おひさま倉賀野保育園の歴史
 今年で(2000年度)30周年を迎えたおひさま倉賀野保育園。共同保育
として生まれたわけですが、涙なくしては語れない、そんな話も盛り込ん
で保育園の出来るまでを年表形式にて紹介していきたいと思います。
1962年(昭和37年) 共働き・核家族化「鍵っ子」など社会問題として注目される

1965年(昭和40年) 全国的に「ポストの数ほど保育所を」の建設運動ひろがる

1970年(昭和45年) 大井宅にて「おひさま無認可保育園」開設
              
              共働きの大井夫妻に双子ちゃんが生まれました。(第2子・3子)
              当時、乳児保育をしている保育園は皆無に近い状態であり、
              自宅から十数キロ離れたところにあった、おひさま飯塚保育園
              と連絡をとり、自宅を解放して開設されました

              社会福祉法人「おひさま福祉会」認可申請書提出
              
              あっという間に、24人になってしまい8畳と6畳の部屋ではどうに
              もならない。と言うことで、市に実状を訴えに行ったところ、「保育に
              欠ける子どもがあれば、保育園はこれを保育しなければならない」 
              という規則があるから、近所の保育園に行ってみてくれ。という指
              導があったので、行ってみると、「あなた方はテレビやピアノやダイ
              ヤを買いたいため、共働きをしているんでしょうから、子どもが大
              切ならすぐ勤めをやめたらどうですか。」「ゼロ歳児は預かれませ
              ん。」「長時間保育は出来ません」
などと、ことごとく断られたそうです。
              そこで、建設委員会を発足。労金からの借金にて土地を購入。
              
1971年(昭和46年) 社会福祉法人「おひさま福祉会」認可される   
              
              おひさま倉賀野保育園定員60名で発足する

              ここまでの道のりはかなり厳しく、付記してある程度では書き表せな
              いので「おひさま倉賀野保育園20年のあゆみ」という、本があります。

              その中から、一部抜粋して載せてみましたここから行ってみて
              ください。
                           

1972年(昭和47年) 要望に応え、定員90名に増員する 

1978年(昭和53年) 要望に応え、定員120名に増員する
                
               市よりプレハブの貸与を受け、保育室を増設する。

1979年(昭和54年) 新園舎建設運動はじまる 

1980年(昭和55年) 新園舎建設委員会発足

1983年(昭和58年) 新園舎完成   

1985年(昭和60年)  「国庫補助負担金」削減一括法案可決
               人事院・国家公務員の4週6休の試行を通達
               保育の危機突破決起集会参加

1986(昭和61年)   おひさま倉賀野保育園創立15周年記念行事開催される
               群馬県保育問題連絡会(群馬保育センター)結成
               発達診断研修会をはじめとする保育研修会への参加一段と活発になる
               保育要求全国決起集会をはじめとする保育制度問題への参加活発になる
               国庫負担金削減に関わる機関委任事務の整理合理化法案通る

1987年(昭和62年)  くらしと福祉・地方自治を守る一千万署名 国会請願に参加
               保育雑誌「げんき」創刊号に”保育に参加する父ちゃんたち”掲載される

1988年(昭和63年) 電話育児相談事業を担当する
               措置費国庫負担率5割で恒久化
               人口動態調査発表 出生数明治以来の最低を記録
               新幼稚園指導要領・新学習指導要領告示
               アレルギー児の給食内容について検討始まる
               保育所保育指針 中間報告発表
               「おひさまはばたく会」(卒園児の会)”夏期セミナー”開催
               「おひさまの保育を考えるつどい」はじまる
               冬まつりに父母の{劇}始まる 

1989年(平成1年)   アレルギー児増加の傾向
                国連で「子どもの権利条約」採択される

1990年(平成2年)   保育所保育指針 25年ぶりに改訂される
               おひさま倉賀野保育園20周年を迎え、一年を通して記念行事開催される
               厚生省人口動態統計発表「出生率1.57」と史上最低
               倉賀野中学校より生徒の保育見学始まる

1991年(平成3年)   育児休業法案可決
               職員・父母・理事の三者懇談会を開催する
                育児不安の母親が社会問題化する
                総務庁により乳児保育・延長保育・夜間保育等の実施が指導される

1992年(平成4年)   4週5休制度を導入する
               「これからの保育所懇談会」が開催される

1993年(平成5年)   保母及び調理員の増員のための市単独補助制度が確立する
               4週6休制度を導入する
               延長保育を実施する
               「保育問題検討委員会」が設置され保育制度の見直しが保育界をゆるがす
               公的保育制度を守る運動が活発になる

1995年(平成7年)   緊急保育対策等5カ年事業、エンゼルプラン策定される
                週休2日制を導入する
                ホール床全面張り替えをする
                中央児童福祉審議会基本問題部会が設置される

1996年(平成8年)   基本問題部会より児童福祉法見直しの「中間報告」が出される    
                 「中間報告」は「措置方式から利用方式に改めるべき」「保育料は年齢別・均一料金
                 に方式に改めるべき」と制度の質的変換が提起される

1997年(平成9年)    「児童福祉法等の一部を改正する法律」案が国会に上程される    
               11月25日厚生省の社会福祉事業の在り方に関する検討会は        
               「社会福祉の基礎構造について」の報告書を発表それにより、行政が責任を持つ
               措置制度から利用契約制度へ移行し「市場原理」の参入など大幅に見直すことが打ち
                出される 
               赤い羽根募金配分金により、園周フェンスの全面改修
                とり小屋の全面改装を保護者により実施

1998年(平成10年)  児童福祉法改正4月1日より施行
                措置制度から利用制度への移行
                子育て支援自主事業始める

1999年(平成11年)   大規模修繕により空調設備・外壁塗装
                少子化対策臨時特例金配分される
                園庭整備、山を崩し整地
                赤い羽根共同募金により、ヤギ・にわとり飼育小屋整備
               4者懇談会開催される


2000年(平成12年)   子育て支援センター設立
                新エンゼルプラン作成される
                おひさま倉賀野保育園30周年記念事業開催
                ビデオ・記念誌・荒馬座公演・秋葉英則講演会レセプション等盛大に行われる
                ヤルベンチャー事業
                   倉中・佐野中・高松中・塚沢中の4校、藤岡女子高校実習
                一時保育始める
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