すれば安全」としていた政策を転換することを決め、原則として使用を禁止する方向に向かう方針を明らかにした。 2003年10月に労働安全衛生法施行令が改正され、翌年10月1日に同改正令は施行されたが、禁止は、実際には、10種類のアスベスト製品に限定されていた。
EUをはじめとする他の諸国では、すでに全面禁止という断固とした政策が採られている。また、アスベストは最盛期には3000種類もの製品に使われたとも言われている。そのような中で、なぜ日本が、今の時期にこのような限定的禁止の政策を採用したのか、また、禁止は、なぜこの10種類の製品に限定されることになったのか、疑問は残されたままである。
現在、政府だけでなく、マスメディアまでも、今回の禁止があたかも全面禁止や基本的な禁止であるかのような報道を行っている。このような状況の中で、新たな間違った認識が生み出される危険性があるので、今の段階で、何が禁止され、何が禁止されなかったのか確認するとともに、日本の禁止に至るまでの経過を明らかにしておく必要がある。
禁止対象になった10種類のアスベスト製品
2003年10月、労働安全衛生法施行令が改正され、アスベストを重量比の1%を超えて含有する、以下の10製品の製造、輸入、譲渡、提供、使用が禁止されることが決まった*2)。
(1)石綿セメント円筒 (6)クラッチフェーシング (2)押出成形セメント板 (7)クラッチライニング (3)住宅屋根用化粧スレート (8)ブレーキバッド (4)繊維強化セメント板 (9)ブレーキライニング (5)窯業系サイディング (10)接着剤
禁止されなかった製品
改正された労働安全衛生法施行令では、以下のものは禁止の対象としていない。
(1)アスベスト繊維は禁止対象になっていない(クリソタイル繊維の輸入等は今後も合法)。
(2) 10種類以外のアスベスト製品の輸入、製造等は認められている。
(3) 禁止対象の10種類の製品であっても、1%以下の含有率の製品の製造、輸入等は認められる。
(4) 改正施行令は、禁止対象の製品のうち、政令改正後、2004年10月1日の施行日までに製造、輸入された製品については、適用の範囲外とした。従って、改正後1年間の間に輸入や製造されて、倉庫に保管されている製品については、1%を超える含有率の10種類の製品であっても、今後も合法的に販売等ができることになっている*3)。
禁止された製品はどのように決められたのか
下に示すのは「石綿の代替化等検討委員会」の報告書の内容を説明した表である。禁止された10種類の製品は、表向きには、この代替化委員会の審議に基づいて決められたことになっている。
この表によれば、委員会は、建材を石綿セメント円筒、押出成形セメント板、住宅屋根用化粧スレート、繊維強化セメント板、窯業系サイディングの5つのカテゴリーに分け、これらの製品は代替可能として禁止することとした。
建材以外の製品は、ブレーキ、クラッチなどの摩擦材、断熱材用接着剤、シール材、ジョイントシート、耐熱・電気絶縁板、石綿布・石綿糸等の6つのカテゴリーにわけ、そのうち、ブレーキ・クラッチの摩擦材と断熱材用接着剤の2種類は代替可能のため禁止、それ以外の4種類は代替化が困難のため、「現行規制で管理使用」とした。
その結果、6種類の製品(後に、摩擦材は、クラッチフェーシング、クラッチライニング、ブレーキバッド、ブレーキライニングの4種類に細分され、最終的には10種類の製品となる)が禁止対象の製品となった。
石綿製品の種別及び対応
製品の種類
報告書での判断
対応
建材
石綿セメント円筒
代替可能
禁止
押出成形セメント板
住宅屋根用化粧スレート
繊維強化セメント板
窯業系サイディング
非建材
摩擦材(ブレーキ、クラッチ)
断熱材用接着剤
シール材
代替化困難
現行規制で管理使用
ジョイントシート
耐熱・電気絶縁板
石綿布、石綿糸等
(厚生労働省ホームページより引用*4)
禁止までの経過
この間の経過は次のとおりである。
2002年6月、中村敦夫参議院議員によって提出されていた国会法に基づく質問主意書*5)に対する答弁書*6)が公表された。その際の記者会見の席で、坂口厚生労働大臣は、「国民の安全、社会経済にとって使用がやむを得ないものを除き、原則として、使用等を禁止する方向で、検討を進める」と発表、日本が石綿禁止の方針に向かうことを明らかにした*7)。
厚生労働省は、答弁書に基づいてアスベスト製品の調査を行い、同年12月、中央労働災害防止協会に委託して、技術的専門家8人の委員からなる「石綿の代替化等検討委員会」を設置した*8)(後述するように、委託契約に関する文書には、「本委員会」と呼ばれる全く別の委員からなる委員会の記載しかない)。
