さあ台輔、戻りましょう      NEXT(3)へ
流れの傭兵といっても様々だが、の場合は徒党を組まず、あまり周囲に打ち解けず、仕事が終わればいつの間にか姿を消すという一匹狼的な面がある。
は籍を持たない、いや正確には籍の行方が分からないといった方が良いだろう。
だからこそ、定住も出来ず、真っ当な仕事にも就けず、傭兵として転々とするしかなかった。

生まれは慶東国のはず、父は慶東国禁軍右将軍だった。
凡そ百年前、つまり達王の時代の話だ。

は十九歳で大学に入った。
だが既にその少し前から、賢王と謳われた達王の身に変化は起きていた。
そしてが大学に入って間もなく、麒麟失道との噂が国内に広まると国は急速に荒れ、衰退の一途を辿った。
相次ぐ戦乱の最中、は家族を失い、二十歳を目前にして孤児となる。

父、兄とも夏官だった所為もあり、幼少の頃より身につけていた剣技を活かし、各国各地を転々と彷徨いながら傭兵に身を窶す生活が始まった。
その頃からは外見がさほど変わっていない、つまり歳をとっていないのだ。
数年後祖国へと戻ったは自分の籍を探すがやはり見つからず、もはや自分が何者なのか解らなくなっていた。

が人との深い関わりを避けるのは、そういった素性を知られたくないということも要因の一つだった。
といっても、自身にすら自分が何者なのか解らないのだから、他人に知られる心配もないのだが・・・。
とにかく面倒なのだと言ってしまえばそれまでだが、年が若くて見目も良く、その上剣客となれば周りが放っておくはずがない。
根掘り葉掘り質問され、身体目当てに近寄る輩も後を絶たない状態だから、それに一々対応するのが面倒でならないのだ。
それでも生きていくためには仕方がない。
籍を持たない自分にはこれくらいしか仕事がないのだから。





そんなも桓魋の元へ来てからは少しずつ変化を見せつつあった。
最初の内こそ心を開かず無愛想に振る舞ってはいたが、時が経つと共に徐々に打ち解けてきていた。
この雰囲気は何だろうか、と不思議に思う。

傭兵の集まりにしては纏まりすぎている気がする、かといって正規の軍というわけでもない。
寄せ集めの傭兵集団や軍が傭兵を集っての逆賊討伐、またその逆も然り、と様々な集団に身を置いてきたが、此処は今までとは違う。
どこがどう違うのか具体的には解らないが、少なくとも居心地がよいのは確かだった。

言い寄ってくる男もいるが、剣の勝負で負けると潔く手を引いてくれるし、あれこれ詮索してくる五月蠅い輩も居なかった。
ちょっかいを出してくる者が居ないわけではないが、そう言う時には桓魋が一言窘めるとすぐに大人しくなる。
礼儀正しいとも思えるし、統率がとれているとも感じる。
此処の連中は今は傭兵だとしても、きっと以前は何処かの軍にいた者達なのかも知れない。
そんな予感が脳裏を過ぎる。
今まで自分が身を置いてきた様々な軍を思い起こすとそんな気がするのだ。
桓魋の人柄や全体の雰囲気を好ましく思う。
ここでなら良い仕事が出来そうだ、とは満足げに笑みを浮かべた。





此処での仕事は草寇から荷を守る事だと言われた。
桓魋の言うとおり、実際に交代で街道へ出て見回り、頼まれれば荷車の護衛も引き受けた。
単純であまり体力も使わない仕事だった。
少々退屈だとも思う。
だが傭兵を生業としているからといって人を傷つけることが好きなわけではないし、寧ろ傷つけずに済むのなら迷わずそちらを選ぶ。

不思議と資金だけはあるようで、日々の食事も充分すぎる程ありつけるし、気詰まりがないから文句はない。
それにしても・・・と思う。
そこそこ大柄な男が武器を振り回してみせれば大抵の草寇は盗んだ物を置いて逃げてしまう。
それにしてはこの人数は多すぎる。
時間さえあれば中庭で鍛錬に励み、日に一回巡ってくるかどうかの街道見回り。
簡単で安い仕事にしては人員の多さと羽振りの良さに、引っ掛かりを感じる。
考えれば考える程、疑問は深まるばかりだ。





此処に来てから祥瓊という少女と同じ房間で寝泊まりしている。
祥瓊は武器を扱わない。
少し前に此処に来て、主に兵達の身の周りの世話をしているようだ。
来たばかりの頃はお互い殆ど口を聞かなかった。

