ある雨の日 注)悟浄はいつもより20%差し引いてご鑑賞下さい。



 全てを覆うように、雨が降る。
 視界は狭く、白く煙る町並みは現実感を無くしていた。

「ちっ、ついてねぇな」
 雨は地上に等しく降る。それは、独角の上にも同じである。
 前髪から滴る滴を振り払いつつ、更に足を早める。
 目的地は、逗留先の宿屋。独角の足ならば3分とかからずに辿り着けるはずであった。
 だが、その眼がある彩を認めたとき、考える前に足を止めてしまった。
 足を止めてから、独角は深く後悔した。
 あぁ、気付かなければ良かった、と。


「よぉ、久振りだなぁ」
 声を掛けてきたのは向こうから。
 皮肉そうに唇の端で笑い、片手をあげている。
 少し顔を上げたせいで、赤い髪から雨滴が散った。
「こんなところで、何やってんだ」
「雨宿り」
 そんなことは見れば解る。
 聞きたいのは、何故こんな所に一人でいるのかということだ。
 そう、口に出そうとした瞬間、ヤツの腕の中にいるモノに気付いた。
「ニィ」
 手のひらに乗りそうなほど、小さな猫。
 灰色の毛並みは濡れそぼり、小刻みに震えている。
「どうしたんだ、この猫」
「目下、俺の恋人」
 何処かで拾ったのであろう、この猫のために店に入ることも出来ずに、こんなところで雨宿りをしていたのだ、この男は。
「連れはどうした」
「ん〜、さぁ?」
 町外れの宿屋にいるんじゃないの?と返され、この街の規模を思い浮かべる。確か、今いる位置から町外れまでは歩いて小一時間と言うところだろう。
 走れば大した距離でもあるまいに、帰れぬ理由が他にあるのか。
 時折仔猫を拭う青いジャケットも、雨で色が変わっている。
 俺は諦めたように一つ息を吐き出す。
 放っておけないのは猫か、こいつか。
「悟浄・・・俺の宿が直ぐ近くだ。付いてこい」
 それだけ告げて、後ろも見ずに再び歩き出した。


「ほら、濡れたまんまで歩き回るんじゃねぇ!」
 備え付けのタオルを放り投げ、俺は悟浄の手から猫を摘み上げた。
「んにぃっ!」
 突然の浮遊感に猫が抗議の声を上げる。なかなかでかい声だ。
「あんまり手荒に扱うなよ〜」
「うるせぇ!てめぇはとっとと服脱いで乾かしてろ!」
 仔猫をタオルで包み込み、水気を取りながら俺は怒鳴り返す。
 実はこの辺の生き物の扱いは、意外と手慣れている。
 大きさの割に元気はあるようだから、乾かして餌を食わせれば大丈夫だろう。
 とりあえず大方の水分が取れたのを見計らって、新しいタオルでくるみ直す。
 よし、とばかりに猫はタオルごとソファに置き、今度は悟浄に向き直った。
 ヤツはまだ、頭からタオルを被ったままだ。
「おい、下行って猫のエサ用意して貰ってくるからな」
「ん」
 片手をあげて、応える。
 濡れた服は、まだそのままだ。
 俺はまた一つ、溜息を付くと部屋のドアを開けた。
(今日だけで何回溜息を付くんだろうなぁ、俺は・・・)
 人生は諦めも肝心だ。
 そうは思ったが、虚しさだけは消せなかった。


 運良く階下の食堂で温めた牛乳を手に入れ、悟浄のために軽い食事も作って貰った。
 俺は右手に牛乳の入ったポット、左手には皿を持ち、再び扉の前に立つ。
「おい、とりあえずエサ・・・」
 そう言ってドアを開けたところで、目の前の光景に目を奪われ、言葉を失う。
 悟浄は言われた通りに濡れた服を脱いでいた。
 だが、替えの服を出してやるのを失念していたために、その格好は腰にタオルを巻き付けただけだ。
 思いの外細い肢体を晒し、ソファの上の猫を構っている。前屈みになった悟浄の、普段は隠されている項から背中へのラインから、目を離せない。
 形容しがたい情動。そして、既視感。
 背中を丸めて泣いているこいつを見たのは、何年前のことだろう。
 あの頃は、その小さな背中を護ってやりたいと思った。
 だが、今は・・・
(冗談じゃねぇ)
 微かに眉根を寄せると、今し方の考えは振り捨てようと努力する。
 あの背中を組み伏せ、貪りたいなどとは
(気の迷いだ)
 『今』は敵でも、自分達は確かに、血を分けあった『兄弟』なのだから。
「ほら、猫を貸せ」
 振り切るように言った言葉は、自分でもそれと解るほど堅かった。

