パリの思い出No.1

何年か前にパリに行った写真を紹介します。季節は秋。私の大好きな場所3ヶ所です
パリには、もうずいぶんと行っていません。時間に追われての毎日。
旅をしたいのは、贅沢なのでしょうか?
2000年の今、せめて音楽の世界でおおいに夢を見ましょう。あまりにも現実は厳しい世界です。

きっと皆さんの方が、沢山旅をしていて私より知識も豊富と思います。
ですから軽い気持ちで見てください。私はどうも観光と言う言葉が好きではなく、
一つの場所でのんびり地元の人になるのが好きなようです。

清水康子 御写真どこかにいってしまいました〜
ヴェルサイユVersailles宮殿の中庭  モンサンミッシェル
お城は大好きの私です、この宮殿は、皆さんよくご存知ですからお庭の写真にいたしました。季節ごとに変わるお庭を見ていたい気持ちになりました。又ヴェルサイユ宮殿までの並木道は日本には、見られないフランスカットなのか木の種類なのか?そこまでは分かりませんが好きな道でした。「馬車に乗って通ってみたい」そんな道でした。 パリから離れどうしても行きたかった場所、708年アヴランシュの司教。聖オペールガ、大天使ミカエルノお告げで、礼拝堂を建築、16世紀に至るまで建築の粋を集めて難工事の中で建てられたとか、中には、素晴らしい回廊も想出に残っている。牢屋もあり、満潮の時は孤島になるとか、今は。観光地となり道が出来ていました。(昔の修道院の様子は、フィルムで拝見、一度見るのもいいとおもいます。)
セーヌ川とノートルダム寺院 ダリダのお墓
収容人員9000人塔へ登るには387段の階段。
パリを見下ろす怪獣はシメール。
12世紀半から200年もかけて完成との事。
フランスの歴史に残る儀式はここで繰り広げられたそうです。
大好きな、ダリダ失礼かしら?
と思ったのですが
写真写させて戴きました)
清水康子 清水康子
没30年の時のピアフのお墓 ・ 右:Bar de la Place Edith Piaf

左: Edith Piaf,のお墓( フランスパリペール・ラシェーズ墓)
右:パリ20区のエディット・ピアフ広場Bar de la Place Edith Piaf『エディット・ピアフのバー』

エディット・ピアフ(Edith Piaf, 19151219 - 19631011日)、フランスのシャンソン歌手。

清水康子が訪れたエディット・ピアフ(Edith Piaf)没30年のフランス・パリ。ピアフのお墓にお花が沢山ありました。時間は、夜730分頃?。そして、お墓を後に、入ってきた門の方に戻りましたが墓地入口は時間が過ぎたのか3mはあるのではと思われる門がしまり皆(4人・内一人フランス人)であわてていました。

門の横にある掲示板に他の出口が書かれてるのではと見たりしていると、遠くの方から大きな人影が2たつ、そして大きな犬の鳴き声、月の光でその影は10メートルぐらいに見えました。とても「恐かったー」です。必死で出口を探さなくてはと皆で人影頼りに近づいて行くと、大きなドーベルマンと2メートルはあるでしょうとおもわれる、男性2人から「これからこのドーベルマン放す所だった」と言われ、私達の代わりにフランス人の男性は叱られていました。(彼には、申し訳ないないとおもいました)

 帰り車の中で『もしかしたら、明日の新聞に「日本人観光客、墓地内でドーベルマンにかみ殺される・・・」なんて新聞に掲載されたかも・・・』と言いながら帰りましたが、日本と違ってフランスの墓地は、閉門時間があることを知っていてください。場所によっては無い所もあると思いますが、知らないのは私だけかもしれませんね・・・。

※見ていただいてありがとう、シャンソン歌手の中には、フランス語をパリで勉強して歌っている仲間もいます。残念ながら、私は勉強には行きませでしたが、シャンソンを歌い出した頃、歌に出てくる景色は見なくてはと、イタリア周りで途中からリックをしょって旅をした事があります。駅でホテルをきめて又明日どこに行くか決める。そんな旅でした。
二つ星もニースで泊まりましたが、とても家族的で印象に残っています。サントロペは、思ったより小さな所でしたが、品のいいご婦人がトップレスで海岸(岩肌)に寝そべっていて歌の「サントロぺの想い出」の詩が浮かんできました。写真を思わず撮ってしまいました。

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