悪性中皮腫(mesothelioma)というのは、肺の一部を覆っている胸膜や、腸や肝臓の周りを覆っている腹膜、心臓の周りの心膜にできる癌のことを言う。
非常にまれな病気であるが、悪性度の高い癌で、早期発見が困難であり(ごくわずかな例外を除いて)治療法が見つかっていないとされている。また、進行が早く、ほとんどの場合診断されてから一年以内に死亡すると言われている。
この悪性中皮腫を引き起こす最も主要な原因物質として知られているのが、アスベストである。現在、悪性中皮腫に対する発癌性が証明されているのは、アスベストとエリオナイト(トルコで産出するアスベストとは別の天然の鉱物繊維)だけとされている。
とはいえ、争いがないのは、アスベストの中でも、クロシドライト、アモサイトなどの角閃石系のアスベストだけであって、現在日本で大量に使用されているクリソタイルが、単独で、悪性中皮腫を引き起こすかどうかという点については、争いがある。また、これらの物質以外にも、有機シリカ繊維、ベリリウムなどの重金属、放射線、慢性炎症などが関与している可能性があるとされている。
このように、アスベストの発癌性は認められているものの、アスベストの種類の違いによる発癌性の違いや低濃度の吸入による発癌性をどの様にとらえるのかということが、アスベストの規制や代替化の対策を考える上で、大きな問題になってくる。
(社)日本石綿協会は、アスベストの使用禁止に反対する立場から、クリソタイルは管理して使用すれば安全であるということを、きわめて積極的に提唱しようとしているように見える。そこでとられている見解をまとめてみると、大まかに言って次のようになっているようだ。
(1)アスベストだけが悪性中皮腫の原因ではない。
(したがって悪性中皮腫になった人が増えても、アスベストが原因とはただちには言えない)。
(2)クロシドライトとアモサイトは悪性中皮腫の原因になるが、クリソタイルは悪性中皮腫の原因にはならない(クロシドライトとアモサイトは、すでに使用禁止とされた)。
(3)悪性中皮腫には閾値がないが、クリソタイルの発癌性には閾値があり、低濃度の暴露では肺癌は発生しない。
(4)したがって、クロシドライトとアモサイトを使用禁止とし、クリソタイルは職場での労働環境に注意して、一定程度以下に濃度を抑えて使用していけば、アスベストによる被害は防止できる。
(5)建物に使用されても、建材の中に固定されており、一般環境で生活する人に発生するリスクは無視できるほど小さい。
(6)アスベストは貴重な工業原料であって、品質の向上に役立ち、反対に、使用することによって安全性を高める場合がある。
(7)代替品の発癌性については、同じ長さの繊維はアスベストと同様の発癌性を有するという仮説もあり、安全性が確認されていない未知の製品より、アスベストのように、危険性がわかっていていて対策が取りやすい天然の物質の方が、むしろ危険性は少ないとも考えられる。
我が国が、現在においてもなお世界でも群を抜くアスベスト大国になっている理論的な根拠は、このような点にある。
では、私たちがアスベストの代替化を進めるべきであると主張したい場合、日本石綿協会が根拠としていると考えられる、上記のような理論的な問題を、全て論破することのできるような理論的な根拠を提示しなければならないのだろうか?
注:
クロシドライト(青石綿)・アモサイト(茶石綿)は角閃石系石綿に属する。クリソタイル(白石綿)は蛇紋石系石綿。含有する成分と構造の違いなどから、発癌性に差があると考えられている。
なお、クロシドライトとアモサイトは、1995年に原則的に輸入、使用などが禁止されている。
しかし、我が国で戦後大量に行われた吹き付けには、クリソタイルとともに、クロシドライトとアモサイトが使用されている。また、吹き付けが禁止された後でも、一部のけい酸カルシウム板にはアモサイト含有のものがあるなど、現在使用されている建物の多くに、依然として残されたままになっている。建物の改修や解体などの際に、特に注意が必要なのは、このような理由からである。