さあ台輔、戻りましょう    NEXT「木漏れ日の中で(後)」へ



・・・ほんの気まぐれに訪れた場所・・・

そこには古びた、風化して所々欠け落ち、最早本来の姿を留めてはいない石が一つ。
据えられた当初は角張った綺麗な直方体であったろう其れは、今では角が削げ落ち、丸みを帯びて、その表面を苔が覆っている。



「・・・久しぶりね」

返事の返ってくるはずもない無機質な石に、否、その石の下に眠る今は亡き人へ、懐念の情を込めて掛けられた声。
其処に眠るのは、いつでも大きく温かい愛情で包み、生きるための力を与えてくれた父と母。

だが本来であれば二つの亡骸が眠るはずの其処には、実際には一つしかないのだ。
戦乱の中に赴き、一国の将としての壮絶な最期を遂げた父。
禁軍右将軍だった彼は、王からも同僚や部下達からも愛され慕われていた。
そんな父だからこそ、その亡骸は部下達の手によって丁重にこの場所へと葬られた。

その一方では自邸が焼け落ち、だがしかし、その焼け跡からは母の骸は見つからなかった。
恐らく近隣の者達と共に避難しようとしている最中だったのだろう、少し離れた場所で多数の骸が発見された。
それはどれも惨たらしい状態で、元が人だったのだと辛うじて認められる程度の煤けた固まりだったと聞かされた。

そして、父と母の名と共に石に刻まれた兄の名。
瑛州州師として参戦していた兄もまた父とは別の場所で戦死したと、父の部下だった人物から聞いていた。

はゆっくりと視線を石の横へと移す。

其処には、父と母の名の刻まれた石に寄り添うかのように、ひっそりと佇む、まだ真新しい石が置かれている。
既に百年以上も前に戦死したと信じていた兄が此処に葬られたのは、つい五年前のことだ。
哀れみと自責の色を宿したやるせない眼差しで、名も刻まれていないその石を見つめる。

そう、五年前までは確かに兄は生きていたのだ。
それなのに・・・、やっと会えたというのに・・・。

念願だったはずの再会は、宿命という悪戯にも残酷な壁に阻まれ、途轍もなく悲しいものとなってしまった。
そして結果、兄の命の灯火を吹き消したのは、他でもない自身だった。





全てが解き明かされた今、の存在は慶東国三大宝重の一つとなっている。
癒しの碧双珠、王の身を護り、現在から過去未来に至るまでを見通す事の出来る水禺刀、そしてその水禺刀と共に、王の為だけに生み出された新たな生命であるの存在。

尤も、がそのような存在であると言う真実は、今でも両の手に数えられるだけの極限られた者しか知らない。
それも当然の事で、碧双珠や水禺刀のように冬官での厳重保管という扱いに沿って、を保管庫の棚に縛り付けておく事など出来るはずもないし、かといって野放しにも出来ない。
そんなことをすれば陽子との身に危険が及ぶ事は免れないだろうから。
そしてもし事を明らかにしてしまえば、真実を知っていた露斉のように、再びが悪し様に利用され、国の危機に繋がるであろう事は容易に推測出来てしまう。

新たに発覚した第三の宝重、その身はどう見ても人以外の何ものでもなく、しかし紛れもなく達王の意思により作り出された人為的なものであることもまた事実。
そして宝重だとはいっても、それは酷く曖昧不明瞭なもので・・・。

物でもなく只人でもなく、仙の身であるにも拘わらず仙籍にその名が連ねられることもなく、自ら仙籍を返上する事も叶わない。
かといって勿論王や麒麟のように神であるわけでもない。
だから天により命を吸い取られる事もない。

しかし、急所を貫かれ、首や胴を断たれれば、やはりそこに待っているのは例外なく”死”だろう。
それでも王と共に在れと託されたこの身。
慶国の為、王の為にある自分という存在。

だからといってまさか、尊敬し慕っていた兄をこの手に掛けようなどと、一体誰が予測出来ただろうか。
それはあまりにも残酷な運命の悪戯・・・。



・・・”死”とは何だろうか。

それは永遠に解き明かされる事のない謎。
何故ならば、死を経験して尚生き、それを語る者が存在しないからだ。

生ある者ならば誰にでも等しく訪れるそれは、残された者に悲愴と空虚を与える。
繰り返される戦乱の中で、数多の命が当然のように失われ、とてその手を血に染めてきた。
敵だから、悪人だからと屠り、その一方で味方が、戦友が息を引き取っていく。
どんな人間でも死ねば家族や友が悲しみ、そしてどんな人間でも決して容易く失って良い命など無いはず。
そう思いながらも自らの手に剣を取り、数え切れぬ程の命を奪ってきた。

そう考えれば、兄もその中の一人に過ぎない。
それでも自分を許す事が出来ないのはやはり、”兄”だからという私情以外の何ものでもないだろう。

一体どれだけの罪を重ねてきたのだろうか。
それを顧みるには百年という歳月は余りにも長すぎる。
死んでいった者達への贖罪など、どう足掻いても到底成し得るはずもない。
それでも、この国を、景王を護り、諍いの無い豊かな国にする事が出来たなら、その時は自分も穏やかな心を取り戻せるのだろうか。
いつか、死んでいった者達がそんな自分を許してくれる日は来るのだろうか。





