さあ台輔、戻りましょう          NEXT「親愛なる友」へ

空が泣き、大気は叫び、大地が震えていた。

どこまでも暗く深い闇に囚われたまま足掻くことも出来ずに、更に底の見えない奈落へと突き落とされていく。
無数の触手が獰猛に食らいつき、今まさに其処にある全てを呑み込もうとしていた。



          ***********



「俺の調べたところによると、は傭兵をしていたそうだな。それもかなりの年月をだ。その後、陽子に拾われ現在に至る。その間全く歳をとっておらず、それはつまり、その身が仙であることを意味する。だが、只人として放浪していた彼女がどうやって仙籍を取得したかは不明だ。そして王宮に上がってからも幾度か致命傷を負っているようだな。只人であれば確実に死に至っているだろう程の傷を・・・。今現在、女官であるにも拘わらず、どの国にも籍を持たず、ましてや地仙でも飛仙でもない。矛盾だらけではあるが・・・それらを考え合わせれば、辿り着く先に自ずと答えは見つかる。即ち、は・・・人にして人に非ず。だが、そのような存在はこの世には有り得ない。・・・彼女の正体は、一体何なのだ?」

ゆったりと背もたれに背を預け、腕を組みながら鷹揚に構えている様は、まるでこの国の主でもあるかのようだ。
何か重大な決議でもしているかのように、尚隆は真剣な面持ちで、殊更ゆっくりと言葉を紡ぐ。
それを、じっと卓を見据えたまま聞き入っている陽子は、喩えれば叱られている子供のようにも見える。

尚隆は、何者か?ではなく、正体が何か?と聞いた。
が人以外の存在であると突き止めて尚、探りを入れているように感じてしまうのは、勘ぐりすぎだろうか。
しかし、前回の来訪の折、水禺刀の鞘の件をさりげなく示唆した事を思えば、やはり彼自身の考えを確信に近づけるためのことだったのかもしれない。
人にして人に非ず・・・そのような存在が有り得ないと口にしながらも、その存在が現実にあることを分かっているはずだ。
流石だ、とただただ感嘆するしかなかった。

慶は達王が斃れて後、短世が続き、内乱が相次ぎ、当然の如く王宮内もその煽りを受けたため、自国の史料すら満足に残ってはいない。
だが雁は少なくとも五百年もの安寧の時を刻んでいる。
その差を弥が上にも見せつけられた気がする。

陽子は額に手を当て、降参だとばかりに天を仰いだ。
「・・・そこまで調べたのでしたら、もうお分かりでしょう」
疲れたように軽く息を吐きながら、薄く開いた口から言葉を絞り出した。
「貴方の言う通り、は只人ではありません・・・彼女は、宝です。達王の遺した、慶国の宝・・・」

宝と言われても、人間が何故宝なのだと不思議に思うのが普通だろう。
しかし尚隆がの持つ力のことを多少なりとも感じ取っていたのは確かだ。
それは冬官の持つ呪力ともまた違った、不可思議な何か。
陽子の発した「只人ではない」と言う言葉がそれを裏付けている。
複雑に絡んでいた糸が今、漸く解けたのだ。

尚隆はフッと薄笑った。
「・・・なるほどな、やはりそういうことか」

「ですから、を雁の後宮になどという考えは諦めてください。彼女は、私の大切な宝なのです」
ちろちろと光が踊る床を見つめながら、陽子は静かに告げた。

秋を告げる透明な風が木々を揺らし、窓から差し込む陽光は絵を描くようにそれらを床に映し出している。

それに目を細めながら、探していた玩具を漸く見出した子供の如く、尚隆は満足げに笑みを浮かべた。
「実はな、そんな気など毛頭無かった、・・・と言ったら、怒るか?」

「え・・・まさか・・・」
陽子は目を瞬かせた。
そんな気など・・・とは?
を後宮へ、と言ったことを指しているのだろうということはすぐに分かった。
だが、では何故このような話を持ちかけてきたのか。
彼が何をしようとしているのか、その心の内が読めない。

「いや、済まぬ。はこの上なく良い女だ。手に入れたいと思うのは事実だが、さすがの俺も慶を傾けてまで無理強いするほどの愚は犯さぬよ」
「では・・・一体どういうことです?」

ふむ、と顎に手をやり、漸く本題に入るかのように真剣な眼差しを陽子へと向ける。
「魅力的で、且つ謎多き女がいたら興味を持つのは男として当然だろう?その女の事をより知りたいと思えば調べもする。だが余りにも不可解な事が多すぎて、どうにも解せぬ。ならばと人を使って徹底的に調べさせたところ、ある人物に辿り着いたのだ。・・・ああ、すまぬが連れをここへ」
それまでゆったりと寛いでいた尚隆は姿勢を正しながら、控えていた女御に隣室で待たせてある男を連れてくるように言う。

・・・連れ?

