さあ台輔、戻りましょう      NEXT「桜饅頭事件!?」へ

柔らかな日差しに恥じらうように、頬を薄紅に染める。
そして日が沈み、辺りを闇が覆ってしまうと、昼間の可憐さが偽りであったかのように、神々しいまでの白き輝きを放ち、見る者全てを魅了して止まない。
ある者は春の訪れを祝福する妖精の姿だと賛美し、またある者は、その樹の下には亡者が眠っているのだと言って哀しむ・・・・・










は正殿にいた。

ここ金波宮の正殿は長楽殿。
正寝には三十以上もの建物が連なるが、それらは全て王の私的空間であり、長楽殿はその中でも主たるものだ。
慶国の宝重である水禺刀も、その長楽殿の主室の壁に掛けられている。

王の側仕えとして日の殆どを共に過ごすだが、朝議の間だけは例外であった。
側仕えといえど朝議の場に女官身分が踏み入ることはない。
数々の前例を覆し、異例の方策を打ち上げてきた王、陽子。
それはに関しても同じで、単なる側仕えとしては余りあるほどの特例を多く与えた。
それでもやはり朝議となると話は別だ。
限られた上位の官のみが国を支えるために重大な議論報告を展開する、いわば神聖なる場とも言える空間。
そのような国を左右する重要な内容を女官が耳にするわけにはいかない。

現在、王は朝議の真っ最中。
必然、は王と離れ、日課となった正殿の雑務整頓に立ち回っている。
数人の同僚達と共に牀榻を整え、堂室を掃除し、減った備品を足しながら王が常に快適に過ごせるよう整えていく。



朝議終了予定の少し前、綺麗に整った堂室を見渡し不備がないか最終点検に入る頃には、近くで忙しなく動いていた同僚は一足早く洗物を手に出て行った後だ。
すぐに彼女らと入れ替えに朝議から戻った王を着替えさせるべく別の女官が入室してくるだろう。

本来ならば側仕えと他の女官の役割は明らかに隔てられていて、掃除など堂室の整頓はの担当範囲にはないはずだった。
がこのような筆頭女官じみた役割を担っているのも、他でもない陽子がそのように変えたからだ。
表向きは堂室の整頓、だがその実、は王の身を脅かす些細な不穏も見逃すまいと堂室の隅々まで目を光らせているというわけだ。
当然他の女官もその辺は同様なのだが、には類い希な力が備わっている。
傭兵として培ってきた経験と知識、鋭い勘と、そして・・・天性の人ならざる力。





ふと壁に違和感を感じ、視線を向けた。
そこには鞘のないまま壁に掛けられている水禺刀、己の相棒ともいえる存在がある。
ここ暫く沈黙を保ったままだった白銀の刀身が、今日に限っては珍しく薄ぼんやりとした光を放っている。
何とは無しにそれを見つめながらゆっくり近づく。
そのゆるりとした動作に危機感や焦燥感は感じられない。

「・・・?どうした?何か、言いたいの?」
愛しい弟にでも掛けるような穏やかな問いに、水禺刀は声を掛けられて嬉しいとでも言うように一瞬その光を濃くする。
そして次の瞬間、白銀の刀身に人影が映し出された。

豪奢な衣裳の男が数人の官僚らしき男達によってその首を落とされる場面。
それがぼやけ薄らぐと、今度は別の、これも官僚と思しき男が柱の影でひっそりとほくそ笑んでいる。
そしてまた同じように今度は煌びやかな衣裳を纏った女性が何かを叫びながら泣き崩れている場面。
そしてやはりそれを影から見守る男・・・。

どれもの見知らぬ顔ばかりだったが、首を落とされた男と泣き崩れていた女は恐らくその身成から王なのだろうと推測できた。
水禺刀は今まで己の見てきた過去を映し出したのだろう。
だが何故今突然に?何のために?と疑問を感じる。
それに最後に見た男は唯一、にも見覚えがあった。
滅多に顔を合わせることもないし、彼だと断言するには余りにも短く朧な幻影だった。
でももし自分の記憶が正しければ、あれは確か・・・。

そう考えたところで扉が開く音と人の気配がして、咄嗟に居住まいを正す。

「ああ疲れた。朝議が重要なのは分かっているけど、身内だけなんだからもう少し軽装でも良いと思うんだけどなぁ」
「主上、毎日同じ事を仰ってますよ。これでも他国に比べれば充分に軽装なのですから、いい加減に諦めなさいませ」
歩きながら早々に上掛けを脱ぎ、文句を零す王に、それを窘めながら放られた上掛けを床に落ちる前に受け止める女官達。
懲りもせずに毎朝同じ光景を繰り返す彼女達に思わず苦笑が漏れる。

、お茶・・・・なんだ、いつもならタイミング良く出してくれるのに・・・」
苦笑しているに向かって開口一番。
「あ・・・申し訳御座いません。すぐにお煎れ致します」
水禺刀に気を取られていたために、陽子の言うところのタイミングを逃してしまった。
ちなみにタイミングとは絶好の間合いという意味らしい。

気を取り直して茶器を手にしたに陽子が訝しげな視線を投げる。
「何かあったのか?」
「いいえ。珍しく鳥が飛んでおりましたので、つい見とれてしまいました」
「へえ、鳥が・・・って、もういないみたいだな。私も見たかったな〜」
窓の外に向かって小さく舌打ちをする子供っぽい王に「また来ますよ」と微笑みながら茶を差し出した。

この雲海の上には生き物は昇ってこない。
だが極稀に群れとはぐれたのか風に煽られて上昇してくるのか、鳥が姿を見せることもある。
しかしこの時、は嘘を吐いていた。
本当は鳥などいなかったのだ。

先程過去を垣間見せた水禺刀は既に常と変わらず沈黙している。
そしてもまた先程見たものを己の胸の内にそっとしまっておくことにした。