【 流れ落ちる砂よりも尚緩やかに・7】




「やれ。術が捻じ曲げられたからと見にくれば、忌み子の集まりとはのう……」
 薄物の衣で口を隠し、女は然も可笑しそうに笑った。
「姫様に怒られるのも癪だと思うて来てみたが」
 細められた目が、悟浄を射た。
 それは、女の髪と同じ赤。だが、そこに湛えられた酷薄な色に、自然悟浄の身体は緊張した。
「ほんに…面白い」
 翻る髪。薄物の裾。風に煽られ、女の周りが赤く染まる。あたかも、血煙のように。
 だがそれも、単なる想像の産物ではない。この女が本気になれば、その血煙が瞬く間に現実となることを、四人は肌で感じていた。
「女」
 その緊迫した空気を震わすような三蔵の声に、女の顔に喜色が走る。
「オンナ、などと軽々しく呼ぶものではないぞえ」
「名を知らんからな。他に呼びようがない」
「礼を尽くして問われれば、名乗ってやらぬこともないが…」
 暫し考えるように、女の細指がその頬に触れる。
「知っている名を改めて告げられても、興醒めよの。ならば告げなんしょ。吾が名は隻。隻娘子と、姫様が名付けられた」
 女は頬に当てた手を僅かに動かし、反面を覆う赤髪を掻き上げた。その下は縦一文字の傷と、用を成さなくなった目が、在った。




 三蔵は、半歩分だけ身体をずらした。
 これで女――隻娘子と一番距離が近いのは、自分になる。
 一歩半の距離をおいて、斜め後ろに悟浄。真っ直ぐに二歩下がって、八戒。その八戒の位置から、五歩分左にずれたところに悟空がいる。
 悟浄を庇うつもりもないが、女の目は悟浄を捕らえて離さない。ならばこそ、隙が出来るのを待つ意味でも、三蔵は敢えて女に近づく方を選んだ。
「姫…というのは、紅孩児の妹のことか?」
 一瞬だけ、褐色の肌の少女を思い浮かべたが、あの快活そうな少女とこの女印象がどうにも重ならず、三蔵は問うた。
「確かにあの娘も姫ではあろうが……吾が姫と呼ぶは、また違う御方」
「ならば貴様は牛魔王の手先か」
「否。吾は姫様との約定の元に手を貸しているだけ」
 女の顔が、笑みを深める。
「姫様は吾に名を与えた。唯一つになりし眼でも、盲目よりは役に立とう。そう仰ってな。だからこそ、姫様に力を貸そうと思うたのよ」
 核心をはぐらかすような女の言葉に三蔵は苛立つが、これだけは解った。この女は敵だということ。三蔵には、それだけで十分だった。
 だが、女に問うべきことはもう一つある。
「では、曲げられた術というのは……こいつに作用している術のことか?」
「っ?!」
 こいつ、と指し示された先の悟浄が、驚きに息を飲む音が聞こえる。
 隻娘子はちらりと悟浄に視線を走らせると、再び三蔵に向き直った。
「隠してもせんなきことよのぅ」
 苛烈な花が、咲く。
「姫様の願いで、玄奘三蔵――そなたに術を掛けようと、札を持たせたのは確かに吾よ。だが、使う手足が愚か過ぎた」
 紅色の女が持たせた札は、標的である三蔵ではなく、八戒を狙った。恐らくそれは、札を持たされた男が三蔵よりも八戒の方に近い位置にいたからなのだろう。混戦したあの場では、自分たちに気付かれることなく命令を成し遂げることは難しかったに違いない。ならば、一人でも戦力を減らす為に。そう考えたとしても不思議ではない。
 だが、術は曲げられた。
 三蔵でも八戒でもなく、悟浄へと作用することで。
「……んじゃぁ最悪、アンタを殺しゃ術は解けるってことだな。オバサン?」
 標的が自分であったことを忌々しく思う三蔵の背に、悟浄の声が当たる。あからさまに挑発を含んだその言葉に、三蔵の舌打ちと女の鈴を転がすような笑い声が重なった。
「さぁ?そう上手く事が運べば良いがのぅ」
「やってみる価値はあるだろう?」
 眼前に刃を持ち上げ、悟浄が口端を笑いの形に歪めた。
 だが、女も余裕の面持ちでそれを受ける。
「やれ、吾も軽く見られたものよの。そなたら如きにむざむざと殺されてやるほど、甘くもないつもりだが」
 ふわりふわりと、女の衣が風に靡く。 だがその風は、三蔵たちの背後から吹く風によるものではない。砂は、女の足元に円を描くように流れているのだ。
 静かな、それでいて逆巻く炎のような、妖力。
 四人で掛かっても、勝てるかどうか。
 息を飲み、筋肉に緊張を走らせる四人に、女は嘲笑った。
「それに、万が一術が解けたとして――赤き忌み子よ、ほんにそれでも良いのかえ?」
「なに……」
「そなたが命、曲げられた術によって永らえることも出来ようと」
「黙れっ!」
「知らぬ訳でも……ないようだの」



 蒼白な顔で叫ぶ悟浄に、三対の目が集まる。
 一つは忌々しげに歪み。一つは、驚愕に開かれ。そして一つは……困惑を湛え、揺れていた。








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