■奇跡の種■



 その少女人形は、微笑むことがなかった。
 ただ、苛烈なまでのその瞳の色だけが・・・印象的だった。


 八戒は人形師だった。
 否、『人形師だと思われていた』という方が正しいかもしれない。
 彼は別に人形を作っていたわけではなく、どちらかと言えば人形を商う方が多かった。それでも町の住人から人形師だと思われていたのは、彼が病んだ人形を癒すことに長けていたからに他ならない。
 だから町の人々は彼を『人形屋』ではなく、些かの尊敬も込めて『人形師』と呼んでいた。
 彼の扱う人形は、一般に売られている物とはかなりその様相を異にしている。
 植物を基礎とし培養された人形は、その外見は人間にとても近く、だがその内面は植物そのものであった。アロマテラピーに始まるヒーリングの効果を極め細部にいたるまで調整され、主人を癒す為だけに作られる人形達。自立した思考を持ちながらも、その生を主人の為だけに費やす人形達を、人々は『観用少女―プランツ・ドール―』と呼んだ。
 それは人形達の性質上少女の形をしていることが多く、一様に儚げな容姿をしていたからだ。これにもれっきとした理由がある。
 まず第一に、彼女達が植物から生成された生き物だということ。彼女達は適度な湿度と静穏を好み、活発に動くほどの筋力を持ち合せていなかった。
 次に、彼女達の役目。癒すことを目的として作られた存在は、容姿の点に於いても統計学的に計算され、より多数の人間に視覚的にも安らぎを与えるよう作られている。
 その他にも細々とした理由はあるのだが、いずれも彼女達がただの人形ではなく『少女人形』だという認識を世に知らしめる為だけのものでしかない。
 だからこそ、八戒もその人形を見た時に、軽い驚きを覚えたのだった。


「なぁ八戒、この間三蔵が連れて来たのって、コレ?」
 悟空の問い掛けに、八戒は苦笑しながらも頷いた。
「そうですけど・・・コレ、なんて言ったら気を悪くしますよ」
 どうぞ、とマグカップを差し出しながら、八戒は悟空の視線の先を追った。
 そこには一体の少女人形が置かれていた。窓に程近いところに置かれた椅子に腰掛けただ一点を見詰めるその姿は、アンティークドールそのものだ。
「悪い。・・・でも、さっきっから全然動かないじゃん。壊れてんの?」
 二人の会話を全く聞いていないかのように、その人形はぴくりとも動かない。悟空の疑問も当然だった。この店が人形屋とはいえ、取り扱っている商品は観用少女のみ。少女達は騒ぎこそしないものの、店の中に人が入ってくればそれなりに注目もするし、仲間同士で囁きあいもする。人形達は店内を自由に動き回りさえするのだ。
 だからこそ普通の人形のように座っているそれが、悟空の目には奇異に映った。
 それを判っているから、八戒も苦笑しか返せない。
「あの子は・・・ちょっと疲れてしまったんですよ。本当は優しく笑う子なんです。だから笑顔を取り戻すまで、ここで休んでいるんですよ」
 悟空はその少女が笑うこと自体信じられなくて、改めてまじまじと見る。
 アンティークなドレスに身を包んだその少女は、綺麗な緋色の髪と瞳をしていた。日に透けると夕焼け色に輝くそれが、実に観用少女らしい整った顔を縁取っている。その為に滑らかな頬にくっきりと刻まれた2本の傷跡が、余計に痛々しく映った。
「ふぅ・・・ん。勿体無いな、綺麗な顔なのに」
 聞かずとも、あの頬の傷が少女の心の傷に繋がっていることは悟空にも判る。悟空自身、三蔵に拾われ八戒と付き合うようになってから、心を病んだ人形達を少なからず見て来た。
 そもそも観用少女には新陳代謝というものが極端に抑えられている。僅かな自己再生能力は持っていても、彼女達は基本的に成長することがない。勿論多少の傷なら自然治癒で治るのだが・・・目の前の人形の傷を完全に直してやるには皮膚細胞の移植しか手がないだろう。それとて完全に直るとも限らない。精神に深く結びついた傷というものは、新しくした筈の皮膚にすら影響する。多分この傷は、彼女が彼女である限り、癒されることはない。
「本当、勿体無い・・・。せめて笑えるようになれば良いのにな」
 素直な悟空の言葉に、八戒も気が安らぐ。三蔵からこの子を渡された時、八戒も少なからず戸惑ったのだ。三蔵の持ち込む無理難題はいつものことだが、この人形だけはいつもと違う。ここまで深い傷を負った人形は、八戒も初めてだった。しかもどのシリーズとも異なる、フル・オーダーの人形。癖があるのは承知だが・・・。
 それでも、この子の微笑む姿を見たいと思った。他の人間に任せるどころか、自分の前からいなくなることすら許せなかった。自分でも気が付かなかったが、この感情は・・・・・・。
「八戒?」
 呼ばれる声に意識を戻せば、悟空が不思議そうな顔で見上げている。
 どうもこの人形に関してだけは、調子が崩れてしまう。八戒は自嘲しながらも表面だけは取り繕って、悟空に笑い掛けた。
「えぇ。早く笑えるように、悟空も協力して下さいね」
 そう言えば、悟空は喜んで首を縦に振る。
「うん!俺、毎日だって来てやるよ」
 どうやら悟空もこの人形を気に入ったらしい。少々複雑になりながらも、八戒は穏やかに笑った。
「そういえばさ、名前・・・あるの?」
 ほんの少し遠慮がちに問うのは、こういう観用少女には名付けられていることが少ないからだ。無意識でもこういう心遣いが出来る悟空に、八戒は好感を持っていた。
「あぁ、まだ紹介してませんでしたね。この子の名前は『悟浄』というんですよ」
「悟浄・・・女の子なのに、変わった名前だな。ま、いっか。俺は悟空。よろしくな」
 相手を人形としてではなく、同等の存在として接する悟空には正直頭が下がる。と、そこまで思ったところで八戒は微妙な違和感に気が付いた。
「あの・・・」
「ん?」
「もしかして誤解してるかもしれませんけど、悟浄は・・・男の子ですよ?」
「・・・・・・・・・?!」
 見る間に目を皿のようにして口をパクパクさせる悟空に、やはり・・・と思う。
「だって、女の格好してるじゃん!!」
 確かに悟浄は観用少女達が着るような、アンティークドレスを身に付けている。しかしまぎれもなく、少年型の人形なのだ。
「・・・でも、似合っているでしょ?」
 自分でも少々間抜けだとは思いつつも、八戒は悟空が更に頭を抱えそうな言葉を吐いた。


