さあ台輔、戻りましょう       NEXT(謀略)へ

は関弓に来ていた。

先日、人身売買の一味が征州で捕まった。
売られていたのは戴出身の女子供ばかりだった。
よく調べてみると戴から逃がしてやる、仕事を世話してやると話を持ちかけられ連れてこられたらしい。
関弓という証左も本当は無いのだ、関弓に連れて行ってやると言われた、というのが唯一の手がかりだった。
戴は現在荒れている、王は依然行方不明のままで妖魔が蔓延っているし治安もかなり悪い。
その日暮らしすらままならない状況の中、民は縋る思いで甘い誘いに乗じてしまう。

征州で捕まったのは組織の一部に過ぎなかった。
どうも元締めは関弓にあるらしいのだ。
他国故、兵を送り込むわけにもいかず、雁に具申しようにも確たる証左は無く・・・ということでが内偵を請け負うことになったのだ。






「うぅ〜、迷子になりそう。。。」
はっきり言って関弓の土地勘はない、雁は長命で豊かだから内乱も無く、傭兵として雁に滞在したことも勿論無かった。
数回ほど気晴らしに立ち寄ったことはあったが、今回のように内偵となると話は違ってくる。
街は賑わい、やたらと人が多く建物の数も半端ではない、堯天の街より数倍大きく感じるこの街で果たして目当てのものを見つけることが出来るのだろうか。

(大体捕まった連中が何も知らないってどういうことよ)
実際何も知らなかったのだから仕方ない。
金と引き替えに女子供を買い取り、またそれを売るという繰り返し、その間の互いの身上は一切明かさない、それが裏の商売というものだ。
分かりきってはいるのだが、霞を掴んでこいと言われたに等しいこの状況に苛立ちを抑えきれない。
(取り敢えず暗くなる前に宿を探そう)
「お前も走り通しで疲れたよね」と騎獣の首を撫でてやる。
早々に厩のある宿を見つけ騎獣を預けると自分も休むことにした。





翌日、は宿で遅い朝食を摂っていた。
関弓の街を散策してみようと思っていたので店が開き出す時間まで何もすることが無かったからだ。
散策と言っても勿論情報収集が目的であり、夕刻には妓楼街へ行くつもりである。
女子供とくれば売られる先は妓楼が多いだろうという単純明快すぎる誰でも考えられる予測だったが、手探り状態の現段階ではやはりそれしか思い浮かばなかった。


食事を終え、街に繰り出すとちらほらと開き始めたばかりの店先に人の往来も増え、街は賑わい始めていた。
夕刻まで時間はたっぷりとあった、一体何軒の店を廻っただろう、・・・しかし結局収穫は無かった。
仕方なく妓楼へと向かう。

男なら客を装って妓楼に入ることは容易いが、女ではそうもいかない、かといって聞きたいことがあるからと取り入ったところで不審がられるのが落ちだ。
(あまり気が進まないけど雇って貰うしかないな)

数軒の妓楼をあたった後、漸く雇っても良いという妓楼を見つけ滞在することにした。
高級とまではいかないが、そこそこ大きな妓楼だった。
泊めてくれれば給料はいらない、何でもするという条件に主人は渋々了承し、早速その日から働くことになった。
「あんた美人だから客引きしておいで。もちろんそのまま客をとってくれても構わないよ」
後半の科白には絶句したが、取り敢えず言われたとおり客引きに出ることにした。



数日間客引きの仕事をしながら周辺の楼閣を廻ってみたが、これといった収穫は得られなかった。

その日、店はいつもより客が多かった。
仕事を終え、お茶を飲みながら一息ついていると、ご機嫌な様子で主人が入ってきた。
「ごくろうさん、あんたが来てからいつもの倍近い客が入ってるよ。あんたを指名してくる客もいるんだけどね、何だったらこのままずっとうちで働くかい?」
はお茶に噎せそうになりながら「ご冗談を」と苦笑したが、主人の目は真剣だ。

「実は私、人を捜しているんです。友人が戴から来ているはずなんですが見つからなくて・・・」
「そうだったのかい。ああ、そういえば『銀雅楼』の新娘が戴出身だとかって言ってたね」
「えっ、本当ですか!」
「ああ、あんたの友人とやらを知っているとも思えないけど一応聞いてみるといいよ」
「はい、明日にでも行ってみます!」





翌日、銀雅楼の戴から来たという娘を訪ね話を聞いてみると、どうやら関弓にある芝居小屋が怪しいとうことがわかった。
娘は舞踊の勉強のため朱旌に加わり訪れたことがあるらしく、そのため覚えていたようだ。

