「鉄道唱歌」       作詞:大和田建樹 (古いので著作権は消えているそうです)
♪汽笛一声新橋を はや我が汽車は離れたり 愛宕の山に入り残る 月を旅路の共として
♪右は高輪泉岳寺  四十七士の墓どころ 雪は消えても消えのこる 名は千載の後までの
♪窓より近く品川の 台場も見えて波白く 海のあなたにうすがすむ  山は上総か房州か
♪梅に名を得し大森の すぐれば早も川崎の 大師河原は程ちかし いそげや電気の道すぐに♪
♪鶴見神奈川あとにして ゆけば横浜ステーション 湊見れば百船(ももふね)の 煙は空をこがすまで♪
♪横須賀ゆきは乗換と 呼ばれておるる大船の つぎは鎌倉鶴ヶ岡 源氏の古跡や訪ね見ん♪
(東海道本線から一時離れ、支線の横須賀線へ)
♪八幡宮の石段に 立てる一木の大鴨脚樹(おおいちょう) 別当公暁のかくれしと 歴史にあるは此陰よ ♪

(この大銀杏って・・・よく見ると、栗鼠が駆け回っていたりしますよ)
♪ここに開きし頼朝が 幕府のあとは何かたぞ 松風さむく日は暮れて こたえぬ石碑は苔あお
(幕府の跡と言えば・・・私の通っていた中学・高校の校歌に
「覇府の跡な〜るぅ 学舎の〜」なんて歌詞がありました♪)
♪北は円覚建長寺 南は大仏星月夜 片瀬腰越江ノ島も ただ半日の道ぞかし♪
う〜む・・・私の母校の側だ・・・(笑)<建長寺の隣♪
※ ちなみに・・・日本の植民地だった関係で、朝鮮半島から満州にかけての鉄道唱歌もあります(^^;
汽車より逗子をながめつつ はや横須賀に着きにけり 見よやドックに集まりし わが軍艦の壮大を♪
※ ってなわけで、私の故郷、横須賀に到着です♪
♪支線をあとに立ちかえり わたる相模の馬入川  海水浴に名を得たる 大磯みえて波すずし ♪
※ 東海道本線に戻ってきました。大磯に到着です♪快速アクティーは通過・・・(笑)
♪国府津おるれば馬車ありて 酒匂(さかわ)小田原とおからず  箱根八里の山道も あれ見よ雲の間より ♪
※ってなわけで、間もなく関東から列車が出ます・・・・
いでてはくぐるトンネルの 前後は山北小山駅 今もわすれぬ鉄橋の 下ゆく水のおもしろさ ♪
列車は静岡へ 昔・・・東海道線は、今の「御殿場線」だったのですね。だから、山北駅とか小山駅が出てくる(^^;
♪ はるかにみえし富士の嶺は はや我そばに来りたり 雪の冠雲の帯 いつもけだかき姿にて ♪
♪ ここぞ御殿場夏ならば われも登山をこころみん 高さは一万数千尺 十三州もただ一目 ♪

※ 御殿場の地名・・・私の大嫌いな、徳川家康が後年、狩りをしたりして過ごしていた場所で、お殿様の場所ってことで御殿場だそうです。
♪ 三島は近年ひらけたる 豆相線のわかれみち 駅には此地の名を得たる 官幣大社の宮居あり ♪
ってなわけで、三島到着・・・・静岡抜けるのがしんどいんだ・・・鈍行の旅は(^^;
♪ 沼津の海に聞こえたる 里は牛伏我入道 春は花咲く桃のころ 夏はすずしき海のそば ♪
沼津・・・までは、東京から直通の普通電車がありますね♪

