さあ台輔、戻りましょう      NEXT(後日談)

一人の兵が血相を変えて堂室に飛び込んできた。
「奇襲です!」


(藤醐達が動き出したか)
それを聞いたは即座に廊下に結界を張り、兵達の足を止め時間を稼ぐと共にその場にいた数人を斬り伏せた。
そして素早く自らにも護身の術を施す。

玄綜が堂室に結界を張るため呪を唱え始めたのを見て、も呪を唱える。
結界を張らせないため玄綜に対抗する。
「何故邪魔をする!?」
玄綜が驚いてを見た。

「襲撃は、貴方の仕業ですか」
阿選が振り向き、殺気走った目でを睨みつける。
は阿選に剣を向けた。

「将軍、もう終わりにしましょう」
「私には玄綜が居る。貴方に勝ち目は無い」
阿選は言いながら兵に目配せする。
堂室にいた二名の兵がに襲いかかった。
その間にも玄綜は呪を唱えの護身を解きにかかる。

阿選と二名の兵を相手にして、尚かつ玄綜の力に対してまで集中できない。
呆気なく護身が破かれ、その上更に別の術がを襲う。
玄綜は次第にの動きを拘束し、力を削いでいく。
・・・身体が、剣が、重たい。

重たくなった剣を力任せに薙いで一人目を倒す。
の動きが鈍くなったのを見て阿選もゆっくりと剣を抜き放った。
もう一人が左から剣を振り下ろすのを屈みながら体重を横に移動し、相手の脇に剣を突き刺す。

体勢を立て直す前に阿選が右側から斬り込んでくるのを紙一重でかわし、間合いを取る。
切り裂かれた袖がはらりと床に落ちた。

身体が言うことを聞かない、この状態でまともに阿選と討ち合えば勝ち目はない。
は間合いを保ちながら呪を唱えるが、それを阿選は最後まで言わせずに斬り込んでくる。
「玄綜を相手にそれだけ動けるとは流石ですね。ですがそろそろ限界でしょう」

数度斬り結んだだけで既には息が上がっていた。
藤醐たちの邪魔はさせない。
そのためにも自分がここで阿選と玄綜を食い止めておかねばならない。
「もし私が死んだら、その時は貴方が劉王を送り届けて」
藤醐にはそう言ったが、しかしだからといって容易く諦めたりはしない。
たとえ最後まで成し遂げることが叶わなくても・・・ただでやられるつもりはない、刺し違えてでもこの二人を倒さなくてはならない。

阿選が一気に間合いを詰め踏み込んでくる。
何とか力を振り絞って受け止めるが押さえきれない。
じりじりと押されていく。
額を背中を冷たい汗が流れた。

阿選がにやりと笑い体重をかけてくる。
「紫香」
不意に名を呼ばれては不覚にも阿選の目を見てしまった。
阿選の瞳に吸い取られるように身体の力が抜けていく。
その間にも玄綜は力でを縛り続けている、今のには阿選の微力な術にさえ抗うことが出来ない。
阿選の剣がの肩に食い込んでいった。
(くっ・・・もう・・・駄目・・・)

目の前が真っ暗になり身体がゆっくりと沈み込んでいくのを感じた。
もはやこれまでか。
やはり、自分は愚かで無力だった。
(藤醐、みんな・・・すまない。浩瀚様、主上・・・・・)

何が起きたのかわからなかった、自分は死んだのだと思った。
だがその時、目の前の阿選ががくっと膝をついて崩れ伏すのが見えた。
首の後ろには飛刀が刺さっている。
視線を上げると堂室の入り口に立っている男がいた。
「・・・瑛、泉!?」

ゴボッと口から血を吐き、身体がピクリと痙攣した。
阿選はそのまま息を引き取ったが、その瞬間の脳裏に飛び込んできたものがあった。
(なに!?・・・これは・・・)
の中で何かが音を立てて壊れた。
信じられないものを見て、その事実に怒りで身体がわなわなと震える。
「玄綜、貴方は・・・。許せない!」