代替化委員会は、代替可能な石綿製品の範囲は製品の種別ごとに判断すること、代替品がないか、その性能が著しく劣るために、社会的に許容しがたい問題が生じるおそれがある場合には、代替化が困難と判断して禁止の対象としないなどの方針を決定。その結果、11のカテゴリーのうちの7つのカテゴリーの製品(後に10種類の製品)が禁止対象とされた。
政府は、この代替化委員会の審議結果をもとに、2003年5月にWTO加盟国への通告を行った*9)。同月、この報告書を踏まえて労働安全衛生法施行令を改正するとして、わずか数行の改正についての概要を示しただけで、国民の意見募集を行った*10)。
2003年4月、 WTOの通告に先立って、外国関係者からの意見聴取が東京で行われ、カナダ石綿協会とカナダ政府関係者が彼らの立場を主張していた*11)。
同年9月、施行令改正案要綱が労働政策審議会(安全衛生分科会)に諮問され、同日改正案要綱を妥当と認める答申が出された*12)。
2003年10月、労働安全衛生法施行令は原案どおり改正され、10種類の製品の輸入、製造等の禁止が決まった。しかし、改正後施行されるまでの1年間に製造、輸入された製品は、改正施行令の対象に含めないとされ、駆け込み生産を助長した疑いがある。
改正施行令は翌2004年10月1日に施行され、10種類の製品の禁止が始まった。
現在、アスベスト対策の強化と健康障害防止のため、「石綿障害予防規則」の制定準備が進められている。この規則は、厚生労働省が担当する行政分野のみを対象とするもので、アスベストの代替化の促進とともに、禁止されなかったアスベスト含有製品について、新しい形での管理使用を促進する意味を持っている。
〜10種類のアスベスト製品禁止までの経過〜
2002年4月10日
日本産業衛生学会で、「わが国における悪性胸膜中皮腫死亡数の将来予測」(村山武彦教授ほか)の研究報告が行われる*13)。
2002年5月17日
中村敦夫参議院議員、国会法に基づく質問主意書(「アスベスト禁止措置に関する質問主意書」)を提出。
2002年6月28日
質問主意書に対する答弁書公表される。この答弁書の内容を説明する記者会見の場で、坂口力元厚生労働大臣は、アスベストについての日本の新しい政策を表明、クリソタイルも含めて禁止に向かう方針を明らかにする。
2002年8月頃〜
厚生労働省、同答弁書をもとにアスベスト含有製品に関する調査を始める。
2002年10月7日
米海軍横須賀基地石綿じん肺裁判第一審判決出る。裁判所は被害者側の主張を全面的に支持した。
2002年10月29日
「石綿ばく露労働者に発生した疾病の認定基準に関する検討会」設置される。
2002年12月16日
「石綿の代替化等検討委員会」設置される。(委員会は7回開催され、アスベスト関連企業からのヒアリングが行われた*14)。)
2003年1月6日
文京区立さしがや保育園の子どもと保護者が裁判所に訴訟を提起。(2004年4月27日和解成立。区と業者が和解金300万円を支払う、将来、治療費が発生すればそれを負担する等。)
2003年3月24日
井上美代参議院議員よる質問主意書(「石綿(アスベスト)ばく露による健康被害への対策に関する質問主意書」)提出される*15)。
2003年4月4日
「石綿の代替化等検討委員会」報告書発表される。
2003年4月8日/4月11日
「石綿に関する労働安全衛生法関係法令の見直しに係る外国関係者からの意見聴取」東京で開催される。カナダ政府関係者とカナダ石綿協会が意見を表明。
2003年5月2日
パブリック・コメント手続き始まる。わずか数行の概要のみに対する意見募集。代替化委員会の報告書をもとに行われた。
2003年5月12日
WTOの通報が行われる。禁止予定のアスベスト製品について、代替化委員会の審議をもとに説明(加盟国による意見提出期限は7月29日)。
2003年5月23日
井上美代参議院議員による質問主意書の答弁書*16)出る。
2003年8月26日
「石綿ばく露労働者に発生した疾病の認定基準に関する検討会」報告書公表される(認定対象となる疾病の範囲が広げられる)*17)。
2003年9月19日
労安法施行令改正要綱、労働政策審議会へ諮問される。同日、安全衛生分科会、諮問された改正案を妥当と認める。
2003年10月16日
「労働安全衛生法施行令の一部を改正する政令」制定される。(10種類のアスベスト製品の禁止が決まる。)
2004年10月1日
同改正施行令、施行される。(10種類のアスベスト製品の禁止始まる。)
「石綿の代替化等検討委員会」の役割
2003年5月、労働安全衛生法施行令の改正によって禁止される10種類のアスベスト製品について、日本から世界貿易機関(WTO)の加盟国への通報が行われたが、禁止の必要性について説明した資料には、「石綿の代替化等検討委員会」の結論が示されていた。同じ時期に行われた国内の意見募集では、提案されたのはわずか数行の概要のみであったが、「趣旨・目的・背景」でこの委員会について触れ、この委員会の報告書を踏まえて施行令を改正すると書かれていた。
