さあ台輔、戻りましょう    NEXT(鬼の恐怖)へ
今日も金波宮正殿では女性二人の言い合う姿がある。
それはほとんど毎日のように見られる光景で、周りの者は誰一人として驚く様子もない、というより近寄らないようにしているのだけど・・・

「お願い!」
「なりません」
顔の前で手を合わせて、泣きつかんばかりに訴えているのは景王陽子だ。
それをにっこりと微笑んではいるが、目は決して笑っていないが声を荒げることなく諫めている。

「今日の分はちゃんと終わらせたし、一日だけ!」
「だめです」
「来月は大人しくしてるからお願い!」
「そのお言葉にはもう騙されません。私にも学習能力というものがございます」
「・・・あったのか」
「ええ、残念ながら」
「それは初耳だな」
「話を逸らそうとしても無駄でございますよ」
「うっ・・・、今度は守るから、ね?天帝に誓ってもいい」
「そのように軽々しく天帝に誓われては天帝も迷惑というものです。台輔もとうに失道なさっているでしょうね」
「・・・恐ろしいことを言うな」
「主上が言わせたのでございましょう」
ってやっぱり浩瀚に似てる」
「それは光栄でございます」
「いや、褒めた訳じゃなくて恐いところが・・・」
「冢宰を貶すようなお言葉はお控えくださいませ」
「別に貶している訳じゃない」
「一体どちらなんですか」

全くきりがない、そして会話は微妙に横道に逸れていく。
は軽い脱力感に襲われ、ふぅと溜息を漏らす。
それでも優雅に微笑んだ表情を一時たりとも崩すことがないのだから大したものだ。

「主上、市井に降りるのは月に一度と約束なさいましたよね。今月は既に降りられてます。約束は約束です、今までその約束を何度破られましたか?お控えなさいませ」
「いや・・・だって、先月のは延王が来いと言うから仕方なく・・・」
「仕方なく・・・ですか?確か延王君が堯天に遊びにいらして主上にもお誘いがあったのでしたよね。制止を振り切り、嬉しそうに飛び出して行かれたように私には見えましたが・・・私の思い違いでしょうか?」
「うぅ・・・」
「その前は確か夜中に黙って王宮を抜け出られ、翌日王宮中が大騒ぎになったと記憶にございますが。これも私の勘違いでしたでしょうか?」
「・・・・・」

陽子が悪足掻きすればする程、の周りの温度が下がっていく。
だが、見た目は相変わらず整った美しい顔立ちで微笑んでいる。
その微笑みを向けられれば男は、いや女でも見惚れてしまうだろう。

だが今は唯一笑ってないその瞳を他の者が見れば、恐らくその場で凍り付くか、腰を抜かしそうな程の凄みがある。
尤も陽子はさすが王と言うべきか、慣れなのか、のその視線を受け耐えていた。
それでも明らかに動揺し、背中を冷たい汗が流れるのを陽子は感じていた。
(むむ・・・こうなったらに勝てる者は誰一人いない、今回は諦めるしかなさそうだな。。。)
いや、寧ろここまでに対抗できる人物は陽子しかいないのだが・・・



そこへ扉を叩く音がし、「失礼致します」と入ってきた女官の手には・・・書類の山。

はそれを見ると「こちらへ」と卓子の上に置くように女官に言う。
陽子の中に嫌な予感が走り、を睨め付けながら聞く。
、一応聞いておくが、それは?」
「一応申しておきますと、これは宣州の治水の件に関する資料と請願書でございます」
「そんなの聞いていないぞ」
「そうでしょうね、今初めて申し上げましたから」
「あ、そうか・・・」
そこで納得してどうする陽子よ。
「冢宰から、主上がお知りになりたいと仰っているからお見せするように、とのことでございます」
それを聞き陽子は(くそっ、絶対と浩瀚は連んでる、策士め!)などと思いながらを睨む。

