さあ台輔、戻りましょう     NEXT(再会)へ

早朝、はまっすぐ琳明の店を目指していた。

まだ街は人も疎らで、いつもと変わりないその様子を見ると、昨日の騒ぎが嘘だったのかと思えてしまう。

昨夜はほとんど寝れなかった。
傭兵業をやめてからも人を斬ることは幾度と無くあったが、殺めるまでには至らなかったから罪悪感に苛まれたのだろうか。
それも確かなのだが、それ以上にあの男の目が脳裏に焼き付いて離れなかったのだ。
光を宿していない、深い闇に沈み込んだようなあの目は、とてもこの世の者とは思えない、だが現実に男は人以外の何者でもなかった。
いい知れぬ悪寒を感じ身震いする、だがそんなことばかり考えていても仕方ないと大きく息を吐き、気持ちを落ち着かせた。

店の前まで行くと琳明がちょうど店先を掃除していた。
に気づき、にこっと笑って「どうぞ〜」と房間へ促される。
いつもそうだった、琳明だけでなく家の人は皆に優しく、余計な詮索も一切しないのだ。
まるで自分の生家にいるように心が温かくなる。



房間に入り、出されたお茶を少しだけ口にすると、身体の力が抜けて楽になっっていくのを感じた。
自覚が無かっただけに自分が緊張していたことに気づき、思わず自嘲の笑みが漏れる。

そんなを琳明は不思議そうに見ていたが、やがてくすっと笑う。
「どうしたんですか〜?さんらしくないですね〜」
それに苦笑で応え、気を引き締めるようにふっと短く息を吐いた。

「実はね、ちょっと薬のことで聞きたいことがあるの」
「はい、いいですよ〜」
にこっと笑いながらの質問を待つ琳明に、昨夜の男の状態を説明した。
もちろん、殺人鬼のことや斬り合いになったこと等は一切出さずに。



真剣に説明を聞いていた琳明は暫し首を傾げて考えていたが、やがてゆっくりとに視線を合わせた。
「う〜ん、それだけじゃ何とも言えないんですけど、私が知っている薬で一番近いのは・・・幻覚剤・・・かな〜」

「・・・幻覚剤?でも・・・私の知っている幻覚剤では、さっき話したような状態にはならない気がするんだけど」
「ええ、そうですね〜。幻覚剤の症状って言うのは、基本的に忘我と幻覚だから、ちょっと違う気がしますね〜」
「他に可能性は?」
「えっと〜、・・・・・・確か、あれは・・・闇の薬、だったかな〜」
「闇の薬?」
「幻覚剤みたいな物でも種類がたくさんあって、決して正規では扱われることのない謎の薬もあるんですよ〜。それだけでも充分危険なんですけど、更にそれを調合したり手を加えたりして別の物ができて・・・そうやって数え切れない程の種類の危険な薬が作られることがあるって言う話ですよ〜。そういう薬は治療に使われることもないし、表には出てこないんですよ〜。だから詳しいことも、どんな症状が出るのかもわからないんですけど、可能性はありますね〜。業界ではそういう薬を『死神』って言うらしいんですよ〜」

「・・・・・『死神』」

もしそれがあの男に使われたとしたら相応しい言葉のように感じた。
そしてそれが事実だとしたら、背後に大きな何かがいることになる。
だが確信が無く、相手の目的もわからない今は、あくまでも可能性の一つとして見なすべきだろう。

は立ち上がった。
「ありがとう、参考になったよ」
「いいえ〜、お仕事頑張ってくださいね〜」
にこにこしながら手を振って見送る琳明に、もまた手を振り返しながら店を後にした。

(さてと、これからどうしようかな。死神の存在はわかったけど他に手がかりが無いしなぁ。怪しい薬といえば妓楼かな、でも闇雲に妓楼で聞いて回ったって時間もかかるし、たとえ知ってても見ず知らずの人間に簡単に話してはくれないだろうな。傭兵を捜してる人っているのかな。。。いるならその方が手っ取り早い気がする。・・・となると・・・酒場、か・・・)
歩きながら考え、取り敢えず酒場に行ってみることにしたが陽はまだ高い、一度宿舘に戻って夕刻に改めて出かけることにした。







宿舘で一休みし、夕刻酒場へと向かう。
酒場には傭兵が屯する、これは基本中の基本である。

もかつては傭兵だった。
は十九歳の時に家族を失い、その後は各国各地を転々としながら傭兵として生きてきた、その年月約百年。
ここ堯天の酒場も以前とは大分変わったが、馴染みの店も幾つか残っている。
今では慶も落ち着いてきているので傭兵は他国へ流れて少ないだろう、それでも仕事が見つかるとすれば或いは死神に関係があるかも知れない。