せめてこの娘だけでも救ってやりたいと思うが、それはの仕事ではない。
それに救いだしたところで仕事の世話をしてやることも、ましてや戴まで送り届けてやることも出来ない。
娘も戴に帰るくらいなら妓楼に居た方が余程ましだと言っていた。
戴はそれ程までに荒廃が進んでいるのだろう、・・・ふと脳裏を泰麒や李斎の姿が掠めた。
泰王はまだ見つかっていないらしい、二人は無事でいるだろうか。
娘に礼を言い、気持ちばかりの小銭を華奢な手に握らせると、後ろ髪を引かれる思いで妓楼を後にした。

呆気なく情報を手に入れて拍子抜けし、素直に喜んでいいものだろうかと疑問を感じる。
相手だって容易に尻尾を掴ませる程間抜けではないはずだ、かといって罠とも思えない。
ならば既に組織に穴が開き始めているということだろうか。








聞き出した芝居小屋に着き、取り敢えず無難な所まで入ってみようと小屋の中へ潜り込む。
小屋といっても舞台裏から奥の方はかなり広く複雑な造りになっているようだ。
途中まで進むと人の気配がしたので柱の陰に隠れ、息を潜めた。

やがて男が一人こちらに走ってくる。

「・・・っ!?えん・・!?」
は思わず声を出しそうになって慌てて口を押さえた。
さらに男を追うように複数の足音が近づいてくる。
(まずい!)

どうやら自分はとんでもない状況の中に飛び込んでしまったらしい。
このままではご丁寧にも臨まぬ客人をぞろぞろと引き連れてくる男のおかげで自分まで巻き添えを食らうことになる。
いや、もう既に巻き込まれたも同然だ。
思わず溜息が零れた。
目の前を男が走り過ぎるのと同時にも男の後を追って走り出した。



男は突然現れたに一瞬立ち止まり殺気を放ったが、にその気がないとわかるとすぐにまた走り出した。
走りながら肩越しにを一瞥し「お前は?」と聞いてくる。
こんな時に余裕だなと呆れるが、いきなり現れて一緒に逃げている自分は確かにかなり不審で・・・怪しまれて当然だ。
とりあえず相手が相手だけに素直に名乗るわけにもいかず、「怪しい者です」と笑って誤魔化しておく。
男はふんっと鼻で笑い「確かに怪しいな」と納得しているので「そういう貴方も充分怪しいですよ」と言ってやった。

「来るぞ、逃げろ」
前方からも数人が迫ってきて逃げ道を塞いでいる。
逃げろと言われても・・・自分の仕事はあくまでも内偵だが、しかしこの状況で大人しく逃げるわけにもいかない。
(噂には聞いていたが、全く無茶な御方だ。・・・仕方ない、付き合うか)

男が抜刀したのを確認しても剣を抜く。
男もも相手を殺すことなく、出来る限り傷を負わせずに倒していった。
夏官か秋官を手配してあるのだろうかと考えたが、小屋に入ってくる時にそれらしい気配は全く無かった。
ならば誰にも報せず単身で乗り込んでいたということなのだろうか。
常識では考えられないが・・・この男ならやりかねない。

男はの剣技を見て更に疑念を抱いているようだった。
「お前何者だ」
「だから怪しい者だって言ったでしょう。そういう貴方こそ何者なんですか」
男はのことを知らないがは男のことを知っている、だが今は知らない振りをしなければならないので態とらしく聞き返した。
お互いに次々と目の前に立ち塞がる相手を倒しながら出口を目指した。
「ふざけている場合か」
男は呟いたがには聞こえていた。
「私は真剣、ですっ!」
も呟くつもりだったが、相手を倒す瞬間だったので思わず気合いで力が入ってしまった。

舞台裏から舞台へ、舞台から降り出口へと向かう。
また数人が目の前に飛び出してきた。
一人倒し、また一人・・・ふと何かが脇を掠めた。
(飛刀!? まずいな)
斬りかかってくる相手に応戦しながら飛刀も避けなければならない、厄介だ。

「走れ、外に出るぞ。斬り捨てて構わん!」
男が怒鳴り、それを合図に遠慮無く敵を薙ぎ払う。
「とっくにそんな余裕無いんですけど・・・」
そうは言っても極力急所は避けるつもりだが、この状況では悠長な事も言っていられない。



二人は追いすがる敵を何とか振り切って小屋の外へ飛び出した。
外に出てしまえばさすがに人目があるので派手に追ってはこない。
この男が既に動いているのならばもう自分はここにいる必要はない、帰って報告をしなければいけない。
は騎獣と荷物を取りに世話になっている妓楼へと戻ることにした。










つけられている、という表現はこの場合正しくないだろう。
男は気配も消さず距離を置いて堂々とついてきていた。
は溜息をつき、立ち止まると男に振り返った。
「何しているんです?」
「何もしておらぬ」
確かに何もしていないのだが・・・。
は再び溜息をつき蟀谷を押さえる。

「そういうことではなく・・・。連中を放って置いていいのですか?逃げられますよ」
「手配はしてある、それにあれだけの数の負傷者がそう簡単には消えぬよ」
確かに小屋の中では二人が倒した者がそこら中に転がっているだろう、ほとんどが命に別状はないが動けないという状態のはずだ。
それを残して逃げれば捕まえてくれと言っているようなものだ。
そして証拠を残さず逃げようと思ったら片づけるのに相当な時間を要する。
万が一逃げられたとしても、この男は確たる証拠を掴んでいるに違いないから、どう転んでも組織は壊滅への一途を辿っていることになる。
(だからって、何故私についてくるわけ?)

