2001年ドイツへの旅 その1

出発まで

やっと相方の休みが取れた。それも二週間後。まだまだ飛行機代も高いのに、チケット取れるのか?
というわけでさっそく格安航空券を扱う旅行会社にトライ。
全滅。
なんだコルァ!
しかしそんなことではめげないぞ。というわけで、最後の裏技? ドイツ在住時代によく使っていた『ドイツの旅行会社』から、呼び寄せチケットがあるか聞いてみる(注:呼び寄せとは、本来ドイツ国内に住んでいる人が、日本から家族などを呼び寄せるために使うチケット。格安航空券よりも予約クラスが高く(大抵航空会社の前売りと同じ)、融通が利きやすい。季節による変動も日本ほどはないのがポイント)。しかしそれでもドイツ国内はないとゆう。うーむ。
しかしアムステルダム経由ならあるとゆう!!!やったーーーー!

問題は帰り道。予定していた日の便はヨーロッパ内乗り継ぎを含めてすべてないとゆう。しかたなく、帰国を一日早めることにした。ちっ。おかげで予定していた場所がまわれねえや。

最初は、ミュンヘン-シュトゥットガルト(チュービンゲン)-ハンブルク(ブレーメン)-ベルリン、と(()内は日帰り訪問)回ろうと思っていた。しかし、取れた飛行機では実質4.5日しか滞在できず(涙)、とてもこんなに訪問できない。まずは、涙ながらに「南すぎる」ミュンヘンを切る。そして、今回はぜひ行きたかった、まだなぜか行ったことがないベルリンを、やはり交通の便が悪いという理由で切る。なんだ結局いつものメンバーじゃないかという気がするが、仕方がない。

さて、ホテルとレンタカーの予約をする。今回はちょっとお高めのホテルを取ってみた。やれやれ、これで一段落かな。と思ったら。 9/11アメリカテロ勃発ってなんだよ〜〜〜!!

いや、起きた当日は「すごい」「こわい」ばかりで、自分に関係してくるとは思わなかったのだ。しかし、考えてみたら乗っ取られたのは飛行機。次の日あたりから、「また同様のことがあるのでは」「アメリカが攻撃し始めるのでは」「飛行機ちゃんと飛ぶのか?」などなど、不安爆発。しかもあちこちで「旅行キャンセル」の声が出始める。

我が家でも、旅行の是非についてぎりぎりまで討議してみた。しかし、「ヨーロッパ方面は今のところ何の問題もないこと」「アメリカもすぐ今日明日にでも攻撃するというわけではなさそうであること」「実際に日本がどうにか状況が変わるまでは、普通の生活を送っていたほうがよいこと」「今を逃すと、人生設計上もう当分(10年くらい?)行けないかもしれないこと」を理由に、敢行することにした。

一応「死んでもいいよね〜」と二人で確認しあった(^_^;)

9月17日 天気:日本/晴れ;ドイツ/??

成田空港は手荷物検査などで非常に混雑していて時間がかかる、と聞いていたので、成田エクスプレスを一本早め、3時間半前に到着。たしかにチェックインには少し行列が出来ていたが、実際には三十分かからなかった(^_^;)。手荷物検査も、人員が増えていただけで、やっていることはいつもと変わらない。したがって、ブザーのならない私は、荷物を開けることなく出国できてしまったのだった。

飛行機(B747-400、JL411便)は事前に予約したとおり、二階の座席。それも一番前。以前二階に案内されたときにはビジネスクラスの座席だったので、ちょっと期待していたら、普通のエコノミーだった。残念。でも、なんだかこじんまりしていて、そのわりにトイレが二つあり、居心地がよい。三席ずつの二列編成なのだが、三席ぜんぶ埋まっているところは少なかった。あの「取れない」騒動から考えると、かなりの人数がキャンセルしたものと思われる。

