― 花 鎮 め (後編) ―
カチッ…
歯の噛み合う音が、薄暗い部屋の中に響く。
カチッ…カチッ………
悟浄は八戒の腹部に額を当て、苛立ちを押さえながら同じ動作を繰り返す。
少しだけ反らされた八戒の躰。両手はその身体を支える様に、後ろへとつかれている。
「八戒………」
悟浄は縋る様に八戒を見上げるが、当の八戒は薄く笑うばかりで動こうとはしない。
「ほら、もう少しですよ」
促す様に掛けられた言葉に、悟浄は諦めを感じながら目を伏せた。
縛られたままの、手首。
悟浄は唯一自由になる歯と舌を使い、八戒の下肢を露にする為に跪く。
「ふっ……」
舌で布を掻き分け、ファスナーを咥える。
金属を食む感触に寒気を覚えながらも、歯を立て、ゆっくりと引き下げていく。
ほんの僅かではあれど、徐々に前立ては開き、その下にあるものをいやがおうにも意識させた。
「はぁ…くっ……」
ファスナーが下ろされると、今度はボタンを外し、シャツの裾を咥えて引き摺り出す。
まるで、悪戯盛りの子犬のような仕種。
しかしその姿態に込められた淫蕩さは、人成らざる者のの様でもあり・・・
「ん……」
そして、悟浄の振るえる舌先は、漸く八戒の昂ぶりを捕らえた。
生暖かい、湿った感触が下肢を伝う。
さらりと腹部を撫でる赤い髪に、八戒は目を向けた。
蹲る様に跪き、八戒に舌を這わせる悟浄の表情は、ヴェールの如き赤い髪によって隠されている。
それを暴くかのように、八戒は悟浄の髪を掻きあげた。
「ん…ふ…ぅ……」
悟浄は瞳を伏せ、濡れた舌を差し出し、八戒に絡める。
長い睫が頬に影を落とし、その微妙なコントラストが悟浄をより、妖艶に彩る。
震える睫から時折零れる雫。
ぱらぱらと落ちるそれは、快楽の証でもあった。
「悟浄」
八戒は愛しそうにその名を呼ぶ。
本当に愛しいのかは、解らない。ただ、悟浄を『欲しい』とは思う。
誰にも渡したくはない。
それが、恋慕の情なのか単なる独占欲なのかは、八戒にも解らない。
(鳥の雛の、刷り込みのようなものかもしれない)
『八戒』として生き始めたきっかけ。
『八戒』であることの証。
それが全て、この男の中にあるような気がして、万が一にも失うことがあれば、もう『八戒』ではいられないような、そんな恐怖に襲われる。
(僕を現世に繋ぎとめている、唯一の、鎖)
三蔵も悟空も『大切な仲間』だとは思っている。
しかし、目の前に跪いている男に求めるのは、そんな生温い関係ではない。
「悟浄……」
頤に手をかけ、もう一度名を呼ぶ。
潤んだ赤い瞳に、自分の姿が映る。
(まるで、悟浄の中に閉じ込められている様ですね)
もしそうであったなら、二度と悟浄と離れることはないのに。
こんな事でしか、彼を繋ぎとめておくことが出来ない自分が、悔しい。
「悟浄、もういいですから……」
親指で悟浄の眦を拭い、涙をはらう。
揺らぐ瞳は「ほっ」としたような色を浮かべ、それが酷く気に障った。
追い詰めて、逃げられない様にして。
悟浄が望んでいないと知りつつも、止めることが出来ない。
身体を繋げることが、自分に残されたたった一つの手段だと、錯覚している。
錯覚……そう、判ってはいるのだ。
これが無意味なことだと。
このまま続けていれば、いつか確実に悟浄は自分の元を離れて行くのだと。
でも、八戒にはこれ以外の方法が見付からない。
「っ!!!!!」
いきなり悟浄の肩を押し、乱暴な仕種でうつ伏せに転がし、情動のままに己を突き入れる。
「か……はっ………」
悟浄の大きく見開かれた目から、涙が零れ落ちる。
痛みと衝撃に耐え切れず、悟浄の唇はわなないていた。
「悟浄……」
八戒はその背に口付けると、ゆっくりと腰を動かし始めた。
「ひっ…あ……あぁ……」
切れ切れに零れる、声と涙。
八戒が動く度に、赤い髪がパサパサと音を立てる。
「悟浄……」
もう、名前しか呼ぶことが出来ずに、八戒の唇は震える。
「悟浄」
贖罪の様に、その名を呼びながら白く覗く項に唇を寄せた。
「は………」
そのまま真直ぐに伸びた背骨を辿る様に唇を滑らせば、後ろで組まれた両手にぶつかる。
無意識に引き絞られた布地は悟浄の手首にきつく食い込み、赤い痕を残していた。
(悟浄…………)
八戒は結び目に歯を立てると、悟浄の戒めを解いた。
不意に手が軽くなって、悟浄は両手が解放された事を知る。
シーツに投げ出された両腕は痺れて使い物にならないかと思われたが、次に訪れた衝撃に布を握り締めることが出来た。
「あ…あぁ……あ…」