「私を捕らえるのですか?」
「事情によってはその可能性もあるな」
男の意図が全くわからない。

「普通逆だと思いますけど・・・。捕らえて事情を聞いた上で白黒を決めるのでは?尤も私は捕まる気などありませんが」
「お前に興味を持ったのでな。名は何という。あの小屋で何をしていた」
聞かれても素直に答えられる筈もなく・・・。
「何もしていませんよ。それに御自分から名乗るのが礼儀というものでしょう」
(別に名乗ってくれなくてもわかってるけど・・・)
男は苦笑して口を開きかけたが、その時二人の背後から冷え冷えとした声がかかった。

「尚隆様」
その声に二人ほぼ同時に振り返る。

そこに立っていたのは色白で細面の中世的な美しさを持った官吏らしき人物だった。
「どういうことか御説明願います。とにかく早急にお戻りください」
蟀谷に青筋を立て頬を引きつらせ、一見優しげな瞳は氷の矢のように相手を射抜く。
どうやらのことは視界に入っていないらしい。

「しゅ、朱衡・・・何故お前がこんな所に・・・」
尚隆は僅かに後ずさる。
「貴方様がそれを仰いますか。その御言葉そのまま御返し致します。ここで何をしておいでですか」
「いや・・・その・・・」

(朱衡!?・・・確か秋官長大司寇だったっけ。それにしても王といい官吏といい、堂々と街を闊歩するとは。この国って理解できない。。。)
凡そ秋霜烈日の官の長とは思えない優男だが、その氷のような瞳の鋭さは侮れないものがある。
よくこれで治世五百年も・・・否、これだから五百年持つのだろうか。
とにかく二人が睨み合っているうちに姿を消してしまおうと、こっそり逃げ出そうとしたのだが。

「尚隆様!?如何なさいました!?」

既に背を向け二人から離れようとしていたは朱衡の動揺した声に振り向く。
そこには尚隆が苦しそうに蹲っている姿があった。
ははっと思い当たり、踵を返し尚隆の身体の傷を探した。
「・・・あった。この傷、さっきの飛刀にやられたのね」
「掠っただけだ」
「何言ってるの!飛刀に毒が仕込んであるかもしれないって事ぐらい貴方だって知ってる筈よ。すぐ近くに私が世話になってる妓楼があるから行きましょう。そこに薬があります」

尚隆の左腕に刃が掠めた傷があったが本人は全くそんな素振りは見せなかった。
蒼白な顔に発熱、吐き気。
飛刀はそれ自体が小さく殺傷能力に欠けるので毒を仕込んで使用されることが多い、まともにくらえば筋肉麻痺や神経麻痺から死に至ることもある。
幸い尚隆の傷は掠っただけのものなので薬で中和させればすぐに良くなるだろう。

出来れば動かしたくない、動けばそれだけ毒が回りやすい。
だがが世話になっている妓楼のすぐ目と鼻の先まで来ていたため、朱衡が支えながらが借りている房間まで連れて行った。
房間に着く前に尚隆は途中で気を失ってしまったようだ。





「まったく・・・いくらなんでも無茶しすぎよ。私が居なかったら小屋で微塵切りにされていたかもしれないわ。こんなんでよく今まで生きて来れたものね、余程悪運が強いのね。自覚が無さ過ぎなのよ」
当の本人は意識がないのでも言いたい放題である。
余程慣れているのか無駄な動きが無く手際がよい、それに薬も常時数種類持ち歩いているようだ。
それにしても可愛い顔して恐ろしいことを平然と言ってくれる。
朱衡は唖然としながらを見ていた、尚隆のことはそれ程心配していないらしい。

素早く傷口のすぐ上をきつく縛り、傷口から血と共に毒を吸い出しては吐き捨てる。
そうしながらも右手は荷物の中を探り、薬らしき物を幾つか器用に取り出し、その中の紙包を朱衡に差し出す。
朱衡が首を傾げる。
「これ飲ませるから湯で溶いてください」
「あ・・・は、はい」

