さあ台輔、戻りましょう          NEXT「女傭兵は有名人」へ

ここは堯天にある大きくも小さくもない宿の一室。

先程まで窓から名残惜しそうに差し込んでいた夕日も、今ではすっかりその姿を闇に譲ってしまっていた。
ちりちりと燭台の灯が微かな音を立てている。

「・・・それにしても綺麗な娘だね。あんなに無防備な寝顔を見せられたら食べたくなってしまうよ」
「おいおい、俺より先に食うなよ」
「あ、やっぱり食べる気だったんだ・・・っていうか、まだ食べてなかったんだね。珍しいじゃないか」
「お前なぁ。。。」


そんな会話が聞こえてくる中では目覚めた。
(ん・・・頭痛い・・・)

すぐ側の座卓では二人の男が酒を呷りながら和んでいる。
は自分が何故こういう状況下に居るのかを思い返してみる。
(ああそうか、助けられたんだ)
そう納得すると、まだ怠い身体を起こし緩慢な動作で臥牀に腰掛けた。

「お話中申し訳ないんですが、思いっきり聞こえてますよ。まったく、人を食べ物みたいに言わないでください」
起き抜けの少し掠れた声、僅かに乱れた衣服で「はぁーっ」と溜息をつきながら痛む頭を押さえるその仕草もまた悩ましい。

背を向けて談笑していた男が振り返る。
「おや、眠り姫がお目覚めのようだね」
密かに有名な某国放蕩太子が女性を一発で落とせる文句のつけようのない微笑みでにっこりと笑んでいた。
「具合はどうだ。まだあまり動かぬ方がいいぞ」
そして隣には、男臭くどこか勝ち誇ったように笑んでいる某国さぼり王がいた。

「お陰で助かりました、有り難う御座います。えっと風漢と、・・・利広さんで宜しかったかしら」
二人をこの呼び名で呼ぶのは初めてだ、しかも利広とは面識がない。
金波宮で卓朗君として会った事はあるのだが、当然利広の方は一女官の事など覚えては居ないので自分の名を言い当てられて驚いているようだった。

「利広で構わないよ。それより何処かで会った事ある?」
「いいえ。初めまして、ですね。ですが風漢からお噂を聞いてますし有名ですからすぐにわかりました」
やはり知らぬ振りをするべきだったかな、と思いながら適当に誤魔化しておいた。
風漢はの事情をわかっているので何も言わず聞き流している。
一方の利広は首を傾げながら、いつの間にそんなに有名になっちゃったのかな。。。と一人納得のいかない様子で呟いている。
そんな利広を横目に風漢は「それより」と口を開いた。
「とんだ災難だったな、何があったんだ。俺たちが偶然通りかからなければ今頃どうなっていたか」









数刻前、は陽子に頼まれ堯天の大学にいる楽俊へと荷物を届けた。

「はいこれ、楽俊が読みたがっていた書物だそうよ」
「いつもすまないな、

礼を言いながら書物を受け取り楽俊はふと苦笑する。
(毎度の事ながらの変わり様には驚かされるよな。。。)
楽俊は当然ながら女官としてのを知っている。
そして出かける時には髪を下ろし化粧を落とすという事も、その上声までも変わるのだから。
その見事なまでの変貌振りには未だに慣れないものがある。
そんな楽俊もが間諜として動いている事など知る由もない。

少しの間、王宮の様子や楽俊の近況などを報告しあい、くつろいだ一時を過ごす。
ふと窓の外を見ると既に日が傾きかけていた。
「ああ、長居しちゃったね。それじゃあ、確かに渡したから。勉強頑張ってね」
「有り難うな、陽子に宜しく伝えておいてくれ」
「うん、またね」
「気を付けて帰れよ」
そうしては寮を後にした。

用事が済んだらいつものように「そのまま明日も休暇をとっていい」と言われていたので息抜きに酒場でも寄っていこうと思い立ち、店に入ったまでは良かったのだが・・・。



酒場は情報が豊富だ、特に裏情報は酒場でなければ手に入らない物も多い。
は仕事柄、休みの日にはなるべく酒場へ足を運ぶようにしていた。
この日入った店も何回か足を運んだ事があったし、特に不穏な空気も感じられなかったので警戒はしていなかった。
客の一人が店主に何やら耳打ちしているのが気にはなったが、店主は別段何事もないようにカラカラと笑いながら応対していたので自分には関係ない事だと思ってしまった。

出された酒を一口含み、二口、三口・・・。
美味しい、と思って飲んでいたが何かがおかしい。
(この程度で酔いが回るなんて疲れてるのかなぁ)
今日はこれといった情報も無さそうだし早めに帰って休もう、と考えていたが。
(あれ・・・違う、これは単なる酒酔いなんかじゃない)