陽子は怪訝に思う。
連れがいるなどという話は聞いていない。
それもに関わる人物のようだ。
そう思うと、知らず身を固くしてしまう。

程なくして入室してきた男は入るなり深々と伏礼した。
一見して四十前の優男といった外見だが、いきなり連れてこられた王宮で、しかも二国の王の前にあっても臆した様子はない。
遠甫のような老人を、そしてどこか強面の取っ付き難そうな男を想像していた。
何故そのような風体を想像してしまったのかは自身にも分からない。
しかし目の前に現れた男は、その容姿も纏う気も礼を取る仕草も、陽子の想像を覆すものだった。
一言で言い表せば”穏和”と言う言葉が適切だろうか。










一匹の騎獣が空から舞い降りたのは舜国だった。
騎獣から降り立った男はそのまま手綱を引き、街の中心へと歩き出す。

冬器を扱っている武器商を数軒回ったが、男が何かを買った形跡はない。
六軒目の店を出た後、男は何か思案するように道端に立ち尽くし、暫くして漸く何か決心したように再び歩き出した。
男の向かった先は国府。
そこで役人と話すこと四半刻、更に待たされること約半刻。
役人に勧められた椅子に腰掛け、腕を組み、目を閉じたままじっと待っていた男が、その瞼をゆっくりと開いた。

「お待たせいたしました。私に何か御用だと伺いましたが」
やってきた男がそう言って丁寧に拱手する。

「貴殿が呪師の拓錬か?」
腰掛けたまま立ち上がることも礼を取ることもせず、待っていた男は不躾に問う。
それに対して問われた男は嫌な顔一つせずに、やんわりと微笑みながら「はい」とだけ答えた。

そこで初めて男は立ち上がり、名乗った。
「俺は、・・・今は取りあえず風漢と名乗っておこうか。少し付き合ってもらえるか?」
拓錬は穏やかな表情のまま「構いませんよ」と頷く。

国府から呼び出されたとき、既に時間を空けるよう言われていたのだ。
取り立てて急ぐ用事もなかったため、拓錬は上官の許可を取り、男に付き合うつもりでやってきた。
相手によってはその場で断ることも考えてはいたが、目の前の男に不審さは窺えない。
これまでにも自分の噂を聞き、内々に冬器造りの依頼に訪れた者もいる。
今回もまたその依頼かもしれないし、或いはそうでないのかもしれないが、話を聞くだけなら構わないだろうと思ったのだ。

風漢と名乗った男に連れられてやってきたのは宿舘の一室だった。
男は身なりもそこそこで、腰に帯びている剣はなかなかの代物だ。
宿舘の格は中の上といったところか。
しかも部屋を取って連れ込むからには、人に聞かれてはまずい話だと容易く想像が付く。
相手の身分もそれなりと考えて良いだろう。
今までの経験から拓錬は、今回も冬器の依頼だと思い至ったのだったが・・・。

部屋に入るなり、男はどっかりと床に腰を下ろした。
勿論卓と椅子はあるから拓錬には椅子を勧めたが、自分だけ椅子に腰掛ける訳にもいかないので、拓錬もまた床に品良く座った。
予め部屋に用意してあった酒器を手元に寄せ、「まだ仕事中だろうから勧めぬぞ」と、男は一人で酒をあおり始めた。
それを拓錬は顔色一つ変えず見守っている。
如何にもこのようなことは慣れている、といった風だ。

酒をあおりながら男は拓錬を観察しているようだった。
女の値踏みでもしているかのように不躾に嘗め回すような視線にも動じず、拓錬は男が話を切り出すのをじっと待っていた。