『クアゥ〜』
 腹が満たされた猫は、大きな欠伸を一つするとその場に丸くなる。どうやらこのまま寝てしまうらしい。
 俺はとりあえず猫を部屋の隅に置いたタオルの上に置き、後ろを振り返る。
 悟浄は先程渡したブランデー入りのホットミルクを大人しく口に運んでいた。
 本当はアルコールのみを欲しがったのだが、牛乳が余っていたのと、 どことなく落ち着かせた方が良いような気がして、無理にホットミルクを押し付けたのだった。
 俺は自分用にと注いだブランデーグラスを片手に、悟浄の方へと近づく。
「ずりぃ・・・」
 マグカップに口を付けながら、ヤツは上目遣いに抗議してくる。
「文句を言うな。仮にも敵のお前にここまでしてやってるなんて、随分親切じゃねぇか」
 全くだ。何の因果でこんな奴を部屋まで連れ込んだのか。その辺の妖怪に見られたら、巻き添えで殺されかねねぇ。下手すりゃ俺まで裏切り者扱いだ。
「まぁまぁ、知らねぇ仲じゃねぇんだし」
 口端をつり上げて笑う悟浄の頭を一つ叩いてやる。
「知ってても、敵としてだろ。この前会ったときは、ちゃんと戦っただろうが」
 そんなこともあったなぁ、と更に笑う悟浄に、俺は頭痛を堪える。
 お気楽にも程がある。
 どこをどう間違ったらこんな奴になってしまうのか。
 そう思ったところで、俺は悟浄を「弟」として見ていることに改めて気付かされた。
 俺はもう「独角」であって、「爾燕」ではない。
 悟浄の兄である「爾燕」は、もうどこにもいない。
 そのことを、お互い自覚しているのか?
 それとも、いくら捨てた気になっていても、どこかに染みついているモノなのか。
「しょうがねぇなぁ。ほら」
 カップが空になったのを見計らって、手に持ったブランデーを注いでやる。
「あ、ここに注いだら牛乳の味が残っちまうじゃねぇか」
 文句の多いヤツだ。
「嫌なら飲むな」
「ったく・・・」
 ぶつくさと言いながらカップをくるりと回すと、そのまま一気に傾けた。
「おい!」
「・・・ふぅ。さ、これでゆっくり飲めるな」
 信じらんねぇ。こいつはカップを濯ぐ代わりに、ブランデーを一気のみしやがったのだ。
 差し出されたカップに諦めを込めて、再びボトルを傾けると、奴は嬉しそうに笑った。


