一族の血は、永遠に

いっかん様

 12月。大江山に吹く風は冷たい。道々、父が「寒くはないか、礼?」といちいち気遣ってくれた。むろん寒いのだが、自分よりもずっと若い若菜が、文句も言わずついてきているのだから、不平が言えるはずもない。
 我々田端一族は、ついに宿敵・朱点童子の住まう館に踏み入った。思えば、ここに至るまでの苦労は、並大抵のものではない。私の父である、剣士・八代目拓哉も、若い頃から一族の為に迷宮の奥深くまで分け入り、凶悪な鬼どもから貴重な宝物を奪い返していた。今回の討伐に随行している槍使い・アザミも、一族の血が濃くなることを防ぎ、新たな可能性を我らの血に吹き込むために、幼い頃他家から養子に迎えられて、はや半年。このような、初代当主から続く死にもの狂いの努力によって、ついに初陣で随一の戦果を挙げるほどの才能を生み出すことになった。父の末娘、私の妹に当たる長刀士・若菜である。
 しかし、我々一族の血の滲むような日々も、圧倒的な朱点童子の力の前には、無意味であったのではないかとさえ、私は感じた。
 それほどまでに朱点童子は強大で、そして無慈悲であった。
「どうしたぁ、お前達。あいつらの子供なんだろう? もうちょっと骨があるかと思ってたぜぇ。あんまりこの俺を失望させないでくれよなぁ」
 朱点童子の一撃は、我々の体力を容赦なく奪っていく。特に、今回が初陣である若菜は、アザミのお雫が無ければ3回は命を落としているだろう。赤い布で束ねられた緑の髪は埃と汗と血にまみれ、顔には疲労の色が濃い。それに、既に1歳半を過ぎている父も、前回の討伐から精彩を欠いている。本人は決して「疲れた」とは言わないが、やはり命が尽きようとしているのだろう。
 剣を振るいつつ、先ほどから何かを考えていた父が、叫んだ。
「夏狂乱の併せ1発だ、それで形勢は逆転する! みんな、準備しろ!」
父が術の詠唱を始め、私がそれに続いた。若菜がその小さな手を複雑に動かし、印を結ぼうとしたとき、朱点童子が突然消え失せた。
 一瞬何が起こったのか、理解できなかった。地に倒れた若菜の小さな体が、血に染まっている。
アザミの血だった。
その巨体からは想像もつかないような素早さで高く飛び上がった朱点童子は、その巨体を最大限に生かして、若菜を押しつぶそうとしたのだった。しかし、それに気づいたアザミが若菜を突き飛ばし、代わりに朱点童子の下敷きになった。
 朱点童子は少々意外そうな顔を見せ、ぽりぽりと尻を掻きながら、ぬけぬけと言い放った。
「あーあー。せっかくちっちゃい奴からぺちゃんこにして喰らってやろうかと思ったのによお。どうせ皆殺しなんだから、順番なんかどうだっていいだろうが。興ざめだぜぇ」
 槍にしがみつきながら何とか立ち上がったアザミだったが、大量の血を吐いて地面に崩れ落ちた。ぱっと広がった血の池が、彼女の運命を暗示する。
 その時、父が不完全に終わった夏狂乱の併せを発動した。致命的な傷を与えることは出来なかったが、敵をひるませることはできたようだ。
 朱点童子はとりあえず父に引き受けてもらい、私はアザミのもとへ駆け寄る。若菜は、「アザミちゃん、ごめんね、ごめんね」と、涙を流しながら懸命に泉源氏の術を完成させようとしていた。泉源氏を何度かけたところで、アザミはもう助からない。頭では分かっていながら、私も必死で彼女の手を握り、励ました。
「アザミ、しっかりしろ! このくらいの傷が何だ、この間の討伐の時なんか、気絶するまで戦っても無事に家に帰れたじゃないか! ほら、私のことが分かるか? アザミ?」 口の中が血で満ちているため、呼吸が苦しそうだ。口移しで血を吸い出し、頭を横に向け、楽にしてやる。アザミは、精一杯の笑顔を見せた。彼女の赤い髪が、燃え上がるように見えた。いつも笑っている娘だったが、今の笑顔はどこか違っている。血で染まった口を、苦しげに開く。
「礼君・・・なんか、今、昔のこと思い出したよ。ちっちゃい頃・・・よく、遊んでもらったよね・・・礼君の綺麗な緑の髪、羨ましかったなあ・・・。あたし、あたしさあ。この家にもらわれてきてから、何となく居場所がないなあ、って感じてたんだ・・・
 でもさ、あたしだって、田端一族の、一員なんだよ、ね・・・だから・・・」
 微笑んだまま、アザミはゆっくりと目を閉じた。何故か満足げな表情を浮かべて、彼女は眠りについた。もう、二度と覚めることのない、深い眠りに。
 若菜は、呆然としたまま、アザミの体を揺さぶり続ける。もう、彼女の魂は体を離れた事は分かっているのに、若菜は涙を流し、アザミに謝りながら、ずっと彼女の体を揺さぶり続けた。