断続的に漏れる己の声を、何処か遠くに聞きながら、薄ぼんやりとした意識の中で考える。
何故八戒は、こんなに乱暴に自分を組み敷いているのか。
常の彼の姿からは想像できない程の、激情。
悟浄の下肢にそそがれるソレは、苛立ちに溢れている。
何がそこまで八戒を駆り立てたのか。
(あぁ……)
腰骨に残された、赤い痕。
独角に……爾燕によってなされた、刻印。
一夜限りの交わりは、おぼろげな夢の様でもあり、紛れもない現実であった。
兄の姿を振り切る様に、肌を重ねた。
それは悟浄なりの決別の儀式でもあり、実際に心は晴れていた。
次に遭ったら、戦える。必要ならば、殺すことも厭わない。
そう思える程に、悟浄の心は凪いでいたのだ。
なのに、それが八戒の心を苛んでいたらしい。
「ひぅっ!」
不意に腰骨の辺りに歯を立てられ、細い悲鳴が漏れた。
悟浄の記憶が正しければ、そこには例の痣があったはずだ。
八戒は執拗に、その場所を攻める。
独角に付けられた痕を消す様に。自分の印に、塗り替える様に。
(バカだな……)
そんなことをしなくても、自分はもう、変わらないのに。
(ホント、バカみてぇ)
3年前に八戒を拾った日から、傍にいることを決めてしまっていたのに。
「ああっ!…あ……は…ぁ……」
激しくなる突き上げに意識を乱されながらも、悟浄は八戒を思う。
(結局、何にもわかっちゃいないんだ……)
見掛けほど器用ではない男に、なんだかくすぐったい気持ちが湧き上がる。
「ああぁぁぁ!!!!」
掠れる喉を引絞るような悲鳴が上がり、悟浄と八戒は共に高みへと辿り着いた。
冷たい感触が肌に当たり、悟浄は意識を取り戻した。
水で冷やされた布が、悟浄の肌を拭っていく。
「気分はどうですか?」
悟浄の顔を見ようともせずに、八戒が尋ねる。
「最悪……」
腹から入れられたアルコールのせいで半分二日酔い状態な上に、腕も手首も、身体中が悲鳴を上げている。
これじゃ、当分起き上がれそうにない。
「水、飲めますか?」
首の後ろを片手で支え、口元にコップが当てられる。
「さんきゅ」
冷たい水が、乾いた喉に心地良い。
コップの中身が全て無くなると、コップと共に八戒の手も離れた。
「で?」
冷たい手が離れてしまったことを惜しく思いながら、八戒の言葉を促す。
「貴方がもう少し回復するまで、この村にとどまれる様、三蔵に頼んでおきます」
「違うだろ」
相変わらずこちらを見ようともしない八戒に、悟浄はその腕を掴んで引き寄せた。
「言いたいことがあるなら、はっきり言えよ」
そう言えば、八戒の顔は泣きそうに歪められる。
「先に言っておくけどな、兄貴のことなら俺は謝らねぇぞ」
強気なまでの、言葉。だが、それだけは曲げられない。
「……すみません」
掠れるような声。
「でも、僕は貴方に誰かが触れるのを、許すことができないんです」
悟浄には自分だけを見ていて欲しい。そんな女々しい思いが自分を捕らえているなんて、自覚したくもなかった。
そう告げる八戒に、悟浄は呆れた視線を向ける。
(何を今更……)
そんなことは、一緒に暮らし始めたときから判っていたのに。
「バ〜カ」
悟浄は八戒の頭を胸元に抱え込むと、しっかりと抱きしめた。
「悟浄?!」
慌てたような八戒の声も構うことはない。
「兄貴との事は、どっかでけじめをつけなけりゃならないことだったんだ。でも、これっきりだ」
爾燕はもういない。次に遭う時は、敵の腹心でもある『独角兒』として。
そう、お互いに納得して来た。
「約束が必要ならいくらでもしてやる。不安なら、この身体をいくらでも抱けばいい。でも、忘れるなよ」
八戒と一緒に居ようと決めたのは、他でもない自分なのだから。
「俺がお前を必要とする限り、お前の傍を離れない。だから、お前も俺を必要とする限りは、俺から離れなきゃいいんだ」
必要としているのはお互い様。
飽きるまで一緒に居ればいい。
人生なんて長くはないし、退屈なんてしたくない。
永遠なんて信じない。
今だけがあればいい。
だから………
「はい、悟浄………」
安心しきった八戒の声が、薄暗くなった部屋の中に溶けていった。
うわ〜〜〜(--;)
何処に行きやがった鬼畜様!と言うカンジ゙の後編ですね。
ごめんなさい。当初の予定と大分変わってしまいました。何があったんだろう、私……(--;)
敗者復活戦と言うカンジでおまけを書きましたので、八戒の態度に納得できない鬼畜八戒派の方、
呆れずにそちらも見てやってくださいませ(^^;)
→おまけ。