もう2年前のことになる。
1996年7月、フランスでアスベストの全面的な使用禁止が決まった時、その背景には、当時フランスがムルロア環礁で核実験を行い、国際的な批判の的になっていたことと、繰り返されている国内の長期のストライキが国内経済に大きなダメージを与えていたことがあったとされている。そのような国内外からわき起こっていた非難や攻撃をかわすため、政府は、いわば「アメ」としてアスベストの禁止を決めたという。
アスベストの使用禁止は、「核実験」と「長期のストライキ」という国内と国外からの圧力によって、いわば政治的に決断されたものであるという考えである。
(Chronology of events leading to the ban of asbestos in France : The Asbestos Institute )
このように、フランスのアスベスト禁止の決断は、きわめて科学的な根拠が乏しいというのが、国際的なアスベスト団体である「The Asbestos Institute」(本部:カナダ)の見解であるようだ。
今年の4月頃、アスベスト禁止の動きが本格化しているイギリスで、それまで労働党政府が非公式に打ち出していた、1998年末までにアスベストを禁止するという計画が、直前になって覆されるという出来事が起こったという。その背景には、カナダ政府やアスベスト支持派による強硬なロビー活動があったといわれている。
1996年のフランスの禁止の際にも、カナダ政府が、WTO(世界貿易機関)のTBT協定(貿易の技術的障害に関する協定)に対して、非公式な異議申し出をしたのではないかとの見解も伝えられており、今回の禁止に際しても、そのような異議申し立ての可能性を示唆されたことが、イギリス政府が決定をとどまった理由の一つだと考えている人たちもいるようだ。
また、一時狂牛病で輸出禁止騒ぎになったイギリスの牛肉の輸入禁止が、アスベスト生産国等から引き合いに出された可能性があることも指摘されている。
イギリスはもとより、EUがアスベストの禁止に踏み込むかどうかに注目が集まる中で、主にクリソタイルの危険性について、決定の基礎となるデ−タやそのとらえかたをめぐって、国際的な対立も含めた熾烈な争いがある。
それらは私たちの目の届かない世界で、静かに、そして激しく進行している。
国際社会という、力と駆け引きの世界、政治と経済が複雑に入り交じった対立と妥協の場で、日本や日本石綿協会が、そのような流れとどの様な関わりを持ちながら動いているのか、ちっぽけな日本の片隅に生きている私たちに知る由もない。
周囲の家の屋根にどんどんと積まれていくアスベスト含有の瓦を見ながら、これがどのようにしてここにあるのか、どうしたらそれを知ることができるのだろうと、そんなことを考えるのである。
注1:
The Asbestos Instituteはアスベストに関する国際的な団体の一つ。1984年に産業界、労働組合、政府の3者により設立された非営利団体。本拠地はカナダのケベック。カナダはアスベストの世界有数の産出国、かつ主要な輸出国で、アスベスト産出量は、ロシアに次ぎ2位、世界産出量の15%から20%程度を占めている。
我が国は、アスベストはほとんど全て輸入に頼っているが、このうちカナダから約半分程度を輸入しており、カナダは第一の輸入先になっている。
注2:
(社)日本石綿協会は、1977年に、その前年に作られた国際石綿協会(AIA)に加盟。それ以後、ドイツやアメリカなどの使用禁止の動きに対して、AIAと協力しながら規制に反対する意見などを送ってきた。国際石綿協会(AIA)は、国際的な石綿業界団体などの集まりである。