■奇跡の種(2)■ パシャリと湯の撥ねる音がする。 表面には出さないが、実は八戒は海より深く後悔していた。 本当のところ、観用少女に湯浴みはそれほど必要ではない。先に言ったように、代謝機能が低いからだ。だが、悟浄は意外と綺麗好きなのか湯浴みを嫌がったことはなかった。 相手は人形。 だが、その肢体は人間の物と殆ど変わりはない。 人形だからといって継ぎ目があるわけでなく、柔らかな肉付きは人間の子供と似通っている。日に焼けることのない白い肌が、いっそ眩しいくらいだ。 改めて見れば、やはり多少の傷は目立つ物の・・・基本的な造詣が美しいことに変わりはない。 (というか・・・人形に欲情したら変態ですよぉ・・・) 人形でなくとも年若い少年に性的衝動を感じること自体変態なのだが、その辺を敢えて無視したことを八戒は心の中で嘆いた。 「熱くはないですか?」 その声にも表情にも、八戒の内心の葛藤など全く感じ取れない。昔の同僚からは『何を考えているのか解らない』などと言われ続けてきたポーカーフェイスを、八戒は誰にともなく感謝する。まぁ、だからこそ・・・こんな仕事も貰えるのだが。 バスタブに半身を沈め、縁に首の後ろを当てたまま悟浄はこくりと頷いた。それを確認してから、八戒は再び手の中の髪を丁寧に梳いていく。 水を含んで重くなった赤い流れが、手を染める。それすらも綺麗だと思いながら、八戒は手元に集中した。集中していたからこそ、悟浄の手が触れるまで全く気が付かなかった。 「なぁ」 ヒタリ。 小さな手が、八戒の頬に添えられる。驚いて顔を上げれば、紅玉に捕われた。 「八戒の目・・・かたっぽ、色が違うのな」 「・・・あぁ、これですか?」 反射的に手をやれば、指先が悟浄の手に触れる。 「気を付けて見ないと解らないでしょ?」 少しだけ、反応速度の違う右目。 「うん。だけど、なんで?」 子供のような素朴な疑問に苦笑が漏れる。 「義眼ですからねぇ」 それに、なんでもないことのように八戒は答えた。 「昔、ちょっとした事故に遭いまして。その時に失くしてしまったんですよ。生体義眼だから視力はありますけどね」 本当に、八戒にとってはどうでもいいことだった。右目だけでなく、パートナーや研究や・・・その時に無くしたものは多かったけど、それすらも今となっては吹っ切れている。 「痛い?」 「いいえ」 「じゃぁ、“痛かった”?」 「・・・多分」 悟浄の聞きたい答えが何なのか、それは解らないけど・・・あの時のことは朧気過ぎてあまり覚えていない。ただ、全てが握った指の隙間から零れ落ちていくような、そんな寂寥感しか・・・覚えていなかった。 「多分、悟浄ほどではないとしても・・・痛かったんでしょうね」 「なにそれ。自分のことだろ?」 「自分のことなのに、よく覚えていないんですよ」 だから『僕は』痛くないんです。そう囁けば、悟浄の目が泣きそうなほどに歪んだ。 「そんな顔、しないで下さいよ。別に不自由はありませんし・・・・・・そうですね。唯一の心残りはあの花が咲くところを見られなかったことくらいですか」 「花?」 「えぇ。僕らが育てていた、この世でたった一つの種なんです。僕らは皆、その花に出会えることを楽しみにしていたんですよ」 僕らが『奇跡の種』と呼んでいた、あの種は・・・事故の後研究自体が頓挫してしまったらしいから、きっと枯れてしまっただろうけど。 「その種のことは、覚えてる?」 執拗なまでに拘る悟浄に、八戒は戸惑いながらも自分に興味を示してくれることが嬉しくて。 「興味があるんですか?」 こくりと頷く幼い顔に微笑み掛けて、その髪に接吻ける。 「じゃぁ、その話は上がってからにしましょう。いくら悟浄でもふやけてしまいますからね」 促すままに立ち上がった悟浄の肢体を見て、八戒は忘れかけていた後悔を再び思い出してしまった。 部屋に戻ると、悟浄はいつもの通り自分のドレスを椅子に掛けた。 流石に寝巻きだけは八戒の用意した物を着るようになったが、それ以上の服は頑ななまでに拒む。 その臙脂色の中にどれだけの思いが込められているのか。 八戒は込み上げる感情を押し殺すように微笑んだ。 「さ、長くなるかもしれませんから・・・ベッドに入って話をしましょう」 その言葉に素直にベッドに潜り込む悟浄の姿に、少々複雑にもなる。 夜にベッドで眠るということは、少なくとも彼が人間と同じように暮らしていたことに繋がる。そういう風に扱われていたのなら、少なくとも愛されていたはずだ。