― 花 鎮 め ―
悟浄が三蔵一行の泊まる宿に戻ってきたのは、朝食時であった。
1階が食堂になっているために、悟浄が宿屋の扉を開けると、三蔵と悟空の姿が見えた。
どうやら二人は朝食中らしく、悟空の前には湯気を立てる皿が幾つも置いてある。
「おっかえり〜」
悟浄の姿に気付いた悟空が、箸を振り回しながら言った。
三蔵は読んでいた新聞から少しだけ目を上げると、何も言わずに再び手元に視線を戻す。
そんな三蔵の様子に苦笑を漏らすと、悟浄は彼等の座るテーブルに近づいた。
「おはよ〜さん」
小猿は朝っぱらから元気だねぇ、などと悟空の頭を押さえつけると、悟空は危うく肉団子を落としそうになり文句を言う。
それを聞き流しながら「八戒は?」と問うと、奥からお茶を持った八戒が顔を出した。
「あぁ、悟浄。お早うございます」
何も変わらない顔で、八戒が挨拶をする。
「あぁ」
悟浄は返事にもなっていない言葉を返すと、八戒に今日の予定を確かめた。
この街に着いたのは昨日だが、雨が降っていたために食料の買い出しなどはまだ済んでいないだろう。そう予想を付けて訊いたのだが、返ってきた答えは予想と違わないものだった。
「んじゃ、俺、上で寝てるわ」
それだけ告げて、階段を上がる。
「あれ?悟浄、朝飯喰わねぇの?」
不思議そうに声をかける悟空に後ろ向きのまま手を振って、2階の部屋へと向かう。
その背中に、八戒の視線を感じながら………
「ん……」
悟浄は寒気を感じて目を覚ました。
少し横になるつもりが、すっかり寝入ってしまったらしい。
薄目を開けると部屋の中はまだ明るく、正午をいくらも過ぎていないことがわかる。
(喉、乾いたな)
サイドテーブルに水差しが置いてあったことを思い出し、手を伸ばそうとして悟浄は初めて自分の身に起こっている事に気が付いた。
「おい」
顔を巡らすと、ベッドに腰掛けた八戒の姿が映る。
「はい?」
不機嫌そうな悟浄の表情とは裏腹に、八戒は穏やかに応えた。
「なんで、俺がこんな事されなきゃなんだか、ワケ聞かせてくンない?」
こんな姿……悟浄は上半身を脱がされ、後ろ手に縛られていた。額のバンダナがないところを見ると、どうやら手首を戒めているのはそのバンダナらしい。
うつ伏せのまま、悟浄が動かせるのは顔ぐらいである。
「いえね、昨夜は悟浄も雨に降られたみたいですし、様子がおかしかったんで見に来たんですよ。で、寝汗もかいているようでしたし着替えさせようと思ったら・・・」
つぃ、と八戒の手が動き、悟浄の腰骨の辺りを指の腹で撫でる。
「こんなものを、見付けてしまったんですよね」
「な…」
(何でそんなマニアなところに痕なんか付けてんだよ〜っ!)
八戒の触れた場所には、確かに薄紅色の痣があった。おそらくそれを付けられたのは昨夜。当然、相手は独角である。
「昨夜の宿は、女性じゃなかったんですね」
言いながら、八戒の手は悟浄の背中を滑る。
「…んっ…」
「全く。女性ならば、と黙認していたのが仇になりましたね」
八戒の手は背骨をつたうように下がり、半ばずらされたズボンの下の尾骨に触れた。
「何?」
焦らすように蠢く八戒の手に為す術もなく、悟浄は乱れる意識を必死につなぎ止める。
「貴男が、女性に満足できるわけないでしょ?こんなに貪欲なのに」
「っ!」
掠めるように悟浄の中心を過ぎ、そのまま手は内股をつたう。
「だから、女性のところへ行くのは黙認して差し上げていたんですよ」
でも、相手が女性でないなら話は別ですよね。八戒はそう言うと、悟浄の躰から離れた。
悟浄が安堵したのも束の間、八戒はその手にウィスキーボトルを持ち、悟浄に見せ付けるかの如く、その栓を抜いた。
「やはり罰は受けていただかないと。とりあえず、消毒からしましょうか」
「やめっ…」
悟浄は下肢に押し付けられた冷たい感触に、底知れぬ恐怖を覚えた。だが、制止を促す声が聞き届けられることはなかった。
パシャッ…・
下肢から伝わる、水音。
