虎猫  五郎太の記

古沢 愛様


 
「あーあ、結局月またぎかあ」
  一太は居間の窓辺に持たれ、溜め息をついた。
  当主であり母である雪乃を筆頭に、有里、静寝、義綱は先月地獄巡りに出かけたまま帰ってこない。月をまたいで戦う事にしたらしい。
「そりゃオレこの家に来たばかりだけど、奥義も継承したし、結構使えると思うんだけどなあ…。なあ、狼(ろう)?」
  振り返るとさっきまでいた二カ月年上の少年はいなくなっていた。
「あれ? あ、イツ花、狼を知らない?」
  たまたま通りかかった小間使いに尋ねると
「えーとォ、五郎太の所だと思いましたけど」
「ちぇっ、またかよ」
「御心配なんですよ、最近五郎太調子悪いし」
  一太は立ち上がると館の一室に向かった。
  五郎太というのは初代華瑠奈(かるな)様の時から飼われている猫のことだ。
  虎じまの牡猫で今年で十四歳。だが最近急に体が弱くなり、狼がたびたび看病していた。お陰で狼を師として行なうよう言われた稽古はまるで進まない。
「母上に叱られちゃうじゃんか」
  ブツブツ言いながら部屋の前まで来た時、何やら話し声が聞こえてきた。
  一人は狼だがもう一人の男の声は聞き覚えがない。
『そうか……月またぎなさったか』
「ああ。当主はおそらく…」
『死を覚悟している。だから時間もないのに一太に奥義継承をなさっていったんだ……』
(死ぬ?母上が?死ぬ?)
  突然心臓が早く打ち出した。
『雪乃様は今回でケリをつけてえんだろう。自分の代で終わりになさりたいんだ…』
  たまらず乱暴に障子を開けて飛び込んだ。
「どういうことだ? 母上が死ぬって!」
  だが目の前にいたのは書をしたためている狼と、座蒲団の上に横になっている五郎太だけであった。きょろきょろをあたりを見回すが他に誰もいない。
『なーんだ。お前も俺の言ってることがわかるのか』
  ぎょっとして視線を下ろすと五郎太がこっちを見て笑っている。
(猫が……しゃべった!? 猫が?猫が?)
  あまりのことに口をぱくぱくさせる一太の着物の裾を狼が引っ張った。
「まあ、座れよ。驚いたな、お前もわかるなんて」
  冷静な狼らしく、淡々と話しだす。
「ばれたのなら隠す必要もない。実は五郎太は人の言葉を解せるんだ。ただし、五郎太の言葉がわかるのは歴代当主だけだが」
「えっ? だって……」
『今まではそうだったんだ。だが不思議な事に狼とは話ができてな。まあこいつは母親と曽祖母が大照天昼子だし、天界の血が濃いからだろう……と思っていたんだが、お前もとはなあ。ひょっとして俺の年貢の納め時が近いせいかもしれねえ』
  けたけたと五郎太は笑った。
  今だ呆気にとられたままの一太に、狼は手元にあった書を見せた。
「凄い量だろう? すべて五郎太が語ってくれた我ら如月一族の歴史だ」
「オレ達の?」
「初代よりの十四年間、五郎太が見て、聞いて、思ったこと全てを記しておこうと思ってな。この一月掛かり切りだった」
  だから稽古を怠りがちだったのか。一太は納得した。
