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「・・・酷い」
はぽつりと漏らした。





噂には聞いていたが、その詳細までは明らかではなかったし、自分の目で確かめたわけでもなかった。
だがこうして改めて聞くと、和州の荒廃はかなり深刻なものなのだと分かる。
和州にいればどんな些細なことが切欠で命を落とすか計り知れない。
そんな危険な場所に、和州に反感を持つ者達がわざわざ集まっているのは何故か。
(民を救うため?怒りをぶつけるため?)
どちらにせよ、命を賭してそれをしようとしているのだから、その裏に謀が隠されているのは明白だ。



七割という法外な税を払わなければならない民、そしてそれを少しでも満たさなければ死刑。
無意味な重い夫役を課せられ、それを少しでも怠れば死刑。
死刑といえば磔刑・・・。

和州の民は皆貧しく、荒民同然の生活を強いられている。
もっと最悪なのは、連帯責任と言わんばかりに里民が丸ごと狩られることもあるという。
狩れば人がいなくなり,、税も徴収出来なくなる、だから他国からの難民を快く招き入れる。
快く招き入れるといえば聞こえが良いが、実際には空いた穴を埋めるための数合わせに過ぎない。
和州の官吏にとっては民など単なる奴隷でしかない。
我耳を疑ってしまうが、これが現実なのだ。

そして達が取り締まっている草寇。
彼らは物を盗んでも、捕まった時にそれを差し出せばその場で解放されるという。
税の未払いや夫役の怠慢で死刑になってしまうこの和州で、何故草寇が罰せられることが無いのか。
その矛盾は、少し考えれば容易に答えが導き出される。
官吏自らが草寇を作り出しているからに他ならない。

捕らえた草寇から取り上げた物品は、持ち主に返却されることなく州庫へと落とされていく。
処罰を逃れ、解放された草寇は捕まりさえしなければ飢えを凌げるし、捕まっても盗んだ品を差し出せば再び解放される。
だからまた物を盗む。
それを延々と繰り返せば必然、州庫は潤い、枯れることを知らない。
そうやって和州の官吏達は富を懐に滑らせる。



と祥瓊は桓魋から和州の現状を聞き、愕然とした。

「王は・・・景王は何をしているの?」
祥瓊が声を震わせる。

「王はだめだ。・・・朝廷は官吏に牛耳られているという噂だ。国がどうなろうと構わないんだろう」
桓魋がそう言うと、祥瓊は「そんな・・・」と落胆したようだった。
「でも、それが本当なら王を諌めないと・・・、きっと玉座がどういうものだかわかっていないんだわ。それを誰かが教えないといけない」
王を諫めるだって!?
祥瓊の言葉に、は、大胆な事を考える、と目を丸くした。

「どうやって?相手は堯天の金波宮の奥にいるんだぞ」
桓魋はそう言いながらすぐに「いや、それとも」と続ける。
「九州のあちこちで火が点けば、王は足元の火種に気づくかな」
そう言った桓魋は意味深げな笑みを浮かべた。

ただ漠然とそう思っているようにも感じ取れるが、には何か既に策を目論んでいるような笑みにも見えた。

ああ、そういうことだったのか、と今更ながらに気づく。
やはり彼らは、単なる用心棒の集まりなどではなかったのだ。
初めからそれが目的だったのだとしたら、今まで感じていた疑問が解けてくる。
彼らは時が来るのを、機会を待っていたのだ。
でも何故其処までして・・・。

義憤による反逆・・・いや違う。・・・侠客、というべきか・・・。
しかし浮かんだどの言葉も今一歩腑に落ちない。
そんな単純で生易しいものではなさそうだ。
漸く謎が解けてきたと思ったらすぐに今度は別の疑問が湧いてくる。

桓魋が頭に立ち、それをしようというには、これだけの人数では大したことも出来ないのは目に見えている。
ならば・・・、と考える。
「九州のあちこちで火が点けば・・・」と、桓魋は言ったのだ。
他にも同じ事を考えている仲間がいるということか・・・。