「確かに知りたいとは言ったが、実際に現地を視察したいと言ったんだ。書類を見せろとは言ってないぞ」
「実際に見る前に状況を把握しておく必要がございましょう?」
「じゃあ、これを見たらその後視察に行ってもいいってことだな?」
「さあ、それはどうでしょうか。私ごときにはわかりかねます」
はぐらかされてしまった。

わかっているくせに、とは陽子は口には出さなかったが、顔はこれ以上ない程不機嫌だ。
「楽しみが出来て宜しゅうございましたね」
が微笑みを深くしてそう言うので、陽子は何も言えなくなってしまった。

誰もが恐れているのこの睨みを、この国の冢宰には未だ向けられたことはないが、(浩瀚だったらに勝てるだろうか)などと詮無い事を考えながら陽子は降参することにした。
暗に「やれ」と脅迫されて、半ば自棄になりながら書類に目を通し始める。
(喧嘩を売ってるのか、まったく・・・)
浩瀚とにはいつもしてやられるので悔しくて仕方がない、だがこの二人を相手に勝てる人間は恐らくこの世に数える程しかいないだろう。





書類に目を通しながら何か落ち着かない。
気にしないように頭を軽く振って再び書類に目を通す。
だがやはり気になる、集中できないで苛立ちを感じ、その原因となっているであろう方向へ視線を向ける。
聞くまでもなく容易く想像できるのだが、何か言ってやらないと気が済まない気がしたので苛立ちをぶつけてみることにした。

「ところで、そこで何をしているんだ?もう下がっていいぞ」
陽子が椅子に座って本を読んでいるを訝しげに見ながら言うと、は相変わらず優雅な微笑みで答える。
「あら、見てわかりません?本を読んでおります」
「そんなことは見ればわかる」
「安心致しました、お目が悪くおなりかと心配致しましたわ」
「・・・・・私が言いたいのはそう言うことではなく、何故そこで本を読んでいるのかと聞いているんだ」
「ただ座っているだけでは退屈してしまいますから」
さも当然のことのように飄々と答えるに、陽子は(やはり私に喧嘩を売っているとしか思えない)と今更ながら確信する。

「もう用は済んだのだろう?何故下がらないんだ」
「私が居なくなれば主上がお寂しくて、政務が手に付かないのではないかと」
要するに抜け出されては困るから見張っているというわけだ。

「誰が寂しがるかっ!逃げも隠れもしないから消えてくれーっ!」
顔を真っ赤にして怒鳴る陽子の肩がわなわなと震えていた。

「あら、残念ですわ。私がどれほど主上のことをお慕い申し上げているか察してくださっていると思っていましたのに・・・」
表情を全く変えず、知らない者が聞けば誤解を生みそうな言葉をさらりと言いながら、は満面の微笑みで「では、政務にお励みくださいませ」と言って堂室を出た。

陽子は肩を震わせたまま、だがもはや怒りを通り越して何も言えず、その場に固まっていた。
(何でなんか拾って来ちゃったんだろう。。。)と後悔するが、居て貰わなくては困るとも思う。

拾ったのか!とつい突っ込みたくなってしまうが、事実和州の乱で出会い、王宮に招いたのだから強ち間違いでもないだろう。
あの乱でと行動を共にしたのは極僅かだったが、陽子はと目が合った瞬間に何か得体の知れぬ存在感に惹きつけられたのだ。
俗に言う一目惚れだった。
女同士でふざけたことを、と思ってしまうが事実なのだから仕方がない。
念のために言っておくが、勿論この二人にそのような趣味はない。
対するも、陽子に会った瞬間に心臓がどくりと鳴った。
陽子の瞳の奥に胸がざわめく思いを感じ、ふと我に返った時には陽子の申し出を受けていたのだった。



