お金を払って言う意見


**科学技術の粋を集めて造られる原発、その裏でこんなことがある。**
**原子力政策の情報提供と住民参加について考えてみた。**



その出来事は一昨日の夜に始まった。
はからずも、意見を言うことはそれ自体で価値があるという「意見」を言ってしまった後で・・・。

その時、「よい子は早くおやすみ」とさっさと布団に潜り込まなかったことが、安らかな眠りを誘わない「お休み前の一ページ」を見せることになってしまった。

中部電力株式会社浜岡原子力発電所の原子炉の設置変更(5号原子炉の増設)に係る安全性について(1998.3.9) http://www.sta.go.jp/shimon/NSC/iken/tyubu103.htm
−−「中部電力株式会社浜岡原子力発電所の原子炉の設置変更(5号原子炉の増設)に係る安全性について」の意見募集について−−

5号機増設にかかる安全審査について、意見がある人は言いましょう、締め切りは4月6日。

ただしそれには「審査書」が必要で、その内容についての意見でなければ無効にするというもの。
まず意見を言うには「審査書」を見てみなけければならない(見るともっと言う気にはならないかもしれないが、やっぱり見てみなければはじまらない)。 直接手に入れる場所には遠いから、そうすると、1000円払って注文するか、580円切手を貼った返信用封筒を送ることになる。

ではすぐにそうしよう、という気にはならなかった。
静岡県の県民サービスセンターでは、科学技術庁からのパンフレットや本なども、普段から無料で配布している。

意見を募集している基礎資料の審査書が、東京や他の箇所で無料で配布されているのなら、静岡県でも(浜岡以外に)せめて県庁くらいでは配布してもいいはずだ。
県の原子力担当部署に聞いてみた。

これまでの原子力発電に関する県の立場は、きわめて一貫していて、一言で言えば、「原発は国が所管しているので、自分たちには権限がなく、わからないし、どうすることもできない」というものである。

今度の回答も同じだった。
「自分たちには置くとも置かないとも言えない。国が置くと言えば置くし、置かないことになっているならば置くとは言えない。」

そこで科学技術庁原子力安全調査室に聞いた。少し検討してみますという返事の後、しばらくして、「要望があるなら、県内で一カ所配布している浜岡の原子力連絡調整官事務所から送るようにして、県庁にも数冊置くようにしましょう」という返事が届いた。

それを県の担当者にも伝え、届いた頃に取りに行くことにして夕方家に戻ったら、再び原子力安全調査室からの電話が鳴っていた。

もう一度、上司と浜岡の連絡調整官事務所、県の担当者と話し合った結果、静岡県に置くとなると他の都道府県にも全部置くことにしないと不公平が生じる、そうすると市町村にも置かなければならなくなる、また、郵送で請求する人との不公平が生じるという理由で、やっぱり置くことはできないことになったと言う。

浜岡原発があるのは静岡だから、県内で関心を持つ人が多い。浜岡まで行けない人が簡単に手にはいるように、せめて県庁くらいには置く必要があるのではないかと言ったが、担当者は、浜岡に行けばある、行けないのなら1000円くらい払ってもらえばすぐに送る、だからそれで十分じゃないかと言う。

そうなんだろうか?
県でもらった「チェルノブイリ」という冊子は、とても立派な上下2冊の本だが、同じ科学技術庁から出ていて県民サービスセンターで無料で配っている。今回、たまたまもう少し欲しい人がいるからと聞いてみたら、そちらの方なら県の方から依頼があれば在庫があるのですぐに送るという。

このような本は無料で県庁でも配っているのに、意見募集の基になる資料は、要望があっても県庁には置かないというのはどういうことだろう。

これでは、なるべく多くの人から意見を募集しようと考えてはいないのですねと言ったら、そういうわけでもなく、全国一律に平等にする方が、考え方の整理がつきやすいと言う。

整理がつきにくい考え方の方に占領されていた私の頭に、あなたはそういう考え方が理解できないのかという言葉が響く。なぜこんなことも自分は理解できないのだろう?

仕方なく、このような意見募集がどういう形で広報されているのか聞いた。
インターネットで広く募集していると言う。それ以外にはどうかと聞いたら、「プレス発表はしたが新聞には載らなかったようだ。新聞社に載せろとは言えない。安全委員会などの公開の場に来た人は知っている。そのほかの人がインターネット以外で知る機会はないだろう。」との答えだ。

「普及してきたとはいえ、インターネットにアクセスできる人はまだかなり少ない。使っている人でも意見募集を見るとは限らないし、見つけても期限が迫っていたりすれば意見を出すことはできない」と言ったら、図書館などで、アクセスしてみればいいのではないかと言う。周りでは、こんな意見募集は形式的なものだし、出しても参考にするはずはない、つまり、出しても無駄だという意見が大勢だ。

それはそうかもしれない。
しかし、ともかく、取り敢えず審査書は請求してみようということになった。大勢の分を注文して資料代はいくらになるのか、会の財政を考えて自分のしたことを反省しそうになる。

意見を言うのはたいへんなこと。ましてや、それがわかっていて、お金を出して、手間をかけて資料請求しなければならないとなれば、たいていの人は諦めてしまう。しかし、その方が意見の整理には楽かもしれない。

確かにお金を払ってまで言う意見じゃない。
自分の意見の価値を考えさせられた一日。

(1998.3.12)     

つづく


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