さあ台輔、戻りましょう      NEXT(2)へ
ここは慶東国堯天の中心から少し北西にある寂れた路地裏。

あまり人相の良くない曰わくありげな男達が屯し、昼間から酒の匂いが充満する空間。
到底そのような場所には似つかわしくない美しい容貌を持つ女が一人、歩いていた。

もうどの国にどれくらい行っただろうか、この国の地を踏むのは何度目だろうか。
空を仰ぎ、ただいま、と声に出さずに静かに息を吐く。
ここは自分の生まれ故郷だ。
それにこの国は王が短命だから荒れる事も多く、ここで仕事をする機会も多い。

先頃漸く新王が立ったと噂に聞いた。
だがまだ天候は落ち着かず、少なくなったとはいえ未だ妖魔が徘徊している。
いつになったら落ち着いてくれるのか、今度の王こそは慶を豊かな国にしてくれる、・・・と、そう願わずにはいられない。





以前来た時と余り変わらぬ様子の路地をフラフラと歩く。

声を掛けてくる男達の存在など彼女の視界には入っていないかのようだ。
不意に腕を掴んで言い寄ってきた男は次の瞬間呆気なく地面に横たわったが、それすら軽く手を払っただけで、再び何事もなかったかのように一瞥もくれずに歩き去る。
やがて女は一軒の小さな酒場へと足を踏み入れた。



店に入ると賑やかだった店内が一瞬静まりかえり、入ってきた女を物珍しそうに物色する客の視線が刺さった。
女はそれを気にも止めずに、奥の方へと淀みなく歩を進める。

「いらっしゃい!・・・おっ、あんたか。随分と久しぶりだな」
店の奥から顔を覗かせた男はまだ二十歳前後といった風だった。
その様子からして彼がこの店の主人だろう。
「・・・あら、此処には今日初めて来たんだけど?」

隅の空いた席に腰掛けるとカチャと僅かな金属音が鳴る。
主人は音の元をちらりと見遣り、「良い剣だね」と微笑む。
女は微かに微笑んだだけで「大事な商売道具だからね。で、久しぶりってどういう事?」と話を戻す。
「ははっ、こんな店に絶世の美女が来たとなりゃ死ぬまで忘れるもんか。ここに来たのは初めてじゃないだろう?親父がやってた頃にも来てるはずだ」

その言葉を聞いて女はふと首を傾げ、記億を辿る。

確かに先代の主人の時に何度か訪れている、だがそれはもう十年近く前の話だ。
それに目の前の主人の顔に見覚えはないのだから・・・と、そこまで考えて改めて主人の顔を見る。
(そういえば、先代の横で手伝いをしていた男の子がいたっけ・・・)

十歳くらいだったろうか、確か先代は息子だと言っていた。
歳をとってから授かった子だからと大層可愛がっていたのを覚えている。
それに外に掲げてある店の看板は新しく作り直されてはいたが、店名は変わっていない。
とすると、目の前にいるまだ若い主人は・・・
「・・・ああ、あの男の子・・・」

「ほう、覚えてくれてたとは嬉しいね。特別に一杯目は俺の奢りだ。それにしてもあんた、あれから随分経つのに全く変わってないな」
「・・・それはどうも。・・・じゃあ、遠慮無く」
と、酒を頼もうとすると主人は「あんたの好きな酒、これだろ?」といって一本の酒瓶を棚から取り出す。
「へえ、好きな酒まで覚えてるなんて。私そんなに目立った事した覚えはないんだけど」
・・・何かしたっけ?この店で騒ぎを起こした覚えはないと思ったけど・・・と首を傾げてみせる。
「これでも飲み屋の倅だったんだ。親父の教育の賜ってとこだな」
主人はそう言って快活に笑う。

先代は以前来た時には既にかなり歳がいっていた。
主人の口調から察するに恐らくもう他界したのだろう。
また一人、見知った顔がこの世から消えてしまった。
老いる事を知らない自分にはもう慣れた事だが、やはりやるせない悲しみは拭い切れない。