 あれから暫く悟空は悩んでいたが、結局無理矢理自分を納得させ、日も暮れてきたのでまた来るとの約束を残し帰っていった。
 途端に静かになってしまった室内に、八戒はこっそりと溜息を零す。
 悟浄にこのドレスが似合っているのも事実だが、本当は八戒だとて少年用の衣装を用意したのだ。しかしいくら勧めても、悟浄は首を縦に振らなかった。
 そう、先程悟空が見ていた時のように、悟浄はいつも人形のように座っているわけでもない。寧ろ八戒と二人だけの時は、観用少女とは思えないくらいに活発に動き回っていた。
「騒がしいヤツ・・・」
 そして、口も悪かった・・・。
「そんなこと言わないで下さいよ」
 苦笑しながら、八戒は悟浄の為にダイニングの椅子を引く。
 そこにトン、と軽い音をさせて悟浄が座る。
「悟空は良い子ですよ。悟浄も、少しは構ってあげれば良いのに・・・」
 言っても無駄だと思いつつ、八戒も言わずにはいられない。何しろ悟浄がこうして話をするのは、八戒だけなのだ。悟浄を連れて来た三蔵にさえ、彼は『普通の人形』のように振舞っていた。
「嫌だね、面倒臭い」
 憎まれ口を叩きながら、八戒からホットミルク入りのティーカップを受け取り口に運ぶ。こんなところだけは普通の観用少女並で、食事は一日3回のホットミルクだけなのだ。いっそ特別仕様なら、人間の食べる物も口に出来れば良いのに・・・と、少々本末転倒なことまで八戒は思ってしまう。
 それほどまでに、悟浄は他の人形達とは違っていた。
 会話をしていても解る、彼の能力の高さ。純粋な知能という点に於いては、大型コンピューター並に違いない。記憶力に加え、それに対する応用力と適応力に優れ、独特の計算高さまで持っている。その思考回路は人形と言うよりも、人間に近い。
「悟浄も気が紛れると思うんですけど」
 言いながら、八戒は観察的になりそうな思考を弾き出す。嫌な癖だと思いつつも、長年の間に染み付いてしまったものは、そうそう落ちてはくれないらしい。
「別に、気を紛らわしたいことなんて・・・ねぇよ」
 俯いたままで零す悟浄の言葉が何故か痛くて、八戒は笑顔を取り繕う。
 彼には時間が必要だ。急かす事だけはしてはいけない。
「食事が終わったなら、湯浴みでもしますか?」
 だからといって関係のない話題を振ることは、逃げなのだろうか?

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