さあ台輔、戻りましょう      NEXT(決起)

「慶東国の様子を見てこようと思います」
突然が言い出したので阿選は何事かと怪訝な顔をした。

「また突然何を仰るのかと思えば・・・一体どうなされました」
「私はここに来る前に慶にいたでしょう。少しずつ復興はしているけどまだ不安定です、それにあそこは女王だし。今の私なら出来ると思いますよ。一度王宮の下見に行ってきます」
これには阿選も困ったように苦笑する。
「麾下が情報を持って戻るまでお待ちになった方が宜しいでしょう」
は不機嫌な顔で阿選を睨め付けた。
「いつになったら戻ってくるんです。それにいくら将軍の優秀な麾下でも王宮には入れないでしょう。自分で調べた方が余程早いし確実です」
「ですが、急いては事をし損じます」
「将軍に言われたくはありませんね。それに今回は下見だけですから心配は無用です」

は見えない力で阿選に圧力をかける。
そうすることによって阿選は自分がに萎縮していると思い込むはずだ、そして抗えなくなってゆく。
実際に今のは阿選よりも強いのだ。
これは阿選が望んだことなのだ、自分から僕になると言ったのだから、こうなることを予想していたのだろう。
今更こんな筈では無かったなどとは言わせない。

「・・・わかりました」
阿選は渋々了承した。





供の者はいらないと言ったのだが、さすがに阿選もそれだけは譲らなかった。
(まあいいわ、どこかに置いていけばいいんだから)

慶の堯天に入り、王宮の前に供を待たせておく。
だがは王宮へは入らず、酒場へと向かった。
そしてさも王宮を見てきたかのように何食わぬ顔で戻ってくる。
「ついでだから雁の王宮に寄っていくわ」
供は驚いて止めようとしたが、に睨まれ素直に従った。

今更金波宮の下見などする必要もない、は金波宮にいたのだから。

そう、結局は金波宮へは行かなかった。
金波宮へ行って事情を説明すれば無条件に手を貸して貰えるだろうことはわかっていた。
だからこそ行ってはいけない気がした。
甘えてはいけない、迷惑を掛けてはいけない、そんな気がした。
陽子の性格を考えても無茶するだろう事は予想できるし、それをさせてはけない。

そして何より今は浩瀚と会うことを躊躇われた。
浩瀚に会いたいという気持ちが胸を締め付ける。
だが会ってしまえば決心が鈍り、己自身が脆く崩れ落ちてしまう事は容易く想像できる。
どんな事情があったとしても、自分が阿選と共に横暴を行っているのは事実なのだ。
(狡いな、私って。結局は逃げているだけなんだよね)
は金波宮を見上げながら一つ吐息を吐いた。






雁の王宮の前で再び待つように指示する。
「ここは守りが堅そうだから少し時間がかかるわよ」
そう言い、姿を消すとこっそりと酒場へ向かった。

酒場での用事を済ませるといよいよ玄英宮に侵入する。

治世五百年ともなると謀反も無いのか、或いは王が十二国一を誇る剣の使い手だからだろうか、随分と警備が手薄だ。
拍子抜けするほど容易に正寝に近づけた。
(さて、上手く堂室に入れるかな。あの王は侮れない、気配を消しても感づかれるかもしれない。運良く堂室に入れたとしても、こちらが体制を整える前に斬りかかってくるだろうな)
もちろん今のならば力で相手の動きをある程度封じる事も出来る。
だが敵に対しては仕方なく術を使うにしても、それ以外では出来るだけ使いたくない。

慎重に少し離れたところから堂室を窺う。
灯りは臥室とその隣の起居に灯っている、どうやら王は起居の方にいるようだ。
ならば臥室から侵入した方がこちらには有利だろう。
(やっぱり私って悪運が強いわ。あの王が大人しく王宮にいるなんて滅多にないわよね)

音を立てずに窓から侵入する、緩く結んだ艶やかな紫紺の髪がふわりと揺れる。
一応気配は消しているがあの男なら気付いてもおかしくはない、案の定数歩歩いたところで扉がすっと開いた。

剣すら持っておらず警戒している素振りも見せず、ただ不敵な笑みを浮かべて立っている。
に殺気が無かったからだろうとは思うが、それにしても無防備なこと極まりない。
男の黒い瞳が興味深そうにを見つめる。