 背後で甲高い金属音がした。怒りと悲しみで唇をかみしめながら振り返ると、父が朱点童子の恐ろしく鋭い爪を、益荒男刀で受け止めている。一対一では、流石に分が悪く、徐々に押されている様子だ。私は矢筒から新しい矢を二本取り出し、立て続けに撃った。それを避けるために朱点童子が体勢を崩したところを、すかさず父がなぎ払う。体に似合わない俊敏な動きで、朱点童子はそれをかわし、私たちと少し距離を取った。抜け目無くあたりを見回し、アザミと若菜を見て、奴は嫌らしい笑みを浮かべた。
「あれ? あいつ、死んじまったのかい? そいつは悪いことをしたねぇ。アザミちゃん、ごめんねぇ・・・てかぁ! ヒヒヒ」
私は思わず、朱点童子に向かって叫んでいた。
「貴様ッ! アザミを、アザミを侮辱するなッ!」
アザミは、短い年月を精一杯生きた。その生を、こいつが侮辱することだけは許せない。朱点童子は、あいかわらず下卑た笑いを浮かべている。
 生まれてこのかた、ずっと「朱点童子打倒は、我が一族の悲願」と聞かされて育った。幼な心に、何故、みんなはそれほどまでに朱点童子を憎むのか、不思議だった。初代当主の二親が、朱点童子の卑劣な策略で非業の最期を遂げた話は、何度も聞いた。その度に、朱点童子に対する怒りは募っていった。しかし、それでも「殺したいほど憎い」とまでは、思わなかった。・・・今日、この時までは。
「朱点童子ッ! 貴様は、貴様だけは必ず殺すッ!」
「おおこわっ。ヘヘヘッ、殺れるもんなら殺ってみろよ。でも、お前らにできるかなー?ほれ、そいつもかなりお疲れのようだぜぇ?」
 朱点童子は、父を指して言った。確かに、父は傍目から見ても苦しそうだ。息が荒い。剣を杖代わりにして、やっと立っている。もう、無理な戦闘は出来ないだろう。
 と、唐突に父が口を開いた。
「礼・・・お前、あとどれだけ生きられる?」
「・・・!?」
 突然の父の問いに戸惑いながらも、私は、いつも頭から離れない寿命のことを、もう一度考えた。
「あと・・・半年ぐらいでしょうか・・・」
それを聞いて、父は我が意を得たりとうなずいた。
「そうか。若菜はまだ幼いが、初陣でここまで来られる子だ。素質はある。しっかり育ててやれ。それから・・・アザミには気の毒なことをした。せめて、あいつの子は、大事にしてやってくれ」
「父上・・・」
 私には、父が何を言っているのか分からなかった。父が言葉をつぐ。
「俺はもう長くない。明日、いや今日死んでもおかしくないくらいだ。短命の呪い、って奴だな。忌々しいが、体がだんだん言うことを聞かなくなってきてる」
杖代わりにして寄りかかっていた剣を再び持ち直し、父は、いや、8代目拓哉は、再び朱点童子と向かい合った。
「初代の当主様は、こう言ったんだってな。俺の死を悲しむ暇があるのなら、一歩でも先へ行け、決して振り向くな・・・俺の屍を越えてゆけ、ってさ」
「父上・・・? まさか!」
顔をほころばせた父は、駆け出しながら言った。
「ま、生きろ、ってことさ。バーンとォ!、な」
駆けだした父の横顔は、確かに笑っていた。
「父上ェェェ!」
「我が名は8代目拓哉! 朱点童子ッ! 我らが開祖の編みだししこの技を受けてみよッ!
 奥義、真空源太斬!」
 父の奥義が炸裂したときの様子は、涙で曇った私の目にはよく見えなかった。しかし、父が命を削って打ち込んだその渾身の一撃は、確実に朱点童子の体力を奪っていた。先ほどまでの余裕はもう、感じられない。父は、その様子を目にして、満足そうな顔で地に倒れ伏した。
 朱点童子が、怒りに体を震わせ、叫んだ。
「この野郎! よくも、よくもやりやがったなッ! 殺してやる。てめえら、犬っころ以下の畜生どもは、みーんな殺し尽くしてやるッ!」
 その血走った目が、放心したままの若菜を捉えた。
 その時、私は妙に落ち着いた気分だった。朱点童子への怒りも消えていた。一種の悟りの境地なのだろうか。もう、迷うことはない。いや、私たちの一族には、もとより迷っている暇はないのだろう。子を守って死んでいった親がいる。子の為に、何かを成して死んでいった親がいる。そんな死の上に、私は今、生きている。
 私も、可愛い妹である若菜の為に、そして、家で帰りを待つ子の為に、何かを成さねばならない。たとえ、この身が滅びたとしても。
そのとき、私は自ら編み出した奥義の名を、躊躇うことなく、こう叫んでいた。
「奥義ッ! 連段弓拓哉!」
 父の名を、いや、当主の名を冠することに、気後れすることはなかった。この奥義に、私は一撃必殺の自信を持っていたから。そしてこの一撃は、子供達の為に死んでいった歴代当主に捧げたかったから。
 限界まで肉体を酷使する奥義は、確実に私の体を衰えさせている。だが、たとえ今倒れたとしても、私に悔いはない。
なぜなら、朱点童子の倒れる姿が、急速に色あせていく視界に入ってきたから・・・