時折訪れる余所の傭兵達も桓魋の仲間だとしたら・・・、そして同じ志を持つ仲間が数カ所に散らばっているなら・・・。
だが決起するには横の繋がりだけでは心許ないはず。
それを纏めるための存在が何処かにいるのかも知れない。
確信はないが・・・恐らく・・・。

それは人より長く生き、傭兵業という世界で培った経験、知識と勘だった。

一体何を企み、何をしようというのだろうか。
は浮かんだ疑問を率直にぶつけてみる事にした。
「桓魋、貴方は何を考えているのです」
静かにそう問いかけると、桓魋は目を細め口端を上げると「そのうち分かるさ」とだけ返した。

はぐらかされた。
だがすぐに、まあいいか、と開き直る。
所詮自分に知る権利などない。
この仕事が終わればまた次の仕事を見つけ、生きていくためにそれを繰り返すだけ。
自分はただ言われたとおりに動いていればいいのだ。










その日、詰所を一人の男が訪ねてきた。

男は頓着なく正堂に入っていき、その後を桓魋と祥瓊がついていく。
ちょうどそこを通りかかったを見つけ、桓魋が声を掛けた。
「ああ、丁度良かった。お前も来い」
は何だろうと思いながらも「はい」と返事をし、二人の後を追って正堂へ入った。

中へ入ると、いつも桓魋が座っている席に先程訪れた男が座っており、桓魋と祥瓊がその前に立っていた。
少し遅れて入ったは二人の後ろに遠慮がちに立つ。

男は祥瓊とを見遣ると「ほう、二人ともお前の好みか?」と面白そうに笑みを浮かべた。
「そんなんじゃないですよ。まあ二人ともこの通りの美貌ですから、目の保養になりますけどね」
桓魋が軽口を叩くと男は目を細め、笑みを深くした。

桓魋は祥瓊が此処に来た経緯を掻い摘んで話し、男はそれに「うむ」と頷いてに視線を移す。
「彼女はと言います。堯天の酒場で我々のことを聞いたらしく、雇って欲しいと言ってきたんですよ」
それを聞いて男は「酒場で?」と片眉を上げた。
祥瓊とそう変わらぬ少女が何故酒場など、と疑問に思う。

は傭兵です。こう見えても剣の腕は相当なものですよ」
男は「ほう」この少女が・・・、と半信半疑の表情でを見遣る。

そう言われても俄には信じがたいが、桓魋がそう言うからには実際にそうなのだろう。
揺るぎないその瑠璃色の瞳には一点の曇りもなく、数多の死を見てきたにしてはどこまでも澄みきっていた。
穢れを知らぬ、いや・・・穢れることを恐れぬ、と言った方が相応しいか。
良い目をしている、と心底そう思った。

「それで、二人とも事情は知っているのか」
桓魋に視線を戻した男がそう問うと、桓魋は頬を掻きながら「いえ、まだ」と苦笑して見せた。
男は「そうか」と呟くと、祥瓊とに「ここがどういう者が集まっている場所だか、分かっているのかね?」と問う。
祥瓊は少し考える様子を見せてから「分かっているつもりです」と答えた。
男は「うむ」と頷き、次いでに視線を投げる。
「わかりません」
が男を真っ直ぐ見つめ、そう答えると桓魋は思わず苦笑した。

祥瓊は振り返り、疑念を抱いた視線でを見遣る。
自分が「わかっているつもりだ」と言ったのは、がそう教えてくれたからだ。
桓魋達に何か含むところがあると、そして自分に汚れることを警告したのは他ならぬだったはず。
それなのに当の本人は「わからない」と言い切った。
・・・何故?