祥瓊は仏頂面のに取っ付き難さを感じているのだろう。
は女はお喋り好きだという先入観もあり、同室に二人きりでは何かと質問攻めにあいそうだと警戒したからだ。
それに互いに仕事が違うし、祥瓊は夜も朝も早いが自分は夜遅く朝も遅い。
そのため自然と顔を合わせる時間も少なく、会話も最低限だった。

ただ会話が少なかった理由はそれだけでは無かったようだ、と今になって気付いた事がある。
祥瓊も自身の事をあまり喋りたがらないように感じる。
誰にでも隠しておきたい事が一つや二つはある。
きっと祥瓊も色々と苦労してきた口なのだろう。
その所為なのか、祥瓊の方もにあれこれ興味本位で聞いてくる事はなかった。










その日には見回りの順番が回ってこず、暇な一日を過ごしていた。
何とはなしに昼餉の支度をしている祥瓊の所へ足を運んでみる。
厨では祥瓊が一人で大鍋を相手に格闘していた。

「・・・なんだ、言ってくれれば手伝うのに」
そう言いながらは鍋を竈の上に乗せるのに手を貸す。
「ありがとう、助かったわ」
あまり手入れが行き届いているとは言えない厨を見渡すが、他に人影はなかった。
「まさかとは思うけど・・・一人?」
「ええそうよ。他にいないから」
祥瓊はさも当然という風で答える。

よくよく考えてみれば祥瓊の他に膳女らしき者を見たことがない。
「えっ・・・祥瓊一人でいつもみんなの分を・・・?」
「ええ、だから簡単なものしか作っていないでしょう?私、あまり料理は得意ではないのよ」
苦笑する祥瓊に咄嗟に言葉が出なかった。

正直驚いた。
このくらいの規模の詰所には世話役の女性が少なくとも二,三人はいるのが普通だ。
金には困っていないようなのに何故雇わないのだろうかと不思議でならない。
確かに出される食事は簡単なものばかりだったが具材はまともだし、傭兵身分からすれば御馳走とも言えるほどのものだ。

「いや、いつも美味しく頂いている。祥瓊は料理が上手だね」
そう言って微笑むと祥瓊は「そう、よかった」と素直に喜んでくれた。

そういえば昔、戦場のど真ん中で野営をした時に、倒した妖魔で鍋をした事があったがあれは酷かった、と思い出して思わず顔を顰めた。
それに気付いた祥瓊が「どうしたの?」と訝しむ。

は無意識に顔に出てしまっていたことに自嘲の笑みを零した。
「うん・・・ちょっと昔の事を思い出してね。祥瓊は妖魔の肉を食べた事がある?」
驚いた祥瓊は目を丸くし、妖魔という言葉を聞いて眉間に皺を寄せた。
「妖魔!?無いわよ、・・・食べられるの?」
「いや、やめておいた方がいい。あれは最低だ」
肩を竦め、眉を顰めたの情けない顔に、祥瓊は思わずプッと吹き出した。
「どうして妖魔なんか食べてみようだなんて思ったの?」
聞かれたは少し遠くを見るように記憶を辿った。

・・・あの時の光景が脳裏に蘇る。

酷く荒廃していた地。
家も小屋も何もかもが焼け落ち、木も枯れ、草すら生えていない。
まだ燻っている所から流れてくる煙の匂い、風が運んでくる血生臭い匂い。
地面は紅く染まり、そこかしこに転がる骸、形をとどめていない肉の塊。
王を失った国では敵は人間だけではなく、妖魔も同時に相手にしなければならない。
気が狂いそうだった。
実際に正気を保っていられずに喚きながら敵陣の真っ直中に突っ込んでいった者もいた、・・・そして、過酷な状況に耐えきれずに自らの命を絶った者も・・・。
補給路も断たれ、次々に仲間が倒れていく、・・・明日は我が身だった。

「荒れた国の、それも戦地のど真ん中でね。草すら生えていない、とにかく何も無かったんだよ。二日間飲まず食わず同然だったしね」
懐かしそうに話しているようにも見えるが、そこに何らかの感情を見出すことは出来ない。
「それで試しに食べてみようという事になってね。でもすぐに後悔するはめになったよ」
そう言いながら軽く笑ってみせる。

飢えで動けなくなる者もいた、怪我が元で勝利を目前にしながら生を終えた者も・・・。
自分は仙だから怪我を負っても治りが早く、飢えにも耐えられるから辛うじて今まで生き延びられたのだ。