「皆様、おかえりなさいませ!」
 イツ花の明るい声が、増築したばかりの家に響く。が、その顔はすぐ、悲しみに包まれた。
「当主様、アザミ様・・・!」
 イツ花が私に背負われた父に駆け寄る。それを手で制した。
「イツ花、父上はいま、お休みになっている・・・そっとしておいてくれ」
「・・・礼様・・・はい、分かりました。じゃあ、イツ花は、お風呂の用意を・・・」
 言い終わる前に、くるりと後ろを向いて、イツ花は走っていった。涙を見せまいと気遣ったのだろう。本当に、よく気のつく娘だ。彼女のおかげで、歴代の当主はどれだけ辛い気持ちを慰められただろう。
 父とアザミの体を清め、安置したあとで、イツ花はおずおずと私に尋ねた。
「あのー・・・朱点童子は・・・」
「ああ、朱点童子か・・・倒したよ。その為に払った犠牲は、大きかったがね」
「・・・! そうなんですか! おめでとうございます!」
 言い終えて、どうやら二人の霊前だと言うことに気づいたようだ。
「・・・って、不謹慎でしたね。私。ごめんなさい」
「いや、いいんだ」
 そう、いいんだ。私はひとりごちた。
「もう、朱点童子の事なんてどうでもいい」
「え?」
不思議そうな顔をして、イツ花は私を見た。
「大事なのは、私にとって大事だったのは、家族だった、って事さ。もちろん、イツ花も含めてな」
「当主様・・・」
イツ花は、私を見たまま、ずっと立ちつくしていた。


 
あとがき
 友人と一緒に、初代当主の遺言と、CMの台詞を上手く使って何か書けないかと議論した結果、このお話になりました。なにぶん、ちゃんとお話を書き上げるのはこれが初めてなので、至らない部分は多くあると思いますが、そのときはご指導、ご鞭撻をいただければ嬉しく思います。最後に、全国の田端拓哉さん、ごめんなさい。

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