このように、10種類の製品が禁止対象とされた理由や流れを知る上で、この委員会が果たした役割はたいへん大きいものであるが、この委員会の設置や運営についてはほとんどわかっていない。
厚生労働省は、この委員会の設置や運営に関する事務を中央労働災害防止協会に委託したとしているが、同省の担当官は、委託契約関連の文書にはこの委員会について記載した文書はないと回答している。このことは、この代替化委員会がどのように設置、運営されたのか、また、運営のためにどのくらいの経費が誰に支払われたのか等の説明責任が全く果たせないということを意味する。
さらに、奇妙なことには、代替化委員会の委託契約関係の文書には、代替化委員会について全く記載されていない上、アスベスト関連企業の委員も含めた全く違う委員からなる、「本委員会」(「石綿及び繊維状物質等の有害性に関する調査委員会」)という別の委員会があることが示されている*18)。
代替化委員会が実際に存在し、禁止された10種類の製品を決めるために何らかの役割を果たしたことは事実かもしれないが、それは、単なる見せかけの委員会の役割に過ぎなかったのかもしれない。もしそうであったとすれば、代替化委員会とはいったい何だったのかという新たな問題が問われなければならない。厚生労働省は、中央労働災害防止協会に対してどのように委託契約を行っているのかという点も含めて、国民にきちんとした説明をするべきだろう。
考察
日本のアスベスト禁止の特徴として、次のような点が上げられる。
(1) 今回の日本のアスベスト禁止は、禁止というよりもむしろ、行政主導型のフェード・アウトの面が強い。また、アスベスト含有率低減化の流れの一つの到達点という見方もできる。行政が、主なアスベスト関連企業の代替化が完了するのを待ちながら、通達や通知といった従来の方法を用いて、代替化や1%以内に含有率を下げるように促している。準備ができていない業界は禁止の対象としない。
(2) 公衆衛生の観点よりも経済の観点が強調されている。7回にわたって行われた代替化委員会の審議は、事実上、アスベスト関連企業のヒアリングの場になっていた。今回の禁止は、アスベストの使用を継続することが国民にとってどのような影響を与えるのかということよりも、アスベスト製品の製造をやめることが業界にとってどのような影響を与えるかという観点から行われた。
(3) 10種類の製品を除く製品は、代替化が困難とされて現在の法規制の下で管理使用されることになった。その意味では、新たな形の管理使用が採用されたといえる。このような状況の中で、現在、アスベストの曝露防止のための新しい政令制定に向けた準備が続けられている。
(4) このような背景には、国民の参加が乏しい実情があった。2003年4月に実施されたパブリック・コメントでは、わずか数行の概要が提示されただけだった。代替化委員会の報告書の内容が示されていたが、委員会の審議は全面的に非公開で、議事録も最近になって情報公開請求によって公開されるまでは公表されなかった。
(5) 客観性の欠如があった。代替化委員会の事務局の一人は、労働政策審議会の分科会長と同じ人が担当していた。このことは、提案する人と審議する人が同じということを意味している。第三者の介入が乏しいことが、閉鎖的な人間関係の中で、行政とアスベスト産業との連携を強める結果をもたらしている。
おわりに
アスベスト問題は国民全体の利益にかかわる問題であるにもかかわらず、アスベスト禁止の決定はうわべだけの民主的な手続きのもとに、狭い、閉鎖的な人間関係の中で行われていた。手続き全体にわたる、このような閉鎖的な状況や透明性の欠如に対して、国民の側からの働きかけが必要になっている。それがまた、日本のアスベストの全面禁止を実現するためにも役立つことだろう。
(2004.12)
参考文献1)「アスベストについて考えるホームページ」 http://park3.wakwak.com/~hepafil/
2) 「労働安全衛生法施行令の一部を改正する政令」
http://park3.wakwak.com/~hepafil/pdf/rouanhou.pdf
3)「労働安全衛生法施行令の一部を改正する政令」附則第2条
第二条 改正後の労働安全衛生法施行令第十六条第一項第九号に掲げる物で、この政令の施行の日前に製造され、又は輸入されたものについては、労働安全衛生法第五十五条の規定は適用しない。
4) 労働安全衛生法施行令の一部を改正する政令案の概要
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2003/09/s0919-7b.html
5)「アスベスト禁止措置に関する質問主意書」(質問第24号/平成14年5月17日/中村敦夫参議院議員による)
