【 流れ落ちる砂よりも尚緩やかに・5】
ギギギギギッッ!!!
ブレーキを踏んだ瞬間に大きくハンドルを右に切れば、ジープは大きく傾ぎ、その車体で4人の妖怪を弾き飛ばした。ガタリ、と大きな反動があったから、弾き飛ばした妖怪の他にも一人くらいはタイヤの下に巻き込んだのかもしれない。だが、そんなことを確認する余裕もなく、難を逃れた残りの妖怪共が武器を振り上げジープを取り囲んだ。
「お先っ!」
「悟空!」
声と共に、シートを蹴り上げるようにして悟空の身体が宙に踊る。既に召還していた如意棒を大上段に振り下ろせば、「ボギ」という鈍い振動が空気を震わせた。
「ンの、バカ……」
舌打ちと共にその背中を見送った三蔵が、ジープに手を掛けた妖怪のこめかみを無造作に打ち抜く。続けざまに響いた銃声を三発まで数えてから、八戒はギアをバックに入れてアクセルを踏んだ。
「うわっ!」
「ちょっと、退いて下さい……!」
周囲の妖怪数名を引き摺るようにして、輪を抜けたところで急停車。悟空が一歩離れたところで闘っている限り、迂闊に戦線離脱するわけにもいかず、八戒はジープから飛び降りた。
「三蔵っ!悟浄を……」
気孔を連弾で繰り出し弾幕を張ってから、八戒は車上を振り返る。
だが、その視線の先に、見慣れた赤はなく……。
「いくぜ」
「悟浄、無茶ですっ!」
一瞬の隙を突いて脇をすり抜けた小柄な体躯を捉えることも出来ず、八戒は叫ぶように制止の声を上げた。しかし悟浄は返事もせずに、八戒から丁度十歩進んだところで止まると、錫杖を召還した。
「悟浄っ!」
「黙って見てろ」
子供と侮ったのか、悟浄の姿に気付いた敵が群れをなして襲い掛かる。その様に血相を変えて駆け寄ろうとした八戒を制したのは、他ならぬ悟浄であった。
キン、と冴えた音が響いたかと思えば、銀色の月が柄に戻るところだった。いつ繰り出されたかも解らない刃は、彼に襲い掛かろうとしていた妖怪の首を五つ落とし、そして何事もなかったかのように次の襲撃を待つ。
(いける)
悟浄自身、錫杖を振るうことに不安がなかったわけではない。だが、ここで闘わずに守られる気などさらさらなかった。
自分に秘められた妖気は解る。そして、武器の召還の仕方も。武器さえ出せれば動きは身体が覚えているだろうと楽観視していたのだが、強ちそれも間違いではなかったようだ。錫杖を大きく振り回すことこそできないものの、刃を飛ばして鎖を操るだけなら身丈も腕力も関係ない。初期動作だけは筋力が要るものの、後は僅かな手首の返しだけで面白いように操れる。
しかし、それも長くは続かなかった。リーチの長い得物はその分予備動作に時間が掛かる。つまり一度刃を落とされたり、刃を放った瞬間に間合いを詰められれば今の悟浄に対処する術はない。
大地に落ちた首が十五を数えた時、そのことに気が付いたのか、はたまた偶然か、一人の妖怪が悟浄の間合いへと入り込み、凶刃を振り下ろした。
「…っ!」
悟浄は危くその刀を錫杖の柄で受けたが、純粋な腕力となれば勝てるはずもない。男は力任せに刃を押し付け、悟浄のバランスを崩そうとする。
「へへ……残念だったなぁ」
「悟浄っ!!」
間近に迫った妖怪の醜い顔よりも、切迫した八戒の声が悟浄の癪に障った。
「だーもー、煩ぇなっ!」
叫び様男の腹を蹴り上げ、一閃。錫杖で男の側頭を叩き、地に沈めた。だが、第二第三の凶刃が容赦なく悟浄へと襲い掛かる。
悟浄は舌打ちと共に錫杖を身構えようとしたが……。
「っ!!」
振り回した錫杖の一端が大地を削り、砂煙を上げた。
構えが、遅くなる。
悟浄の目に、迫りくる白刃が映る。
それが、自身の肉体に吸い込まれるかと思った瞬間。
「悟浄っ!」
耳元で、八戒の声がした。
白光が視界を埋め、視力を取り戻すまでに数秒掛かる。その間、悟浄は閉ざされた世界の中で気配のみを追っていた。
八戒の気配が、殺気を孕んだ他の気を次々と打ち消していく。目が見えなくとも、今の悟浄には気配を追うことなど呼吸をするよりも簡単なことだ。
「悟浄!大丈夫ですかっ?!」
「あー、なんとかな」
じわりと見開いた目に色と形が戻ってくる。悟浄はゆっくりと瞬きを繰り返すと、手の中の錫杖を握り締めた。
使い慣れた筈の武器が今、自分の命を危くさせる。その事実は悟浄にとって認めたくない現実でもあった。だが、ここで躊躇している暇はない。使えぬ武器なら捨ててしまった方がマシ。生きると決めたからには……。
「八戒」
「はい?」
「悪いんだけど、このまま2分任せてもイイか?」
「………1分半、なら」
「了解」
その言葉が終らない内に、悟浄は錫杖を霧散させた。そして、両手を軽く合わせると、目を閉じる。
渦巻く悟浄の妖気を背に感じながらも、任せると言われたからにはきっちり敵を引き受けなければならない八戒は悟浄の方ばかりを見ているわけにもいかず、歯痒い思いをしながら無数にも思える敵と対峙していった。
そして、きっかり1分半。
「八戒、悪ィ」
ヒュンと風を切る音と共に、悟浄が八戒の隣りへ並んだ。その手には、悟浄の腕の長さよりも少し長いくらいであろう、一筋の太刀が握られていた。どこかで見たような意匠に八戒の瞳が曇るが、横にいた悟浄がそれに気付くはずもなく。
「別に、このまま休んでいてもいいんですよ?」
「冗談。まー、確かにこっちは久々だけど?……後は、任せろよ」
僅かに身体を沈ませた後、間髪入れずに走り出した悟浄を留める術もなく、八戒は敵の合間を縫うように動く赤髪をただ見ていた。悟浄が走り抜ける度に、風に煽られた紙人形のようにパタリパタリと敵が倒れていく。ある者は首を裂かれ、またある者は心の臓を貫かれる。全身のバネを使い踊るように剣を流す悟浄の前には、直ぐ様命の灯火を消された骸の山が出来上がる。
その、中。
悟浄の手の上、片刃の剣の根元に埋められた鈍色の「目」が、確かに八戒を捉えた。
黄塵の舞う大地に、刻一刻と先程までの数倍のスピードで減っていく敵の数よりも、その目の彩だけが八戒の背筋を冷たくさせた。
目は、語っていたのだ。
あそこにこそ、敵がいるのだと。
「これで、ラスト」
浅黒い肌の男の心臓を貫いた刃を、くるりと返してから一息に引き抜いた悟浄が、薄く笑いながら振り向いた。
その視線を受けながら、八戒はまた、あの凍て付くような鈍色を感じていた。