なのに悟浄は癒えない傷と共に、ここにいる。 「八戒?」 「あぁ・・・すみません」 いずれ、話したければ悟浄自身が明かすだろう。今は悟浄の知りたがる花についてだけ思い出せばいい。 八戒は一呼吸置くと、ゆっくりと記憶を探った。 「僕らはその種を『奇跡の種』と呼んでいました。その頃僕はプランツの研究所で、研究員として働いていて・・・その種の開発に関っていました」 それは植物の種というよりは、輝石の様な煌きを内包していた。 鉱石のように見えるそれは、膨大な化学式の結晶であり、プランツの新たなる礎となるはずだった。 元来プランツは成長することがないと言われている。それは培養液を離れた種が、成長する為のプログラムを持っていないことに起因していた。自立プログラムが起動したプランツは、自己再生は出来ても成長する能力はない。 だが、『奇跡の種』は違った。理論上から言えば、核の内部にある予測プログラムにより情報を逐次フィードバックし、外郭を構成する物質を再構築していくのだ。あたかも人間が成長するように・・・。 「夢のような話でしょう?もしもその研究が完成していたら、プランツのあり方も随分と変わったと思います。でも、僕の中には疑問も生まれてしまった。悟浄・・・人間とプランツの違いって、何だと思います?」 「え・・・?」 「プランツは植物なんです。パートナーとなる人間の波長を失えば、枯れてしまうほどに繊細な・・・。でも『奇跡の種』は違う。自立するプランツといえば聞こえは良いけど、果たしてプランツはそれを望むのか・・・僕らはただ、残酷な生を押し付けているのではないか・・・」 八戒は視線を己の両手に向ける。 「僕は悩みました。でも、一介の研究員に過ぎない僕には出来ることなど殆どなかった。そして、あの事故が起こってしまったんです」 事故は本当に偶発的なものだった。後に漏電が原因だろうとは発表されたが、本当のことは解っていない。研究棟の一角から起こった爆発は誘爆を生み、施設の7割を瓦礫に変えた。八戒は右目と何人かの同僚と・・・恋人を失い、研究所を去った。 「事故のことは、本当に覚えていないんです。ただ、放心状態で数日を過ごしたようでしたけど・・・ふとね、『これで良かったんじゃないか』って思ったんです」 研究所の力もあったのだろう、右目の移植は思ったよりも早く、リハビリも順調に済んだ。そして復職を願う声を振り切り、この町へと来た。 「種のデータは殆ど残っていなかった筈です。なにしろ研究途中でしたからね。一から作り直すには、膨大な時間と労力を必要とするでしょう。だから、『奇跡の種』はもう・・・僕の心の中にしかないんです」 悲しい生を歩むよりは、生まれない方がいい。 八戒はそう思い、全てを忘れようとした。だが何の未練か、再び出会った三蔵の勧めでプランツの調整を生業とするようになってしまった。それは贖罪の様でもあったが、単にプランツと離れ難いだけだったのかもしれない。そしてまだ、望みを持っていたのかも・・・。 「そっか・・・」 小さく呟く声に、八戒は顔を上げた。 その先に見えるはずの悟浄の顔は、俯いている為に隠されていた。 「じゃぁ、残念だったな」 「悟浄?」 言葉の意味が解らずに、八戒は問い掛ける。 「八戒の願いは、どれも叶わなかった。『奇跡の種』はプランツとして完成したけど・・・『俺』は成長なんかしない」 「悟浄?!」 「あの研究は完成しなかったけど、種だけは・・・生きていたんだ」 そして、八戒の予想通りになってしまったんだ。 悟浄の瞳は、そう告げていた。 八戒は知らなかった。研究所は生きていた種を全て国外の施設に運び、それらを育成していたのだ。無論、『奇跡の種』もその中に含まれていた。だが、プログラムが壊れたのか、他のプランツ同様成長することはなかった。 「色素もこんなんで、物珍しがった金持ちが奥さんの為に買ってくれたんだ。俺はそこで、結構大事に育てられたよ。あの服も、母さんの子供の頃の物でさ・・・似合うからってくれたんだ。『男の子なのに変だけど』って、でも嬉しそうに笑ってくれた」 だが、幸せも長くは続かなかった。 仕事に追われ家庭を省みなくなった夫に、妻の心は壊れ・・・その凶行は悟浄へと向いた。 「母さん、泣くんだ。『あの人を返して』って。それでも時々は、俺に優しくしてくれてさ。あれを着ているときが一番多かったんだ。きっと母さんも、あれを着ているときが・・・一番幸せだったんだろ」 だから悟浄はあの服を着て、必死に女を慰めた。