やがて室内を覆っていた沈黙が唐突に破られた。
「回りくどいことは好かぬから率直に聞く。おまえは達王の秘密を知っているか?」

「・・・・・・・・・・っ!?」
それまで穏やかな表情を保っていた拓錬があからさまな動揺を見せ、目を瞠った。
だがそれも一瞬で、すぐにその動揺を押し隠す。
しかしその表情は先程までの穏やかなものに戻ったわけではなかった。
一見して穏やかそうに見える中にも、僅かに眇めた瞳には理知的な鋭さが見て取れる。

国府では”貴殿”と言われ、今この場では”おまえ”呼ばわりだ。
国府という場所柄を考慮してのことか、それとも自分の縄張り同然のこの宿舘に来たからなのか。
そのどちらもだろうとは思う。
だが今はそんな些細なことは別段どうでも良いことだった。

男の口から発せられた”達王”そして”秘密”という言葉。
それらが何を意味するのか、拓錬は知っていた。
いや、十二国広しといえど、今やその事を知っているのは拓錬唯一人となっていたはずだった。
この男は一体何を知り、何をしようとしているのか。

どうやら冬器の依頼でないことだけは確実なようだ。

そう思いながら、予想もしていなかった男の言葉を図ろうと口を開く。
「回りくどいのは私も好みませぬが、あまりにも主旨を欠いた質問ですね。何を仰りたいのでしょうか」
知っているかと聞かれて、即座に是非を口にするわけがない。
そう思いながら逆に問い返す。

「知らぬ、とは言わないのだな。それに、何か心当たりでもあるような顔だ」
漸く捜し物を見つけたと言わんばかりに、男はにんまりと笑みを浮かべた。
だが、捜し物をしていたのは自分だけではないはずだ。
きっと目の前のこの呪師もまた・・・。

切り札を伏せたまま不敵に笑む男に、拓錬は密かに緊張感を走らせた。
どうやらこの男は人の表情や心情を読むことに長けているらしい。
唐突に話を切り出し、心積もりの出来ていない相手の微妙な変化を見抜く。
そういった駆け引きの才能は賞賛に値する。
只者ではない、そう直感が告げていた。

「慶国に気になる女がいてな。紫紺の髪と瑠璃の瞳が印象的なとびきりの美人だ。ああ、名はというのだが」
拓錬の変化を僅かでも見逃すまいとじっと顔を見つめたまま、探るようにゆっくりと言葉を紡いでいく。

紫紺の髪と瑠璃の瞳・・・。
どこにでもある色だが、拓錬にとってそれは特別なものだった。
更にその名を告げられれば、最早平静を保ってなどはいられない。

ざわりと背筋を戦慄が駆け抜けた。

幼い少女の姿が脳裏に鮮やかに甦る。
一度たりとも忘れはしなかった一つの存在。
何処をどう探しても見つからず、半ば諦めかけていたもの。
拠り所を失い、生きたまま屍となろうとしていた自分も、漸く救われる事が出来るかもしれない。

明らかに動揺を見せる拓錬に、男はふっと笑みを浮かべた。
そもそも何も知らぬ者ならば動揺のしようもない、何を言っているのかさっぱり分からないという反応をするはずだ。
「おまえもまた、この時を待っていたのではないのか?彼女は今景王の側元にいる。おまえも役目を全うしたかろう。すぐに宮に戻って暇乞いをしてくるが良い」

まるで全てを知っているかのような口ぶりだ。
自分はまだ知っているとも言ってはいないし、何も言っていない。
まだ何一つまともに話などしていないのに、この男は何もかもを見抜いている。

「風漢殿、貴方は・・・・」
何処の誰で、何故彼女のことを知っているのか、何故自分の事を知ったのか・・・。
全てが不可思議でならない。

「ああ、すぐに分かることだから構わぬか・・・。俺は小松尚隆、雁州国王延だ」

「・・・・・・・・っ!?・・・え・・・延、王」
何故延王が・・・とも思うが、唯ならぬ覇気と頭の回転の速さ。
そして、ふらふらと巷を彷徨いていることは噂で耳にしている。
新景王の登極に一役買ったとも・・・。

「・・・私に・・・慶へ行けと、仰る」
拓錬の上擦ったような声に尚隆は、おやと片眉を器用に上げて苦笑した。
「なんだ、そのために今まで生きてきたのだろう?案ずるな、慶には俺も共に行く」

そのために生きてきた、・・・勿論その通りだ。
だが待ち侘びていたはずのそれが、余りにも突然にやってきたことに思考が付いていけないのは無理からぬ事なのかもしれない。
まさかこのような形で機が訪れるとは思いもよらなかったが、彼女のことを知るものは今や自分しか居ないはず。
その機をもたらした相手が延王だというのなら納得も出来るというものだ。
最早、疑う余地など無い。