「でもそんな事しなくなって『当主の書』があるじゃないか。代々の当主が書きつけ、引き継がれているっていう」
「それはあくまで当主の目で見たものだろう? 次代当主に残す兵法や当主の私的な事の書かれている日記だ。俺が書いているのはそうじゃない。まったくの第三者の目から見た、如月の人間一人一人の生き様なんだ」
  狼の熱く語る姿に、一太は言葉を失った。
  父親似で静かな奴だと思っていたのに、こんなにも熱い一面があったなんて。
「五郎太が話をできる事を知るのは歴代当主だけ。だから他の者は普通の猫に接するように飾りのない行動をし、色々なことを打ち明けている。彼らの本当の姿を俺は蘇らせ、残したいんだ」
「ちょっ、ちょっと待ってくれよ、それってマズいんじゃないのか?」
  一太が口をはさんだ。
「だってさ、五郎太をただの猫だと思っていたからこそ皆話したんだろ? それを公に書くって事は、秘密をばらすって言うか、裏切り行為って言うか……」
『多分、お前ェの言ってることは正しいよ』
  五郎太が笑った。
『俺だって最初は話す気なんかなかった。俺があの世まで全部持っていくつもりだった。だがなあ、それじゃああんまりにも切なく思えたんだよ……。
  人の一生を六十年とすりゃ、お前らは三十分の一だ。だからお前らの一言は普通の奴らの三十倍も重くて深い事になる…。普通の人間よりも短い分、激しくて濃い人生…。俺は…たくさん見てきた……』
  五郎太の目は遠く懐かしむかのように細められた。
『規則違反かも知れねえ。裏切りかも知れねえ…。それでも俺は伝えずにはいられねえんだ。こんなにも真剣に生きた奴らがいたんだって、伝えずにゃいられねえんだよ。たった十四年の間に四十人もの奴らがどんな風に、どんな思いを抱えて生きて消えていったか……。
  俺ももう年だ。そんな時にこうして言葉のわかる奴が現れたってのも、何か意味のあるような気がしてな…』
  一太はうなだれた。
『それに……俺のカンじゃ、戦いも今回でお終いだ』
  これには狼も驚いて五郎太を見た。
『戦いには法則がある…。本当の山場は一度きりだ。逃すとまた出会うのにえらい時間がかかる。雪乃様もそれを感じ取られたからこそ、無理をしてでも今回の出陣に出かけたのだろう。命を賭けて…』
「そうだ、さっき言ってた。それってどういう……」
『雪乃様は先々月から漢方薬を使っていらした』
  一太はがく然とした。
  自分達一族は外見は変わらず身体機能が落ちて寿命を迎える。
  漢方薬を使うことでそれが少し伸ばせるのだが、高額であることと、引き伸ばしても体力の消耗が激しく、かえって苦しいおもいをすることが多いため、よほどの時でない限り使うことはしなかった。
  それを二カ月も使っていたというのか……。
『なあ、一太』
  力なく落とされた肩に五郎太が語りかけた。
『みんな必死だ。黙って、心に秘めて、必死に戦っている。その想いだけでも俺は伝えて逝きてぇんだよ……』
  しばらくの沈黙の後、一太は涙で一杯になった目で狼に笑いかけた。
「オレも……手伝うよ」