どうやら出された酒に薬を盛られたらしい。
ただの睡眠剤ではなさそうだ、恐らく粗悪な、それも混ぜ物の入った麻薬のようなものだろう。
そう思った時には既に遅く、酒の所為で薬の廻りも早く、意識がはっきりしなくなっていた。

徐々に視界が歪み始め吐き気を催し、異常に気付き慌てて外に出ようとしたが真っ直ぐ歩く事もままならない。
それでも何とか言う事を聞かない身体に鞭打って店の外へ出た。
吐いてしまえば少しは楽になるのだが、身体に力が入らず吐く事すらできない。
このままでは駄目だ、意識を保たせるために腕でも傷つけておかなければ、と懐刀を取り出そうとした腕を誰かに掴まれた。

何とも呆気なく捕まってしまった。
(本気っ!?)
本気と書いてマジと読むのだと以前陽子に教わった事があったな、などとどうでもいいことが頭に浮かんだ。
どうしてこんな安っぽい手口にいとも容易く引っ掛かってしまったのか、油断していた自分に舌打ちをする。
意識は既に朦朧としていて力が入らず僅かな抵抗すら出来ない。
男は不気味な笑みを浮かべながら「なんだ、噂程でも無い。さてと」とぐったりとしているを担ぎ上げようとした。



「なんでこんなところで会うかなぁ」
「それはこっちの台詞だ」
などと話しながら歩いていると、路地奥の一軒の店から女がふらつきながら出てくるのが目に入った。
そのすぐ後ろから如何にも柄の悪そうな男が女を掴まえ連れ去ろうとしている。
なんだろう、と首を傾げている青年の隣でもう一人の目つきが瞬時に険しくなる。
「行くぞ」
いきなりそう言って走り出した男に、青年は「また面倒事かい?」と呟きつつ後を追った。



「その女を渡して貰おうか」
「それは出来ねえな」
男の返事は当たり前すぎる程当たり前のものだった。
「ならば力尽くで奪うまでだ」
風漢は屈強な傭兵男をものの数秒で伸してしまった。

こうしては連れ去られようとしているところを偶然にも通りかかった二人に助け出されたと言うわけだ。









「薬は少量だし軽い物のようだ。どうやらお前を殺そうとしたわけでは無さそうだな。動けなくするのが目的だったのだろう。だがまだ身体から抜けきっていない、暫く大人しくしていろ」
風漢は冷静に分析し、「心当たりは?」と聞いてくる。
は曖昧に笑いながら「身に覚えがありすぎてわかりませんね、まあ大凡の見当は付きますが・・・」と返した。
その会話に利広は呆れながら「へえ、って大物なんだね」と笑っている。
「傭兵ならこのような事は日常茶飯事ですから。暫く争い事とは無縁の生活をしていましたので油断していました」

確かに傭兵は日常茶飯事とまではいかなくとも大物ほど命を狙われやすい、怨恨だったり名誉のためだったり賞金稼ぎだったり、また時には賭けの対象になることもある。
の場合はこれに更に色恋沙汰が漏れなく付いてきてしまうのだから余計に厄介だ。
誰がを物に出来るかで賭けが行われているらしい、と聞いた事もある。
今回の事も恐らくは後者だろうと見当は付くが、この二人が居なかったら危ないところだったと思うと悪寒が走る。


「貸し一つだな」
ぽつりと呟かれた声の主はにんまりと口端を上げている、完璧に策士の顔だ。
「なんなら今ここで返してくれてもいいが?」
は危険な予感を感じ思わず顔が引きつる。
「ご冗談を・・・。利広だって居ますよ」
「ふーん、じゃあ私が出て行けばいいのかな。それとも三人で、ってことかな」
いや、そう言う事じゃなくて・・・というより三人の会話が咬み合っているのも凄い。

「そんなこと言ってません!私が言いたいのは風漢だけでなく利広にも借りが出来ちゃいましたねってことで」
「だから三人でも構わないと言っている」
「構います!そういう趣味はありません!いえ、そうではなくて」
「じゃあ、やっぱり一人ずつかい?」
「それも違います!」
言いながらこれでは全く否定になっていないことに気付いてしまい、動揺してしまっている自分を情けなく思う。
薬の所為でまだボーッとしていて頭が上手く回らない。

完璧に遊ばれている、いや利広はそうかもしれないが風漢は本気で言ってそうだから質が悪い。
それににっこりと人の良い笑みを浮かべたまま楽しそうに言う利広もやはり充分質が悪いと言える。

「そうではなくて、何か私に出来る事で御所望は?」
「だからお前に出来る事だろう、決まりだな」
「うん、決まりだね」

「・・・・・。張り倒されたいですか」
二人に向けられたの極上の微笑みは最高に美しく、だが同時に最強の恐ろしさを秘めたものだった。
「わ・・・わかったから。その笑顔はやめてくれ、無謀を思い出してしまう」