瑛泉はをちらと見ると、そのまま玄綜に斬りかかっていった。
だが玄綜の目の前で弾き返される。
(結界が・・・)
それを見てはすぐさま印を結び呪を唱え始める。

玄綜が自らに結界を張ったことによりの拘束は解かれたが、かなり体力を削がれてしまったため結界を解くだけの余力が残っているかどうかわからない。
水晶球を使っている玄綜の結界は並みの堅さではない。
瑛泉は剣を構えたまま結界が解かれるのをじっと待った。

そこだけ時が止まったかのような静寂の中で、玄綜との声が交錯する。
突然の身体に痛みが走った。
玄綜は結界を保ちながら、に痛みを与えていく。
「うっ・・・!」
見えない無数の刃に切り刻まれるような痛みが襲う。
(っ!・・・こんなのは幻覚だ。実際に斬られているわけではない、堪えてみせる)

痛みを必死に堪えながら結界を解くことに集中する。
身体中から嫌な汗が噴き出てくる、額から汗が流れ落ち視界を遮る。
まるで吸い取られるように血が引いて、身体の感覚が無くなっていく。
手が震え始め、全身に震えが広がっていく、立っていられず膝をついてしまった。
ほんの少しでも気を抜けば意識が飛び、倒れてしまいそうだった。

重い空気が漂う中、玄綜の表情が徐々に焦りの色を見せ始めた。
だが、瑛泉も焦っていた。
幻覚では無い、確かにの身体は見えない刃物で斬りつけられている。
傷はどれも浅いが、血が滲んだ傷が確実に増えていた。
早く仕留めなければ、これ以上はの体が持たない。
だが今は結界が解かれるのを待つより他はない。
歯軋りをしながら剣を握る手に力を込める。

やがては手をゆっくりと玄綜に向けると、かっと目を見開いた。
それと同時に玄綜の顔からさっと血の気が引いた。
次の瞬間瑛泉は気合いとともに剣を振り下ろす。
玄綜の首がゴトと鈍い音を立てて床に転がり、首から血飛沫をあげながらどさりと身体が倒れた。
同時にも限界に達し、その場に崩れるように倒れた。

一瞬気を失ったようだ。
目を開けると瑛泉が背中を支え起こしてくれているところだった。
全身が無数の傷で血に染まっている。
動くとあちこちが軋んで身体が悲鳴を上げた。


瑛泉はの肩の傷を止血しながら「洞窟の方は藤醐達が向かった」と伝える。
瑛泉が来てくれたことが嬉しかった、だが何故か瑛泉の顔をまともに見れないでいた。
脳裏に浩瀚の姿が浮かぶ。
瑛泉がここに来たということは、浩瀚に全て知られてしまったのだろうか。
不意に苦い物がこみ上げてきて、ぎゅっと目を瞑り唇を噛んだ。
が顔を顰めたのを見て、瑛泉が「すまない、力を入れすぎたか」と謝る。
勘違いして気遣ってくれた瑛泉に「ううん、大丈夫」と苦笑混じりで答えた。

目の前に横たわって冷たくなった阿選、その見開かれたままの瞳が何かを訴えるようにを見つめていた。
(・・・将軍)
居た堪れない思いに思わず顔を背けた。
「有り難う。行ってくる」
はふらつきながらも何とか立ち上がると、厩へと向かい騎獣で洞窟へと急いだ。






洞窟の入り口では泰麒と李斎が立っていた。
泰麒は血の臭いに少し青い顔をしているが倒れる程では無いようだ。
だがさすがに洞窟の中には入れないのだろう、李斎が心配そうに泰麒に寄り添っている。
「泰台輔、李斎殿」

泰麒はを見ると「あっ」と小さく声を上げた。
から何か感じ取ったようだった。
「・・・貴方が、教えてくれたんですね」
「えっ?・・・では、私の思念は届いていたのですね」
「はい。ぼんやりとですが、この洞窟が見えました。有り難うございました」
ぺこりと頭を下げる泰麒には思わず微笑みを返す。