半ば放心状態の拓錬に苦笑しながら、尚隆は「二、三日中に休暇をとったらここへ来い。俺もあまり国を空けるわけにはいかぬのでな。それが限界だ」と言いながら酒をあおった。

「必ずや、参ります」
未だ整理しきれていない頭で、それだけ答えるのが精一杯の拓錬だった。











「舜国で冬官をしている、拓錬だ。達王の呪面での補佐をしていたそうだ」

尚隆がそう紹介すると、陽子は驚きを露わにした。
「なっ・・・!?・・・本当ですか!?彼が・・・当時慶の冬官だったと!?」

穏やかな表情の男と、そしてその横で自慢げに笑みを浮かべている尚隆を改めて見遣る。
のことを洗いざらい調べ上げ、その上殆ど他国との国交を持たぬ舜にいる鍵となる人物を探し当て、連れてくるとは・・・。
改めて目の前の男の情報網と行動力に心底感服させられる。

「どうもそういうことらしいな。言っておくが、この男も暇ではない。俺が無理矢理連れ出した故、用が済み次第帰してやらねばならぬ。・・・さて拓錬、自国の宝重をろくに理解していない女王が哀れでならぬ。お前が知る限りを話してやると良い」
賢い隣国の王は決して自分が知りたいのだとは言わなかった。
「・・・はい。では・・・」
尚隆に促されるまま拓煉が口を開いたその時だった。



慌ただしい足音が聞こえたかと思いきや、「主上っ!」と半ば叫ぶような声がし、ほぼ同時に客堂の扉が叩かれた。
「主上、大事に御座います!」
声の主はすぐに分かった。
客堂であるにも拘わらず、その狼狽振りは普段の彼女ならば信じ難いことだ。
陽子は何か只ならぬ事態と悟り、「失礼を」と客に断りを入れながら扉を開けた。

「陽子、大変なの!が後宮で倒れて・・・なのに誰も近寄れなくて手立てがないのよ!」
客人に聞かれぬよう、可能な限り声を潜めてはいるが、その表情は今にも泣き喚きそうに歪んでいる。
「なっ!?本当か!?近寄れないとはどういう事だ!?」
「分からないわよっ!すぐに瘍医を呼ぼうと思ったけど、桓たいが病ではないから無駄って言うの。どうも何かに取り憑かれたようだって。今冬官府に呪師を呼びにやってるわ。浩瀚様もすぐに来るはずよ」
「取り憑かれただって!?一体何に・・・」
更に詳しく事情を聞き出そうとした陽子だが、それは叶わなかった。
祥瓊が「あっ!」を声をあげ、陽子の背後を見上げたからだ。

「何か問題でも起きたのか?」
すぐ背後で聞こえた声にぎくりと身を強ばらせ、陽子はぎこちなく振り返った。
いつの間に近寄ってきたのか、全く気配を悟らせずに尚隆は陽子の背後に立っている。

問題?・・・問題は確かに起きているらしい。
だがその詳細は自分が今、祥瓊に聞こうとしていたところだ。
「あ・・・い、いえ・・・その・・・」
何と取り繕うべきか咄嗟に思い浮かばず、陽子は言葉を詰まらせた。

客を放って席を外すのは憚られる。
それには留守だと言った手前、事情を話すことも躊躇される。
だが・・・今はそんな目先の体裁を取り繕っている余裕はないのだ。
は未だ謎の部分も多く、果たして手の空いている呪師でどうにかなるものかは甚だ疑問だ。
いや、それよりもの正体が知れ渡り、露斉の二の舞を演じる者が出ないとは限らない。
それ故に秘密裏に、そして確実に事を収めたい。

今この王宮内でのことを最も知っている者がいるとすれば・・・・。

陽子は腹を括ったように、くっと顔を上げ、尚隆を見据えると「申し訳ありません、緊急事態です。彼をお借りします」と告げた。
「拓錬、すまないが一緒に来てくれ」
唐突に言われた拓錬は何事かと訝しみながら、伺いを立てるように尚隆をちらと見遣る。
尚隆も一瞬眉を顰めたが、すぐに「俺も行く」と言って拓錬に頷いた。