http://park3.wakwak.com/~hepafil/file/shuisho0.html
6) 同「答弁書」(内閣参質154第24号/平成14年6月28日)
http://park3.wakwak.com/~hepafil/pdf/toubensho.pdf
7)「アスベスト禁止措置に関する質問主意書」の答弁に係る閣議後記者会見(6月28日)における厚生労働大臣発言要旨
http://park3.wakwak.com/~hepafil/file/kishasiryou.html
8)「石綿の代替化等検討委員会報告書」(平成15年3月)
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2003/04/h0404-4a.html
9) World Trade Organization NOTIFICATION (G/TBT/N/JPN/86-12 May 2003)
World Trade Organization NOTIFICATION Corrigendum (G/TBT/N/JPN/86/Corr.1-19 May 2003)
10) 労働安全衛生法施行令の一部を改正する政令案について(募集)−2003年5月2日
(以下、一部引用)-----
労働安全衛生法施行令(昭和47年政令第318号)の一部を別紙のとおり改正する。
(別紙) [労働安全衛生法施行令の一部を改正する政令案概要]
製造、輸入、使用等が禁止される物として、石綿を含有する製品のうち、押出成形セメント板、住宅屋根用化粧スレート、繊維強化セメント板、窯業系サイディング、石綿セメント円筒、断熱材用接着剤、ブレーキ及びクラッチに使用される摩擦材を追加するものとすること。
[趣旨・目的・背景]
厚生労働省においては、平成14年12月から、「石綿の代替化等検討委員会」を開催し、石綿を取り扱う労働者の健康障害防止の観点から、石綿の製造、輸入、使用等の禁止措置について検討を行ってきたところであり、今般、同検討会より、押出成形セメント板、住宅屋根用化粧スレート、繊維強化セメント板、窯業系サイディング、石綿セメント円筒、断熱材用接着剤、ブレーキ及びクラッチに使用される摩擦材については、石綿を使用しない製品への代替が可能であると考えられるとの報告書が取りまとめられたところである。 この報告書を踏まえ、労働安全衛生法施行令の一部を改正することとするものである。
----- (引用おわり)
11) 石綿に関する労働安全衛生法関係法令の見直しに係る外国関係者からの意見聴取(概要)
“Ministry of Health, Labour and Welfare Japanese Public Hearings on a New Regulation Regarding the Use of Chrysotile Asbestos” 他
http://park3.wakwak.com/~hepafil/file1/canada.html
12) 第7回労働政策審議会安全衛生分科会議事録
「労働安全衛生法施行令の一部を改正する政令案要綱」について、妥当と認める
http://park3.wakwak.com/~hepafil/file1/rouanhou/gijiroku.html
13)「わが国における悪性胸膜中皮腫死亡数の将来予測」
第2報:Age-Cohort modelを用いた死亡数の推定(村山武彦早稲田大学教授、他)
参照:石綿対策全国連絡会議での講演録
http://park3.wakwak.com/~banjan/main/murayama/html/murayama.htm
14)「石綿の代替化等検討委員会」議事録
http://park3.wakwak.com/~hepafil/file1/process-mokuji.html
15)「石綿(アスベスト)ばく露による健康被害への対策に関する質問主意書」
http://park3.wakwak.com/~hepafil/file/situmon-inoue.html
16) 同「答弁書」
http://park3.wakwak.com/~hepafil/pdf/inoue-toubensho.pdf
17) 「石綿ばく露労働者に発生した疾病の認定基準に関する検討会」報告書
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2003/08/s0826-4.html
18)「平成14年度石綿及び繊維状物質等の有害性に関する調査研究の委託依頼について」
−中央労働災害防止協会宛 厚生労働省労働基準局長−基発第0401038号(平成14年4月1日)委託費:6,300,000円
〜この記事は、2004年世界アスベスト東京会議のフルペーパーとして作成されました。〜 (2004.12)
⇒英文はこちらに