「夜這いか」
いきなり第一声がそれだ。

何て大胆な男なのだ、というよりこの男に常識というものはあるのかと疑ってしまう。
剣の柄に手を掛け身構えていた自分が馬鹿らしくなって、一気に脱力しそうになる。
「・・・御期待を裏切り申し訳ございません。ですが、・・・普通”何者だ”くらい言いません?」
思わず溜息混じりに言ってしまった。
構えを解き、暗闇から灯りの届くところまで出ると、改めて跪きゆっくりと顔を上げた。

「お久し振りでございます、延王君」
尚隆はを見ると眉をひそめ目を細めた。
「お前は・・・あの時の・・・」

関弓で一度会っていた、尚隆が飛刀で負傷したあの事件の日だ。
実際には金波宮で女官のに何度も会っているのだが、当然尚隆は同一人物だとは気付いていない。

「さすが延王君でいらっしゃる、一度会った女性のことは忘れないようですね」
尚隆が僅かに動揺したので、は少しだけ気を良くして嫌味を言ったつもりだった。
だが尚隆は口端を上げてくつくつと笑い「好みの女だけだ」としれっと言う。
並みの人間とは比較にならないことに失念していた、器の大きさが違いすぎる。

尚隆は顎に手を当て、物色でもするようにを見下ろしている。
「それで?あの時も突然現れたが、今日もまた随分と物騒な登場だな。何用だ」
その通りなので言い返せない、力無く苦笑した。
「実は、延王君に御助力願いたくて参りました」

は至って真剣だったが、何故か尚隆はニヤリと笑んだ。
「この俺に頼み事を?ならばそれ相応の覚悟があると思って良いのだな」
「・・・・。恩を仇で返す御方がそれを仰いますか」
一瞬尚隆の言葉の意味を図りかねたが、相手に後ろを取られるのは悔しいので応戦した。
尚隆は声をたてて笑う。
「まだ根に持っているのか」
「当然です」

あの時、尚隆は飛刀を受け、その毒に気を失った。
それを手当てしていただったが、意識を取り戻した尚隆は事もあろうにの唇を奪ったのだ、それも朱衡の見ている前で・・・。

「そういえば、まだ名を聞いていなかったな」
は迷わず「紫香と申します」と答えた。
金波宮ではとして女官として尚隆とも面識がある、当然それを名乗るわけにはいかない。

尚隆は窓の外に目を向け、暫し思考を巡らせていた。
の反応が面白くなかったのかそれとも試しているのか、やがて顔を顰め横目でを見下ろす。
「気が進まぬな。断ると言ったら?」
「あの時、貴方が微塵切りにされるのを見届けても良かったのですよ。それでももし断ると仰るなら、私が知っていることを全て朱衡殿のお耳に入れても構わないのですが」
「ふん、張ったりだな」
尚隆は動じなかった、だがは薄く笑みを浮かべ余裕の表情を見せる。

「宜しいのですか?こう見えて私も結構年寄りなのですよ。そうですね、例えば・・・」
尚隆との視線が合った刹那、の瞳が一瞬きらりと光った。
「ある物を集めていらっしゃることとか・・・」

は賭に出た。
尚隆のことなど詳しく知っているわけではないが、こういう時は強気に出るに限る。
確証はなかったが尚隆の瞳の奥を覗いたら、そのことがぼんやりと浮かんできたのだ。
どうやら無意識に力を発揮してしまったらしい。
卑怯だとは思ったが、どうしてもこの男の助力が必要なのだ。

には資金も無く、自ら動き回れない、何より阿選に悟られてはまずい。
戴は勿論、近海でも妖魔は出没する、戴に向けて船を出そうなどという物好きは居ない。
しかしどうしても船を出して貰わなくてはならない、しかも数十人を運べる大型船が必要だ。
それを可能にする人物。
この男ならうまくやってくれるはずだ、安心して任せられる。
それにこれ以上心を覗く気も詮索するつもりもない。

そして尚隆はの言葉に明らかに反応を見せた。
「・・・お前、何故その事を・・・。この俺を脅迫する気か」
その時点での勘は確信に変わった。
「事実を申し上げただけです」
「それを脅迫と言うのだろうが。・・・まあ、確かにお前には助けられたからな、借りを返してやっても良いぞ」
尚隆は呆れ顔だったが、僅かに顔を引き攣らせているのをは見逃さなかった。

