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明郭を発った達は予定通り、州師よりも早く拓峰に入った。





街の周囲は兵に囲まれている。
やがて郷城が見えてきた。
更に近づくと、城壁や城の上に人影が多数窺える。

異様な高さと厚みを持った壁に埋もれるようにして佇んでいる其処は、凡そ城とは思えぬ様相だ。
門扉を閉ざされてしまえば難攻不落ともいえるだろう。
よく落としたものだと感心してしまう。
彼らの緻密な計画と団結力、行動力は称賛に値する。

自国を思う民の必死な姿が王に届けばいい。
彼らのした事、これからする事を無に帰さないで欲しい。
そうすればこの国は必ず良い国となる。
だがその一方で、それを見ることなく命を落としていく者がいるのだと思うと胸が詰まる。

短命の王が続き、その度に幾度となく信じては落胆することを繰り返してきた。
それが決して王一人の所為ではないことは分かっている。
それでも民が王に裏切られたと思ってしまうのは仕方のないことだ。
また駄目かもしれない・・・そんな不安が無い訳じゃない。
しかし、最初から諦めていては何も変わらない。
信じることが出来なくなったらあまりにも虚しいではないか。
(私も・・・王を、信じている)





城壁の内側に降りようと高度を下げると、突然前方から箭が飛んできて慌てて避けた。
それもそうだ、連中には応援に行くから等とは言っていないのだから。
恐らく州師が来たと勘違いしているのだろう。

たかだか十五騎程度と侮ってはいけない。
騎兵一騎は歩兵八人に、そして空行騎兵一騎は騎兵二十数騎にも匹敵するのだ。
だから連中が、近付けまいと必死に抵抗するのも無理はない。

すぐ後ろで矢を放とうとしている兵に「駄目だ!よせ!」と桓魋が制止の声を発する。
無駄に怪我人を出すわけにはいかない、しかも相手は敵ではないのだ。
こちらからは一切手を出さず、味方なのだと知らせようと試みるが、近づけば再び箭が飛んでくる有り様だ。

これでは埒があかないし時間の無駄だ。
この間にも州師は着々と進軍してきているはず。

はちらりと横に並ぶ祥瓊を見遣ると、桓魋にも聞こえるように声を張り上げた。
「私と祥瓊が降りる!みんなはここで待機してて!」
それを聞いて桓魋は「危険だ!」と止めようとするが、はにっこりと笑んで見せた。
「私達が州師に見える?こんな美人が二人も行けば歓迎してくれないわけがないじゃない」
の口から出た言葉に祥瓊は唖然とし、桓魋はプッと吹き出す。

突飛な発想というか、冷静な判断力というか、全く大した度胸だと今更ながらに感心してしまう。
「よし、歓迎されてこい。頼むぞ」
そう桓魋が言ったのを合図に、と祥瓊は群から抜け出し、城へ向けて一気に降下を始めた。


は剣をするりと抜きはなった。
数本飛んできた箭を躱し、祥瓊を庇いつつ、尚も飛んでくる箭を叩き落としながら強引に突っ込んでいく。










上空に見えた黒い点に男達が目を見開く。
「妖魔?・・・いや、空行師だ!」

その声に、一瞬で場が騒然となった。
「箭楼に入れ!」「矢を!弩を使え!」
あちらこちらから怒声が聞こえ、男達が走り回る。
「くそっ!速い」
いくら攻撃しても、敵は巧みに騎獣を操り、一向に当たらない。

「それにしても・・・どうして攻撃してこないんだ」
誰かが怪訝そうに言った。

確かに妙だ。
こちらの攻撃を余裕で躱しておきながら、向こうから仕掛けてくる気配は全くない。

そして間もなく、空行騎兵の動きがはたと止まった・・・と思われたが、すぐにそこから二騎が飛び出し、物凄い速さでこちらへと突進してきた。
それを目掛けて再び矢を放つが、やはり当たらない。

程なくして、歩墻の上で空を睨んでいた男の一人が「待て!」と制止の声を上げた。
「・・・・・女、だと!?」
よく見ると二頭の吉量を駆っているのはどちらも女だった、それも兵らしからぬ少女だ。

「あれは・・・、祥瓊だわ!敵じゃないわ!」
側にいた少女も声を上げる。










ある程度まで近づくとぴたりと箭が止んだ。
それとほぼ同時に「祥瓊!」を叫ぶ声が聞こえてきた。
祥瓊もその声の主に気付き「鈴!」と叫ぶ。

やがて二人は無事に城の上へと降り立つことができた。
それを見守っていた桓魋が「どうやら上手くいったようだな。よし、我々も行くぞ!」と兵達を促す。





剣を鞘に収め、吉量から降りながら「まったく、援軍を殺す気か。それに武器を無駄遣いして・・・」とが軽口を叩く。
すると、近くにいた巨漢の男が頭を掻きながら「わりぃな。・・・しかしあんたも無茶苦茶だなぁ」などと妙に感心している。
様子から見て彼が殊恩の頭のようだ。

という。彼女は祥瓊。よろしく」
「俺は虎嘯だ。よろしく。・・・って、ところであんたらは何者なんだ?」
に釣られて「よろしく」とは言ったものの、何を”よろしく”なのかと首を傾げて呆気にとられている虎嘯は、至極当然の疑問を投げかけた。