「すぐに結界を解きますから」
そう言い、が洞窟に入っていくと、泰麒と李斎もの後を追った。
「台輔、御無理なさらずに外で待っていらしてください」
は泰麒を気遣ったが、泰麒はしっかりとした口調で「大丈夫です」と答えた。


鉄格子の前に立ち、は印を結ぶと呪を唱え始める。
そしてゆっくりと手を前に出すと、重く立ち込めていた空気がすっと軽くなった。
ふぅ、と息をつき「泰王を」と泰麒に合図を送るとその場にへたり込んでしまった。


(・・・さすがに・・・疲れたな・・・)
もう自分の傷を癒すだけの気力すら残っていなかった。
このまま目を閉じて眠ってしまいたい、と思った。

泰麒と李斎に支えられながら洞窟を出て行く驍宗の後ろ姿を見送り、ゆるゆると立ち上がる。
まだ終わってはいない。
劉王を芬華宮まで無事に送り届けなくてはならないのだ。
柳では太子や冢宰や官達が、そして民が王の帰りを待っている。
鉛のように重たく感じられる身体に鞭打って歩き出す。
劉王を前に乗せ、後ろから支えながら騎獣で柳へと向かった。





何とか芝草に入ったが、いくら軽いとはいえ二人を乗せ休み無く長距離を飛んだので騎獣も限界のようだ。
仕方なくは騎獣から降り、劉王が落ちないように気を配りながら騎獣を歩かせる。

二人とも外套を着ており、頭から目深に被っているので傍目には単なる旅人にしか見えないだろう。
重い足を引きずりながら歩き続け、日が暮れる頃に漸く芬華宮に到着した。
身体は憔悴しきって休息を必要としている、それに昨夜の襲撃から飲まず食わずの上、一睡もしていない。

国府の役人に「お約束通りお連れしました、と伝えて頂ければわかります」と太子への取り次ぎを願い出て、椅子に腰掛けると大きく息を吐いた。
睡魔が襲ってくる、もう立ち上がれそうにない。
あちこち痛いはずなのに、痛感さえ麻痺しているようだった。
よくここまで辿り着けたものだと我ながら感心してしまう。
横には劉王が自失したままぼんやりと座っている。
肉体的には勿論だが精神的にもかなり参っているのだろう、それでもしばらく療養すれば再び王として手腕を奮う事が出来るだろう。

改めて全てが終わった事に安堵した。
(お願い、早く来て)
己の限界を感じ取りながら必死に戦う。
瞬きすら意識しないと、目を閉じた瞬間にそのまま眠りについて二度と目覚める事はないのではと思ってしまう。

再び役人が来て太子がすぐに来ると告げる。
程なくして勢いよく扉が開かれ、太子が現れた。
は慌てて椅子から身を起こすとその場に跪いた。
咄嗟に動いて軽く眩暈を覚え、目の前が暗転しそうになったが辛うじて何とか堪えた。
太子は余程急いだのだろう、顔を赤らめ息を切らしている。

「・・・父、上?」
太子は椅子にもたれるように座っている王を見て愕然としていた。
見る影もない、痩せ細り覇気の欠片も感じない父王の姿を目の当たりにして言葉を無くす。
王の前にゆっくりと歩み寄り跪くと、恐る恐る手を伸ばした。
「父上、本当に戻ってこられたのですね。・・・ここが貴方の国です、もう何も心配はいりません」
瞳を潤ませながら太子が王の手をそっと取ると、王は微かに微笑んだように見えた。