先程浮かんで見えたのが何だかわからないが切り札になったようだ。
この男、朱衡でさえ知らない、かなり非常識極まりない事をしているに違いない。
まったく・・・とは尚隆にわからないように溜息をついた。



この女、一体何者なのだ?
あの時、芝居小屋で初めて会ったものと思っていたが・・・・・俺の正体を知り、こうして再び姿を現してきた。
しかも王宮に忍んでくるなど普通では考えられない。
その上、この俺の秘密を・・・・・・・・ふっ、面白い。

「・・・・・それで、俺は何をすればいいのだ」
「白都から舷水まで船を出して頂きたいのです。荷は傭兵、数はまだわかりませんが恐らく三十名以上にはなるかと思います」
それを聞いた尚隆は僅かに眉を寄せを見据えた。

傭兵を集めるとはどういうことか。
妖魔退治や荒民救出に傭兵が命を賭すとは思えない、しかも他国の王にまで縋ることなど無いだろう。
ならば・・・。

「お前、何を考えている。阿選を討ち取るつもりか」
「・・・・・」
これだから聡すぎる人間は苦手なのだ、聞かれて”図星です”などと言えるわけがない。
それをわかっていて故意に網を張ってくるのだから逃げられないではないか、全く質が悪い。
是とも否とも言えず苦笑するしかない、沈黙は是と取られるとわかってはいるが言葉が出ない自分が何とも情けない。
だが、一を聞いて十を知る、しかもその行動は常に完璧だからこそ、こうして尚隆の元へやってきたのだ。

「なるほど・・・傭兵、か。確かに覿面の罪には問われずに済む。だが、勝算はあるのか」
「わかりません。ですが勝たねばならないのです。既に戴だけの問題では済まされない状況にあります。藤醐という男が各地から腕利きの傭兵を白都に集めています。藤醐と連絡を取り舷水まで船を出してくださるだけで構いません。舷水に着いたら後は藤醐が上手くやってくれるはずです」

は柳・慶・雁の酒場で信頼できる傭兵仲間に声を掛けていたのだ。
尤も無償という条件なので、それでも名乗りを上げてくれる者がどれだけいるか不安はあるのだが。
傭兵は白都の藤醐の元へ集まるように言ってあるから、後は藤醐が腕の立つ使える者を選抜して指示を出してくれるだろう。
さながら少数精鋭部隊とでもいうところだろうか。

「お前はどうするのだ」
「・・・私は、内側から」
は何と答えればよいものか逡巡し、些か視線を泳がせながら尚隆が察するに足る最低限の言葉を口にした。

尚隆は腕組みをし、難しい顔で暫し黙していた。
これだけの会話で大体の状況が把握できているようだった。
「なるほど、わかった。それで?」
「は?」
何が”それで”なのだろうか。

「驍宗を一時的に雁に招いてやっても良いぞ」
さすが年の功というべきか、更に先までお見通しというわけだ。

「・・・恐れ入ります。ですが、そこまでお手を煩わせるわけには参りません」
「なに、どうせなら最後までつき合うさ。驍宗とは見知った仲だ、それに中途半端は俺の性に合わぬ」
「お心遣い痛み入ります。ですが泰王君には泰台輔と李斎殿がいらっしゃいますので御心配には及びません。このようなことに巻き込んでしまい申し訳御座いません」
「気にするな、これも何かの縁だ。それにお前とは今一度会いたいと思っていたからな。・・・ということでだ」

に考える間も逃げる隙も与えず、いつの間にか逞しい腕に拘束され唇を重ねられていた。
「んっ!?」
上半身は拘束されびくともしない、仕方がないので足払いで尚隆を倒し危機を脱した。

「・・・ほう、お前もなかなか大胆だな」
危機を脱した・・・つもりだったのだが、尚隆は何故かニンマリと笑み、至極御満悦。
そう、考えてみればここは臥室、しかも尚隆を牀榻に押し倒した格好になってしまった。
「ふむ、積極的な女も好みだ」
「な、なんでそうなるんですかっ!」
さしものも頬を真っ赤に染め、思わず声を荒げてしまった。



「ん?」
後宮の自室へ戻ろうとちょうど正寝の前を通りかかった朱衡は女性の声が聞こえたような気がして扉を開けた。
「・・・主上?」

「尚隆?」
ついで六太が朱衡の後ろから現れる。
「台輔、このような刻限に如何なされましたか」
朱衡が訝しむ。
「あ、うん。悧角が呪の臭いがするって言うからさ」
「呪の臭い・・・ですか?」

