さあ台輔、戻りましょう                  NEXT「翳り」へ
私は王になるべく産まれてきたわけでも、王になりたかったわけでもない。
ただ、運命が・・・天帝が私を選んだ。

何人たりとも天帝には逆らえない。
勿論、それは神仙となった王も例外ではなく、私は一生涯をこの国のために捧げなければならない。
もう一人、最期の時まで国に王に仕えなければいけない麒麟という存在もあるが、彼らの場合は初めから麒麟として生を受けているのだから人とはまた少し違ってくるのだろう。

そして今、私の側にはもう一人、己が運命に逆らえない人間がいる。
彼女は正確には人ではなく、何代か前の王に創られし我が慶国の宝重なのだが・・・。
尤も、そのことを知る者は極少数に限られている。
彼女のためにも、慶国のためにも、その方が良いと私が判断したからだ。
そして彼女は今、私の側用人として、また私的な護衛役としてこの王宮で共に暮らしている。

そんな私の私的護衛はあまり多くを言わない。
私の麒麟も口数が少ない方で、たまに口を開けば溜息と嫌みが飛び出してくる。
それに比べれば彼女のそれはずっとマシだとは思うのだが、やはり時には首を傾げたくもなるというものだ。

彼女の名はという。

何事もそつなくこなし、いつでも私の望むものを、いや、それ以上のものを与えてくれ、助けてくれる。
それは、飲みたいと思ったちょうど頃合いに出されるお茶であったり、入手困難な情報であったり、目の前に突き出された刃からの庇護であったり・・・。
だけど、今日の彼女といったら・・・何時になく様子がおかしいと思ったのは果たして私だけであろうか。。。
このところ妙に気分が苛立つことがあるから、その矛先を彼女に向けてしまわないよう気をつけてはいるのだが。
それでも聡い彼女のことだ、ひょっとしたらもう気付いているのかもしれない。















窓の外にはチラチラと雪のように白い花弁が舞っている。
日ごとに暖かくなり、降り注ぐ陽光が柔らかい中にも力強さを増してきている。
下界では冬の間にすっかり痩せた畑を耕し、種を蒔く準備に慌ただしい人々の足取りもきっと軽やかなことだろう。

そうしてここにも、足取り軽く鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌さで歩く少女がいた。
すれ違う官吏達とさほど変わらない衣裳で颯爽と歩くその少女は、紛れもなくここ慶国の国王である。
向かう堂室へ近づくにつれ、ふわりと漂ってくる香りに鼻を突き出し加減に眼を細めている。





入ってきた陽子は満足げに目の前に並べられた夕餉を見渡した。
だが、ふと視線をある位置で止め、一皿を訝しげに睨みつける。
不満そうに首を傾げ、拗ねた子供のようにその薄く整った唇を尖らせた。

「桜饅頭のはずだ。。。」

ぼそりと不機嫌を露わに呟く。

コト、と置かれた皿器に添えられた手がそのままピクリと僅かな反応を示して止まった。
幸い陽子の視線はある一点に注がれていたため、こちらの様子には気付いていない。
「・・・・・は?桜饅頭・・・ですか?」

はつい先程までその皿に載っていた饅頭のことを思い出し、内心でギクリとしながらも、必死で平静を取り繕った。
そんなの様子に気付いていない陽子は、何が言いたいのか伝わっていないと思ったらしく、親切にも説明をし始めた。
「うん、今日の菓子は桜饅頭を付けてくれると厨長が言ったんだ。だから、楽しみにしていたのに・・・」
陽子の視線の先、皿の上に載っていたのは月餅だった。

しまった!と内心で舌打ちせずにはいられない。
この十年余りの間、王が前もって献立を知るなど皆無に等しかった。
そう、”等しかった”のだ。
確かに皆無であったわけではない。
しかしそれも、ほんの数度に過ぎない。
殊ここ一年近くはまさに皆無だったのだ。

ついとそっぽを向いた陽子の視線の先には、今朝咲いたばかりの桜の一枝が花瓶に生けられている。
・・・失念していた。
陽子は桜の花も好むが、桜を使った菓子も大好物なのだ。
桜が咲き始めたのは十日程前のこと。
一番花を摘み取って塩漬けにすればちょうど漬け上がる頃だった。
それを覚えていて厨長に聞いたのかもしれない。

よりによって何故こんな失態をしでかしてしまったのか・・・。

舌打ちしたい気分だが、この程度でボロを出すわけにもいかない。
が、万が一にも起こりうる事態を回避できなかった己の失態を罵らずにもいられない。
内心では青くなりつつも、は賢明にもそれを表情に出すことはなかった。

「あら、それはおかしいですね。厨長は主上の期待を裏切るような方では御座いません。恐らくどこか配膳の段階で手違いが生じたのでしょう。ただいま確認して参りますので、主上は先に召し上がっていてくださいませ」
心底不思議だという表情を面に貼り付け、は常と変わらぬ楚々とした立ち居振る舞いで堂室を辞した。

だが勿論、一歩堂室を出てしまえばの表情は途端に引き締まったものに変わる。
先程まで優雅だった足取りも、駆け出さんばかりに速まっていた。