「分かりませんが、知る必要もないと思っています。私は雇われた身ですから言われた通りに動くだけです。それをするに足るだけの最低限の情報があればいい。例えどんな事情があろうと、自分で決めて此方へ来たのですから足を引っ張るつもりもありません」
感情を感じさせない抑揚のない声で淡々とそう答えた。
それを聞いて桓魋は満足げに微笑む。

男の眼光に臆することなく、曇り無き眼で真っ直ぐに見据えられ告げられた言葉に、男は僅かに目を見張った。
そしてフッと口端を上げ「面白い」と目を細めた。

聡い娘だ、と感心する。
それと同時に、あの方が好まれそうだな、とも思う。

雇い主に忠誠を誓い、命令には確実に応える、いや、此方が望めばそれ以上の働きをしてみせる自信があると言っているのだ。
「わからない」と言ったのは、確信が無いという意味合いだろう。
そう言いながらも、その瞳と言葉の裏には「大凡の見当は付いている」と暗に仄めかしている。
危ない橋を渡ろうとしていることも重々承知の上だと、そう言っているのだ。
なかなかどうして大した娘ではないか。

此度のことがうまく運べば、彼女にもきっと開けた未来が待っていることだろう。
勿論彼女だけではなく、桓魋達やあの方のために、延いては慶のために、上手くいくと、そう願いたい。

「祥瓊、。我らは二人を歓迎する。宜しく頼む」
男はそう言うと「では、少し話しておこうか」と事情を話し始めた。

祥瓊は頷いたり質問をしながら男と対話していたが、はそれを黙って聞いていた。
の推測はほぼ当たっていた。
そしてかなり大きな組織であることもわかり、改めて驚かされた。

「王の体面と国の意向を無視して民を虐げ、慶の根幹を揺るがせる奸臣をこのまま放置しておくわけにはいかない。新王は登極して日も浅く、朝廷を牛耳る朝臣は予王の前から権を恣にしてきた。登極して僅かに半年の王が拮抗出来るとは到底思えぬ。これを掌握して、さらに九州へ政を施すのは至難の業、しかも王は胎果の生まれ、慶のことがお分かりでない。ここで呀峰を糺し、和州に乱あり、呀峰の治に憂いありとの声を上げれば、王も九州に数々の悩みあることに気づいて頂きたいと、我々は切に願っている。和州のために呀峰を倒すことよりもむしろ、なによりもまず、王に和州の現状を知って頂きたい。我らの手で呀峰が倒せずとも、王が裁いて下さればよし、さもなければ我らは王と呀峰の敵と呼ばれ、かならずや討たれることだろう」

これが一庶民の言だとは到底思えない。
ある程度政に通じ、真に国を思い、民を憂う役人の見解だ。
しかも、最大の目的は呀峰を倒すことではないという。
王に対して”己の治める地を正しい眼で見定めよ”と諫言したいのだ。

この男は官吏?・・・いや、官吏ならばその地位と力を利用して、もっと正当な手段を選択できるはず。
たとえ官吏だとしても、このような考え方をする者は稀なのではないだろうか。
普通なら騒動の中心人物を討って一件落着としてしまうのではないだろうか。
恐らく、このように回りくどい危険な賭けをしなければならないのは、他に手立てがないからだろう。
ならば、官職を追われた者・・・・・という結論を出すには、まだ早急だろうか。

「信ぜよ、とおっしゃる方もおられるので、信じたいとは思っている」
「瑛州固継の閭胥遠甫という御方が消え失せた。このことを桓魋に伝えるようにと」
要はその事について調べろと言っているのだ。
それらの男の言により、更に上が居るのだと悟る。
しかも”その御方”は此方に勝算ありと確信しているようだ。
(なるほど、総司令官はその御方というわけか・・・)





男が帰るのを門まで見送り、桓魋はの肩をポンと叩いた。
「良かったのか?もう後戻りは出来ないぞ」
は何を今更といった表情で「最初からそんな気はないですよ。それとも、私が居ては迷惑ですか」と逆に問い返す。
桓魋はニヤと笑みを浮かべた。
「まさか。がいれば心強い。たとえ抜けたいと言っても頷けないな」
は呆れた様子で桓魋を軽く睨め付けると、男の去っていった方へと視線を移す。
「ならば聞かないで下さいよ。・・・・・ところで、結局あの方は誰だったんです?」

最後まで名乗ることの無かった男のことが気になった。
気にはなったが、まともに聞いたところで教えてくれるとも思えない。
何者かと問い詰める気は更々無く、ただ率直に名を聞いたつもりだった。
だが桓魋は変に深読みしてしまったらしい。