    
っくしゅん!
    「おい、どうした。仙のくせに風邪か?」
    「ああ帷湍ですか。風邪などまさか。どうせ何処かのデタラメが噂でもしているのでしょう」
     ・・・と玄英宮では膨大な書類を前に盛大に溜息をつく優秀な官吏が二人。。。


(無謀・・・ね)
「それでは風漢には、その無謀殿に面白い情報をお聞かせするということで。利広は何かあります?」
「おいっ!お前何を考えているのだ。恩を仇で返す気か!」
利広が何か言おうとする間もなく風漢が突っ込む。
「貴方にだけは言われたくありませんね」
もすかさず即答。

「大体それでは俺への恩返しにならぬだろうが」
「女を守るのは男として当然だ、と言っていたのは何処の何方でしたか・・・」
「最近物忘れが酷くてな」
「では今回の事も綺麗さっぱり忘れては如何です?」
「それは出来ぬな」
「私は借りを帳消しにできるだけのものを持ってますよ」
「また脅迫か。そういうやり方は感心出来んな」
「別に貴方に感心されようとは思っていませんから」
「人としてフェアじゃ無いと言っている」
「あら、蓬莱語を御存知で。陽子に教わったのですか」
「そんな事はどうでもいい」
「蓬莱語は”そんな事”ですか・・・そのように陽子に伝えておきましょう」
「伝えんでいい!それにそういう意味で言ったのではない」
「ではどういう意味で?」
「だから」「それくらいわかってますよ」「お前なぁ」・・・・・・・・・延々と続く。

利広は訳がわからず開きかけた口をそのままに唖然としている。
微妙にの方が上手く話を逸らしていっているようだ、風漢より一枚上かな。。。
それにしても、これだけ言い合っていても笑顔を崩さないって凄い、ある意味怖いかも。。。
まだ些か蒼白さの残るその笑顔は何時にも増して凄みに拍車を掛けているようだ。

と雁の秋官長とで戦ったらどちらが勝つんだろうか。。。
両者とも文句の付けようがない笑顔のまま言い合う姿を想像すると可笑しいような恐ろしいような。。。
ああ、慶の冢宰っていうのもあるな、あの冢宰を怒らせたら秋官長より怖そうだしなあ。。。
と浩瀚の仲など知る由もない利広の想像は好き勝手に広がってゆくのだった。



この二人を見てると飽きないな、などと思いつつ暫く言い合う様を傍観していた利広だが、一向に終わりそうもなく、いい加減退屈してきたので仕方なく間に割って入る事にした。
「まあまあ、お二人さんの仲の良いのはよくわかったから、そろそろ終わりにしないかい」
「仲良くなんてありませんっ!」
は利広を睨め付け否定したが風漢は敢えて否定しなかった。

の睨みに一瞬固まった利広だが、すぐに常を取り戻し「怒った顔もまた魅力的だね」と笑う。
「ところでは奏に来た事はあるのかな?」
「ありますけど、通ったというだけでゆっくり見た事はありませんね」
「そう、なら私への恩返しは奏に来る事だ。あちこち案内してあげるよ」
「でもそれでは私が得するだけで利広への恩返しにはならないでしょう?」
「いいや、私がに来て欲しいと望んでいるんだ。構わないだろう?」
「はい。。。わかりました。今すぐには無理ですが必ず行くと約束します」
「うん、それでいい」と利広は満足そうに微笑んだ。

「確信犯め」と風漢が利広を睨め付ける。
「人聞きの悪い事を言わないでくれよ。風漢は深読みしすぎだよ。私は風漢と違って紳士だからね、相手の承諾無しに襲ったりはしないさ」
あはは、と利広が笑う横で「俺だってそうだ」と風漢が言ったが、も利広もさらりと聞き流したようだ。
「こら、無視するなっ!お前達、俺をなんだと思ってる」
「狼」「野犬」
にっこりと笑んだまま迷い無く発せられた二人の返答、微妙に違うがどっちもどっちである。
言われた本人はがっくりと項垂れて言葉もない。





「ところで」とは今更ながらにあることに気づく。
「そろそろお暇させて」
の言わんとしている事をいち早く察した風漢が「駄目だ」との言葉を遮る。
「でも・・・」とは言い淀む。
この部屋に臥牀は一つ、二人は各々で部屋をとったと思われるが、ではここはどちらの部屋だろうか。
どちらにせよ、自分がこのまま此処にいては危険・・・否、不都合だろう。