朱衡が薬の入った茶器を持ってくると、慣れた手つきで膏薬を塗り布を巻きながら「早く飲ませて」と言う。
「はっ?」
朱衡は一瞬悩んでしまった、尚隆は意識がないので口に含ませたところで嚥下出来ぬだろう、ということは・・・やはり、あれしかない。

しかし、朱衡が戸惑っているほんの僅かな間には既に手当を終え、「仕方ないわね」と溜息と共に朱衡の手から茶器を奪う。
尚隆の首下に腕を差し入れ頭を少し持ち上げるようにすると、薬湯を一口含み少しずつゆっくりと流し込む。
「うわぁ、さすがに苦い」
そう言いながらもまた薬湯を口に含み、飲ませ終えようかとしていた時だった。
「・・・う、んん!?」
の口から嬌声が発せられた、いや自身は悲鳴のつもりなのだが・・・

どうやら薬湯を飲ませている途中で尚隆の意識が戻ったらしい。
不意に舌を絡められ、首と腰にはいつの間にか尚隆の腕がしっかりと巻き付いていた。
たった今まで気を失っていたというのに、ほとんど無意識に女性に手を出すとは恐るべし尚隆の神業である。

がっちりと拘束され、しかもの左腕は尚隆の首の下という最悪の体勢の中、咄嗟に唯一自由がきく右腕で傷を思い切り掴んだ。
「っ!ぅぐっ!」
さすがの尚隆もこれには応えたらしい。
一瞬拘束されていた力が緩んだ隙に素早く身を剥がし、同時にパシッと乾いた音を立てて頬に平手打ちをくれてやった。
(なんて男なの!一度クマに首締められればいいのよっ!)
何故か浩瀚ではなく、クマ姿の将軍が頭に浮かんでしまっただった。

そんな二人を見て朱衡は蟀谷を押さえ、(また主上の悪癖が・・・)と途轍もなく深い溜息を落としていた。



「貴方って人は・・・恩を仇で返すつもりですか」
滅多に感情を露わにしないもさすがに顔を赤らめ、怒りにわなわなと震える。

「俺の接吻を仇などとは心外だな。感謝しているから礼をしたつもりなのだが。それに薬湯があまりに苦かったのでな、口直しが欲しかったのだ」
尚隆は悪びれるどころかニヤッと笑いながら答える。
(この人の思考回路は一体どういう作りしてるのよ・・・って今更か)
この男はそういう男だったと思い出し、もはや怒りを通り越して呆れ果て、思いっきり脱力してしまった。
尚隆の性格はよくわかっている、これ以上何か言っても彼を楽しませるだけだ。

「その様子だともう大丈夫ですね。尤もあまり早く治らない方がそちらの方は喜ぶのでしょうけどね」
はちらっと”そちらの方”即ち朱衡を一瞥しながら言うと立ち上がった。
朱衡は内心では(よくおわかりで)と思いながらも、ただ曖昧に笑って見せた。

「私はもう帰らないといけませんので失礼します」
は少ない荷物を手にさっさと出て行ってしまった。
「おい、待て!」
呼び止める尚隆の声は・・・聞こえなかったことにした。

「関弓にまで来て、なにやってるんだろ、私は・・・」
何だか虚しくなって重たい溜息を吐くであった。



「くそっ、傷口が開いた」
ぼやく尚隆に朱衡が冷たい視線を向ける。
「自業自得です。動けるようでしたら・・・いえ、動けなくとも今すぐ王宮に戻って頂きますよ」
「お前な、俺は怪我人だぞ」
「王宮まで戻るには充分すぎる程の体力が残っているように見受けられますが」
言いながら朱衡は尚隆の赤く手形のついた頬を見て笑いを噛み締める。
「笑うな!」
「申し訳ございません。ですが・・・」
「何が言いたいのだ」
「・・・いえ、もしかしたら私が主上に襲われていたやもしれぬと・・・」
「相手がお前なら永久に意識が戻らぬわ!」
「おや、それは私に何度も薬湯を飲ませろと?」
「戯け!帰るぞ!」
「・・・御意」
やっと王宮に戻る気になった尚隆に、朱衡は当分王宮から逃がすものかと密かに思うのだった。


「ところで朱衡、あの娘は何者だ」
「さあ、存じませんが。主上のお知り合いではないのですか」
「今日初めて会ったのだ、知っている筈がなかろう」
「そう、でしたか。・・・ですが、娘の方は主上のことを存じ上げているように見えましたが」
「・・・そうなのか」
「はい、本当にお心当たりが無いのですか」
「うむ、無いな。あれほどの腕利きの美人ならば一度会えば忘れることなど有り得ない。・・・いや、どこかで会ったことがあるような気もしないではないのだが・・・」
それにしても良い女だった、それに只者ではない、探し出してもう一度会ってみたいものだ・・・等と考えながら暫くは楽しみが出来て退屈しないだろうとほくそ笑む尚隆だった。