所在なげに視線を彷徨わせ、頬を掻いて、頭の中で適当な言葉を探しているのだろうとわかる。
何か聞き出せるかも知れない、そんな淡い期待が過ぎる。
しかしそれは意外にあっさりと裏切られた。
逡巡の後、漸く桓魋の発した言葉は途轍もなく無難なものだった。

「ああ、・・・誰だと言われてもなぁ。・・・まあ、柴望様という昔俺が世話になった方だ」

わざとそのような言い方をしたのか、それとも単に適当な言葉が浮かばなかっただけなのか・・・。
それとわからぬよう密かに嘆息を零した。
「・・・そうですか」

気になることがまだ残っていたが、それ以上は聞かなかった。
桓魋の言い方が「それ以上聞いてくれるな」という含みを持っていることは明確すぎる程明らかだった。
名は聞けたし、少なくとも頭の良い桓魋が言葉を探す程、その素性を明かすことを躊躇われる人物なのだということもわかった。
今はそれで良しとしておこう。

(何を考えているんだ、俺は・・・)
になら話しても良いかと、ふとそんな思いが頭に過ぎった。
まだここへ来て日も浅い、信じ切るには謎の多すぎる彼女に、僅かでもそんなことを思ってしまった自分が情けない。
自分はここに集う者達に、常に警戒の目を張り巡らせていなければいけない立場だというのに・・・。
仮に怪しい人物が紛れ込んでいるとしたなら、彼女はその筆頭に置くべきだろう、・・・それなのに・・・。
「馬鹿だな。。。」
人知れず呟きながら、自嘲の笑みを漏らした。










帰途、柴望はいつも以上に警戒していた。
だが、どうやら後を付けられている様子はない。

あのという娘・・・、妙に肝が据わっていたし、見た目通りの歳ではなさそうだ。
こちらの計画に驚く様子もなく、まるで既に察知していたようにも見受けられた。
絶妙な頃合いを見計らったかのように入ってきた傭兵、しかも腕が立つという。
・・・もしや間者か、とも思われたが、どうもその可能性は低そうだ。
探りを入れてくるような風もなかったし、ただ黙って話を聞いていた。
何よりも、桓魋が彼女に不審な点を感じていないようだから、今はあの澄みきった瞳をそのまま信じる他ないだろう。







「桓魋の所に面白い娘が二人おりました」

薄く笑いながら柴望は目の前の男にそう告げた。
男は「ほう?」と片眉を上げ、柴望を見遣る。

「一人は祥瓊と名乗る娘、何でも芳国は蒲蘇の出身だとか。気の強そうな令嬢でした」
それを聞いて男は少し考える仕草を見せた。

芳の蒲蘇といえば首都であり、当然其処には王宮である鷹隼宮がある。
柴望が令嬢と言う表現を使ったのは、確信はないがある意味を匂わせてのことだろうと容易に想像出来た。
「・・・なるほど、蒲蘇の祥瓊・・・か。・・・・・して、もう一人の娘というのは?」
男がそう問うと、柴望は頷き「名は、と。新たに加わった傭兵だと桓魋は言っておりました。私が事情を知っているのかと尋ねると『わからない』と即答されてしまいましたよ」と苦笑して見せてから一拍置き、先を続ける。

「知る必要もない、と。例えどんな事情があろうと自分で決めたのだから足を引っ張るつもりもない、とそう言われてしまいました。恐らく彼女は薄々感づいているかと思われます」
柴望の表情と口調から、してやられた、という様子が伝わってくる。

そんな柴望の報告を黙って聞いていた男は「ほう、それは確かに面白そうな娘だな」と口端を僅かに上げた。
「信用出来るのか?」
「微妙なところですね。ともすれば危険な存在に為りかねないかと。・・・ですが、桓魋が雇った娘ですから」
柴望の言に男は「それもそうだな」と頷く。

桓魋が信を置き、手元に留めておく人物ならば、害は無いと見て良いだろう。
一度その娘に会ってみたいと思うが、それが叶うかどうかは甚だ疑問だ。
無事に事が済んだ暁には、桓魋にでも言って連れてこさせよう、と密かに笑みを漏らした。





それから数日後、止水郷拓峰に変事あり、との青鳥が届いた。