「まだ薬が抜けきっていないだろう。そんな身体で動き回らせるわけにはいかんな。明日の朝に俺が送って行ってやるから今宵は休んでおけ」
風漢の言葉に利広も頷く。
「うん、気に病む事はないよ。風漢には私の部屋の榻で寝て貰うよ」
「お前、俺に臥牀を譲ろうとか思わないのか」
「だって、どうせさぼるために抜け出してきたんだろ?」
「お前だって似たようなものだろうが」
「風漢と一緒にされたくないなぁ」
「お前、五十歩百歩という言葉を知っているか」
「ああ、同じように見えても確実に五十歩の違いはある、ってことだろう?」
どこかで聞いた台詞だが、この場は敢えて突っ込まないでおこう。

ははぁーっと溜息をつき、「ではもう一部屋借りてきます」と立ち上がろうとした。
だが即座に「無駄だ」と止められる。
「生憎もう部屋に空きはない」
部屋を占領してしまう事はさすがに気が引けたが、正直なところ今の状態で一人で帰り着ける自信は無い。
外を出歩けばまた襲われるかもしれない。
普段なら難なくやり過ごせる自信はあるが、今もし数人がかりで襲われでもしたら確実に捕まってしまうだろう。

「・・・・・。そうですか、ではご厚意に甘えさせていただくことにします」
「うむ、そうしておけ。もう休むか?腹の具合はどうだ?」
「いえ、食べたら吐きそうです。このまま休みます」
「そうか、ならば俺達は退散するかな。何かあったら隣室にいるから遠慮無く声を掛けろ」
「はい、有り難う御座います」
二人が酒肴を手に部屋を出て行き扉が閉まるのを確認すると、は再び臥牀に横になった。
頭痛と吐き気の不快感で暫く寝付けなかったが、楽な姿勢を探しつつ何度か寝返りをうっているうちに、いつの間にか眠りに落ちていた。






翌朝、利広と別れ、風漢のすう虞で金波宮まで送ってもらう。
昨日、陽子へ向けて禁門を開けるようにと青鳥を飛ばしたと言っていた。

禁門へと降り立つと陽子と景麒、そして浩瀚が待っていた。
すう虞から降りると風漢は「下で拾ったから届けに来たぞ」と目線だけでを指す。
陽子はプッと吹き出し、景麒は眉を顰めている。
浩瀚はというと、一見にこやかだが目はを捉え、物言いたげに訴えている。

風漢が建物に入ろうとしたその時、目の前に一人の男が立ちはだかった。
「げっ!」
風漢が一瞬にして青ざめる。
「主上、このようなところで何をしておいでで?さあ、帰りましょう」
黒いオーラと氷の笑みでそう言ったのは朱衡だった。

「な、な、なんで朱衡がいるんだ!?」
それには後ろからが答えた。
「楽俊から青鳥を預かってましたので、そのまま朱衡殿の元へ飛ばしました。一国の王が御一人で帰るのは危険で御座いましょうから。助けて頂いた御礼で御座います」
すっかり女官口調になっているところが風漢の怒りをを更に煽る。
その横では朱衡がを見て「おや、貴方でしたか」と呟いている。

「・・・、お前いつの間に・・・。許さん、絶対に許さんぞ!くそっ、覚えとけっ!」
首根っこを掴まれズルズルと引きずられていく風漢が言っても迫力も何もない。
「俺はあいつを助けたんだぞ!少しぐらい多めに見ろ!」
風漢が喚けば朱衡が返す。
「それは良い事をなさいました。では貴方様の帰りを待ち侘びている自国の哀れな民もお救い下さいませ」

ワーギャーと喚きながら抵抗していた風漢だが、やがて朱衡と共にすう虞に跨ると雲海へと消えていった。
陽子はそれを苦笑で見送ると「さてと」と景麒を促してさっさと建物へと入っていってしまった。

残されたのはと浩瀚。
は先程の浩瀚の視線や陽子達の態度で粗方の察しはついていた。
気まずさに俯いたままで浩瀚の顔をまともに見れない。
取り敢えず「すみませんでした」と素直に詫びを入れた。

「何故私に報せなかった、心配したんだぞ」
ちなみに浩瀚の言う心配とは、『にもしものことがあったら』と『風漢にもし何かされたら』の二つある。
「それどころじゃなかったので・・・」
「ほお、朱衡殿には報せたのに?」
痛いところを突かれてウッと言葉に詰まる。
「そ、それは、朱衡殿に報せたら浩瀚様にも、と思ったんですけど、青鳥が帰ってきた時には眠ってしまってて・・・うぅ、ごめんなさい」
何を言っても言い訳にしかならないとわかっている。
沈黙が廻りの空気をどんよりと重く感じさせた。

暫く黙っていた浩瀚が一つ溜息を吐く。
「まったく。どれだけ心配させれば気が済むんだ。・・・・・。まあ、無事だったのだからもう良い。今日はゆっくりと休みなさい」
そう言ったところでの無茶な性格が直るとも思えないのだが、と思いながらもやはり口にせずには居られなかった。
浩瀚は俯いたままのの額に軽く口づけし、立ち去っていった。