アスベストって何?  その3 − 特別情報公開編 1−

情報公開条例…有料制の場合
金持ちの住民の方が、貧乏な住民よりも、何でも知って、
好き勝手なことができることを、情報公開の観点より定めた条例
貧乏な住民に「身の程知らず」という言葉を思い知らさせるために作られた。

何かを知ろうとすると、罰が当たるぞということを示すために
料金制度という物があって、
いくらかなと心配してハラハラさせることで、
申請者に、申請したことを後悔させ、精神的な罰を与えることによって、
お上に逆らう不届き者はこういう罰を受けるよ、ということを思い知らさせるためのもの

この意味から、別名「情報後悔法」とも書かれる。

〜「アスベスト用語辞典」より〜


開かれた県政:洞窟だって、入口は開いている…

情報公開の申請をする時、書類が見つかると請求書を書かせてくれる。(よほど強硬に申請だけはしますと言わないと、書類があるかどうかわからない時に請求書を書くことは難しい)
 請求の理由は書かなくてもいいが、担当者はこのことを知らないので、なぜそんなことを知りたいのか質問をする。また、どういう内容の書類か特定するために、なぜそのような請求をするのかを聞く。これを断ると、文書を特定できないので、説明しないで請求をすることは実質上不可能。

 料金は公開されるまでは説明されない。公開されてから、一体いくらにしようか担当者と文書課の人が相談して決める。 たくさん文書が出てきても1件として200円になるときもあるし、少ない物でも、何件と判断されてたくさんの金額を請求されることもある。

 これは、「一つの公文書とは、事案処理を一にする公文書をいう」と定められているため(情報公開条例11条別表 備考1)。
 事務処理上は、「決裁又はこれに準ずる手続き」をもって「事案処理を一つにする」と考えている。(『静岡県の情報公開』2頁)

 担当者によれば、これで十分客観性のある判断ができ、なおかつ、担当者や判断する人のやり方、判断の仕方などによって、結果が違ってきたりすることはない、という話なんだけど、実際には、誰が考えたって、こんなこと、その時によって違ってくる、曖昧な判断基準である事は間違いない。

 まず、決裁の取り方が違ってくる。

 次に、それを一つと考えるかどうか、文書を探す担当者や文書課の担当者の判断によって(ある意味では恣意的に)決定される。

 そして、この結果を申請者があらかじめ予測することは、内部の事務処理がどの様に行われているのかわからないので、実際上は不可能である。(一般の人が、請求する文書がどの様に決裁を取られているのか、どの様に綴じられているのか何ていう事は全くわからないから)

 また、各地方公共団体によっても、各担当者によっても違ってくるし、係や、課の事務分担の方法や取決め、書類の保存の方法によって全く違う結果になる。

 料金については、非開示の場合のような、情報公開状例にしたがって行われる不服申し立ての対象になっていないという。
 行政処分の一つだから、不服申立はできるようだ。でも、公開された以上は請求された金額を、とにかく払わなければならない。 見せられた文書が、自分にとって必要ないものであったとしても、見た以上は公開されているので支払う義務が出てくる。

 静岡県の場合、この請求にあたって、何件と判断されたのか、明細を出すこともしていない。
 以前、合計金額の簡単な請求書(レシートのような物)しか出されないので、「何件かと判断された理由、明細がわかるように書いてほしい」と言って、もめたことがあった。お金のことでもめるのは嫌だと思ったが、とにかく大事な事だからと考えて譲らなかった。
結局、簡単な明細(「?件×?=?」程度の物)を書いてもらうだけで、一日かかってしまった。「書いてくれるまではお金は払わない」(たまたま出してしまった金額を)「返してほしい」と言って担当者を怒らせてしまった。担当者は「受け取ったお金は返せない」と言った。こちらは「明細を書いてくれるまで支払う気はないから返してくれ」と言った。

 結局、午後にもう一度来ることになってなって、「時間に遅れないでしょうね」と言われ、必死で間にあうように行った後、40分も遅れてきた担当者は悪びれる風もなく、「書くことができることになりました」と言って、もとの小さな領収書に、失望するほど物凄く小さな字で、メモのような「#×#=$」をちょっと書いてくれた。それでも、内部で相談してくれた結果だと言う。

 その時の請求は、県教育委員会に、吹き付けアスベストの除去工事について、各市町村から文部省への補助金がどのくらい申請されているのかを調べてもらった時のものだった。
 担当者は、すべての補助金の申請書類を調べ、その中から、大規模改修工事とかいう名称の補助金について、過去に出された申請をすべてあたって、さらにその中から吹き付けアスベストの除去によって出されている物だけを捜し出してくれた。
 夏休み中で何とかできるだろうということだったので、請求する理由を細かく説明して、どうしても必要だとお願いした。