元より失敗作である自分が行くところなど、他にない。 「だけど母さんも結局壊れて、俺は枯れもせずに・・・」 ポロポロと、涙が敷布に転がる。それは結晶化し、悲しい色を放つ。 「枯れちまえば良かったんだ。母さんを不幸にして、八戒たちの願いを叶える事も出来なかった失敗作なんて」 「悟浄・・・」 「八戒が右目をなくしたのだって、俺のせいみたいなもんだ。なのに俺は・・・枯れる事も出来ない」 「違いますっ!」 堪らず八戒は、力の限り悟浄を抱き締めた。 「あれは純粋に事故で、悟浄のせいなんかじゃありません。お母さんの事だって・・・」 その八戒の言葉を遮るように、悟浄の頭が緩く振られる。 「八戒も思ったんだろ?俺の存在自体が間違いだって。それは本当のことだった・・・それだけだ」 「いいえ」 悟浄を見たときから、何故か懐かしいような気がしていた。それがあの種に繋がっていたのだとしても・・・ 「僕は悟浄が、好きです」 きっぱりと、これまでにない強さで八戒は言い放つ。 「悟浄のせいで不幸になるなんて、そんなことは絶対にないです。確かに昔の僕は色々と悩んでいたかもしれない。でも・・・今の僕には悟浄が必要なんです」 だから・・・ 「枯れちゃ、嫌です。そんな悲しいこと・・・言わないで下さい」 恥ずかしいけれど、一目惚れだったんです。 そう小さく言った八戒の言葉に、悟浄の口唇に微笑が上る。 存在することを許された、優しさに。 「俺はここにいても・・・イイ?」 「ずっと傍に居てください」 望まれることの嬉しさに。 そして、見えない何かに誓うように、二人は接吻けを交わした。 「悟浄、起きて下さい」 朝日の眩しさに眉を顰め、悟浄は再び寝返りを打つ。 だが、揺り動かす手はそれを許さない。 「悟浄、だめですよ。今日は悟空だけじゃなく三蔵来るんですから」 「げ・・・やっぱりあいつらに会わなきゃダメか〜?」 渋々と起き上がった悟浄は、目の前の八戒の唇にちょこんと触れると、鮮やかに笑った。 「オハヨウ」 「・・・おはようございます」 二人の目線は、ほぼ同じ。 悟浄の身体はあの一晩ですっかり成長していた。精神的な作用なのかは解らないが、悟浄の見た目は八戒とほぼ同年代。彼を見てプランツだと思う人間もいないだろう。 だが、八戒はそれを誰に告げようとも思っていなかった。 知られれば悟浄は研究の為に連れて行かれるかもしれない。それを危惧した八戒は、三蔵に連絡を取った。 「あれでも研究機関のお偉いさんなんですから、しっかりご機嫌取りしてくださいね」 「俺、あいつ苦手・・・」 証拠隠滅と、その先の布陣。こういうところだけは抜け目のない八戒に、悟浄は正直頭が下がる。 「あ、八戒〜。服!」 「そこに用意してありますよ」 「さんきゅ」 悟浄が手にした服は、八戒の物。丁度似たような体格で良かったと、悟浄はシャツに手を通す。 その視界の隅に、鮮やかな臙脂色が映った。 「・・・ここまで身体がでかくなっちゃ、こいつも着られねぇな」 触れれば優しい肌触りの、ビロード。 色々な思いの詰まったそれを、悟浄は些か乱暴に取り上げるとクローゼットに押し込んだ。 笑わないプランツの記憶ごと・・・。 <おまけ> 「ってことで、漸く終わりましたね。似非プランツ話」 「八戒・・・そんな身も蓋もない・・・」 「だって悟浄、これが2周年記念なんて、許される話だと思います?しかも途中体調崩したとかで伸ばしに伸ばしてこの結果ですよ?」 「ま〜・・・それは今に始まった話じゃないじゃん」 「悟浄も意外と酷いこといいますよね。ま、僕としては悟浄が成長してくれて良かったです」 「え?なんで?」 「管理人も最後まで悩んでいたみたいですけどね。アンティークドールみたいな悟浄に未練があったようで。でも・・・」 「でも?」 「あの姿の悟浄を押し倒したら、淫行罪になっちゃいますでしょ?」 「しれっとなんつ〜こと言うんだ・・・」 「僕は晴れて少年保護法を回避♪ついでに三蔵を脅して、悟浄の戸籍を作ってもらって婚姻届も提出済みっと♪」 「マテっ!!」 「・・・当然でしょ?」 「人のいないところで何やってんだ!ってか、婚姻届って?!」 「細かいところまで気にしないでくださいよ。それでは、少しでもお楽しみいただけたでしょうか?これにて2周年記念SSを終わらせて頂きたいと思います。皆様、お付き合いくださいまして有難う御座いました。これからも宜しくお願い致します」 「勝手に〆てんじゃねぇ〜〜っ!!」 |