祥瓊はそんな地獄のような話を笑顔で話すに目を丸くする。
信じられないという表情で「私には想像も出来ないわ」と驚いている。

「他に口に入れる物があるとしたら人肉くらいかな。正気を失った連中の中には死んだ仲間の肉を口にしている者もいたけどね・・・」
何処か遠くを見つめるような視線で苦々しくそう漏らしたかと思うと、一変してあははと声を立てて笑った。
「すまない、料理を作りながらする話じゃなかったね。さあ、手伝うから早く作ってしまおう。みんな待ってるよ」
祥瓊は何と言っていいのか思い浮かばず、「あ、ええ。・・・そうね」と返事を返すのが精一杯だった。

鍋に水を注ぎながらは密かに自嘲の笑みを漏らした。
何故あんな話を口走ってしまったのか自分でも解らなかった。
此処へ来てから自分は少し調子を狂わされている気がしてならない。
それなのにその事を不快だとは感じていないのも確かだ。
たまにはこうやって流されてみるのもいいかもしれない、と思うと肩の力がほんの少し抜けたような気がした。

材料を切りながら祥瓊はちらりとを見遣った。
自分とそれ程歳の違わないであろうがとても大きく、大人に見えた。
草すら生えていない戦地のど真ん中・・・そんな話を淡々とできてしまう程彼女は多くの戦に身を投じ、数え切れない程多くの死を見てきたのだろう。
常に死と背中合わせの世界で生きてきたに比べ、自分がどれ程甘かったか思い知らされる。
自分が逃げ出してきた祖国も今・・・きっと酷く荒れていることだろう。



それ以来は時間が空くと祥瓊を手伝うようになっていた。
一見不釣り合いにも見える二人だが、互いを必要以上に詮索する事もせず、いつしか気の合う良き友となっていた。



この詰所に常駐している人数は三十名ほどだが、常駐ではない者の出入りも激しく謎が多い。
それ以外にも、たまに訪れる他所の傭兵らしき者がいるが彼らもまた桓魋の知り合いのようだ。
顔が広いのだな、と感心してしまう。

数日を此処で過ごしてみて、また新たな疑問が湧いてきた。
雇われ傭兵の集団、それは強ち嘘ではないようだ。
しかしその割には、仕事をせず詰所から全く外に出ない者や、逆に仕事とは別に頻繁に出かけていく者がいる。
桓魋はというと、仕事をするでも出かけるでもなく詰所で暢気に過ごしている事が多い。
まるで訳のわからない連中、それがが感じた印象だが、一つだけ彼らの共通点を見出した。
それは皆一様に”和州侯に否定的”だということだった。

・・・何か裏がありそうだな。
漠然と感じていた違和感は少しずつ膨らんでいく。










「・・・祥瓊、頃合いを見計らって此処を出た方がいい」

眠りにつこうとしていた時、唐突にそんなことを言われ祥瓊は怪訝に思った。
「・・・何?どうしたの?」
言われたことの意図が掴めず、椅子に座って剣の手入れをしているへと首を巡らせる。
「いつまで此処にいるつもりか分からないけど、祥瓊は雇われたわけでもないし。・・・最後まで付き合う必要はない」

祥瓊は芳から来たのだと言っていた。
その立ち居振る舞いや言葉遣い、大人びていて心の内に影を隠し持っている彼女、・・・何処か良家の令嬢だったのだろうと容易く想像が付く。
少し気が強い面があるが、純粋で真っ白で・・・。
・・・彼女はまだ穢れていない。
穢れを知る必要もないし、穢れて欲しくもない。
世の中には見ない方が、知らない方が幸せだということもある。
彼女はそれを見なくてもいい、知らなくていいのだ。
ましてや彼女は自ら進んで此処へ来たわけではないのだから尚更だ。

「他に行く当てもないし、・・・嫌なの」
「・・・何が?」

祥瓊は横たえていた身をゆっくりと起こした。
「私ね、見ちゃったのよ。明郭で、人が磔刑にされて・・・。芳でも同じ事が繰り返されてたのよ。だけど、芳だけだって思ってたの。芳以外の国であんな事があるなんて思っても見なかった。それを知った時は、とても怖かったわ。許せないって思った。だから・・・此処にいれば私でも何か出来ることがあるんじゃないかって・・・」
「それだけ?」
「・・・ぇっ?」
憤り、苦悶し・・・真剣に話したのに、は事も無げに「そんなことか」と冷たく言い放った。
「処刑など民に脅威を抱かせるための常套手段に過ぎない。目に見えるものだけに囚われて、それに一々腹を立てていたってしょうがない」
淡々と告げるの目は冷ややかだった。
「・・・そんなっ」

処刑など?腹を立てても仕方ない?
・・・どうしてそんなに簡単に言い捨ててしまえる?