悟浄の最奥に埋め込まれた酒瓶は、時折八戒の手によって振られ、その中身を零しながら辺りを濡らす。
「は…や、もうっ……」
「もう、酔いが回ってきましたか?」
薄紅に上気した肌、潤んだ瞳の悟浄に、理性の影は最早見られない。
「粘膜から直接吸収すると、さすがに効きますねぇ。躰、熱いでしょ?」
「…!!」
瓶の中身がなくなったのを見計らって、引き抜く。悟浄はその衝撃に耐えきれず、シーツの上に力無くくずおれた。
部屋の中は零れたウィスキーの芳醇な薫りに包まれていたが、悟浄にはそれを意識することもできない。平素ならば不快に思う内股を伝う感触も、全てが霧に包まれたように知覚の外にあった。
「やっ…八戒……」
薄く見上げると、朧気に八戒の顔が見える。酷薄そうな笑顔。それが何故、自分に向けられているのか。
「八戒……あ、つい……」
たすけて。
悟浄は下肢を犯す熱から逃れたくて、八戒の名を呼ぶ。
だが、八戒は依然として悟浄を眺めているだけで、その躰には触れようともしない。
「悟浄」
耐えきれずにもう一度八戒の名を呼ぼうとしたところに、自分の名を呼ばれ、悟浄は顔を上げる。
いつの間にか八戒は悟浄の正面におり、その顔を優しく両手で挟んだ。
「悟浄。イかせて欲しいですか」
あからさまな言葉。
しかし、既に羞恥など残っていない悟浄は必死になって頷く。
この狂おしいほどの情動を鎮めてくれるのは、目の前の男しかいないのだから。
「それじゃ、悟浄」
この場に不似合いなほど、優しい声音。
「貴男を抱いた男の事を、教えて下さい」
「だ…れ……?」
「昨夜、貴男を愉しませてくれた男の名ですよ」
悟浄は霞む意識の中、ただ、自分の欲望を解き放ちたい一心でその名を口にする。
「爾…燕」
「……そう、ですか」
悟浄が口にしたのは、彼の兄の名。しかし、八戒はその人物のもう一つの名を知っていた。
独角兒…紅孩児直属の剣客。
一度だけ見かけたその姿を脳裏に思い出し、八戒は心底不快そうに悟浄を見た。
「それは……随分と珍しい人にお会いしたものですね」
悟浄が独角と共にいた。
紅孩児直属の独角は、彼等の前に姿を現すときは常に紅孩児の傍らにいた。紅孩児がこの街に来ているとすれば、とうの昔に襲撃があってもおかしくはない。しかし、紅孩児の影は、今のところない。だとすれば独角は恐らく単独行動をとらされているのだろう。
(でなければ、悟浄を拾うはずもないですよね)
八戒は至極冷静に判断したが、取り立ててそれがどうと言うこともない。
降りかかる火の粉は払い除けるまで。
今、自分にとって一番重要なのは、目の前の彼なのだから。
「で、懐かしさついでに彼のところで足まで開いて見せたというわけですか」
「ちがっ…」
ふるふると鈍いながらも頭を振り、否定の意を示す悟浄であるが、それが事実であろうが無かろうが、八戒にはどうでも良かった。
どちらにしろ、悟浄が他の男に抱かれたのは動かしようのない事実。
八戒は心の奥底が暗く冷えていくのを感じながら、悟浄を見据える。
「悟浄」
静かな、凍えるような声。
「この手、解いて欲しいですか?」
不意に投げかけられた言葉に、悟浄の瞳が戸惑うように揺れる。
「手首、結構痛いでしょ?あなた、無理するから」
繋がれた手首も、無理に曲げられた腕が訴える痛みも、今の悟浄には感じることすら出来ない。
ただ、自分の身すら支えることもできないこの状況から逃れたくて、悟浄は必死に頷く。
八戒の口調は穏やかではあったが、悟浄を見つめるその瞳は闇く沈んでいた。
だが、悟浄はその色に気付くことも出来ない。
「それじゃぁ」
八戒は目を細め、悟浄の脳に刻み込むように囁きかける。
「交換条件として、あなたの口で…」
僕のを………
示された『条件』は、絶対的な命令となって悟浄に降り注ぐ。
「…ふっ………」
悟浄は八戒の言葉に従うべく、崩れ落ちそうになる体を必死に支え、その頭を垂れた。
………TO BE CONTINUED