太子から知らされたのであろう、遅れて数人がやってきて王を正寝へと連れて行き、太子とだけがその場に残された。
「よくぞ父王を救ってくれました。貴方には心から感謝しています」
「いいえ、そのためとはいえ私が法に悖る行為を為し、国を混乱させてしまったことは事実です。お約束通り裁きをお受け致します」
太子は困ったように微笑んだ。
「面を上げてください。私は約束をした覚えはありません。貴方が一方的に言っただけの事です。貴方はこの国を救ってくださった、感謝こそすれど罰しようなどとは露程も思ってはいませんよ」
「・・・ですが、それでは」
思わず顔を上げたが言いかけたのを手で制す。

の顔を見た途端、太子の表情が険しくなった。
「酷く顔色が悪い。貴方も休養が必要です、堂室を用意させますからゆっくり休んでいかれるといい」
「いいえ、大丈夫です。お咎めがないと仰るのなら私はこれで失礼させて頂きます」
これ以上居るとこの場で倒れてしまう、とにかく外へ出たいと思った。

は立ち上がろうとしたが、眩暈を起こし蹌踉めいてしまった。
慌てて太子が支えるが、その時に肩の傷に触れてしまいが思わず「うっ!」と声を上げる。
外から見てもわからないが、袍子越しにでも触れれば肩に捲かれている布の感触がわかってしまう。
太子は間に合わせの布で縛っただけのそれに気づき、徐に顔を顰めた。
「傷の手当てもろくにしてないじゃないですか。無茶をする。こんな身体でよくここまで・・・。傷が癒えるまで貴方を拘束します。これを以て貴方への裁きとします、嫌とは言わせませんよ」
有無を言わせぬ堅い口調でに言うと、すぐに扉の外に向けて堂室を用意し瘍医を呼ぶようにと声を掛けた。
「申し訳、御座いません・・・」
苦笑し、消え入るような声で言いながらの意識は次第に遠退いていった。



は目を覚ますとぼんやりと天井を見つめた。
(どこの宿だっけ・・・)
考えながら豪奢な天井や臥牀、そして堂室を見渡し、思い出した。
芝草で宿をとるつもりだったが、国府で太子の前で気を失ってしまったのだ。
自分の失態を恥じ悔やむ。

起きあがり臥牀を出ようとしていると、扉が開き女御が入ってきた。
「ああ、お目覚めになられましたか。まだ動いてはお体に触ります、横になってくださいまし」
やんわりと制され、とりあえず臥牀から降りることを断念する。
「私はどのくらい眠っていたのですか」
女御は水差しから湯呑みに水を入れ「丸二日ってところですね。はい、お水どうぞ」と差し出してきた。
は「ありがとう」と受け取り、飲むと湯冷ましに砂糖が少し入れてあるのかほんのりと甘く美味しかった。

(二日か・・・)
藤醐達はもう柳に戻ってきている筈だ。
柳で会おうと約束して別れた、みんな待っているに違いない。
行かなくては。
行ってみんなに御礼を言いたい。


女御が持ってきてくれた粥を少しだけ食べ、一息ついていると太子と冢宰が入室してきた。
二人は慌てて礼をとろうとするを制し、側の椅子に腰掛ける。
「良かった、大分顔色が良くなりましたね」
は夜着の上に一枚羽織っただけの格好で、臥牀の上で気まずそうにしながら頭を下げた。
「お手を煩わせてしまい申し訳御座いませんでした。冢宰殿も御息災でしたか」
冢宰はに軽く頭を下げ「はい」と答えた。
「官を代表して御礼申し上げます。主上をお救いくださり有り難うございました」
「父と冢宰が同時に現れて、官達は喜びと戸惑いに大変な騒ぎになっていますよ」
太子が肩を竦めながら言い、笑ってみせる。
もほっとしたように控えめに微笑んだ。

「この国にも、春が訪れますね」
は窓の外に目をやり、舞い散る名残雪を見ながら呟いた。

長かった冬が終わる、氷に蝕まれていた朝廷も活気を取り戻しつつある。
折山寸前の戴にもそのうち確実に春が訪れるだろう。
・・・慶では今頃桜が咲いている頃だろうか。
(浩瀚様、主上・・・)
ふと金波宮の面々の顔を思い浮かべてしまい、懐かしさが込み上げてくる。