  翌日から狼と一太は手分けをして五郎太の話を書き付け始めた。
  語られるのは自分達が名前も知らない一族達。
  楽天家の空太、般若顔の冗紫、牛神に一目惚れした珠莱を始め、夭折した双子の姉妹や、出生に秘密を持った養子など、生き生きと五郎太の口から蘇っていく。
 時には真面目に。時にはおかしく。
 嬉しそうに。懐かしそうに。
  それを記しながら一太は思った。「ああ、繋がっている」と。
  彼らの行動の中に自分や仲間の姿を見つける度に、「確かにその血は続いている」と。
  五郎太は語り続ける。
  その時どう思ったか、彼らは何をしたか、どんな言葉を残しこの世を去ったか。
  一番疲れているはずなのに休むことなく、まるで己の残りの命と競い合うかのように語り続けた。
 そして時折、自分の経験からの助言や叱咤を二人にするのだった。
 厳しくも愛情のある言葉は「祖父」を思わせ、特に一太は現状を分かっていながらもついつい関係のない甘え事を言ったりしていた。接することの少ない母よりも五郎太の方により親しみを覚えてしまっていたのである。

  そうして卯月も終わりの頃、一太の代にたどり着いたところで五郎太の様態が急変した。
  朝からいっこうに姿の見えないイツ花に代わり、二人は付き切りで看病したが一向に良くならない。
  漢方薬も思い切って飲ませてみたが効かなかった。
「書のとりあえずの完成に気が抜けたのかもな…」
  狼の言葉に一太は涙ぐんだ。
  たった一月の間に一太の中で五郎太はただの飼い猫から大切な家族に変わっていた。死を前にして平静でいられるはずはない。今にも泣き出しそうな顔で苦しそうなその背をなで続けた。
「五郎太、死ぬなよ。まだ皆帰ってきてないぞ。せめて皆の顔見てから逝けよ」
 苦しんで、苦しんで、日も傾き始めた頃。びくりと体を震わせ五郎太の閉じていた目が開かれた。
『見え…る。見えるぜ…。朱点との、決戦が…』
「五郎太!?」
『イツ花……お前のお情けかぁ? ハハッ、見えるぜ、最後の決戦の様子がよ…。狼、一太、書き付けろ』
  突然のはっきりとした口調に二人は戸惑いつつも筆をとった。
  苦しい息の下で五郎太は遠く離れた戦いの様子を実際に見ているかのように語り出した。激しい激しい戦いの一部始終。それは五郎太の夢というにはあまりにも生々しい描写だった。
(本当に五郎太は見ている)
  二人は筆を走らせ、聴き洩らさまいと真剣に耳を傾けた。
『雪乃様が石猿。有里が梵ピン。静寝が再び石猿をかけ、義綱が奥義を使った…!』
『有里が弱っている。義綱が円子で繋いだ』
  飛び交う術の様子までをも細かく語り、伝えてくる。
  長い長い戦い。逆転につぐ逆転。
  そして四半時。とうとう勝負はついた。
  お輪の開放と朱点童子の昇天。
 五郎太は漏らすことなくその様子を伝えた。最後、光の一片が天に消えるところまで。
 まるで物語のような美しい最後、大団円であった。
 聴いていたその場にも安堵感が広がっていく。
『終わった…終わったなあ…。お前らの苦しみも、俺の役目も…。あ…あ…よかっ…』
「五郎太?」
 異変に気づき、ほっとするまもなく二人は五郎太をのぞき込んだ。交互に名を呼ぶがその耳には届いてないらしく、ただ、うっとりとした表情を浮かべている。
『生きたなぁ…生きた。俺も…皆も……。無駄のねえ、目一杯の一生だった…』
 至福に富んだ表情。この上ない輝き。
 五郎太は大きく大きく深呼吸すると、
『万耀様……五郎太は約束通り最後まで見届けました。誉めてやっておくんなさい……』
  目を閉じ、二度と開くことはなかった。
 一瞬静寂があたりを包み、やがてあたりは静かな夕暮れに戻った。
「大往生だ…」
 狼がそっとその頭を撫でた。
 悲しさと空虚感に一太はこらえきれず泣き出した。まるで涙腺が壊れてしまったかのように、後から後から涙があふれてくる。
「なあ、一太」
 狼は正座をし、姿勢を正した。
「俺は思う。五郎太もやはり如月の一族だったのだと。全てを見届ける役目を持った者、一族の生きた「証拠」そのものだったのだ。今、その役目を終えたからこそ、逝ってしまったのだ。俺はそう思う」
 何度も何度も頷く一太。
 狼の膝におかれた両手は握りしめられ、涙で濡れていた。
  窓から差す夕日。その黄金の光に照らされて輝く五郎太。
 やがて二人は如月家の故人を送る時と同じく頭を下げ、謝辞を述べた。
「五郎太殿、お疲れ様でございました」
 

 遺骸は彼が一番慕っていた四代目の娘、万耀の墓の横に埋められた。
  そして語りは後に『五郎太口伝書』として伝わることとなる。


後書きなのです☆
 
風変わりですみません。我が如月(きさらぎ)一族の事を書こうと思ったとき、「猫の目で見た話を書こう」と急に思いついたんです。
 でもホントはもう少し五郎太と一太の心の交流が書きたかったのですが……次回への課題ということで(^^;)
 これからも古沢の実際のゲームの流れに沿って、書いていきたいなと思っていますのでよろしくお願いします。
 

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