 探し出してきてくれた書類は、昭和63年から平成3年にかけて4年分、いくつかの市町村分だった。

 公開されるまで、料金はどうなるのか心配だと言っていた。
 特に説明もないので、大規模改修工事の補助金申請書類として、まとめて1件といこともあるだろうと思ったが(県の場合、そうは考えられない)とても大変な事だとさいさん言われていたし、自分でもそう思ったから、一つについて1件と言われたら、何件あるのかわからないので、いくら請求されるかわからないと思った。

 公開された後、料金を支払う段になって、いくらにしようかということになった。
 はじめ教育委員会の担当者は、市町村単位と年度単位だと言っていたが、他の人がその文書が年度単位でまとめて決裁を取る(各市町村ごとには取っていない)と言ったため、そのことを指摘したところ、また相談して800円ということに落ち着いた。

 その後、静岡市の市営住宅の吹き付け岩綿の囲い込み工事が、建設省から出されてるマニュアルにも従わず、飛散防止の対策も立てていないのに、建設省から補助金がでているのが問題ではないかという事になって、どのような書類が出されているのか確かめてみる必要があって、この工事の補助金にかかる書類を、工事名をはっきりと特定して申請した。

 前と全く同じ種類の請求だったが、請求方法を変えて特定している分、探す手間、出す書類の数は全く異なっている。前と同じように判断されるとしたら、工事が平成2年で、静岡市だけに限られているため、予測としては1件になると考えられる訳だ。

 担当者にとっては、すべての書類を調べる必要もなく、その件についての書類を探してくればいいが(一年分の補助金について全部請求しても、年度ごとの計算では同じことになる)工事名を特定して何件かに別けて請求すると、逆に、それぞれが一件ずつと考えられて、何件分と判断されるということも出てくる。

 請求者が、請求者が知らないで、何枚か請求書を分けて書けば、調べる手間とだす書類は少なくても、金額が多くなることはありうる。

 つまり、どのような申請書の書き方をするかによって、請求の数が違ってきてしまう。

 この場合、静岡市で行われた、同一の工事の書類だったのだが、申請されていた補助金が2種類の補助金にあたることがわかったことと、工事自体は平成2年度にすべて行われていたが、書類上は年度をまたがって処理されていたため、「2×2=4件」と判断されて、前の教育委員会の時と、結果的には同じ金額が請求された。
 申請の内容、調査されている内容、出されている書類の数など、前者のほうが、相当、量が多いわけだから、同じ金額と判断されるのはおかしいわけだが、結果的には同じとなっている。

 説明によれば、前の請求が、本当ならもっと高額になるはずなのだが、申請者の利益を考えて、最大限の決裁手続きで考えたのだという話だった。(つまり、前のほうを、特別にまけてあげただけ)

スピード違反をして、罰金を払わなければならない場合、そんなにスピードを出していたか証明はできないが、請求されても文句は言えない。一応、大体は良識の範囲内の、取り決められている範囲の請求がくるから、多少の不満はあっても、納得はできる。

 しかし、情報公開の場合は、どう考えてどう判断されるのか、全く予測不可能であるばかりか、法外な額の請求になっても、決まりと言われたら反論する事ができない。

 公開される前に、料金がいくらになるのかあらかじめ説明されないので、公開してから払うことができない金額と判断されたときもあるから、その意味でも申請者はたいへんな負担を強いられる。

 その後、土木事務所で、吹き付けアスベストの除去工事が行われていることがわかって、取り壊し工事の記録を請求したいと申し出たところ、解体工事の工事書類は、いろいろな書類がまとめられているから、場合によっては、決裁を取った時期などや書類の種類によって、一枚づつ1件と数えられるということもあると言われて、請求をとどまった。
 取り壊しの書類は、1冊に綴じられている。
 しかし、その中には契約書だのいろいろな種類の文書がまとめられているので、これを一つづつ1件と数えられていたら、結局、いくら請求されるのか見当がつかなかった。

 このような書類は、すべて、市で請求すれば、無料でみられるものなのである。これでは実質的な請求の拒否になる。

 また、このような問題もある。

 書類を公開する場合、その書類があるところまで行くように言われた。
 この場合、例えば、同じ県の施設について請求した文書でも、本庁にあれば、本庁で請求した請求者はそこで見ることができるが、現地で保存していた場合(例えば浜松の事務所においてあれば浜松、下田においておれば下田)そこまで行かないとみる事はできないことになってしまう。

 これでは、場合によっては、公開の費用よりも交通費の方がかかるということもあるし、公開の料金と合わせると、かかる金額は、一般県民に取って、気軽に請求できる金額をはるかに越えてしまうことになるだろう。