は躊躇なく一軒の店に入っていった。
店内を見渡し、壁際の空いている席へ座ると店の主人がに近づいてきたのでにこっと笑んで見せる。
「・・・、か?」
「えへへ、久しぶり」
「おぉ!だ、元気だったか」
「うん、ここも相変わらず繁盛してるみたいね」
「ああ、お陰様でな。しかしお前も変わらねーな、暫く来なかったが余所にでも行ってたのか?」
「うん、ちょっとね。でもまた暇になっちゃったから、何か仕事無いかなって探してるところなの」
「そうか、慶もやっと落ち着いてきたからな、傭兵業は不景気だな。生憎だがうちには仕事の話は入ってきてねーぞ、残念だったな」
店主はそう言い、の肩をぽんと叩いた。
「そっか、ここに入ってきてないなら他も期待できないね。たまにはのんびりするのもいいかな。ありがとう。また来るね」
「ああ、俺が忘れないうちにまた顔見せなよ」





は店を出ると、すぐ脇の壁にもたれ掛かった。
(たぶん・・・かかったかな)
店主と話している時、背後に視線を感じていたのだ、単なる好色男か、でなければ或いは・・・。

の予想通り、すぐ後から一人の男が出てきて目の前で立ち止まった。
「店で私のこと見てたでしょ、何か用?夜の相手ならお断りだよ」
男はふっと笑って「気づいていたのか、さすが傭兵だな」と低く小さな声で話しかけてきた。

凡人であれば気づくはずもない自分の気配に気づいた少女、見た目との落差はあるが、なかなか使えそうだ。
「あんた、仕事探してるのか」

「そうだけど・・・」
「腕は」
「そこそこだと思う」
「ならばいい仕事がある」
「内容は?」
「傭兵ならやることは決まってるだろ、詳しいことはここじゃ言えない。やる気があるならついてきな」
「報酬は?」
「働き次第だな」
「教えてくれないんじゃ頷けないな〜、どうしよっかな〜」
「話を聞いた後で気に入らなきゃ断ったっていいんだ、うまくいけば報酬はたっぷりとくれてやる」
「たっぷりねぇ・・・うん、わかった。話聞くだけならいいよ」
がそう言うと、男は満足したようににやっと口端を上げ、歩き出した。



のすぐ前を男は足早に歩く。

(う〜ん・・・私の予想が当たってるなら、普通場所を覚えられないように目隠しとか何とかすると思うんだけど・・・いや、もしかしたら場所を覚えられても構わないって事かな?ってことは・・・二度と生きて帰れない?もう既に逃げられない状況にあるってこと?・・・それとも私の予想がはずれた?)
辺りの気配を窺うが殺気は感じられない、やはり予想がはずれたのかと落胆する。

「ぅわっ!」
ぼんやりと考え事をしながら歩いていたは、男が立ち止まったのに気づかず、思いっきり背中にぶつかってしまった。
「何をしている」
「ごめんなさい、余所見しちゃってた」
男はを一瞥すると、目の前の建物を指し「ここだ」とだけ言い、中へと入っていく。
は戸惑いながらも後に続いた。





建物はそんなに大きくなかったが、中に入ると余計な物が無く、すっきりとしているので見た目よりも広く感じた。
廊下突き当たり左奥の方から笑い声が聞こえ、何やら賑わっている。
集められた傭兵だろうか。

男とは反対の右奥の房室の前で止まった。

「失礼します」と男が扉を開け、を振り返ると「入れ」と言うので、言われるまま房室に入る。

方卓に二人の男が向かい合うように座っていた。
案内してきた男がそれを見て、慌てて礼をとり、「いらしていたとは存じませんで、失礼致しました」と言ったので彼の上官なのだろう。
座っている男の一人が鷹揚に頷き、「上に用があったのでな、ついでに様子を見に来ただけだ」と返す。

はその様子を黙って窺っていた。
(着ているものは上質な官服だな。上、って・・・?もしかして金波宮のことだったりする?・・・この男、どっかで見たことあるような気がするんだけど・・・金波宮に用があったということは宮の人間じゃないって事だよね、なら州侯とか・・・)

確かにはこの男を知っている、数回見たことがあるだけだが、金波宮で、そしてどこかでも・・・
頭の中の情報を片っ端から捲っていき、あるところでぴたっとの思考が止まった。

(・・・・・げっ!うそでしょ、なんで〜〜〜〜〜!?)

さっと血の気が引くのを感じ、くらくらと眩暈がする、は必死で平静を保ったが、その顔は青ざめていたはずだ。