「地球温暖化問題への国内対策に関する関係審議会
合同会議ヒアリング」意見陳述申込要旨 (1997.10.9)


<意見陳述書(要旨)>

  1. 今世紀に入ってから急速に上昇している二酸化炭素濃度、特に、1990年以降の加速度的な急上昇を見るだけでも、私たちが、国民の一人一人として、地球温暖化防止のため、今何ができるかを考え、できる限りの努力してゆくことが、緊急の課題になっていることは、十分に理解できる。


  2. それと同時に、地球温暖化問題が、歴史的に見て、常に外交の駆け引きの道具にされ、原子力産業などの一部の利益の追求のために利用されてきた現実を考えると、そのような間違った捉え方がまた再び繰り返されることによって、温暖化防止問題の本質的な意味がゆがめられたりすることのないように、私たちが、注意深く監視してゆくことも、同じように必要であると考えている。


  3. ところで、先日来新聞などで報道されている記事を見ると、「CO2抑制策は原子力推進以外にはあり得ない」とか、「CO2の削減目標を達成するためには、原発を20基増設することが必要」などと、あたかも原子力推進が温暖化防止のために不可欠であるかのような見解が、頻繁に、政府首脳などを中心に、公然と述べれられるようになってきている。

    CO2の削減のための原発推進を支持する政策決定が、国民の合意の上に既になされているかのような前提は、いつつくられたのか。


  4. 原子力発電は、安全性や経済性などの大きな問題を抱え、とりわけ使用済み核燃料の問題などの解決不能の多くの環境問題を引き起こすので、私たちの未来を支えるエネルギーとしては、化石燃料の代替とはなり得ないという認識が形成され、世界的な流れの中では既に駆逐されようとしている。

    そのような流れに反して、国民全体を危険にさらすような極めて重要な政策が、国民の合意も得ているわけでもなく、また、国会での議論も経ないまま、あたかもすでに決定された政策のように取り扱われていることは、極めて大きな問題をはらんでいると言わなければならない。

    このような間違ったやり方が、CO2の削減、地球温暖化防止という大義名分のもと、原子力発電を決して受け入れているわけではない、多くの善良な国民の協力の下に推進されていることに、大きな怒りと不安を感じる。


  5. 何よりも、地球温暖化によってもたらされる危険性よりも、原子力発電の増設によってもたらされる危険性のほうが、より小さいと言えるのか。


  6. これまでの地震についての常識を覆す、阪神大震災が発生して以降、地震に対する科学的な見解も、最近は次々と新しく塗り替えられ、警戒宣言などの事前予知は事実上不可能という考えが主流となってきている。

    そのような中で、東海大地震の危険性が叫ばれながら、その震源域の中央に浜岡原子力発電所が位置しているここ静岡では、地震による原発事故の危険性は、極めて差し迫った、現実のものとなってきている。

    浜岡原発以外の全国どこの原発でも、建設時に想定されている地震の揺れを大きく上 回る、直下型の地震に襲われる危険性も指摘され始め、地震災害と結びついた原発の危険性は、原発の安全性を考える上での新たな難問として、大きな注目を集め始めている。 

    それに加えて、最近、チェルノブイリ原発事故が地震によって引き起こされた可能性を指摘する学説も報道されるにいたり、原発の安全性についての問題は、地震による大災害の危険性をぬきにしては考えられないようになってきている。

    こういった現状にありながら、依然として、度重なる事故や、工事の際の手抜き、ずさんな管理、情報の隠蔽など、原子力政策についての信頼は地に落ち、そればかりか、あいかわらず防災訓練すらもまともにやられていないなど、住民の安全は全く考慮されないお粗末な状況のまま、現在に至っている。 


  7. 私たちの生命に直結し、深刻な環境問題を引き起こす可能性のある原発の安全性にかかる重要な問題が、国会などでも指摘されながら、はっきりした説明や対策も示されない現状があるのにもかかわらず、CO2の削減のために、原子力発電所の増設しか具体的な対策を示すことができないところに、わが国の環境政策の大きな限界があることを、私たちは知る必要がある。


  8. わが国における環境政策は、環境基本法の制定に見られるように、地球環境問題が国内の政策の一つの中心的な柱としてとらえられ、その地球環境問題の陰になって、国内の重要な環境問題の多くが、全く手つかずと言っていいほどの名目的な対策だけで、放置されてきてしまっている。

    大量生産、大量消費、大量廃棄という、GDPの上昇率だけが国民の幸せにつながるような企業の論理が常に先行し、その中で、環境政策はほんの小手先だけの言い訳のように細々と行われてきた。

    このようなやり方自体が、「持続的な発展」を目的とする環境政策には、あまりに不適切であることを確認することこそが、地球温暖化防止をはじめとする地球環境問題の中心課題としてとらえ直されなければならない。今までのやり方ではもうこれ以上は進めない時期に来ていることを、知ることが必要になっている。

    国内の環境問題に真剣に取り組んで、国民の生活を「持続可能な生活」に転換して行くことが、今最も重要な政策である。
    そのことが、とりもなおさず「持続可能な発展」の持つ精神を生かした、本当の意味で地球環境を考えることになるのであるし、それによってこそ、はじめて、温暖化防止のためのCO2削減も今以上に進むことが可能になるのである。


  9. 一方、私たち国民は、原発の推進を手段に考えて出される削減案と、それに依存しないことを前提として出される削減案とでは、天と地ほどの違いがあることを確認する必要がある。

    原発に依存しないで、生活を変えることによってもたらされる温暖化防止には、明るい未来への展望があるが、原発に依存することによってもたらされる繁栄の結末にあるのは、暗い破滅の未来だけである。

    私たちは、明るい未来を望んで地球温暖化防止のために取り組んでいる。
    未来に大きな禍根を残すような、より環境に深刻な負荷を与える選択を、温暖化防止のための手段とするようなことだけは、絶対に許されないことを忘れないようにしていきたい。

    以上     


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