朱衡と六太は尚隆の頬にくっきりと浮かび上がっている手形を不思議そうに見つめていた。



















が金波宮から姿を消してから約三月が経とうとしていた。

浩瀚はその気配を感じ取り、自嘲の笑みを零した。
気配は瑛泉のものだとわかっている、それでも無意識にの気配と重ねてしまう自分がいる。
は何処で何をしているのだろうか、生きていることだけは確からしいが。
あるはずもない事だとわかっていながら、何事もなかったように穏やかな微笑みを浮かべたが現れるのではないかと願ってしまう。
(もうと会う事は叶わないのだろうか)

瑛泉は音も無く浩瀚の前に姿を現す。
「五日程前、が祐恵の店に姿を現したようです。密かに傭兵を集めている様子。行き先は・・・戴極国」
浩瀚の顔色が一瞬にして変わった。
という言葉を耳にして心臓が止まるかとさえ思われた。
カタッ、と筆が音を立てる。

瑛泉は跪いたまま、ちらりと気遣わしげに上目遣いで浩瀚を窺い、先を続ける。
「集めた傭兵はどうやら白都から船で舷水へ渡るようです。出航は明後日」
浩瀚は目を閉じ瑛泉の報告を聞いている。

何も出来ずに待つだけの自分が不甲斐ない。
それと同時に言い知れない悲しみと落胆がこみ上げてくる。
祐恵の店に現れた、なのに何故自分の所へ来なかったのか。
自分はもうの中には存在しないのだろうか、自分を必要とはしていないのだろうか。
戻ってくる気は無いのだろうか。

瑛泉の報告からが何をしようとしているのかは大方予想が付く。
が自分を必要としていないのならば今は見守る事しかできない。
せめて瑛泉をの側にやって守ってやりたい、少しでも力になってやりたい。
今すぐにでもの元へ行きたい衝動を無理矢理押し殺す。

「・・・行って、くれるか」
静かに紡がれたその言葉は心なしか震えているようにも思われた。
瑛泉はその言葉を待っていたかのように「お任せください」と答えた。

表情が乏しく無口な瑛泉はいつもなら「はい」としか言わない。
浩瀚の心中を察して瑛泉なりに気を遣ったのだろう。
浩瀚はが無事でいることがわかり安堵すると同時に、が危険な大事を為そうとしている事に危惧する。
なら大丈夫だ、そして瑛泉が付いていれば大丈夫だと己に言い聞かせる。
先程の瑛泉の言葉に少しだけ救われた気がした。
それでも瑛泉が去って後も胸の震えは暫く収まらなかった。










「ほお〜、大したものだ。思った以上だな」
尚隆は自ら白都へ赴き出航の様子を見守っていた。
そこに集った傭兵達の数に思わず笑みが零れてしまう。

短期間に、しかも無償だと言うのに、これだけの人数を動かせるに感心すると共に俄然興味が湧いてくる。
(傭兵にしておくには勿体ない人材だな、それに俺の秘密を知っているとあらば口止めもしたいところだ)
五百年生きてきて、これ程までに心を揺さぶられた女はいなかったように思う。
あの吸い込まれるような瑠璃色の瞳を、細い肢体に纏った人を惹き付ける不思議な気を思い出す。
密かに心中でが欲しいと思わずにいられない尚隆だった。

白都に集った傭兵はの予想を遙かに超えた約七十名、その中には瑛泉の姿もあった。

尚隆が手配した船で舷水に渡ると一同鴻基を目指す。
そこから洞窟へ藤醐を先頭に十名、残りは瑛泉が指揮を執り阿選の邸へと向かった。
阿選は現在玉座についているようだ、とは言っても王宮はもはや機能していないに等しい。
数日に一度、邸に現れる時を狙って阿選を討てば戴と柳は救われる。

主要な兵は皆王宮に詰めている。
阿選の私邸とその周辺を固めている兵は約二百名、だがそのうちの半数は正規の兵ではないので傭兵達にとっては数の内に入らないも同然だ。
一方の洞窟には見張り兵など約三十名、呪術師が居るのは厄介だが藤醐ならどうにか乗り切ってくれるだろう。