「やはり、名で読んだ方が?」
ふと思ったことを口に出して聞いてみる。
先代は”主人”とか”おやじ”と呼ばれる事を嫌い、客は皆彼を名で呼んでいた。
「ああ、祐恵だ。今後とも御贔屓に頼むよ」
そう言って商売用の笑みを向けてきた祐恵に、女も微笑み返す。
「こちらこそ。私はよ、よろしく。・・・早速だけど祐恵、私仕事を探してるんだけど」
流れ者の傭兵如きが名乗る必要もなかったが、相手の名を聞いた以上はこちらも名乗っておこうと思った。
どうせ既に先代から名も聞いて知っているだろうから今更だろう、と思った所為もある。

「そうさな、慶は見ての通りの有り様でここにも仕事の話は腐るほど来てるよ。ま、俺のお薦めは和州だな。もう既に何人か紹介してやったがな」
和州・・・か。
あそこはあまり良い噂を聞かない。
「ふ〜ん、どんなところがお薦めなの?」
「まず雇い主がしっかりしているな。といっても、うちにきた奴が雇い主だかどうだかは知らんけどな。少なくともそいつはなかなか感じの良い奴だった。金は持っていそうだし、雇った奴らを蔑ろにしなさそうだしな」
客を見る目も先代の教育の賜だろうか。
これは今後も頼りに出来そうだ。

「そう。・・・で、そこはまだ空きがありそう?」
「ああ、来る者拒まずって言ってたから大丈夫だろうよ。気になったら明郭北郭の六林園ってとこに行ってみるんだな」
「明郭・・・か。他にお薦めは?」
「そうだな、後は・・・」



祐恵のお薦めという仕事を二、三口聞いて店を出たは「さてと」と伸びをした。
やはり聞いた中では明郭の件が一番まともそうだった。
もう日は西に傾き掛けている。
今から和州へ向かっても閉門に間に合わないだろうと、とりあえず宿を探す事にした。













男は言葉も発せずに口を開けたまま、目の前に立つを唖然と見つめていた。

がっしりとした大柄な体格の男がポカンと呆けている様は何とも滑稽だ。
彼も傭兵だろうか、しかしその割にはどこか品の良さそうな雰囲気を醸し出している。
「やっぱり私みたいなのが傭兵なんて呆れて当然だよね。で?無条件で却下?」
はぶっきらぼうに言い、溜息を吐いた。

まだ雇われたわけではないから言葉遣いも気にしない。
新たに仕事に就く時には大体いつもこんな感じだ。
酷い時には女だというだけで腕試しもせずに断られてしまう。
今回もその最悪のパターンだろうか。
普通に立っていれば十六,七歳と思われがちな自分の容姿からすれば、「お前が傭兵だと?」と鼻で笑われても無理もない事なのかも知れない。
だが来る途中に見えた鍛錬中の者の中には女性もいたはずだ。

そう思っていると、漸く固まっていた男がぎこちない動きを見せた。
「あ、いや・・・すまない。・・・えっと、・・・剣は、扱えるのか?」
の腰から下がっている細身の剣をちらりと見遣り、一応聞いてみるかといった風で問うてくる。
「目で確かめないと信じられないのならどうぞ」
そう言っては視線だけで中庭へと男を誘う。
男はその一言との瞳を見てその意味を読みとった。

第一印象は飯炊にでも雇ってくれと来たのだと思ったが、剣を持っているのだから傭兵として職を探しているのだろう。
それにしても・・・・・こいつは、この俺に相手をしろと言っているのか。
相当な自信があるのか、それとも・・・ただの馬鹿か。。。
どんなに小さい頃から剣を習ったって十六,七歳の小娘の腕前などたかが知れている。
実際に此処にも女性兵はいるが、彼女たちは州軍兵士として長年訓練を積んできた者ばかりだ。
素人のこんなか細い少女に何が出来ると・・・。

そう考えている間にも、はやるのかやらないのかと睨んでくる。
その気迫は強ち素人の小娘だとも言えない凄みと圧迫感を孕んでいた。
これはひょっとしたら、なかなか面白い逸材を見出したのかも知れない。
そう思った途端、剣の腕がその気迫にどの程度伴うのか興味が湧いてきた。