「で、本当にどうしたんだ」
 2本目のボトルの口を切りながら、訊いてみる。
 しかしどういう飲み方をしているのか。カップが空になるのに3分とかかっていない。
 なのに悟浄の顔色は、あまり変化がない。
「ん〜。いや、別に。俺達だって別行動はしょっちゅうだしなぁ」
 それほど年がら年中吊るんでるわけじゃねぇよ。
 そう言いながら視線が泳ぐ。
「あんたこそ、こんなところで何してるわけ?王子様は一緒じゃないのかよ」
 話を逸らす。触れられたくない訳か。
「俺は単独行動をとらされている。紅は・・・多分城だ」
 これぐらいは教えてやっても良いだろう。
 俺達は「三蔵一行討伐」から外されたわけだし、雌狐のやることなんざ知ったコトじゃねぇ。
「ふぅん。じゃ、一人なのか」
「でなけりゃ、お前を拾ってはこれねぇだろうが」
 それもそうか、とまた口にカップを持っていく。
 ・・・単に手持ちぶたさなだけか。この異様なペースは。
 気付いたところで止めさせる上手い訳も見付からない。結局はまた、ボトルを傾けることになる。
「そういやさぁ」
「ん?」
「王子様と結構ヤってる?」
「ブッ!!」
 あぶねぇ・・・思いっきり吹き出すところだったぜ。
 じゃ、なくて。
「いきなり何云いだしやがる!」
「へ?」
 畜生っ!心底不思議そうな顔しやがって!
「だって・・・」
「ヤってねぇよ」
 あぁ、顔が憮然としていくのが判る。
「出来るわけなかろうが。あいつの側にゃ、八百鼡だっているんだぞ」
「八百鼡・・・あぁ、あの姉ちゃんか」
 悟浄も顔だけは覚えていたらしい。
「何、女に譲ってやってんの?」
「そう言うわけじゃ、ねぇがな」
 譲るも何も、今の紅にそんな余裕はない。
 きっと「そういう」関係になってしまえば、今の紅には負担になってしまうだろう。
 だからこそ、「今は」手は出せない。
「ま、元気出せよ」
 口調だけは慰めても、顔がにやけている。
 正直なヤツだ。
「お前はどうなんだよ」
 報復も込めて聞き返す。人のことばかりからかおうったって、そうは問屋が卸さねぇ。
「ん?俺?最近は・・・」
 悟浄は上を向いて考える。
 不自由はしてねぇ訳か。羨ましいこった。
 そう思ったところで、小声で付け足された内容に、俺は耳を疑った。
「八戒がうるさいからなぁ・・・」
「はぁ?」
 八戒って、八戒って、あの片眼鏡を掛けたヤツだよなぁ?
「お前らって、出来てたのか!?」
「知らなかったっけか?!」
 知るわけねぇだろ。仮にも敵同士なんだぞ、俺らは。
 しかしまぁ。そうか、あの男とねぇ。
 そう思った横目の視線にヤツも気付いたらしく、顔を隠すように下を向いてしまう。
「まぁ、3年前から一緒に暮らしているし」
 言葉を濁すように続ける姿は、言い訳をしているようにしか見えない。
「結構長いじゃねぇか」
「あぁ、そうかな」
 そうだな。そう言ったヤツの顔は髪に隠れて見えなかったが、決して明るいものとは思えなかった。
「しかし、あいつか・・・ちっとだけだが、残念だな」
「?」
 気分を変えて、明るい口調で言った俺の顔を、ヤツは反射的に見る。
「いや、この間うちの八百鼡といい雰囲気だったからな」
 あわよくば八百鼡と上手くいって欲しかったのも、結構本音だったりする。八百鼡には、普通の幸せを掴んで欲しいとも思っている。・・・深層では単に紅を独り占めしたいだけかもしれんが。
「旦那にとっても、その方が都合が良かったって訳か」
 どうやら思ったことの大部分を読まれたらしい。破顔したヤツに、少しだけ安定感が戻った。
「ま、そう言うことなら八百鼡にゃもっと別の相手を捜して貰うしかねぇか」
「はは、旦那のお眼鏡に適った相手を紹介してやんな」
「なかなか難しいけどなぁ」
 そう言った途端、悟浄は火がついたように笑い出した。
「ま、まぁ。あの姉ちゃんなら相手は選り取りみどりだろうしな。心配するほどでもないんじゃないか?」
「だと良いんだがなぁ。どっかヌけてんだよ、八百鼡は」
 一向に笑い止まない悟浄を眺めながら、しみじみと言ってしまう。
 本当に、もうちょっとしっかりしてくれれば、これほど苦労はしないだろうに。憎めんヤツだけに、つい世話を焼きたくなる。
「旦那は女子供に弱いよなぁ」
「いい加減笑い止め」
 まだ肩を震わせている悟浄をひとつ叩く。
 甘いのなんて百も承知だ。ただ、図星を指されるのは気にくわねぇ。
「なぁ・・・ならさ」
 震える肩はそのままに、悟浄は吹っ切れたような顔をあげた。
「いっぺん俺とヤってみねぇ?」
「はぁ?」
 自分の声が、これほど間抜けに聞こえたのは初めてだった。



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