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「・・・私だ」
陽子が呟くようにぽつりと言った。



は僅かに目を見開き、半信半疑の眼差しで陽子を見つめる。
祥瓊と鈴も振り返り「えっ?」「何が?」と小さく声を上げる。

陽子はじっと地を見つめたまま「だから、その景王は私のことだと言っている」と苦々しげに漏らした。



まるで其処だけ時が止まったかのように静寂に包まれ、三人は言葉を失っていた。
やや低めの陽子の声だけが、はっきりと耳に響いてくる。

「こういうことを言うとお笑いに聞こえるのは分かっているけど、そういう話を聞いて黙っておくのはどうかという気がするので、言っておく」
そう言いながら陽子は少しだけ顔を上げたが、まだ三人と目を合わせることが出来ないでいる。

「・・・景王?・・・赤子?」
「うん。官がそういうふうに字をつけた。ご覧のとおりの髪だから」



疑念が確信に変わり、ざわりと身体の中が震えるのを感じた。

確かに、よくよく見てみれば噂されている容姿と合致するのだが・・・。
このような場所で、このような状況で、まさか自分の目の前に王が存在しているなどとは俄に信じ難い。
それでも陽子が嘘を言っているとも思えない。

しかし、王が何故こんな所に・・・?
三人の中に同時に湧き上がった疑問に、陽子は伏し目がちに「私には何の権限もない。官には信用がないし、私は無能だからな」と自嘲めいた苦笑を見せた。
「不甲斐なくて、済まない。・・・私は、どうすればいい?」
陽子は心許ない視線を向けてくる。

あまりにも突然の事、思いも寄らない事実を打ち明けられた三人は、暫し思考が止まったままだった。

そして漸く事態を受け入れる事が出来たは、やんわりと微笑んだ。
「陽子、貴方は何故今この場に立っているのです?もう後戻り出来ないことを承知で・・・。ならば、既に心は決まっている、違いますか?今更迷う必要などないでしょう」
陽子はその言葉に目を瞬かせ、「あ、ああ。・・・確かに、そうだな」と苦笑した。
祥瓊と鈴も「そうよ」「州師を迎え討って呀峰を引きずり下ろしてやりましょう」と力強く頷いた。





夕日が二人の少女を紅く染めていた。
祥瓊と鈴が立ち去った後も、と陽子は歩墻で沈み行く夕日を見つめている。
先程が言った言葉で、胸詰まりを感じていた陽子の呼吸は幾分楽になっていた。

「陽子は・・・。主上は、どうしたいと思っておいでですか?」
の畏まった言葉遣いに「今まで通りで良いよ、陽子で。それに、敬語も必要ない」と苦笑してから、改めての問いに答えた。
「昇紘は捕らえた。後はこの場を上手く切り抜けて、王宮に戻ってから呀峰や関わりの深い者達を裁こうと思ってたんだ。桓魋の仲間が明郭で乱を起こすなんて予想もしていなかったからね。あちらが動き出すまで三日、粘らなくちゃいけないんだろう?州師が駆けつけるだろうということは分かっていたんだ。でも、いざとなると此処の街の人達は皆怯えて動いてくれないし・・・。出来ればこれ以上犠牲を出したくはないんだけど・・・」

沈む夕日の残光を受けて、愁いを帯びた陽子の表情を見つめながら、は慎重に頷いた。
「・・・そうですね。このまま何の動きもなく三日を経過するということは難しいでしょう。敵も焦りを感じているはずですから、州師が着けば手段を選ばず攻めてくるでしょうね。厳しい戦いになりますよ。・・・それでも、犠牲を出したくない、と?」
「無理なのは分かっているよ。でも・・・。私の生まれた国では戦なんて無かったんだ。こちらに来て私は剣を取り、戦うようになった。玉座に就くためとはいえ、人も数え切れない程斬った・・・。戦わずに解決出来るのならそうしたい。・・・でも、戦わなくちゃ解決出来ない事もあるんだって分かったよ。難しいものだな。。。」