「・・・よし、見せて貰おう。但し、相手は俺じゃない」
そう言って立ち上がった男には「ふ〜ん、遠慮深いのね。構わないけど。ところで貴方の名は?」と事もなげに言い、中庭へと降り立った。
技量を見定めるという事はもう雇用決定も同然だ。
そう思い、これから世話になるであろう相手の名を聞いた。
男はそういえばまだ名乗っていなかったかと今更ながらに気付く。
「桓魋、だ」



中庭に出た桓魋が「錐牙」と声を上げると鍛錬中だった男の一人が走り寄ってきた。
「彼女の腕が見たい、相手を」
言われ錐牙は「は・・・はあ」と間の抜けた返事を返した。
こんなお嬢ちゃんが剣を?とあからさまに驚いているのがわかる。

錐牙の剣の腕は中の上といったところで、体つきも男としては割と華奢な部類にはいるだろう。
あまり下手な者が相手ではを傷つけてしまうかも知れない。
相手の技量をある程度見極める事が出来て、且つそれに合わせて上手く力加減ができなくては危険だ。
錐牙はそう言った点では器用な方だから大丈夫だろう。





「始め!」
声を合図に緊迫が走る。

は軽く剣を構えただけで、緊張した様子もなく淡々と錐牙を見据えている。
錐牙は相手の出方を見てみようと思っていたのだが、が全く動く様子がないことに(さて、どうしたものか・・・)と考えていた。

暫くの睨み合いの後、痺れを切らし、先に動いたのは錐牙だった。
だが同時にその瞬間、桓魋は錐牙を選んだことを後悔する。
様子を見ようと無難に繰り出した錐牙の剣は、何とも呆気なくの剣によって弾き飛ばされてしまった。
「っ!・・・ぁ」
喉元に突きつけられた剣に身動き出来ず、立ち尽くす錐牙は背中に冷たい汗が伝うのを感じた。

その一瞬の出来事に、周囲で見守っていた者全員が驚嘆した。
普通ならばたったこれだけの事での技量がわかるのかと疑問に思うだろうが、此処に集う者の殆どが元州師だ。
の剣捌きが並々ならぬものであると見極める事が出来るだけの眼を持っている。

はさもつまらないといった様子で剣を下ろすと「次は?」と桓魋に視線を向ける。

あまりにも予想外の展開に思わず言葉を失ったが、すぐに我に返る。
「・・・いや、もういい。合格だ。・・・みんな聞いてくれ、今日から仲間に加わっただ」
しんと静まりかえっていた中庭に桓魋の声が響き渡った。

桓魋は数歩歩み寄りの肩を軽く叩くと「宜しくな、」と屈託のない笑みを浮かべた。
「大したものだ。何処で覚えた?」
興味深げに聞いてくる桓魋には微かに微笑んだだけで「これが仕事ですから」とさらりと言ってのけた。
その素っ気なさに桓魋は呆れたように「そうだったな」と肩を竦める。
聞くまでもない事だった。
は傭兵として職を探し、此処へやって来たのだから。



に房間を宛い、自室へと戻りながら先程の光景を思い出す。

は終始落ち着き払っていて、殆どその場から動くことなく確実に一撃で錐牙の剣を弾き飛ばした。
あの細い身体と腕にそれ程の力があるとは思えない。
相手の動きと力加減、剣の向かう先と刃の狙い、そしてその心中までをも、・・・全てを見越し、まるで計算で弾き出したかのような正確な受け流し。
更に、力のない腕でも手首を極力負荷無く上手く返すことによって、相手の剣をその手から取り上げてしまう器用さ。
何もかもが完璧と言っても良いほど洗練された無駄のない動きだった。
単なる自己流ではない、実践で培ってきた技のようだ、それも相当な場数を踏んでいないと身に付かないものだ。

見た目の年齢と中身に相違があるということか・・・だとすると、彼女は、仙か?
いやしかし、仙になるためには普通大学を出て官になるための試験を受け・・・。
彼女の年齢で既に大学を卒業しているなど有り得ないだろう、それに官吏というわけでもないだろうし・・・。
訳ありな者などいくらでもいる、それにしても不可思議で謎めいた部分が多すぎるようだ。
一体何者なんだ、彼女は・・・。

桓魋はフッと小さく笑った。
どうやら俺はとんでもなく面白いものを見つけてしまったのかもしれない。