元々2個上の代がいなかったこともあって、2年になっても特に練習方法が変わったわけではなかったが、1個下の代は12人くらいいただろうか。人数が増えると当然ながら賑やかになる。やっぱり部活はたくさん人がいると楽しくて良い。勿論多すぎて卓球台が足りないようでは困ってしまうが。
<夏合宿>(8月)
昨年合宿は大網だったが、この年は新潟で合宿を行った。昨年はスポーツセンターでの合宿だったため、夜練までみっちり行われ、非常にきつかったが、この年の合宿は宿舎から体育館までバスで移動しなくてはならず、夜練もなく非常に楽だった。また、毎年恒例のトーナメントも、人数が多すぎるとの理由で、学年ごとに行われた。そんな関係で2年生の部で優勝することができた。昨年のHDCPによる全体トーナメントだったら後輩には勝てなかっただろうが、またも展開に恵まれる。その他覚えていることといえば、前年よりも楽な合宿だったため、コーチの目を盗んで夜更かししてしまい、最終日には風邪を引いて熱を出してしまう有様だったことくらいか。
<私学戦>(8月)
対戦相手はよく覚えていない。ただ1つ覚えていることは、1回戦で勝ったものの、2回戦で負けてしまったこと。昨年よりはマシな結果だったが、成長の証が感じられない散々な結果だった(爆)。
<9月〜>
9月から1個上の代が引退し、自分達の代が最上級生となる。しかも気がつけば自分がキャプテンを務めることになった。当時他の運動部に所属していた友人から「卓球部は最も楽な運動部」みたいなことを言われていたこともあり、キャプテンになるからには「運動部として馬鹿にされないだけの部活動にしよう」と考えていた。しかししかし。部員には色々な人がいる。卓球よりもゲーセンを優先してしまう人、トレーニングを途中でサボる人、まじめに練習して実力で追い越そうとする人などなど。キャプテンは彼ら全てをまとめ上げなくてはならない。全員の勝手な要望を全て聞き入れることはできないが、キャプテンとしての信頼を失わないようにするため、自分なりに気をつけたことは「厳しい練習を課した以上は、自分は必ずそれをやり遂げること」だった。後にOBとしてT島とコーチを務めることになった夏合宿で、T島から「お前は部員にきついことを要求していたけど、お前はきっちりやりきっていたから誰も文句を言えない雰囲気があり、すごくやりにくかった」と言われ、キャプテンとして色々至らないことだらけだったなと痛感したが、同時に「お前だったからあれだけ引っ張れてこれたんじゃない?ほんと勝手な人間ばっかりだったから、他の人間がキャプテンやってたらもっと滅茶苦茶だったと思うよ」と言われてちょっと嬉しかった。キャプテンというのは求められることが多く、1年の頃みたいにただただ練習してきついトレーニングに耐えていれば良いというものではない。運営面等かなり悩んだが、この1年で色々と勉強させてもらったと思う。
<全塾戦>(3月)
例年だと高校生の部・中学生の部と分けて大会が行われるはずだったが、当時高校生が非常に少なかったため、中学3年生の人達は高校生の部に出場することになった。1個上の先輩達は大変だったと思うが、我々中学2年以下の人間としてはラッキーな展開だった。そのおかげか、順調に決勝まで駒を進めることができた。もう一方の山は、T島対Y本君。Y本君は普通部のキャプテンとのことで、安定した実力を発揮していた。一方のT島はわずか2種類しかないサーブをあたかも5種類くらいのサーブを使い分けているかのようなパフォーマンスで相手を惑わそうとするが(笑)、Y本君には通用せず、0−2で敗れてしまう。できればT島と決勝戦をやりたかったが、その夢は翌年に持ち越すことに。
いよいよ決勝戦。準決勝でのT島との戦いぶりを見ていて、フォアー側のテクニックがうまく、逆にバック側のガードがやや甘い印象を受けたので、徹底的にバック側にドライブ・スマッシュを集めていったら、殊の外作戦が的中し、2−0で快勝。何と1セットも落とすことなく優勝することができた。
中学3年の時
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