自分の視線の先にいる陽子が本当に王なのだという実感がなかなか湧いてこない。
陽子が王らしくないとか、そんな問題ではない。
王という神的存在が目の前にいるということ事態が非現実的で、どうにも落ち着かない。
それでも事実、陽子は紛れもなく慶の王であり、今こうして自分と共に此処に立っている。

はそっと視線を陽子から逸らし、彼方地平線、堯天の方向を見つめた。

「人は弱く、愚かです。それを気づかせる為に武力を以て行使しなければいけないこともあります。でも、私自身未だ戦うことに正当性を見出せずにいます。ただ命じられるままに、生きるためだけに戦ってきました。そこに私の意志は何も無い。・・・だけど、陽子は陽子の意志でどうするか決めることが出来るんじゃないでしょうか」
「私の意志で・・・。私が、王だから・・・?」
「ええ、そういうことです。全ては陽子次第なのですよ。命を軽んじてはいけない、かといって罪を軽んじてもいけない。確かにとても難しいことですね。ですが、従う者は疑問を感じても命には逆らえません。誤った道を選べば、その先全てが歪んでしまう。だからこそ命を下す者が誤った判断をしてはいけない。・・・だからといって、王一人で何もかもを正しく選ぶことは不可能です。見る目を持ち、聞く耳を持つ。その為には何より、優秀な臣が不可欠です」
「・・・うん」
陽子はの一言一言に真剣に耳を傾け、頷きを返す。

「天は王を選び、麒麟を生みますね。そして王が道を誤れば、王と麒麟の命を奪うこともする。国のため、民のために。それは王も同じだと思います。国のため、民のために人命を奪うことが必要な時もあるでしょう。でも、陽子が望み、努力すれば、それを最小限に抑えることは出来ますよ」
「最小限に・・・か。それが賢王なんだと延王も仰っていた。・・・うん、私はそういう王でありたい」

はふわりと柔らかい笑みを陽子に向けた。
真っ直ぐで力強い陽子の声に、この王なら大丈夫だと心から思える。
「大丈夫、陽子なら出来ますよ。少なくとも私はそう信じています。その為に、陽子の手足となって尽くしてくれる優秀な人材を多く見出すことです。その方達が陽子を正しく導いてくれるはずです」

陽子は少しはにかむような笑みを零し、次いでふと何かを思ったようにに視線を向ける。
「うん、そうだね。ありがとう。・・・ところで、はどこかの官吏か何かだったのか?」
言われ、は瞬きながら首を傾げた。
「いいえ、大学すら出ていませんよ。何故です?」
「いや、何だか老師に諭して貰ってるみたいだなって・・・」
しみじみと言う陽子に、はクスッと笑ってみせる。
「これは畏れ多いことを・・・。私にはそんな知識も教養もありませんよ。ただ傭兵として様々な組織を見てきましたから、その上官と配下の関係から王に例えてみただけのことです」
そう言うと陽子は「ああ、なるほどね」と妙に納得していた。

信じている、・・・それは本心だ。
陽子の為人を知り尽くしているわけではない、それでも信じることが出来ると思う。
(ああ、そういえば・・・、あの柴望とかいう男の上にいる人物も、王を信じているのだったな・・・)
王を信じ、桓魋達に乱を起こせなどと命じるとは随分と大胆だな、と思う。
陽子を知っていての事だろうか。
知っているとすればやはり只の民草ではないということになるが・・・。
しかしその人物も、まさか王がこの場に居ようなどとは思いもしないであろう。










その夜、は眠れずに歩墻の上に佇んでいた。
戦いの前はいつも眠れない。
静かに息を吐きながら、これから始まるであろう事を憂う。
荒れない世は来ないのか、人が殺し合う事の無い時は永遠に望めないのか・・・。

王が倒れない国は無い、そして次王が立つまでの間に国は必ず荒れる。
数百年という時を治める賢王でさえ、何時かは倒れる時が必ず来る。
どんなに優秀な官僚が揃っていても、玉座が空けば天候は悪化し、妖魔が現れ、民を苦しめる。
それが天の、この世の理。





・・・それにしても静かすぎる。
こういう時には大抵何か良くない事が待っている。
動き出す前には必ずと言っていい程、息を潜めるものだ。
ちょうど今がそうであるように・・・。
(・・・もうすぐ、敵が動く)