♪鳥の羽音におどろきし 平家の話は昔にて 今は汽車ゆく富士川を 下るは身延の帰り船 ♪
伊豆で旗揚げをした、源頼朝を征伐すべく、平清盛の嫡孫平惟盛率いる平家の大群が、
水鳥の羽ばたく音を源氏の夜襲と勘違いして、逃げ帰ったというお話がありますね・・・
♪久能山に名も高き興津鯛 鐘の音ひびく清見寺 清水につづく江尻より ゆけば程なき久能山 ♪
田子の浦 
♪ 三保の松原田子の浦 さかさにうつる富士の嶺を 波にながむる船人は 夏も冬とや思うらん ♪
田子の浦ですねぇ〜有名な和歌がありますね♪
静岡です。
♪駿州一の大都会 静岡いでて安部川を わたればここぞ宇津の谷の 山きりぬきし洞の道 ♪
静岡に着きましたね(^^;
焼津♪
♪鞘より抜けておのずから 草薙はらいし御剣の 御威(みいつ)は千代に燃ゆる火の 焼津の原はここなれや ♪草薙剣といえば・・・伝説の宝劒。三種の神器のひとつですね♪
島田〜大井川
春咲く花の藤枝も すぎて島田の大井川  むかしは人を肩にのせ わたりし話も夢のあと ♪
箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ 大井川・・・未だ・・静岡抜けられず(^^;
金谷の辺りですね。
掛川市です♪いつしか又も闇となる 世界は夜かトンネルか 小夜の中山夜泣石 問えども知らぬよその空 ♪
う〜む・・・いまだに浜松にも到着していない(^^;
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http://www.city.kakegawa.shizuoka.jp/kanko/nakayama.htm
↑こちらを参照♪
小夜の中山西行の歌碑、芭蕉の句碑名僧であり歌人であった西行が、この地で歌った 年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山 (新古今和歌集)の名歌が、中山公園入口の歌碑に刻まれています。小夜の中山夜泣石のあった駅路の北側に大きな松があり、松尾芭蕉がこの松の下で 命なりわずかの笠の下涼みと詠んだことからこの松を涼み松と呼ぶようになりました。涼み松の傍らには.芭蕉の句碑が建立されています。その他、小夜の中山では多数の歌や句が生まれています。夜泣石伝説久延寺境内に伝説で有名な「夜泣石」と云われる石が一基ある。「夜泣石」はもう一基、国道一号線の小泉屋脇の小公園にあるためややこしい。しかし、久廷寺境内にある石は新しく、東京の博覧会に出品したといい、国道脇の石が元来、この小夜の中山にあった石という。現在、国道脇、日坂トンネル東側にある石の説明板もある。掛川市教育委員会発行「文化財のしおり」から、その由緒を引用する。 「昔、ひとりの臨月に近い女が遠い武蔵の国に住んでいる夫を尋ねて行く途中、小夜の中山を越え長い旅につかれたのでひと休みしていると、突然一人の悪者が草の中からあらわれ、とびかかって来た。女は極力抵抗したが、悪者は山刀でその女を殺してしまった。しばらくして里人が通りかかり、死体のそばに赤ん坊が泣いているのを見つけ、あわれに思って拾い上げ、音八と名づけて育てた。しかし、殺された女の霊が石にのりうつり、毎晩悲鳴をあげた。里人は恐れ、誰云うとなくその石を「夜泣石」といった。後に、弘法大師が来てこの話を聞き、この女に大変同情し石に仏号をきざみ、お経をあげた。その後、石の悲鳴はなくなったという。音八はその後、立派な若者となり、大和に行き刀研師をしていると、母を殺した轟団右衛門にめぐりあい、母の恨みをはらしたということである。また、大日本地名辞書には「松浦佐用姫の流転であろうか」としているが、幾多の諸説があって真偽の程は不明である。二大別してみると、一つは蛇身鳥退治と関係するもの、もう一つは前述のような仇討ちに関するものである。」久延寺夜泣石伝説に関わりの深い久延寺は、徳川家康ゆかりの寺としても有名で、関ヶ原の戦いの時、当時の掛川城主山内一豊がこの寺に茶亭を設け家康を接待したといわれ、このとき使われた井戸が近くに御上井戸として残っている。また家康手植えの五葉松は高さ12〜13mの堂々たる威容をみせている。上記http://www.city.kakegawa.shizuoka.jp/kanko/nakayama.htmから抜粋
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掛川 掛川袋井中泉 いつしかあとに早なりて さかまき来る天龍の 川瀬の波に雪ぞちる ♪
この水上にありと聞く 諏訪の湖水の冬げしき 雪と氷の懸け橋を わたるは神か里人か ♪
天竜川・・・やっと、浜松が見えてきた気分(^^;
浜松〜舞坂
琴ひく風の浜松も 菜種に蝶の舞坂も うしろに走る愉快さを うたかた磯の波のこえ ♪
やっと・・・静岡からおさらばできそう(笑)
浜名湖   浜名湖・・・鰻ぃぃぃぃぃ〜♪
煙を水に横たえて わたる浜名の橋の上 たもと涼しく吹く風に 夏ものこらずなりにけり ♪
左は入海しずかにて 空には富士の雪しろし 右は遠州灘ちかく 山なす波ぞ砕けちる ♪
鷲津の辺りでしょうか(^^;

※ところで、鉄道唱歌は「著作権」は消えて無くなっていますが、一応作詞者に敬意を賞して、作詞者名もアップのページに入れておいてくださいね♪ 大和田建樹さんです。

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左は入海しずかにて 空には富士の雪しろし 右は遠州灘ちかく 山なす波ぞ砕けちる ♪
鷲津の辺りでしょうか(^^;
ところで、鉄道唱歌は「著作権」は消えて無くなっていますが、一応作詞者に敬意を賞して、作詞者名もアップのページに入れておいてくださいね♪作詞者:大和田建樹さんです。
豊橋〜
蒲郡 豊橋おりて乗る汽車は これぞ豊川稲荷道  東海道にてすぐれたる 海のながめは蒲郡 ♪