そんなを見て、具合が悪いのかと太子が心配そうに「構わないから横になってください」と声を掛けた。
は忘我していたことに気付き自嘲の笑みを浮かべる。
「いいえ、少し考え事をしてしまっていました、すみません。・・・あの、すっかりご迷惑をお掛けしてしまいました。体調も良くなりましたし、これ以上お手を煩わせるわけには参りませんのでお暇させて頂きます」
がそう言うと太子と冢宰は顔を見合わせ、冢宰は太子に頷いて見せた。
それを受けて太子が口を開く。
「まだ完全に回復していないからしばらく療養した方が良い。それに、貴方さえ良ければ・・・どうかこのまま宮に留まって頂きたい」
それが何を意味するのか。
一瞬思考が停止しは瞠目したが、やがて苦笑しながら首を横に振った。
「・・・勿体ない御言葉、ですが謹んでお断り申し上げます。私にはそのような資格は御座いません、・・・それに、仲間が待っていますので」
太子も冢宰も予想はしていたのだろう、肩を落とし「やはり・・・行ってしまうのですね」と残念そうだったがそれ以上引き留める事はしなかった。


翌日は太子と冢宰に見送られ芬華宮を後にした。
の姿が小さくなっていくのをじっと見つめる太子に冢宰が声を掛ける。
「宜しかったのですか。せめて名くらい聞いてもよかったのでは?」
太子は小さく息を吐き、苦笑する。
「いや、いいんだ。名を聞いてしまうと探したくなってしまうから」
冢宰も僅かに苦笑し、既に見えなくなったの居た方へと視線を向け、「不思議な魅力を持った娘でしたね」と感慨深げに呟いた。
太子は横目で初老の冢宰を見やる。
「貴方でもそう思った? ・・・参ったな、連れ戻したくなってしまう」
冢宰は「止めはしませんよ」と微笑んだが、太子はそれを軽く睨め付ける。
「冗談だ、彼女には彼女の生き方がある。私もやらねばならない事が山積している。暫く忙しくなるぞ」
そう言い、くるりと踵を返すと「父を見舞ってくるよ」と王宮の中へと戻っていく。
冢宰も「はい」とその後に続いた。







は芝草にある酒場に来ていた。

馴染みの店に入ると既にお祭り騒ぎになっていた。
「よお、待ってたぜ。俺たちもさっき着いたところだ」
藤醐はを自分の隣の席に手招きする。

決して狭くはない店だが、傭兵が席を埋め尽くし貸し切り状態だった。
「みんな本当に有り難う。何も御礼できなくてごめんね。でも、今日の飲み代くらいは奢るから目一杯飲んでね」
一同からどっと歓声が上がった。
「何水くさいこと言ってるんだ、気にするな」
「そうだぜ、俺たちはのためなら何処でもすぐ駆けつけるさ」
「俺は、の間違いだろ?」
「な、何だよ、お前らだってそうだろ?」
「あはは、違いねえや」
店内に一斉に笑いが湧き起こり、賑やかな宴会が始まった。


結局宴会騒ぎは朝まで続いた。
尤も殆どの者は酔いつぶれて卓に伏したまま、或いは床に転がり眠ってしまっている、鼾をかいている者もいた。
はどこか宿でもとって横になりたいと思い、店をそっと抜け出した。

ずっと店の中にいて時間の感覚が無かったが、外に出ると既に陽は高かった。
まだ完全に回復しきっていない身体に陽光は容赦なく降り注ぐ。
こうして穏やかな気持ちで空を仰ぐのは何ヶ月ぶりだろうか。
その眩しさに心地よい眩暈を感じた。

はあれからずっと阿選のことを考えていた。
あの時、死の間際に阿選の過去が垣間見えた。

阿選は生まれ持った力を封じられ生きてきた。
まだ幼かった阿選の力を封印したのも、再び解放し利用したのも玄綜。
十二国を破壊したかったのは阿選ではなく玄綜だったのだ。