何処から、どうやって攻めてくるか・・・。
まともに門を破って攻め入ってくる事はまず考えられない。
大軍での夜襲は余程統率の取れた軍でないと困難だし、一斉に動き出せばその段階で察知されてしまう。
・・・となると、やはり小規模な工作を仕掛けてくるか・・・。

昇紘の課す無意味な夫役が拓峰自体を要塞都市に変えてしまった。
それがまさか自身の首を絞めることになるとは思いも寄らなかっただろう。
その要塞都市の中心に、更に堅固な門と厚い壁に守られた郷城。
(自分だったら、この状況でどんな手段を講じるだろうか)

そんなことを考えていると、ふと背後に人の気配を感じ取り、振り向く。





「眠れないのか?」
そう声を掛けてきたのは桓魋だった。

「どう思います?」
桓魋の問いには答えず、逆に問い返す。
「どう、とは?」
桓魋はその意味を図りかね、首を捻った。
「静かすぎると思いませんか?」
「そうだな。こちらの強固な固めに、敵も手を拱いているんだろう」

思いの外、現状を楽観視している様子の桓魋に、は密かに眉を寄せた。
「そう願いたいですけどね。この状況でそれは少し甘いんじゃないですか?昇紘が捕らえられたことで敵は相当追い詰められているはず。何をしてくるか分かりませんよ」
「これは手厳しい。確かにそうだが・・・。そうだな、一応見張りは強化しておこう」
桓魋は肩を竦めながら窘める。
それでもは何か腑に落ちないという表情で、ゆっくりとその身を翻した。
「・・・・・。見回りをしてきます」
そう言って桓魋の横を通り過ぎようとした時だった。





街の方にちらりと赤いものが目に止まり、立ち止まる。
「・・・火」
が呟いたのとほぼ同時に、異常を告げる太鼓の音が響き渡る。
「まさか!?」
桓魋は目を疑った。
よく見ると確かに炎が見える、そして少し離れた場所にもまた・・・。

は顔を顰め、くそっ!と毒づくと走り出した。
「おいっ!待てっ!」
桓魋の制止の声にも止まる様子はない。
桓魋は「ちっ!」と舌打ちをし「無茶をするっ!」と吐き捨てた。
止めなければ、と後を追おうとするが、丁度そこへ異変に気づいた陽子達が此方へ走ってくるのが見えた。

「桓魋!何が!?」
陽子は桓魋に問い質しながら、視界の端に捉えたをちらりと見遣った。
掛けられた声に、桓魋は恨めしそうにの走り去った方向を睨みながら「街に火が放たれた!伏兵がいる!」と答える。
「何っ!?」
驚いた陽子と虎嘯はすぐさまの後を追いかけようとした。

「街の者は寝ている。とにかく起こして火を消さないと!」
虎嘯がそう怒鳴ると「駄目だ!」と横から止める声が上がった。
虎嘯の弟、夕暉だ。
「たぶん州師の騎馬兵が着いたんだ。行けば精鋭騎馬兵に袋叩きにされるだけだよ」
夕暉がそう言うと、桓魋も頷き「夕暉の言うとおりだ。しばらく様子を窺ったほうがいい」と言った。
「見殺しにしろってぇのか!?それじゃ俺達は単なる人殺しだっ!」
「それにが!」
虎嘯と陽子がの走り去った方を振り仰ぐと、桓魋は眉を顰め再度舌打ちをした。

「私憤で人を襲ったらだめ、でしょ?ここで街の人を見捨てたら、あたしたちのしたこと全部、私憤になってしまうわ」
鈴がそう言うと、夕暉は一瞬言葉を詰まらせ「・・・そうだね。どこか一ヶ所を突破して、街の人が外に逃げられる場所を確保しなきゃ」と虎嘯と桓魋に視線を投げた。

「どうしては酉門へ?」
陽子がそう問うと、桓魋は数瞬の沈黙の後「なるほど」と呟き、「酉門を突破する!」と声を上げた。

が時折見せる凡そ無謀とも取れるその言動は、全て計算の上に成り立っているのだということを桓魋は知っていた。
それを踏まえれば、今回の彼女の意図も自ずとその答えが見えてくる。
虎嘯達は頷くとを追うべく走り出した。