ドイツ時代の頻繁な往復で、11時間のフライトをどうやってすごすかすっかり身についていた私は、食事を終えると早速寝るモードに入った。薬を飲んで、ひたすら寝るよう努力。四時間ほどは眠れたと思う。
それにしても、今回初めて「個別のディスプレイ」を体験したが、チャンネルがたくさんあって面白かった。映画は見ないので、音楽ばかり聴いていたが、あとでゲームをやり始めたときには思わずはまってしまった。いやアレに気がついたのが飛行中の後半でよかった。最初のうちに始めてたら多分寝られなかっただろう(^_^;)。

アムステルダム空港到着。荷物はスルーでシュトゥットガルトまで運んでくれるので、手荷物だけで遊ぶ。もっと免税地帯で遊びたかったのだが、実際は下りたゲートと乗り換えのゲートがとても離れていて時間がかかってしまい、それどころではなかったのが残念だ。あ〜免税店で買い物したかったよ…。

アムステルダムからはユーロウィングという、聞いたことのない飛行機。調べてみたら、ドイツの航空会社だという。新規参入組らしい。シートが革張りで居心地がいい。短い時間(1時間ちょっと)なのに、食事が出てきてびっくりした。スチュワーデスさんも一人しかいないのに、すごいぞドイツ人!

シュトゥットガルト空港に着いたときにはすでに午後8時すぎ。もう体はヘロヘロである。さて、荷物を取りに行くか、と行くと……

た、たしかに乗っていたのは数十人いたはずなのに、
荷物が三つしか出てこない!!!
当然、我々の荷物も二つとも出てこない。慌てて乗客、ロストバゲージの手続きへと向かう。
二つの荷物の管理番号と、外見の特徴、泊まる予定のホテルを告げる。もう今日は便がないので、届くのは明日になるという。アジア人に同情した事務のおばさんから、ルフトハンザのファーストクラスのキット(風呂道具など)をもらったのはいいけれど、とりあえず外は10℃。服は飛行機で羽織ってた薄手のカーディガンくらいしかない。ど〜〜〜してくれるんだよおお!!

タクシーにてホテルへ。今日から二日間はシュトゥットガルトの「インターコンチネンタルホテル」に宿泊。カード優待で予約したので、よいお部屋♪。
しかし荷物がない我々はそれどころではない。
まずは、パジャマがない!
フロントに「これこれこういう理由なんですけど、なんか着るもんありませんかね?」と(以下会話はドイツ語←念のため)と聞くと、「バスローブを着るがよろし」との返事。
そうかバスローブがあったのか!!と着てみる。が、キモチワルイ。
そうだ風呂に入ってないんだ!!
しかし下着の替えがない(涙)。

しかたないので下着は放置でシャワーを浴びて寝た。

9月18日 天気:晴れ;16度くらい

時差ボケで早く目がさめたので、朝食へ。
はて、自分たちの予約は朝食が別料金だったようだけど、こんなに豪華なのを食べていいのかしらん。たしかフロントのにいちゃんは、「カルト(冷たい)」のだったらどっかで無料で(今の宿泊料金で)食べられるとか言ってたようだけど(←聞き取れてない)、これ卵料理とかあるしなあ……
そう、我々の聞き取れないためのミスだった。これは別料金の朝食、なんと一人30DM(約1800円)だったのだった。とほほ〜

前日、着くのは夜と思っていたので、機内で保湿するための基礎化粧品は持てど、メイク道具すら持ってない。着替えは当然ない。着のみ着のまま、すっぴんで出かけるしかない。とりあえず、暖かくてよかった!

レンタカーを借り出す時間を午前11時にしてあったので、それまでシュトゥットガルトの街を散策する。

シュトゥットガルト遠景
シュトゥットガルトの風景

駅も街もあんまりにも変わらないので感動。ドイツのブランド「Uli Knecht(ウリ・クネヒト)」のアウトレット(プラダの靴を置いてたりする)が週三日営業から週五日営業に変わったくらいか?

