その1*文書を重さで量って、1キロ当たりいくらと決める方法
これは実際に申請の時に言ったんだけど、まともに取り合ってもらえなかった。
たくさん請求してたくさん見せてもらう人の方が、料金が多いのは当然だから、
重さで計って料金を決めるのは十分根拠があるんじゃないかな。
ちり紙交換だって、これで決めてる。
別に、朝日新聞と静岡新聞で料金を分けているという話も聞かないし、年度がまたがっているからといって、トイレットペーパーの個数を変えたりしない。
古新聞だって衣類のぼろだって、同じように重さで決めてる。
何グラムですかって聞いたことはないけど、目の前で計って決めているから、「こんなにたくさんあるけど、この新聞が作られた時に編集長が3回変わったから、 トイレットペーパーが3個と言われたり、少ないけど、この新聞は300回くらい会議をやって作られているから300個、何ていわれることは、多分、まずない。
大体、これなら1個くらいかなと思うと、1個にポケットティッシュがおまけでついてきたりとか、その程度の予測不可能性しかないよね。
見ている人には、とても分かりやすくって、納得しやすい方法だし、「決裁を一にする何ていうのよりは、よほど合理的で、文化水準が高いと思うけどな。
でもこれだと、紙の質がよかったり悪かったりで、重さに差が出るかもしれないので、紙の枚数の方が合理的ではないかということも考えられる。
しかし、いずれにしても、環境問題に関心があって、森林資源を守ろうとする担当者なら、細かい字でビッシリ書いて、裏表に印刷するような場合でも、そんなこと全くお構いなしの人なら、1行しか書いていない紙だってそのままコピーしたりするだろうし、そうかんがえると、枚数や重さでは、こういう不平等を生じかねないという問題は残るな。
その2*そこで考えたのが、文字の数、または行数−これだ。
これなら、文書っていうものが文字からできていて、この場合、文字こそ情報の源と言えるんだから、文字の数をもってして料金を決めるっていうのはかなり合理性があるんじゃないか?
文字の数を誰が数えるのかっていう問題は出てくるわけだけど、会議何かしなくていいんだから、時間はそんなにかからないんじゃないの?
ただし、文字の数って言っても、文書を作る人によって、どうにでもなるという欠陥はあるよね。
「以上のような理由によって」が好きな人は「したがって」が好きな人より文字を浪費している、とも言える。
私の場合にしたって、今まで出した要望書だって、「何でこんなに長くなるんだ」とか、「これをまとめると5行で済む」とか、 「ほんとは簡単に一言で言えるものをなんでまたこんなにくどくどと説明して長ったらしくできるんだろう」とかなんとか、かなり批判を浴びてきた事も確かなんだから。
それを考えると、残念だけど、文字の数で決める妥当性は低いかもしれない。
その3*そこで考えたのが、決定版−文書を探し出した担当者の作業に要した延べ時間−これだ。
初め、これなら完璧と思えたね。
だって、文書を有料制にした意味は、探すのが大変だからどんどん請求されちゃうと困るって事があるんでしょう?
だったら、それに要した延べ時間を根拠にして、総額を算定して根拠にするのがいいんじゃないかな、と思った。
しかし予想に反して、それは全然駄目だった。
理由はこうだよ。
担当者が請求内容を知って、まずどこをどう探すかが問題だ。見当違いの方を一生懸命探すとそれだけでとっても時間がかかってしまう。
勘がいい人と、勘が悪い人で、同じ文書でも差が出てしまう。
探すのがうまい人と下手な人、作業が早い人と、のんびりやる人でも差が出る。
それに真剣に探したとしても、他の人が持っていてわからなかったりすることもある。県の場合、とっても大事な文書が、他の人の引き出しに入っていたりして、 そんな資料があること自体を担当者が全然気がつかなかったことだってあったし、隣の人がもっている文書のことをいくら言っても、たまたまその人が見る気がなくってそのままで放置されて、後からみてわかった事だってあるんだから。
それにたまたま、片付けるのが嫌いな人が担当になったりして、何年も前の書類を片付けていなかったため、すぐ見つかったりすることだってあるわけだし。
その4*そこで考えられたのがこれだ。マスキンギテープの使用量。
見たい情報が多ければ多いほど、マスキンギテープが多くなる。
その中に、みたい情報が隠されているわけだから、量が多いほど、みたい情報を一杯請求していることになる。
という事になると、請求者にとっては、マスキングテープが多いほど書類の重要性が高くなるわけだから、使われている量によって料金を決める合理性があるというわけ。
これって結構、いいと思わない?
でも、公開する側になってみると、たくさん使用していた方が料金をいっぱい取れる事になってしまうから、ますますテープを使うということはあるよね。もちろんこれ以上使えればってことだけど。
でも、森林資源の無駄だと思うほどたくさん貼ってあって、結局標題しかわからないということだってあるわけだから、これって駄目かな。
マスキングテープが多いほど、料金下げなくちゃだめなの?
全部マスキングしてあっても公開費用って払わなきゃいけないんだろうか?
その5*使われているハンコの数で決める、これなら確実だな。
書類の重要性とはんこのが比例していると仮定した場合、はんこが多いと書類の重要性が高いと言えるわけだから、結局、文書の重要性で料金を決めようとした時、はんこで決める合理性があるというわけ。
この仮定は成り立つのかな。
もし成り立てば、はんこ1個について1円と決めたとすれば、100個あれば100円を徴収できる。
まあ、消費税は5%つくわけだけどね。
数えるのだって、文字の数ほどたいへんてわけじゃない。
アスベストの場合、アスベスト繊維の数は、量−反応関係というのが認められていて、つまり、繊維が多いほど、濃度が高いほど発癌率が高くなる関係になっているんだ。
これが、はんこの数と書類の重要性についても成り立つ、っていうことが証明できればいいわけなんだけどね。
でも、アスベストの場合、発癌性について「閾値」つまり、これ以上吸入すると発癌性が出てくる、これ以下なら大丈夫、という値のことなんだけど、これが認められていない、 つまり、1本でも発癌性については危険性自体は変わらない、100本になれば危険性が100倍に増すというだけ、という訳なんだけど、はんこと書類の重要性の場合、このような閾値というのはあるんだろうか。
つまりこの個数以下だったら、書類の重要性はないという数が認められるっていえるんだろうか。
ちょっと、その点がアスベストとは違う気もする。
結論としては、はんこの数、これが一番合理的と言えるんじゃないだろうか。
少なくとも決裁の回数で決めるよりは、恣意性が低いし、合理性もあると思うけど。
それにだれが見たってはっきりわかるし、とってもわかりやすいよね。
お金がない人は、はんこの数か一定程度になった時に、今日はこれでやめておきますと言う事ができるわけだし、見てしまってから、一般人がおよそ考えつかないような内部の事情で、 何百件といわれたり、一件といわれたりするような不合理な結果は発生しない、その分、利用者のためにはなるって言えるでしょ?
まあ、採用される可能性は低いだろうけど、考えてみてほしいな。
とにかく、上のどれにしたとしても、全く良くわからない理由や事情で、誰が判断するのかによっても違ってくるような根拠の曖昧な判断によって、県民から不当にお金を分捕るような、今のやり方に比べれば、 ずっと文化的で、人道的だと思うけどね。
みんなはどう思う?
*もうそろそろアスベストの話題に帰らなくっちゃ。