阿選は再び目覚めた自分の力に酔ってしまった、そして闇の力に屈した。
ずっと側で見守ってくれていた玄綜だから信じ切ってしまっていたのだろう、それが阿選の心に隙を作ってしまったに違いない。
阿選が破壊の理由がわからないと言っていたのを思い出す。
阿選には破壊欲など無かったのだから当然だ、恐らく玄綜に心を殺されてしまっていたのだろう。

少なくともが知っている阿選は信頼できる将軍だった。
そして恐らく驍宗が王になるまではそうであったのかも知れない。
でなければ驍宗は阿選を将軍の位に留めておかなかっただろうから。
人とは脆いものだと改めて思い知らされる。
ほんの小さなきっかけで変わってしまう。

そして驍宗はいつからか阿選の様子の変化に気付き始めた。
驍宗は阿選を救いたかったに違いない。
(それなのに、・・・私は阿選を救う事が出来なかった)
何故気付かなかったのだろう。
気付くべきだった、気付こうとしなかった。

玄綜は何故阿選の力を解放したのだろうか。
この世界から只人を排し、妖力で埋め尽くそうとでもしていたのだろうか。
それとも心酔していた阿選が王に選ばれなかった事への逆恨みだろうか。
あの時玄綜から真実を聞き出す余裕はにはなかった。
気を抜けば自分だけではなく瑛泉も危なかっただろう。

今となっては真相はわからない。
わかっているのは阿選も被害者に過ぎなかったのだという事。
そして玄綜はを選ぶべきではなかったという事。


阿選のことを他人事だとは思えない。
境遇が似ているし、一歩間違えれば自分も阿選のようになっていたに違いない。
早くに気付くべきだった、否、もし気付いたとしても阿選を救えたかどうかはわからない。
だが自分の力を持ってすれば気付く事は出来たはずだ。
何のために力を付けたのか、阿選をただ憎み、殺す事だけを考えていた。
倒すしか戴を救う道は無いと思いこんでいた。
そこに隠された真実を見抜く事が出来なかった、見抜こうとさえしなかった愚かな自分が情けない。
人より長く生きてきたと心のどこかで自負していた自分に呆れて笑ってしまう。

だが全て終わってしまったのだ、今更考えても何も変わらない。
それでも考えずにはいられない。
結局自分は正しかったのだろうか、これで良かったと言えるのだろうか。
(なんて愚かなんだ。結局私は、何も見えていなかった)

何が正しくて何が間違っているのかわからなくなる。
自分の存在すら疑ってしまう。
生きるとは何だろう、永久の命とは、その真実とは一体何なのだろう。

両手をじっと見つめ、そっと陽の光に向けて伸ばし翳してみる。
自分の中にある力が出て行ってしまえばいい、役に立たない力など陽光に吸い取られてしまえばいいと思う。








浩瀚は目の前の光景に思わず立ち止まった。
どくりと胸が高鳴るのを感じ、目を細める。

の細い身体が陽の下に晒され、そのまま光の中に儚く溶けていってしまいそうな錯覚を覚え息を飲む。
身体の奥から熱い物がこみ上げてきて息苦しさを覚える。



はふと懐かしい気配を感じて振り返った。
そこに立っている人物を見て身体が動かなくなる、心臓が止まるかと思った。
「・・・浩瀚様」
声になったかどうか自分でもわからないほど動揺していた。
身体が砂のように崩れそうになり、我知らず視界が滲む。