・・・まずい。

は苛立っていた。
(まさか伏兵がいたとは・・・)
立ち昇る炎に気付き騒ぎ出した街人達が混乱し、逃げ惑う。
それをあちらこちらから飛び出してくる伏兵が容赦なく叩く。

敵を閉め出したとはいえ、陽子達は戦いの玄人ではない。
それに人数からしても街の隅々まで目を配ることは不可能だ。
見張りも万全とは言い切れない。
大きな動きには気づけても、この暗がりの中では小さな動きは見落としがちだ。
人一人が隙をついて忍び込むことだって出来る。

どこかに敵が潜んでいるかも知れないと疑うべきだった。
(・・・何故、もっと早くに気づけなかった)
己の愚かさにやりきれない憤りが沸々と込み上げてくる。

皆落ち着け!無闇に走り回るな!
そう叫びたいが、言っても無駄なことは分かっている。
混乱にごった返す人混みを掻き分けながら、刃を振り翳す伏兵を斬りつけ、街人を庇う。

『これ以上犠牲を出したくない』
そう言った陽子の声が脳裏を掠める。

それが敵味方の別なく向けられた言葉だということは分かっている。
傷つけずに武器を手放させる、それが叶えば最良だが、今のこの状況では困難だ。
(出来るだけ急所は外す、でも・・・)
こんな状態ではとても庇いきれない。
視界に飛び込んだ伏兵を倒しながら、そのすぐ側で街人がやられ、地に崩れるのが見える。
(この人達が何をしたって言うんだ!やめろっ!)
怒りに心が叫ぶ。

このままでは街中が炎と伏兵の餌食になってしまう。
とにかく突破口を・・・。



が酉門へと向かっているのには理由があった。
火の手が上がったのは申門と未門の方向からだった。
ということは、敵は南西から侵入し、北東へと追い詰める算段なのだ。
そしてそちらの門外には州師が待ち伏せしているに違いない。
余程ひねくれた指揮官でない限り、この読みは間違っていないだろう。

そして酉門からそのまま西へ向かえば瑛州が近い。
当然、酉門の外にも州師は配置されている。
しかし他の門に比べればその数は少ないはずだ。
文字通り、敵の懐に飛び込む形となるが、意表をつかれた敵に多少でも乱れを生じさせれば、人々を逃がすことは出来る。



追い立て役の伏兵が次々とその姿を現す。
しかし、酉門の方向からは警戒していた矢は飛んでこない。
疑問を感じるが、他に罠が仕掛けてあるような様子もない。
尤も、射手がいないとなれば一気に突破出来るのだから、それに超したことはない。

酉門まで後少し・・。
人混みの合間から門が垣間見える。

此処に来るまでに一体どれほどの民が命を落としただろうか。
横から飛び出してきた伏兵に憤りをぶつけるように、力任せに薙ぎ倒す。

再び前へ進もうとしたところで、子供の泣き叫ぶ姿が視界に飛び込んできた。
そのすぐ後ろには兵が迫っている。
間に合わない!

「やめろっ!」
咄嗟に子供と兵の間に身を割り込ませ、漸く手の届いた子供の身体を抱え込む。
そのまま横に転がるようにして子供を背後に押しやり振り向くと、既に剣は目前に迫っていた。
手を出す余裕もない、自分が避ければ背後の子供がやられる。
もうこれで何度目の死の予感だろうか、とそんな悠長なことを考えている自分がいた。

・・・と、その時、すぐ脇を紅い影が駆け抜けた。
同時に兵が地に崩れ落ちる。
すれ違いざまに「、酉門を!」と叫ぶ声が聞こえた。
陽子だ。
「わかってる!」
そう叫び返そうとしたが、何故か声が出なかった。
言いかけた口をそのままに、その場に立ち尽くす。



心臓がどくんと跳ねた。
(何だろう・・・この感覚は・・・)
とても遠い昔の、懐かしいような、惹き付けられるような感覚。
身体中の血がざわざわと騒ぎ立てる。
紅い髪の少女が剣を振りかざすたびに、その閃きに吸い込まれていくような錯覚に陥る。
心を乱すものは何?
この少女が・・・?それとも、あの剣・・・?



