今年4月、アメリカのフロリダ控訴審は、アスベスト製品の製造会社に対して、3100万ドルの懲罰的損害賠償を命じたようである。
(http://www.mesothel.com/pages/ocfdecis.htm)
このような法外な賠償金は憲法上許されないと主張する会社に対して、裁判所は次のように言ったようだ。
「意識的に単に経済的な理由から、アスベストを使うのをやめず、すぐにでも手に入るアスベスト非含有の繊維に替えないことに決めた。その事実を考えれば、自分たちの裁判官としての良心は痛まない・・・」。
アスベスト製造会社に対してアメリカでは何万という訴訟がおこされ、高額の損害賠償が認められている。1981年に、ジョンズ・マンビル社などの企業に対して高額の懲罰的賠償金が課せられたときも、「アスベストの危険性を何十年も前から知りながら無視し続け、何百万人という労働者・消費者の健康を危険にさらしてきたこと」が理由とされたという。
"被害者がいない"日本で、同じようにアスベスト製品を製造している企業が、このような社会的な制裁を受けずにいたとしても、別に驚くにはあたらない。しかし、同じような企業活動をしていながら、日本では公益法人として認められ、税制上などの優遇を受け、半ば公的な団体として活動を保護されているというのはどういうことだろう。
イギリスでは、アスベストを「不作為の遺産」(Asbestos: a legacy of neglect)と呼んでいるところもある。
(http://www.thompsons.law.co.uk. )
現在のアメリカのアスベスト使用量は、ピーク時の5%程度(5万トン程度)に落ちているという。危険性があることが認められて吹き付けが禁止された1973年当時から、ほぼ直線状に使用量は低下している。イギリスでも6%以下(1万トン以下)になっている。アスベストは他のヨーロッパなどの主要国ではほとんど禁止されており、今年になってベルギーでも禁止されたようだという。
一方、日本では毎年18万トンも使われている。
クリソタイルは安全、現在使われているアスベストには閾値があるという見解をことさらに流して、アスベストの有用性を強調し、アスベストの安全使用とアスベストに対する「正しい知識」の普及に努めている日本石綿協会のひたむきな努力が、我が国の大量なアスベスト使用量の原動力になっているということは想像に難くない。
将来、大量の被害者発生に結びつく可能性があるという事実と、その原因となる有害物質の普及に努めている団体が社会から優遇されているという現実を、どの様に矛盾なく理解すればいいのか、わからないことが苦しいのである。