まるで日課であるかのように、陽子との言い合い(漫才?)は繰り返される。
時を問わず、場所を問わず・・・
それを巻き添えを食わぬよう巧みに避ける術が金波宮の面々には嫌でも備わってしまっていた。
ただ一人だけは、主上のストレス発散につき合わされる回数が減ったと胸を撫で下ろしている。
端から見れば余計にストレスが溜まりそうだと思うのだが、陽子には喚くことでストレスが発散できているのかもしれない。

二人の遣り取りを目撃した者は口々に言う。
「あの二人を見てると飽きないな」「それよりあの二人もよく飽きないなと言いたい」「やはり主上は逞しいな、に噛みつこうなど・・・」「は主上を逆撫でしては楽しんでいるようだ、見た目も仕事ぶりも申し分ないが、口説きたくない女性の一人だな」「ええ、だけは怒らせない方が身のためよ」「まあ主上との並々ならぬ信頼関係があればこその芸当だな」「あれのどこをどうとれば芸当などという言葉になるのかしら」
やはり漫才なのか・・・それにしても皆言いたい放題である。
結局は誰もが楽しんでいるということなのか。。。











その日、久しぶりに私的な休暇を貰い、は堯天にいる友人、琳明を訪ねていた。
琳明の家は代々薬師であるが、琳明もまたそれを手伝いながら趣味として新しい薬の開発もしている。
性格はおっとりとしていてあくまでもマイペースである。

「これがなかなか思った通りにいかないんですよ〜」
「また新しい薬でも作ってるの?」
「ええ、そうなんですけどね〜、何かが足りないような〜、何かが違うような〜・・・」
普通の人の倍以上かかりそうなのんびりとした口調で言う。

「どんな薬なの?」
が聞くと、嬉しそうに微笑んで
さんのお役に立てればと思って頑張ってるんですよ〜」
と瓶の中の液体を振って見せる。

「これを飲んだら心の中の秘めた思いを洗いざらい打ち明けたくなる、情熱的な薬でしょう?まあ、恐い言い方をすれば自白剤みたいなものなんですけどね〜」
と目を輝かせて説明する。
それを聞いていたは軽く眩暈を覚え、どこが情熱的なんだ、と溜息が零れる。
それに自白剤みたいなものではなく、誰がどう聞いたって自白剤以外の何物でもないとも思ったが、それは敢えて聞き流すことにした。

「もうほぼ完成と言ってもいいんですけどね〜、実験台が見つからなくて試してないんですよ〜」
それはそうだろう、今まで幾度と無く怪しい薬を作っては周りの人間が実験台にされ、犠牲となってきた。
どんな人間でも学習するものである、身をもって知らされた者なら尚更だ。
事情を知っている者は身の危険を感じ、琳明の作った薬を二度と口にしようなどとは思わない。

さん、これ使ってみませんか〜?」
「ん〜、琳明の薬は確かに的は得ているんだけど、どこかずれてるような・・・。まあ、いいわ。面白そうだから貰っておくわね」
「こんな私でもさんのお役に立てて嬉しいです〜。使ってみた感想教えてくださいね〜」
心底嬉しそうに使い方の説明をしている琳明に、は曖昧に苦笑をしながら思う。
(まあどうせ私が飲むんじゃないからいいわよね)
結構無責任なであった。

「あら、ごめんなさいね〜、今お茶煎れましょうね〜」
「何も入ってない普通のお茶にしてね」
の言う声を聞きながら琳明はちょっと残念そうに「は〜い」と返事をして店の奥へ入っていった。
あの様子だと何も言わなければやはり混ぜ物をしたのだろうな、とはこめかみを押さえ息を吐いた。

以前琳明はが疲れているようだからと疲労回復のお茶なるものを出してくれたことがあった。
確かに元気になったような気もしたのだが、その日の夜は全く寝付けず翌日は疲労感が倍増しに感じたのだった。

普通のお茶を飲みながら軽くお喋りを楽しみ、先程貰った怪しげな薬を受け取りながら常備用の薬膏等も少し買い足し、は金波宮へと戻った。