浩瀚はゆっくりと、確かめるように歩み寄り、そっとを抱きしめた。

狡い、そんなに優しく抱かれたら離れられなくなる。
こんなにも弱く脆くなっている時に会うなんて、決心が揺らいでしまう。

「何をしている。皆、が戻ってくるのを待っているんだぞ」
低く柔らかい声が静かに言葉を紡ぎ、の心に浸み通っていく。
ほんの三月程離れていただけなのに、もう何年も前のことのように懐かしさがこみ上げてくる。
だが言われて嬉しいはずなのには何か引っ掛かりを感じずにはいられなかった。
・・・皆?
そんな言葉を聞きたかったのではないと思ってしまう。
浩瀚に引き留めて貰いたいと思っている自分がいる。
(私は何を考えてるの。今更何を期待してるの。狡いのは私の方だ)

は浩瀚の腕から逃れるように身を離す。
俯いたまま浩瀚の目を見ることが出来ない。
「私は、戻れません。戴の民をたくさん殺めました。柳の民を騙し混乱させました。その上延王まで利用しました。主上に報せることも出来たのにそれをしませんでした。私はもう主上のお側にはいられない、いる資格など無い、・・・ただの傭兵なのです」

「・・・。は、強いな」
「えっ?」
悲しげに苦い表情で自分を見つめている浩瀚を見上げる。
自分が強いなんて思わない、弱いから逃げてしまうのに、何故そんなことを言うのだろう。
浩瀚がそんなことを言うとは思ってもいなかった。

望んでもいない力を持ってしまった事に苦悩し、様々な事件に巻き込まれ利用され、押し潰されそうになりながらも目の前の少女は強く生きている。
その華奢な肩にのし掛かった重みは如何程のものか想像もつかない。
浩瀚はから視線を外し、悲しげに微笑む。
「私は、弱い。私はそれ程多くのものを背負ったことはない。ただが居なくなっただけでどうしようもなく淋しい、心に大きな穴が開いて何をしていても虚しい。何度も位を辞してを探しに行こうと思ったが、結局そんな勇気など無かった。もう私のことなど忘れてしまったのではないか、私など必要ないのではないかと。もし今またこの腕からが離れていくというのなら、私は何もかもを捨てと共に行きたい。・・・私と居るのは、嫌か?」
とんでもない、とは首を横に振った。
「そんな・・・嫌だなんて。それに浩瀚様のことは片時も忘れた事など御座いません。ですが・・・」
そこまで言っては言葉を失ってしまった。

浩瀚に言われて改めて気付かされる。
自分は弱い、逃げている。
罪を楯にして一番失いたくない物から逃げようとしていた。
浩瀚と離れて生きることなど出来はしない、堪えられるわけがない。
自分は大切な人を傷つけてしまった。
胸が張り裂けそうだった。
必死に堪えていた涙をこれ以上抑えることが出来なかった。
一度溢れ出すともう止まらなくなっていた。

は今でも主上の臣だ。臣の処遇を決めるのは自身では無く主上だということを忘れるな。許可無くその任を放棄するは主上を裏切ることになる。どうしてもと言うのなら主上のお許しを得てからにすればいい。・・・さあ、主上も心配しておられる、戻ろう」

浩瀚の口調はあくまでも穏やかだった。
だが急に目の前の浩瀚に距離を感じ、胸が締め付けられる思いがした。
堪らなく不安になり、その胸に飛び込んだ。
「浩瀚様、私・・・。ごめんなさい。弱いのは私の方です。浩瀚様が居ないと駄目なのは私の方なんです。私、自分のした事から逃げたかったんです。浩瀚様に嫌われるのではないかと思って、自分が傷つくのが嫌で、それが怖くて逃げようとしていたんです。でも、・・・たとえ主上が駄目と仰っても、浩瀚様の側に居たい」
は浩瀚の胸に顔を埋め泣き崩れた。

・・・。私がを嫌うなどあるわけがない。はよくやった。この世には正義も真実も在りはしないのだよ。が正しいと信じてしたことならば、私もそれを信じる」
泣きじゃくるがいつもより少し幼く見えた。
いつまでも側にいて守ってやりたいと思った。