そっと石に触れようとした手が空で止まり、その忌々しい己の手を恨めしげに睨み付けた。
あの時の、兄の身体を貫いた時の悍ましい感触が生々しく蘇る。
(・・・私は・・・この手で多くの人を・・・兄さんを・・・)
どんなに兄が人道を逸したとはいえ、そしてたとえ血の繋がりが無かったとはいえ、兄を殺めたのだという事実が消えることはない。

大罪人でありながらも陽子の計らいでこの場に眠ることを許された兄だが、は兄が埋葬されるのをただ側で見守ることしかできなかった。
その命を奪ってしまった自分を、死の瞬間、兄はどう思い、何を感じたであろうか。
追い詰められ、せめて最後の願いを果たさんと自分を道連れにしようとした兄。

この身に植え付けられた宿命を忌々しく思い、実父達王を恨みすらした。
自分が只人だったなら・・・自分がこの世に生まれてこなければ・・・兄があんな風にならずに済んだのではないか。
誠実だった兄を狂わせてしまったのは自分の所為なのだとさえ思った。

だからあの時、兄と共に死んでも良いと心底思った。
兄がそれを望むのならば、それで兄の心が僅かでも癒されるのであれば・・・。

・・・なのに自分は一人、こうして生き延びてしまった。

まるで死ぬことを許されていないかのように、己の意志など蔑ろに、強制的に生に縛り付けられているかのように生きている。
偶然なのか、それとも宿命の中に敷かれた道を歩む為だけに与えられたこの身の所為なのか。

この身がどの様に生を受けたのかは今持って謎のままだ。
王には子が出来ない、ということは達王が路木に願い、卵果から生まれたのだとは考え難い。
やはり碧双珠や水禺刀のように呪術から出来た、ただ外見は人の形を取っている”物”に過ぎないのかもしれない。

しかし自分は紛れもなく、人として生きているのだ。
今となっては出生のことなど、もうどうでも良いとさえ思える。

誠実で優しかった兄。
いつも手を引いて真っ直ぐ導いてくれ、そしていつも守ってくれた。
そんな兄だったから、心の何処かで兄の犯した罪を認めたくないと、あれは兄などではなかったのだと否定してしまいそうな己がいる。

「・・・ごめんなさい」
掠れた声を紡ぎながら、所在なげに漂わせていた手をもう一方の手できつく握り込んだ。
こんな自分に触れる資格など無い、一人逝かせてしまった兄はきっとこの手で触れられることを快く思わないだろう。

頬を熱い物が伝うのを感じ、思わず顔を背けながら立ち上がり、背を向けた。
零れ落ちた水滴が乾いた大地に吸い込まれ、小さな染みを作った。
何のための涙?何に対しての涙?
泣く資格などありもしないくせに・・・。
頬のそれをそっと拭うと、それ以上零れない内にと、その場を足早に立ち去った。



人はとても弱く、脆い存在だ。
ほんの些細なことが切欠で、まるで別人のように豹変してしまう。
そしてそれまで培ってきた大切な物をいとも容易く見失ってしまう。

人はいつでも後悔する。
もしあの時こうしていれば、あの時ああしなかったら・・・と。
そして自責の念に囚われ、一つまた一つと心に深い傷を刻んでいく。
何故兄を更生させることが出来なかったのか、何故殺めるという手段を選ぶしかなかったのか・・・。
だが後悔してみても、亡くなった者は還ってこないし、心の傷も消えることなど無いのだ。



・・・土匪。

王宮に上がって初めの頃はそう蔑まれてきた。
自分一人の所為ではないことくらい分かっている。
それでも、嘗てその事が要因となって内宰らによる謀反が起きたのは事実。
そして自分の存在の所為で兄が非道な行いを起こしたこともまた事実。

王を守るべきはずの自分が、結果的には王を危険に晒している。
自身の存在価値を思うと無性に腹立たしく、また一方では情けなくも滑稽でならない。
何が正しく、何が間違っているかなど、考えれば考える程、その答えは曖昧なものになってゆく気がする。
結局、答えなど何処にも無いのだ。
それでも考えることをやめようとは思わない。
考え、悩み、あるはずもない答えを求めて彷徨い・・・恐らくそうやって人は己の道標を築いて行くのだろう。

『大切なのは悔やむことではなく、顧みること。何故しなかったのかではなく、今どうしたいかということ』

いつだったか、浩瀚から言われた言葉。
自分でも分かっていたつもりだが、本当に”つもり”であって、人の口から改めて聞くと、真剣に考えさせられてしまう。

自分がどう生きるかは自分次第。
生活している環境や置かれている立場、世の中の情勢・・・その中で自分がどう動くかを決めるのは自分自身でしかない。
その判断基準は日によって変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。
昨日まで正しいと信じていたものが、次の日には逆転しているかもしれない。
それはそれで良いと思う。
刻み続ける時の中で生きるとはそういうことなのだろう。

仙である以上、この身は歳をとらない。
だがそれでも時は常に動いている。
動いているからには立ち止まることも後退ることも許されない。

ふと見上げた空は何処までも碧く澄み渡り、静かに降り注ぐ陽光が胸の奥にまで染み入り、小さな痼りを溶かしてくれるような錯覚に陥る。

悔やんでも仕方がない。
でも悔しさや悲しみを決して忘れてはいけない。
大切な人達の笑顔のために、必要だから・・・。

「私は・・・、今ある大切なもの全てを、守りたい。・・・ただ、それだけ・・・」

言葉にしてしまえば単純で当たり前のことのように感じるが、しかし、何よりも難しいことでもある。
でもそれでも、それだけが今の私の願いだから・・・。