 ではその請求自体は、本当に個人が負担するべきものなのだろうか。

 例えば、今回、吹き付けアスベストの処理状況について、県が調査を全くしていなかったから、請求して調べる事になった。
 アスベストの調査自体は、他の都道府県では、アスベスト対策の一つとして行政が普通にやっていることなので、もし調べていれば簡単に教えてもらうことができるはずのものなのだ。

 県が調査をやっていないので、個人が調べなければならなくなったのであって、その調査を県がやるべきだと求めるために調べているのである。

やるべき事をやってほしいというために、他の県では県が調べていることまで、わざわざお金を払って、個人の負担でやらなければならない。(たまには、社会のためにお金を使うのもいい事だと思って、請求の根拠がない税金の一種と考えている。)

 せめて、アスベスト問題に関心があれば、何か資料があって、結果もすぐに出るのに、関心もないので、まとめてあるはずの資料もなく、そのために、膨大な量のもとの文書まで調べてもらわなければならず、そのための開示請求にかかる費用も高額になってしまう。

 やるべきことをやっていない責任を追及しようとすると、そのための負担は、やってなければないほど、より多く県民にかかってくる。
 これではどこまでも不合理ではないのか。

 県は、今年になって、県有施設の吹き付けアスベストの処理状況を全施設について調査することを決めた。これからは、この結果について請求すれば、書類ができることになるから、本庁で、一件の請求によって結果を知ることができるようになる。

 このように、情報公開について有料とする根拠もないと思うが、料金を判定するための正当な理由もない。これでは処罰の一つとしてでも考えてないと、支払う理由を見つけることができない。

この後、情報公開の順位が公開されて、静岡県は、制度を持たない一つを除いて最下位と判断されてしまった。

県の情報公開に失望しきっていた時であったこともあって、全く納得できる結果ではあったが、私たちの県が、他の県に比べて、著しく遅れている事態になっている原因について考えてみると、私たち一人が今まで県や行政に対して何を求め、何を求めてこなかったのか、自分達の方が恥ずかしく思う。
 誰がこのような事態を作ってきたのか、誰がこのような事態を許しているのか、他ならない我々県民自身であることに責任を感じる。

(自分たちは、いつも、一番大変なことを行政を担う人に任せきりにしてきた。自分の生活だけにかかりきりになって、自分の幸せだけを考えてきた。本当にやらなければいけないこと、求めなければならないこと、言わなければならないことを、大変だから避けて通ってきた。 そのことが、アスベスト対策が、日本でもこれだけ省みられないまま、今まできてしまった本当の理由なのではないか、そんなことを考えた。

 昨年7月、吹き付けアスベストの除去に関して、資料を請求して、担当する課の責任ある回答を出してほしいとわざわざ文書課に手紙まで出して、 関連する7課から「文書なし」の正式回答をもらった。
 その後、直接電話で、「正式には出せない文書でも、何か、資料とか参考になるようなものが残されていないか」関連する課に聞いた。
 しかし、その同じ時期に、ある県営施設で、アスベストを含む岩綿の除去工事が行われていたことが、今年になって新聞に報道されて明らかになった。

 この頃、県営施設ではアスベストはすでに除去ずみで一切使われていないということになっていたため、あるとは言えなかったということはあるかもしれない。たまたま担当者が違って、行き違いになったということもあるかもしれない。
しかしそれが明らかにされたのは、新聞社の記者に対してだった。
 委員会で問題にされていることを知って、ある記者が担当課に取材に行き、担当課で説明を受けたという。

 文書公開をして、正式に書類を求め、説明までお願いして、全く説明されなかったことが、新聞記者に対してはすすんで説明をするということが、一体どういう事なのか、県民の一人として、説明を求めてゆかなければならない。

 そして、このような問題があることを指摘してもなお、「文書公開、文書公開とうるさいことばかり言う」と、面と向かって言っている責任者がいることを、県はもっと真剣に考えてみなければならない。

 問題が山積みで残業が続き、難しい問題に追い立てられている時に、一人の県民の気ままな要求によって、訳のわからない書類を請求されて、いろいろ聞かれたくもないようなことに答えなければならなくなるのが大変な事はわかる。

 しかしそれでもなお、なぜ、行政にとって情報を公開する事が現在これだけ強く求められているのか、なぜそうまでして情報を公開する必要があるのか、 そうしなければならない理由があるのかのか、県は、文書課の担当者も含めたすべての職員に対して、情報公開の意味をしっかりと教えてゆかなければならない。
 そうでなければ、静岡県はますます日本の流れの中から、置き去りにされてゆく事になってしまうのではないだろうか。

 (お願い:その書類の紙も、書いたボールペンも、書類を作った人も、書類の内容も、コピーしたコピー機も、全部税金で作られた皆のものなんだってこと、忘れないでね。)

*つい真剣になってしまった。

 料金算定についてのちょっとしたアイデアを次に載せてみました。
 あんまり参考にはならないと思うけど。

流れている曲は「遠くにみえる道」です。



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