すう虞での空の移動は心地よく、背中に感じる浩瀚の温もりが疲れきっていた身体に拍車を掛けて眠気を誘う。
浩瀚の腕と安堵感に抱かれながらうとうとしてしまったようだ。
」と耳元で声を掛けられ、気がつくと懐かしい金波宮が目の前にあった。
浩瀚とは人目を避けて禁門に降り立ち、正殿へと向かっていた。

「主上、が戻ったようですよ。以前より呪の気配が強くなっておりますね」
景麒は無表情な中にも僅かに口元を綻ばせ、禁門の方向へ首を巡らせ陽子に告げた。
「そうか!」
その言葉に陽子はぱっと表情が明るくなり、手にしていた書類を置くと入り口の方へと歩を進めた。

程なくして扉が開き、浩瀚が現れた。
「主上、ただいま戻りました」
後ろにはが戸惑い気味に立っている。
「浩瀚、ご苦労様」
陽子が浩瀚に労いの言葉を掛け、瞳を潤ませながら背後のに徐に抱きついた。
!お帰り。必ず戻ってきてくれると信じていた」

「・・・主上。痛い、のですが・・・」
あまりにも不意に、そしてきつく抱きつかれて苦しい。
「あ、ごめん。だって、嬉しいんだ」
陽子が泣き笑いしながらを解放すると、はその場に叩頭した。
「主上、申し訳御座いませんでした」

陽子は叩頭したことにも謝罪の言葉にも咎めはしなかった。
「うん、とても心配したよ。でもこうして戻ってきてくれたんだからもういいよ」
そう言いながらの腕を取り、立たせる。
「私は勿論、みんなもとても心配していたんだよ。浩瀚なんか倒れてしまうんじゃないかと思うくらい落ち込んでたしね」
陽子が浩瀚をちらりと見やりながら笑って見せた。
「主上・・・」
浩瀚は決まり悪そうに苦笑する。
「だって事実だろ。それにが居ないと王宮中が暗くて息が詰まりそうだったよ」
陽子がげんなりとした表情をしながら肩を竦める。
「主上のストレスが溜まって青将軍も大変だったのですよ」
珍しく景麒が茶々を入れてきた。

以前と何も変わっていなかった。
は込み上げてくる熱い物を堪える事が出来ず、瞳から涙が零れ落ちた。
「主上、全てお話し致します。その上で私の処遇の御判断を・・・」

はこの三月の間に起きた事を包み隠さず打ち明けた。
陽子はその内容に驚きながらも黙って聞いていた。
浩瀚と景麒も同様にその事実に驚きを露わにしていた。

話が終わって後、陽子はを真っ直ぐに見つめ静かに口を開いた。
「大変だったね。泰王と劉王が無事救出できて良かった。これで二国は持ち直すだろう。・・・えっと、首謀者は紫香という何処の国のものかも分からぬ傭兵らしいな」
陽子は態とらしくそっぽを向いて言った。
「ということで今回の件については私の預かり知れぬことだ。こちらだってを誘拐された被害者なんだしね。二国から咎めが無いのであれば私としてもをどうこうするつもりは無い。報せてくれなかったのはちょっとだけ寂しいけど、たとえ報せてくれたとしても何も出来なかっただろうと思う。それに水禺刀が時々光っていたんだ、だからが無事でいる事はわかっていたんだよ」
「水禺刀が?」
は驚いた。
水禺刀に念を送ったのは一度きりだったが、それ以外でもの力に水禺刀は僅かだが確実に反応を示していたらしい。
「うん、きっと水禺刀もが居なくて淋しかったんだと思うよ。が無事だということを教えてくれていたんだ。だからもう、何処にも行かないで欲しい。が居てくれないと私も浩瀚も寿命が縮まってしまいそうだよ。・・・また今まで通り、ずっと側に居てくれるよね?」
陽子は微笑みながらの肩に手を置き、瞳を覗き込んだ。
もその瞳を見つめ返しながら頷いた。

「御意」

が発したその二文字の中には揺るぎない決意と溢れる思い全てが詰まっていた。