蒲郡・・・う〜む、感慨深い<大袈裟(謎爆) 豊橋〜蒲郡確に・・・多治見は通らないですね(^^;
多治見といえば・・昔はうちの会社の店舗もあった(らしい)・・・(^^;
岡崎 
見よや徳川家康の おこりし土地の岡崎を  矢矧(やはぎ)の橋に残れるは 藤吉郎のものがたり
鳴海鳴海しぼりの産地なる 鳴海に近き大高を 下りておよそ一里半 ゆけば昔の桶狭間 ♪
もうすぐ名古屋♪
熱田 めぐみ熱田の御やしろは 三種の神器の一つなる その草薙の神つるぎ あおげば同胞四千万♪
熱田神宮ですね・・・私のHPに写真ありますよ♪
名古屋だがや〜ぁ
名だかき金の鯱は 名古屋の城の光なり 地震のはなしまだ消えぬ 岐阜の鵜飼いも見てゆかん ♪
列車は名古屋に到着です。おそらく・・・東京から6時間くらいかかると思います(^^;
大垣です。父やしないし養老の 滝は今なお大垣を 三里へだてて流れたり 孝子の名誉ともろともに ♪
大垣〜東京 は夜行快速が走っているっすね♪使用車両は特急用車両なり♪
関が原 天下の旗は徳川に 帰せしいくさの関ヶ原 草むす屍いまもなお 吹くか伊吹の山おろし ♪
豊臣贔屓の私としては・・・目を伏せて通過したくなる辺りですね(笑)
駅には合戦に参加した大名の名前を大きく書き出した、看板がありますよ♪
冬の難所です 2001年10月25日(木) 21時32分   Spur
名阪高速を通る時、冬だと積雪のある難所です。
伊吹山のスキー場には数回行った事がありますが、その裏の奥伊吹が良いところですね。
ここから、JR西日本 2001年10月25日(木) 18時39分
山はうしろに立ち去りて 前に来るは琵琶の海  ほとりに沿いし米原は 北陸道の分岐点 ♪
ってなわけで、米原です。ここから、JR西日本。新快速で姫路まで一直線♪
Spur  乗り換えです 2001年10月25日(木) 21時37分  
名古屋から若狭に行くときも乗り換えポイントです。
今は、特急「しらさぎ」1本ですが、時間が合わないと、米原で新幹線から乗り換えます。
大阪から特急「雷鳥」も来ていますね。
びわこぉぉぉぉぉぉぉぉ〜♪ 2001年10月27日(土) 10時01分
いよいよ近く馴れくるは 近江の海の波のいろ その八景も居ながらに 見てゆく旅の楽しさよ ♪
琵琶湖が見えてきましたよ♪
瀬田〜石山へ♪ 2001年10月28日(日) 21時11分
瀬田の長橋右に見て ゆけば石山観世音 紫式部が筆のあと のこすはここよ月の夜に ♪
明日は瀬田に旗を立てよ<武田信玄より(^^;
京都は目の前♪ 2001年10月29日(月) 12時04分
粟津の松にこととえば 答えがおなる風の声 朝日将軍義仲の ほろびし深田は何かたぞ ♪
琵琶湖のほとりをひた走る〜♪ 2001年10月30日(火) 16時52分
比良の高嶺は雪ならで 花なす雲にかくれたり 矢走にいそぐ船の帆も みえてにぎおう波の上 ♪
43番です 2001年10月31日(水) 14時06分
堅田におつる雁がねの たまえに響く三井の鐘  夕ぐれさむき唐崎の 松にや雨のかかるらん ♪

堅田に到着♪ 三井寺ですねぇ〜たしか、古文で「寺」といったら「三井寺」をさすんでしたっけ??
逢坂山 2001年11月01日(木) 18時59分
むかしながらの山ざくら におうところの志賀の里  都のあとは知らねども 逢坂山はそのままに ♪
京都に入りました♪ 2001年11月03日(土) 11時12分
大石良雄が山科の その隠家はあともなし  赤き鳥居の神さびて 立つは伏見の稲荷山 ♪
山科区・伏見区〜♪伏見稲荷ぃ〜名物は雀の焼き鳥、これを地酒できゅ〜っと♪(笑)
京都♪京都♪ 2001年11月04日(日) 22時15分
東寺の塔を左にて とまれば七条ステーション 京都京都と呼びたつる 駅夫の声も勇ましや ♪
京都、京都でございます到着は4番ホーム。降り口は左側です。
乗り換えのご案内です。奈良線 奈良行きは9番乗り場。嵯峨野山陰線は 31番乗り場。
新幹線は新幹線乗り換え口へお回り下さい。近鉄線・地下鉄線はそれぞれお乗り換えです♪
京都巡回中〜♪ 2001年11月05日(月) 12時06分
ここは桓武のみかどより 千有余年の都の地  今も雲井の空たかく あおぐ清涼紫宸殿 ♪
地下鉄丸太町〜今出川近辺ですね。京都御所があるのは・・・
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マイヤヒー?