は・・・貴方は慶の民なんでしょ!?あれを見て何とも思わないの!?見て見ぬ振りをしろって言うの!?どうにかしたいと思わないの!?」
祥瓊は思わず声を荒げた。
しかしは顔色一つ変えない。
「思うだけなら簡単だね。誰にだって出来る。だけどそれを行動にするのはとても難しいことだよ。祥瓊は自分に何が出来ると思う?」
言われて祥瓊は視線を覚束なく彷徨わせる。

確かに自分は剣も扱えないし慶の人間でもない。
世間のことなど、ましてや慶のことなどまだ何もわかっていない。

「そ・・・それは・・・わからないわ。でも、桓魋達といれば何か役に立つかも知れないし、・・・和州をどうにかしなくちゃ」
祥瓊も桓魋達が和州を良く思っていないことくらいは知っていた。

「和州を・・・か。確かにどうにかしなくちゃいけないよね。・・・だけどそれは、そういう立場にある者がすべき事だよ。一介の民が足掻いてみたところでたかが知れている。下手をすれば相手の威勢を増長させかねない」
「・・・確かに、そうかもしれないわ。でも何もしないで見ているだけなんて出来ないわ。・・・は、和州がもうどうにもならないと諦めてるの?なら、どうして此処にいるの?」
「諦めているわけじゃない。此処にいるのは、自分でそう決めたからだよ」

のその言葉は、言葉通りの単純なものではないような引っ掛かりを覚えた。
「・・・もしかして・・・桓魋達が何か考えているというの?」
「いや・・・それはわからない。わからないけど・・・祥瓊には、汚れて欲しくないんだよ」

わからない・・・そう言いながらもが何かを感じ取っているのは確かなようだ。
そして自分が汚れているのだと、だからこれから先も汚れても良いのだ、汚れるのは自分だけでいいと諦めているようにさえとれた。

「そんなの・・・詭弁だわ。ただのの我儘じゃない。何よ、偽善者振っちゃって。私はの持ち物でも何でもないわ。そりゃ自分から此処に来たわけじゃないけど、でも私は自分の意志で此処にいるの。剣も持てないし人を殺めたことだって無いわ。だけど人より多少は知識があるつもりよ、・・・常識は・・・ちょっと無いかも知れないけど・・・」

確かにこのお嬢様は世間に疎い部分がある、それもちょっとどころではない。
一応本人にも自覚はあったようだ。
を睨め付け強気に言い放っていた祥瓊が急に弱気になって、は思わず吹き出してしまった。

「ちょっ・・・何よ、失礼ね」
そう言いながらもの表情に感情が戻ったことにほっと安堵する。
が自分のことを案じてくれているのはわかる、でも・・・。
もう二度と同じ過ちを繰り返したくはない。

祥瓊は一度目を閉じてから再びゆっくりと開くと、口調をやんわりとしたものに変え、続けた。
「・・・ありがとう、。でもね、私は自分が汚れても構わないと思っているの。今まで何も知らなさすぎたのよ。汚れる覚悟はとっくに出来ているわ。・・・いいえ、私ももう充分に汚れているのよ。だから、桓魋達がもし何か考えているというのなら、それでもいい。私はついていくわ」

おっとりとした口調の中にも揺るぎない決意を感じ取れる。
は目を細め、苦笑しながら諦めたように息を吐いた。
祥瓊が「自分はもう汚れている」と言った事に引っ掛かりを覚えたが、敢えて詮索はしなかった。
そして、お手上げだと言わんばかりに肩を竦めてみせる。
「・・・わかった、悪かったよ。もう何も言わない。・・・この先、もし何かあっても私が祥瓊を守ってあげるから」

祥瓊は目を瞬かせ、ポカンと口を開けた。
整った顔立ちで、心までをも絡め取られそうなその瞳で、心地よい響きの声で、こちらが恥じ入ってしまいそうな事をさらりと言う。
自分と年の変わらぬ少女を目の前にして、何故か頬が熱くなるのを感じていた。

「・・・・・。、貴方が男だったら女性はみんな骨抜きにされてしまうわね」
「ん?」と一瞬首を傾げ、だがすぐにその意味を理解したのだろう、は困ったように曖昧な笑みを浮かべると「散歩してくるよ、おやすみ」と外へ出て行ってしまった。

どうやら自分の言動が相手をどれだけ動揺させているのか、あまり自覚はないらしい。
祥瓊は徐にはぁーっと大きく溜息を零した。