厳つい巨漢がぽかんと間抜けな顔をしている様は何とも滑稽で、は思わず失笑しそうになる。
さすがに始めて会った相手にそれは失礼だろうと堪え、何とか顔には出さずに済んだ。

そして丁度そこへ降りてきた桓魋を振り仰ぐ。
「委細は桓魋から聞いて下さい」
そう言われ、虎嘯もの視線を追い、桓魋を見遣った。
その視線に気づいた桓魋は、にまりと笑みを浮かべながら二人の方へと歩み寄る。
「州師より先に着いたぞ。褒めてくれ」
開口一番にそう言うと、更に呆気にとられた様子の虎嘯を可笑しそうに見遣り、「俺は桓魋だ」と名乗ってから説明を始めた。

桓魋が加勢の旨と兵の数、そして明郭襲撃まで州師をこちらで足止めする事などを簡潔に説明すると、聞いていた連中は虎嘯同様にぽかんと口を開け、呆気にとられていた。





やがて桓魋の話に一気に喜色を湛えた男達は大いに盛り上がり、場は賑やかになった。
しかしその間、は何故か落ち着かなかった。

城へと降下を始めた時から得体の知れぬ違和感を感じていた。
気にはなるが、決して不快なものではない。
(何だろう・・・誰かが、呼んでいる・・・?)
自分を呼ぶ声が聞こえるわけではない、ただ漠然とそう思っただけ。

ふと見ると、むさ苦しい男達に混じって、紅い髪と翡翠の瞳を持った少女が立っていた。
年の頃は自分と同じくらいか、少し年下だろうか。
一見少年かとも思ったが、よく見ると間違いなく少女なのだと分かる。
そして何となく、その少女の手にしている剣に視線が引き寄せられた。
見事な装飾が施されている太刀はとても高価な物なのだろう。
少女の体躯からすると少々大きいようにも感じるし、質素な身成に比べると不釣り合いのようにも思える。

あの剣に触れたい、と思ったのは興味からか。
気を抜けばぼんやりと剣に見入ってしまいそうな自分がいる。
しかし今は忘我している暇はない。
戦いのことだけを考えろ、集中しろ、と己に言い聞かせ、先程から感じている奇妙な感覚を無理矢理振り払った。





は祥瓊と共に連中の仲間らしき少女二人と簡単に自己紹介をした。
少女達は鈴と陽子だと名乗った。
祥瓊は鈴と知り合いで、陽子とも面識があると言う。
「よろしく」と向けられた陽子の凛とした強い眼差しに、は少なからず圧倒される何かを感じ取っていた。

同じ年頃の少女達は数言交わしただけですぐに打ち解けた。
そして四人は話しながら、城壁を見張りに行こうということになった。





と名乗った女から呪の気が』

不意に陽子の頭の中に声が聞こえた。
それは自分に憑いている賓満のものだ。
滅多に口を開かない彼だから、間違いなく何かを感じ取っているのだろう。
陽子はちらりとを見遣る。

確かに会ったばかりで、相手がどんな人物なのか分からない。
信用して良いのか、警戒すべきなのか、一瞬戸惑う。

だがに負の気は感じられないし、何か良からぬ事を企んでいるようにも見えない。
それどころか、美しい容姿も纏っている気も、陽子にとっては好ましいとさえ思われるものであった。
冗祐も”気を付けろ”というような警告の言葉を発してはいない。
他の使令もやはりを警戒している様子はない。

「大丈夫だ」
陽子は他の三人に聞こえない程の小さな声でそう呟いた。










これから戦になるとは思えないような、のんびりとした午後。
「・・・きっと明日になれば、たくさんの人が死ぬのにね」
歩墻を歩きながら鈴がぽつりと零す。

(ああ、またこの手を血に染めなければいけない・・・)
己が選んだ道、幾度と無く繰り返してきた事、それでもやはり心が痛む。
一体どれだけの犠牲を出せば、この国に陽光が差すのだろうか。

「そうね。たくさんの犠牲が出るんだから、ちゃんと景王の耳に届くといいわね」
鈴の言葉に頷きながら祥瓊がそう言う。

(景王・・・か)
が知っているのは、紅い髪の若き女王、しかも胎果らしい、ということだけだった。

人々は女王ということに落胆の色を見せている、その上こちらのことを何も知らない胎果だというから尚更だ。
慶は恵まれない国なのだと嘆き、土地を捨て、国を出て行く者も後を絶たない。

実際の王がどの様な人物かは分からない。
それでも天が王たる器を持った者を選んだことに偽りはないはずだ。
しかし民が自ら希望を捨ててしまっては、そこから何も生まれないし、国は育たない。

(またこの国は倒れてしまうのだろうか・・・)
そう思い、心中で溜息を漏らした時だった。

横を歩いていた陽子が、はたと足を止めた。
俯いたその表情は心なしか翳っている。

祥瓊と鈴はそれには気づかずに「私ね、景王に会いに来たの」「あら、私もよ」と会話を続けている。
そして途中、会話の中に出てきた『楽俊』という名に、陽子は徐に祥瓊を振り返った。
祥瓊は空の雲を見上げながら「いい人だったの。あの人の友達なんだから、きっと景王もいい人だと思うわ」と静かに語った。

「・・・私だ」
陽子が呟くようにぽつりと言った。