に、何かあったのだな?」
尚隆の問いかけに、陽子は足早に歩きながらも無言を押し通した。
どうせ最初からの留守を偽りだと気付いていたのだろう。
そして今も、こちらは何も事情を話してはいないのに、のことだと気付いている。
一を聞いて十を知る男。
是も否も言わずとも、彼の中では既に確信しているはずだ。
それに今は一刻も早くの元へ行きたい。
勝手に付いてくる男を相手に、口を開く間すら億劫で惜しいのだ。





内殿から後宮へと抜けた陽子らは驚愕に立ちつくした。

「こ、これは・・・・」

まるで痴話喧嘩でも見物しているように人垣が出来ている。
そして、遠巻きに立ちつくす兵達を掻き分け、視界に飛び込んできた光景を見て陽子達は更に驚愕に打ちのめされた。

黒く蠢く霧に包まれて倒れている、そしてその横には苦しそうに蹲る数人の兵と桓たいの姿があった。
「・・・桓たいっ!?」
祥瓊は悲鳴じみた声を上げ駆け寄ろうとし、だが後ろから尚隆に腕を捕まれ踏鞴を踏む。
「・・・っく・・・だ、駄目だ、来るなっ!」
桓たいも必死に声を絞り出し、制する。

「一体どうしたって言うんだっ!?」
間近の兵を問いつめると、兵は震える唇を必死で動かした。
「あれから交代で順に様子見をしていたんです。そうしたら、彼女が倒れているのを見つけて・・・。でもどういう訳だか近づけないんです。駆けつけた青将軍が無理矢理彼女に近寄ろうとしたら急に苦しがられて。それを見て将軍を彼女から引き離そうとした者達も次々に・・・」
顔を青ざめさせた兵がそう言って蹲る同僚達を気遣わしげに見遣る。

陽子は唸った。
経緯を聞いても何が何だかさっぱり掴めない。
一体何が起きてどうなっているというんだ。。。

「主上、酷い邪気が!何事で・・・・・っ!なっ・・・!?」
何か異様な気配を感じたらしく、駆けつけてきた景麒が主に問い質そうとしたが、その言葉は途中で途切れてしまう。
咄嗟に口元を覆い、顔面を蒼白にさせて後退りながら、景麒はそこに倒れているのがだと認識するのが精一杯だった。

そんな景麒の様子を見た陽子は「・・・穢れ・・・なのか?」と思い至るが、何処から何の穢れが及んでいるのか、皆目見当が付かない。
「景麒、おまえは来ちゃ駄目だ!退がっていろ!」
これ以上麒麟に何かあってはいけないと、取りあえず景麒を制したが、まず原因を突き止めなくては手の打ちようもない。
「あれは・・・一体、何なんだ・・・」
自問してみても、蠢く闇を睨み据えながら考えてみても、何かが分かるわけでもなく、ただ虚しく焦燥感だけが膨らんでいく。
「呪師はまだ来ないのか」と苛立たしげに怒鳴ろうとしたまさにその時、口を開き掛けた陽子の耳に男の声が飛び込んだ。

「急ぎ鎮香を!」

為す術もなく誰もが唖然と見守る中、只一人何が起きているのかを悟ったように、拓錬が堅い声音で告げた。

ああ、と漸く思い出した。
自分は何のためにこの男を連れてきたのか。
目の前の信じ難い光景に混乱し、すっかりその存在を忘れていた。

拓錬の声で我に返った陽子が「祥瓊っ!」と怒鳴るように声を上げる。
命じられた祥瓊は、返事をする余裕も無いといった切羽詰まった表情で、だが敏速に身を翻した。

祥瓊が香を手に戻ってくるまでの僅かな合間に、拓錬は陽子を庇うように一歩前へと進み出ると、何かを探るように瞑目した。

やがて殊更ゆっくりと瞼を開くと、ゆるりと陽子に振り向く。
陽子にはそれがまるで、無罪の者に死刑を宣告せねばならない刑吏のような沈痛な、それでいて不法残忍な判決を申し渡す悪吏のような冷厳な表情にも見えた。

「水禺刀は・・・御持ちですね」

何か嫌な予感を覚えつつも、陽子は腰に手をやり、その感触を確かめながらこくりと頷いた。
それに重みのある頷きを返し、ほんの僅かな沈黙の後、拓錬は周囲を憚るように声を低めた。

「景王陛下には殿を斬っていただきます」