* 1999年1月25日、名古屋市は藤前干潟の埋め立てを取りやめることを決めました。
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藤前干潟(ふじまえひがた)を考える


名古屋市への意見書


 藤前干潟は、シギ・チドリなど渡り鳥の飛来地(中継地)として、我が国でも最大級の干潟である。

 名古屋市は、この藤前干潟を、焼却灰などの廃棄物で埋め立てる計画をたて、1994年からアセスメントの調査に入った。
 1997年5月から8月にかけて、3度にわたる公聴会が行われ、そこでは、環境アセスメントが適正に行われているのかという問題をはじめ、干潟の価値、名古屋市のゴミ処理対策など、数多くの問題が噴出し、紛糾したという。
 この経過は、NHKテレビでも放映され、広く日本中に、環境アセスメントの実態や、自然保護やゴミ問題をはじめ、我が国の環境行政の遅れを感じさせた。

 今、名古屋では、環境アセスメントの審議会の答申が出されようとしている。

 答申が出されれば、知事の意見を経て、公有水面埋め立て免許の申請を運輸省に行い、それに対して環境庁長官からの意見を聞いた上で着工という見通しがでてくる。

 事実上ゴーサイン出たと同じであるとして、地元では危機感をつのらせている。

 藤前干潟は名古屋港に残された最後の5%の干潟であるとも言われる。それを守ろうとして、今までも各方面から大きな反対の声が挙がってきた。

 このような中で、10万人誓願などを受けて、市は、計画を3度縮小してきた。 
 そして、埋め立て面積は、当初計画の約半分に縮小されたものの、藤前干潟は、今、ゴミの埋め立て地に変わろうとしている。
 市は、ゴミ処理場の残容量が残り少なくなっている、このままでは名古屋市にゴミが溢れると市民に危機感を訴え、2000年からの使用を目標に、1998年着工を目指そうとしている。

 この藤前干潟の埋め立て計画は、一つの自治体の、ゴミ処理と自然保護のせめぎ合いの体をなしながら、同時にその中で、干潟の重要性やアセスメントの問題、情報公開の問題など、いくつもの重要な問題を提示している。

 そして、自然保護とは何なのかという、根本的な問題を私たちに投げかけている。

 アセス公聴会で、ある人は言った。
 『「皆さんが、埋めるんですか」とおっしゃる。「どうして埋めるんですかね」とおっしゃる。私が申し上げたいのは、そのとおりなのだ』と。
 藤前干潟には代替地がある、それなのにどうしてここを、と誰もが思っている。

 だが、この問いの中に込めれた意味はそれだけとは思えない。
 なぜ埋めるのか、どうして埋めなければならないのか、その問いの中に込められた意味は、私たちにとっても大きなものと考えなければならない。


 ゴミ問題という、私たちが生きてゆく上で最も重要な問題を解決する方法を持ちあわせていない私たちは、早晩、藤前干潟の問題に直面する日が来る。

 自分たちが生きてゆくためには、多くの生物を、大切な自然環境を破壊しなければならないのか。
 それを私たちが生きてゆく上の宿命と考える人もいるだろう。

 しかし、では自然は誰のものなのか、なぜ今自然は保護されなければならないのかということを、私たちは、ここでもう一度考えてみなければならない。

 干潟の重要性は、世界的にも認められている。
 その背景にあるものは、干潟が世界の共通の財産ということだ。渡り鳥は世界の財産であり、干潟は世界中のみんなの貴重な財産なのだ。

 それを、生活のためと言って、限られた地域の人たちの必要性から潰してしまうことが許されるなら、自然を守ろう、干潟を守ろうとする努力は無に帰してしまう。
 環境が、私たちの祖先や子孫までも含めた、世界中みんなのものであるという認識から、私たちはまず出発しなければならない。
 

 今回の問題は、名古屋市がゴミ問題を全面に出しているものの、本来の目的は、港湾開発にあるように見受けられる。
 干潟という、地球の長い歴史の中でつくられてきたかけがえのない自然が、開発の波に押されて、また一つ潰されようとしている。
 何よりも大切に慈しんできた多くの生物が、自分たちの出したゴミで、目の前でむざむざと葬られようとしている地元の人たちの悲しみを、私たちの悲しみとして受け止めたい。

 愛知県では、「自然との共生」をテーマに、2005年に愛知万博を開催する予定という。
 「自然との共生」という環境保護を売り物に、またここでも開発のための自然破壊が行われようとしている。

 藤前干潟の埋め立てと、愛知万博と、ゴミ処理行政の遅れと、経済優先の環境破壊が、行政を含めた私たちの貧困な環境保護意識と、ほとんど実現されていない市民参加の中で、いつまで繰り返されなければならないのか。
 干潟はもう戦前の半分に減っているという。

(1998.1.26)    

 


この後、環境アセスメントの審議会は、干潟の埋め立てによる周辺環境への影響は「否定できない」という点では一致したものの、埋め立ては容認しながら、周辺地域を鳥獣保護区に指定し、人工干潟や跡地利用について検討する方向であることを明らかにしたという。 (1998年2月中と見られている。)

長い歴史の中で培われてきた自然環境と、そこにはぐくまれてきた生命を、いったん破壊しておきながら、それを「人工干潟」をつくって代償とするということを、私たちはどう考えたらいいだろう。

干潟を埋め立てて、一帯に「親水公園」を造り、そこにまた「人工干潟」を造れば、一つの干潟で何回も儲かる。
自然の宝庫である藤前干潟は、開発を推進する側から見ても、どんな批判があってもあきらめきれない、もう一つの「宝」に見えているようだ。

一度潰した干潟がもう戻らないことは、誰でも知っている。

それでも、一部の人たちの、一時的な「宝」のために、二度と取り戻せない本物の宝をゴミで葬るのか。
「なぜ埋めるのか」、「どうして埋めなければならないのか」、名古屋市は、私たちにも納得のできる答えを出してほしい。

** 詳しいことは、 藤前ホームページで、どうぞ **

流れている曲は「今はもう戻らない」です。


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