っ!後ろっ!」
不意に名を呼ばれ、はっとして我に返る。
振り向きざまに見えた太刀を寸での所で受け止めると、それを駆けつけた桓魋が切り伏せた。
「どうしたんだ。らしくないぞ、こんな所で死ぬ気か。戦いは始まったばかりだ、気を散じるな!」
怒鳴る桓魋に「すまない」と苦笑を返し、「行こう」と促した。
いつも温和な桓魋が怒りを露わにするのを、この時初めて見た。
恐らく一人で突っ走ってしまったことにも腹を立てているのだろう。



門の前に立ちはだかる兵を切り倒し、息を整えながら状況を確認する。
箭楼は沈黙、飛来してくる矢も無い。
門の向こう側に殺気は感じ取れない。
(・・・どういうことだ?)
眉を顰め、ちらりと横を見遣ると、陽子は警戒する様子もなく門を開けようとしていた。
その様子に桓魋が訝しみながらも、目の前の小門を開けに掛かる。
も「おかしい。殺気を感じない」と小声で桓魋に告げ、それに手を貸した。
桓魋も怪訝な表情で「ああ」とだけ返し、閂の外れた門を押し開いた。





・・・何もなかった。
いや、地面に視線を落とすと確かに争いの後が見て取れた。
点々と散らばる放り出された武器、そして幾つかの骸と呻きを上げる怪我人の姿。
(・・・いつの間に・・・一体誰が・・・?)
桓魋や虎嘯も唖然としている。
桓魋達がその謎を解く間もなく、遠くから蹄の音が聞こえてきた。
はそれに気付きながら、ふと足元に転がっている骸に視線を落とす。
(・・・この傷は・・・獣・・・?)
刃でも槍でも矢でもないその傷は、爪痕や噛み千切られたようなものだった。
・・・使令か、陽子が驚きを見せないのも当然だな、と漸く納得した。





「叢雲橋・・・か」
前方を睨んでいた桓魋が呟いた。
「虎嘯。火箭を用意させろ。歩墻からできるだけ弩を使わせて雲橋を押している連中を狙わせろ」
そして「お前はこれを使え」と言って虎嘯に鉄槍を渡す。
武器を手放した桓魋に、は何をする気かと眉を顰めた。
陽子も「素手で?」と目を丸くしている。
桓魋は不敵な笑みを浮かべると「素手以上だな。・・・陽子、、援護を任せたぞ」と言うや否や、軽く弾みを付けて駆け出した。

・・・速い!
その尋常ではない速さに驚きながらも、は陽子と共に桓魋の後を追った。
またもや何故か矢は飛んでこない。
(・・・これも、使令か?)
そう思っていると、突然前を走っていた桓魋の身体が沈み始めた。
(まさか・・・!?)
数えるほどしかないが、これまでにも半獣の変化を目にしたことはあった。
(・・・桓魋も?)

沈んだと思った身体がすぐに膨れあがり、それは巨大な熊となって真っ直ぐ敵陣へと突っ込んでいく。
そして止まったと思うと、ドンという鈍い音と共に雲橋が薙ぎ払われた。
やっと追いついたと陽子は桓魋の左右に散り、桓魋に向けて繰り出された槍を薙ぎ落とす。
巨熊は小物には目もくれずに、先頭のてん壕車目掛けて前足で力任せに払う。

てん壕車は呆気なく横転した。
熊一頭と少女二人、たったこれだけに後退を余儀なくされた州師達は全員絶句した。





ゆさゆさと巨体を揺すりながら戻ってくる桓魋を見つめ、はある衝動に駆られ、精一杯の理性でそれに堪えていた。
そして思った。
(・・・か、可愛いっ!あのフカフカに抱きついて寝たら、最高に気持ちいいだろうな。。。)
その時からの桓魋を見る目が少し変化したのだが、桓魋を含め誰も気づいてはいない。





達の頑強な抵抗に為す術を失い、立ち往生していた州師に、更に驚愕させる報せが届いたのはそれから少ししてのことだった。

『本日未明、明郭に乱あり』