11時に駅でレンタカーを借り、チュービンゲンへ。「一番小さいの」と頼んでおいたら、フォードの「Ka(カー)」になってしまった。せめてドイツ車がよかったよ…
シュトゥットガルトからチュービンゲンへは国道でほぼ一本。一応、国道であって、高速道路ではないので、制限速度があるのだが、それが120キロだったりする!
ともあれ、ウィンカーと間違えてワイパーを動かしながらチュービンゲンへ。

チュービンゲンにも、最近はツアーが来るようだが、我々が行った日には日本人の姿は見受けられなかった。相変わらず美しい。

シュティフト
チュービンゲンのシュティフト教会

相方のリクエストで大学にも行ってみた。なんと、法学部の建物(Neue Aula ノイエ・アウラ)の前に噴水ができていた。なぜ??
そして建物は外装工事中だった。ドイツはこうやって何百年も前の建物を直して直して使っている。

ノイエ・アウラ
相方の通ったチュービンゲン大学法学部の建物「Neue Aula」
ノイエ・アウラ前のなぞのポーズの銅像
ノイエ・アウラ前のなぞの銅像

そしてノイエ・アウラの前には、在住時から気になっていた像(上記写真)がまだ無事であった。ちなみにこういうポーズの二人が向かい合っているのである。当時は「VOW」に送ろうと真剣に思っていたものだが、いったい誰がどんな目的で作ったものか。

昼食は、相方のリクエストで、当時通っていたスーパーにあるインビスで、カリーヴルスト(カレー粉とケチャップがかかった焼きソーセージ)とポメス(フライドポテト)を食べた。う〜ん相変わらず量が多い!そしてケチャップかかりすぎ!!

当時住んでいた大家さんを訪ねてみる。大家さんはフィットネスクラブ経営の、結構な名士である。当時、旧市街に住んでいて、「もっと広い家に移りたい」と言っていたが、まだ同じ場所に住んでいた。ブザーを押してみると、残念ながら奥さん共に留守。

郊外にある、住んでいた家にも行ってみた。我々と違って、ちゃんとした方が住んでいるようで、なにより。

戻りながらシュトゥットガルト郊外の「HUGO BOSS」のアウトレットへ。在住時にここで300〜500DM(18000〜30000円)で相方のスーツを買ったものだが、今回は適当なのが見つからなかった。
あ〜あ。なんか時間の無駄だったなあ。
そう思いながら駐車場へ戻る途中で、なぜか鼻水がたらり。

あれ、このたれ方、ヘンだぞ???と、反射的に指をあててみたら
鼻血だよ!!!!
しかもどくどく。
うわっ、やべえ!とティッシュを慌てて出し、鼻に詰める。しかし上を向いたら
だら〜〜〜〜〜〜〜
うげえ、のどに流れてきた!キモチワルイ!!!

結構出血大サービスだったので、それからは大変。車のシートを全部倒し(アヤシイ)、鼻につめたティッシュを取り替えながら(ティッシュと指、血だらけ)ホテルまで。
よりによってホテルまで1時間くらいかかったので、それまでにはどうにか止まったが、インターコンチのロビーにティッシュを鼻に詰めた顔をさらすのは、さすがの私でも恥ずかしかった。

さてホテルに戻ってみると、みごと我々の荷物が届いていた

が、よく見ると、片方ちが〜〜〜〜う!!!
小さいほうのスーツケースが、ドイツ人のものだった。
すぐに空港の担当係に連絡をとったが、電話に出ない。
仕方ないので、ホテルの人に事情を話して、空港と連絡を取ってもらうようお願いする。ま、メインの荷物はすべて届いたほうに入れていたのでよしとしたいが、防寒具がそっちだったんだけど……

疲れたので、夕食はホテルのレストランでとった。私は魚料理、相方はメニューにない「シュヴァーベン(ドイツの南西地方)の名物料理」を頼んだ。内容はシュペーツレ(短い麺みたいなもの)、マウルタッシェン(でっかい「ラビオリ」みたいなもの)など。そっちにすればよかった!

夜になると、正しい我らの荷物が届いていた。ほっ。
がしかーし!!今度は「ロストバゲージ担当」に預けた鍵が届いてなくて、開けられない!!
いつまで続くんだよこの騒動。

続く

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